1556年12月 初めて授かる命
弘治二年(1556年)十二月 尾張国桶狭間
弘治二年十二月。ここ高秀高の桶狭間にある領主の館では色めき立っていた。この日、正室である玲がいよいよ出産のときを迎えようとしていたのである。
「いよいよ、子供が生まれるのか…」
秀高が領主として住まう桶狭間の館の中では、既に出産のときを迎えた玲のお産を手伝うべく華たち姉妹と、館住まいの梅がお産の準備に追われ、義秀ら男性陣は、お産をする主殿の向かいの離れで、事の推移を見守っていた。
「…やべぇな。俺の子供じゃねぇのに、すごく緊張してきたぜ。」
当主である秀高が、子供が生まれる瞬間に胸を躍らせている隣で、義秀が逆にその状況に気圧され、緊張の度合いを高めていた。
「何でなの?父親である秀高が緊張しているならわかるけど…」
「ば、馬鹿言え!秀高の子供とはいえ、俺たちにしてみれば血を分けた兄弟みたいなもんじゃねぇか。」
信頼と義秀がこう言いあっていると、その隣で目を瞑って無事に生まれることを祈っていた秀高は、二人にこう言った。
「兄弟…か。まるで、義兄弟みたいなもんだな。」
「…まぁ、友情と義兄弟の関係は、似て非なる物とは思うけどね。でも、僕にとっても、この子供はとても大切に思えるよ。」
信頼の言葉を聞いた秀高は、その言葉を聞いてふふっと微笑んだ。するとそこに蘭が襖を開け、秀高に対してこう言った。
「失礼します。ただ今三浦継意様、ならびにご子息がお越しになられました。」
「継意殿が…直ぐにこちらにお通しせよ。」
そう言われた蘭は、館の玄関にて待機している継意たちを案内し、秀高らが控える離れの中に通した。
「これは秀高殿。いよいよ出産ですな。」
「継意殿、お構いできず申し訳ない。ささ、どうぞお座りを。」
秀高に促された継意は秀高の前に座り、その二人の息子も継意の後方に着座した。
「秀高殿、これが以前に言っていた、息子二人じゃ。さぁ二人とも、秀高殿に名乗るが良い。」
「お初にお目にかかります。三浦継意が長子、三浦平二郎継時にございます。」
「同じく!その次子の三浦平四郎継高と申す!」
継時と継高の名乗りを受けた秀高は、二人に向かって自身の名を名乗った。
「高秀高と申す。父上にはいつもお世話になっておる。何卒、良しなに。」
「ははっ。父同様、何卒宜しくお願い致し申す。」
継時がこう返事を返すと、継高は秀高の顔を見て、何かを頷くようにこう言った。
「うむ。さすがは父が申されるが通りの英名誉れ高い当主でありますなぁ。」
「継高!言葉が過ぎようぞ!」
継意が継高にこう注意すると、秀高はそれを気にも留めずに継意にこう言った。
「いやいや、怒らないでください継意殿。今の言葉は彼の本心でしょう。」
「は、はぁ…そうでございますが…」
継意にこう言った秀高は、後方に控える継高にこう言った。
「継高、そなたの力を頼る時もあるだろう。その時は力を貸してくれるか?」
「もちろん!このお力!いつでもお貸ししますぞ!」
すると、継高の言葉を一から聞いていた継時は、父と同様に継高の非礼を詫びた。
「秀高殿…弟が無礼を…」
「いや、面白れぇじゃねぇか。それくらいの威勢があった方が期待できるもんだぜ。なぁ秀高。」
「うん。その通りだ継時。私は不快に思ってはいない。安心してくれ。」
秀高からの言葉を受けた継時は頭を下げ、重ねて非礼を詫びるように一礼した。と、その時遠くの方から、元気な赤子の鳴き声が聞こえてきて、それと同時に離れに向かって足音がしてくる。そしてそこに、梅が産婆の姿で現れるとこう言った。
「秀高様、おめでとうごぜぇます。健やかな若子様でごぜぇます!」
「おぉ、男子をお上げになったか!」
梅の報告を聞くと、継意も我が事のように喜び、後ろに控える継時と継高も顔を見合わせて喜んだ。そして秀高はその報告を聞くと居てもたってもいられず、梅にこう言った。
「梅さん、もうそっちに行っても大丈夫ですか?」
「えぇ。既にお産は終わりました。奥方様は横になって安静にされております。」
梅にそう言われた秀高はすぐさま、身なりを清潔に整えると、継意への対応を義秀と信頼に任せ、自ら一人で廊下を渡り、お産が行われていた部屋へと入った。
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「ほら、玲。ヒデくんが来たわよ。」
その部屋の中には、布団の中で横になっている玲と、その傍に布で包まれた赤子が寝ていた。そしてその傍には華と舞が産婆の恰好のまま、玲に付きっきりで付いていた。
「あぁ…秀高くん。ほら、私たちの赤ちゃんだよ。」
玲は横になりながら顔を赤子の方に向け、直ぐ近くに座った秀高にそう言った。
「うん…立派な赤ちゃんだ。ありがとう。玲。」
秀高の言葉を受けた玲はそれを嬉しく思い、微笑みながら頷いてそれに応えた。すると、華が秀高にこう言う。
「ヒデくん、ところで、赤子の名は決めたの?」
「姉様、その事なんだけど…」
と、舞が華が言おうとしていた所をとどめ、その会話に割って入るように、秀高に対してこう言った。
「この時代、戦国時代では、正式な名前は元服…成人する時に名前を付ける事になっていて、赤ちゃんの時に名付けるのは、いわゆる幼名という幼児の間に呼ぶ名前をつけるの。」
「なるほど…たしか、ノブくんも同じこと言ってたわね。」
その会話を聞いていた秀高は、|玲が寝ている布団の隣にあった、机の上の筆と紙を使うと、さらさらと幼名の字を書いた。
「玲、俺たちの家…武家である高家として初めての、この赤ちゃんの幼名は、これにしたいと思う。」
そう言って玲に見せた名前を、玲は口に出して言った。
「徳玲丸…玲って…」
「あぁ、この玲の字は、お前の字だ。この赤ちゃんはその字の意味のように、玉のように美しく、そして品性や人格豊かな男子になって欲しいと思ってこの名前にした。」
「まぁ…なかなかいい名前じゃないかしら?」
「うん…私も、気に入ったよ。その名前。」
華と玲からそう言われた秀高は頷くと、その名前が書かれた紙を赤子の横に置いた。
「いいか、お前の名は徳玲丸だ。健やかに育ってくれよ?」
秀高が、赤子に対して優しくそう語りかけると、それを横になりながら見ていた玲は微笑みながらそれを見つめていたのであった。
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その翌日、改めて義秀や信頼、それに継意父子や家臣となった一益をも含めて、改めて赤子誕生のささやかな宴を催した。
「いや、此度は御嫡子ご出産、誠に祝着至極にござる。」
上座に座る秀高に、継意が酒代わりの水を注ぐと、盃でそれを受けていた秀高がこう言った。
「ありがとうございます。今度からは、子育ての事も教わらなければなりませんね。」
「はっはっは、何を仰せになる。子育ては自身の信じるままに行った方がようござる。」
継意はそう言うと、徳利を置いて秀高にこう言った。
「秀高殿、ただ一つ。覚えておいて欲しいのは、今後、秀高殿に新たな子が生まれたときに、御嫡子が家督を継ぐことを、その下の子に徹底させて教えることにござる。」
そう言われた秀高は、盃を置いて継意の言葉を聞き入った。
「それを行わなければ、家臣を巻き込んだお家騒動の大きな原因になりまする。…信長と信勝殿の骨肉の争いが、いい例でござろう。」
その話を聞いた秀高にとって、その例えはまさに身につまされる話であった。あの信長と信勝の戦いを経験しているからこそ、そのような争いをすることは不毛であるとわかりきっていたからである。
「もし、御嫡子に新たな弟が生まれたときは、家督相続の対象としてではなく、御嫡子の家臣として養育なされよ。それならば、要らぬ家督争いも起こりますまい。」
「…分かりました。その事、肝に銘じます。」
秀高の言葉を受けた継意は、その答えに満足すると、再び徳利を手に取り、秀高の空いた盃に再び注いだのであった。