1557年4月 巡り廻る季節
弘治三年(1557年)四月 尾張国桶狭間
年が変わった弘治三年四月。高秀高が領する桶狭間では、水田地帯においていよいよ稲の田植えが始まる季節になっていた。春の陽気に照らされ、農民たちが耕作を始めようとしていたのである。
「皆、今年の稲はどんな感じだ?」
その水田地帯の一角。領主である秀高は農民たちに稲作について尋ねていた。
「あぁ、これは領主さま。今年は前年の稲が良かったおかげで、しっかりとした稲になりそうですだ。」
「そうか。これも皆の働きのおかげだ。ありがとう。」
そう言うと、秀高は農民たちに頭を下げた。すると、それを見た農民たちは驚いて秀高にこう言った。
「あ、頭を上げてくだせぇ!領主さまがいろいろ施策を施してくれたおかげで、不毛だったこの地域がようやく豊作になっただ。これも全て、領主さまのおかげだぁ!」
農民たちがそう言ってくれたことに対し、秀高は感謝のあまりに農民たちの手を取り、握手して謝意を伝えた。
「…秀高、まさか、定免制が、ここまでうまくいくとはね。」
と、秀高の隣にいた小高信頼が、秀高に対してこう話した。
秀高が桶狭間の領主になった頃、秀高は信頼からの提案を聞き入れた。それは、「定免制」と呼ばれる制度である。これは豊作・凶作に関わらず、過去数年間の収穫高の平均から年貢率を決め、一定の年貢を農民から納める事とした制度である。
元々の法案は江戸時代に広く使用された制度であったが、歴史オタクであった信頼はこの制度を導入することを提案した。秀高はこの提案を主君である山口教継に上奏すると、教継からの許しを得て秀高領にて先行して実行されることになっていたのだった。
「これで、皆が増税で苦しまずに暮らせますだ。殿さま、お礼申します!」
農民たちは、口々にそう言って感謝を秀高に向かって述べた。秀高はその想いを受け止めるように、農民たちに向かってこう言った。
「…皆、ありがとう。だがまだこれからだ。もし凶作になればの時も考えなければならない。その時には皆、一致団結して乗り切ろう!」
「おぉー!!」
農民たちはその言葉を聞いて結束すると、秀高を囲んで声を上げてその意気を示したのだった。
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「あ、お帰り。秀高くん。」
領内の巡検を終えて館に戻ると、館の縁側で玲が嫡子の徳玲丸を抱きながら玄関で秀高を出迎えた。
「あぁ、ただいま。」
秀高は履き物を脱いで館に上がると、居間の中に入って腰を下ろした。すると、それに続いて部屋に入ってきた玲が秀高にあることを話し始めた。
「それにしても、姉様が妊娠して四ヶ月が経ったね。」
「あぁ。あの二人、すっかり夫婦になったな。」
実はこの時、大高義秀の正室となっていた華は既に、子を身籠ってから四ヶ月が経過していた。聞けば、あの挙式の後の夜にて、子を成したと噂された。そして今は、義秀の居室で安静に過ごしている。
「あの二人の子供…どんな感じになるんだろうね?」
「さぁな。父に似て熱血になるのか、それとも母に似て飄々とした雰囲気になるのか…」
すると、玲が秀高に対してこう言った。
「ねぇ、秀高くんはあと、何人子供が欲しいの?」
その言葉を腕組みしながら聞いた秀高は一瞬ギクッと戸惑ったが、暫く考えて玲にこう返事を返した。
「そうだな…玲の負担にならない程度に。かな。」
「そう…でも私は、秀高くんの子供なら何人でも大丈夫だよ。」
そう言われた秀高は微笑むと、玲の腕の中で眠る徳玲丸を見ながらこう言った。
「まぁでも、今は徳玲丸がある程度育つまでは、徳玲丸に力を入れたいと思うよ。」
「うん。私たちの、大切な子供だもんね。」
二人がそう言って微笑ましく過ごしていると、そこに乳母の徳が織田信勝の遺児・於菊丸を抱えてやってきた。
「あぁ、徳さん。どうですか?於菊丸の様子は。」
「えぇ、とても穏やかにしています。健やかに育っていますよ。」
その話を聞いた秀高は安堵した表情を見せた。
「そうですか。それは良かった。信勝様も、さぞ喜んでいると思います。」
すると、そこに信頼が駆け込んでやってきた。それを見た徳は於菊丸を抱えたまま、奥座敷へと帰っていった。
「ごめん、失礼するよ。秀高、伊助から報告したいことがあるそうだ。」
「そうか。直ぐに聞こう。伊助!」
秀高は玲をそのまま部屋に居させると同時に、伊助の名前を呼んだ。すると伊助はどこからともなく現れ、秀高に報告した。
「殿、まずは我が配下が遠国の事を報せてまいりました。毛利元就が、西国の大大名・大内氏を滅ぼしたとの事です。」
「…そうか。やはり大内が。」
信頼は伊助の報告を聞くと、秀高を見るようにこう言った。この大内家の滅亡は、元の世界でも起こった事象であり、信頼の考えでは、未来から来た秀高らが接触していないため、歴史通りに進んだと考えていたのだ。
「…分かった。それと、何か尾張や駿河で動きがあったか?」
「ははっ。まず尾張ですが…近々織田信長がいよいよ、国内の敵対勢力に対して、攻撃を仕掛ける模様です。」
伊助の報告を聞いた秀高の目の前に、信頼が気を利かせて尾張周辺の地名が書かれた地図を床に広げた。すると、伊助は地図を指しながら報告を続ける。
「まず、槍玉に挙げられるのは岩倉城の織田信賢・犬山城の織田信清の織田一門にございます。彼らは元尾張守護代の織田信友を支持しており、信友死後は信長に反発し、信勝殿を擁していました。」
「確かに…だから稲生原の戦いでは、信勝殿に援軍をよこしてきたのか。」
秀高が、つじつまが合ったようにこう言うと、伊助はそれに頷いて話を進めた。
「そして信勝殿がなくなった今、いよいよこの両織田家を信長は攻撃するつもりでおります。」
「…そうか。いよいよ信長が尾張の大半を…。」
秀高がこう言うと、信頼は秀高に対してこう言った。
「秀高、それはあくまでそれは尾張北部の話だ。南部は一応、教継様を筆頭とする今川傘下の豪族たちが支配しているからね。」
「でも、信長さんが尾張を制圧しちゃったら…。」
徳玲丸を抱える玲が、その話を聞いた上で思い浮かんだ懸念を口に出した。
「いよいよ、信長の天下が動き出す、か。」
秀高がこの言葉を口に出すと、伊助は話を切り替えるように駿河の話題を話した。
「それと駿河ですが、近頃、今川家重臣の朝比奈泰能が病に臥せっており、これを受けて当主の今川義元は当面の間の出陣を控えると布告したようです。」
「そうか…という事は、今川は今年一杯、兵を動かさないという事か。」
秀高の言葉を聞いて、伊助は首を縦に振って頷いた。すると、秀高は何かひらめいたようにある事を呟いた。
「…今川が兵を出さない。という噂を聞いたから、信長が動いた訳か。」
「その可能性はあるね。伊助、ご苦労だった。引き続き国内並びに、近隣諸国の動静を探ってくれ。」
「ははっ!!では御免!」
信頼の指示を受け入れた伊助は、姿を一瞬にして消すようにその場を去っていった。
「織田に今川…どちらも手ごわいね。秀高くん。」
「だが今、俺たちは形の上では今川傘下だ。当面の敵は信長、という事さ。」
秀高が玲にこう話していると、そこに滝川一益が現れてこう報告した。
「申し上げます。ただ今鳴海城より早馬が到着し、直ぐに登城せよとの事です。」
「鳴海城から?分かった。直ぐに向かうと伝えてくれ。」
「ははっ!」
一益は秀高の言葉を聞くと、直ぐに振り返って去っていき、早馬に秀高の言葉を伝えた。その後秀高は、館を一益や梅たちに任せると、自身は義秀と信頼、そして同行を願い出た舞の四名を連れて鳴海城へと向かって行った。