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1564年5月 飛騨平定軍出陣



永禄七年(1564年)五月 美濃国(みののくに)稲葉山(いなばやま)城下




 永禄(えいろく)七年五月二十八日早朝。前日に美濃攻めの論功行賞を終えて帰国した諸将とは別に旗本と共に稲葉山城下に留まった高秀高(こうのひでたか)の姿は稲葉山城下にある瑞龍寺(ずいりゅうじ)の一角にある一基の墓の前にあった。


「…義龍(よしたつ)殿、美濃を取りましたよ…」


 その墓石の前で秀高は(かが)みながら手を合わせていた。その墓石こそ先の稲葉山城主でもあり斎藤龍興(さいとうたつおき)らによって毒殺された斎藤義龍(さいとうよしたつ)とその妻一条局(いちじょうのつぼね)や幼い子たちの墓であった。瑞龍寺の本堂から少し離れた一角にひっそりと佇む墓石に朝日が差し込むと、手を合わせていた秀高は墓石に語り掛けるように話し始めた。


「義龍殿の無念を必ず無下にはしません。俺の天下統一の道、あの世から見ていてください…。」


「ここにいたんだ、秀高。」


 と、その秀高の元に大高義秀(だいこうよしひで)小高信頼しょうこうのぶよりがやってきた。信頼の言葉を聞いた秀高は手を放して二人の方向を振り向いた。


「あぁ。この美濃を取った後には必ずここに来ようと思っていたからな。」


「奇遇だな。俺もそう思ってたんだぜ。」


 義秀は秀高に手短に言葉を返すと、秀高の隣に屈んで座って目の前の義龍の墓に手を合わせた。それを見た信頼も秀高の隣に屈んだ義秀とは反対側の位置に屈み、同様に墓前に手を合わせた。


「おや、これは秀高殿ではございませぬか?」


 とその時、そんな秀高一行を見かけた一人の僧侶が近づいて話しかけてきた。その言葉を聞いた秀高がスッと立ち上がって声のした方向を振り向くと、そこには秀高と同年代の若い僧侶の姿があった。


「これはすまない。ここの住職の方か?」


「いえ、拙僧は安八郡(あんぱちぐん)に住まう玄以(げんい)と申します。人によっては出生の地の前田(まえだ)を付けて前田玄以(まえだげんい)とも呼びまする。以後お見知りおきを。」


 この自己紹介を受けた義秀や信頼もスッと立ち上がって玄以の方を見た。秀高はこの玄以の自己紹介を受けると自身も名を名乗った。


「玄以、俺が高秀高だ。でこっちは家臣の大高義秀と小高信頼だ。」


「玄以殿、よろしくお願いします。」


 秀高に紹介された信頼が玄以に対して挨拶をすると、その挨拶を受け取った玄以は秀高の風貌を見て言葉を返した。


「やはり秀高殿にございましたか。いやなに、美濃の戦いも終わって秀高殿がこの美濃を支配なさると聞き、先の義龍公の菩提を弔いたく参った次第にございます。」


「そうだったのか…」


 秀高が玄以に対して手短に言葉を返すと、玄以は秀高たちから場所を譲ってもらい義龍の墓前に進み、その前で義龍の墓石に手を合わせた。そして目を瞑ってしばらくの間墓石を向かい合った後、玄以は目を開いて立ち上がり、後ろで待機していた秀高たちの方を振り向いた。


「…秀高殿、義龍公のご遺志である美濃の平穏を成し遂げられるのは秀高殿を置いて他にはおりますまい。」


「その言葉、嬉しく思う。最初の数年は美濃の民たちにいろいろ迷惑をかけるとは思うが玄以を含め美濃の民たちにはそのことを理解してもらいたい。」


 秀高が玄以に対してそう言うと、玄以は秀高の顔を見つめながらしっかりと頷いた。


「はい。美濃の民たちはどのような苦難があろうとも、必ずや秀高殿の支えになってくれるでしょう。」


「そうか。玄以、今回の戦で荒廃した寺院等があったらすぐにでも申し出て来てくれるよう口添えをしてくれないか?」


「お任せを。こちらから宗派を問わず各寺院に話しかけて見ましょう。」


 秀高の頼みを聞き入れた玄以が秀高に対して言葉を返すと、秀高は玄以の言葉を聞いた上で頷いて返した。と、そこに馬廻の神余高政(かなまりたかまさ)が現れた。


「殿、飛騨(ひだ)より火急の使者が参っております。」


「何、飛騨から火急の使者だと?」


 高政の言葉を聞いた秀高は義秀や信頼と互いに顔を見合わせた。秀高は高政の報告を聞くと玄以の方を振り返った。


「すまない玄以、火急の要件が出来たのでこれで失礼する。」


「はい。秀高殿、またお会いしましょう。」


 玄以は秀高に会釈をしてそう言うと、秀高や義秀たちも玄以に会釈を返し、その後に高政と共に本堂へと帰っていった。




「飛騨の姉小路(あねこうじ)が攻めてきたと?」


 瑞龍寺の本堂に置かれた秀高の本陣の中で、仏壇を背にして床几(しょうぎ)に座る秀高が飛騨から来訪した使者が述べた用件を聞いて秀高が言葉を反復するように述べた。


「ははっ。姉小路のみならず塩屋(しおや)内ヶ島(うちがしま)などの豪族や我が兄も姉小路に同調して挙兵いたしました。」


 この秀高の本陣に来訪した使者。名を江馬信盛(えまのぶもり)という。高原諏訪城(たかはらすわじょう)の主でもある江馬時盛(えまときもり)の三男でもあり、当主の時盛からは特に目を掛けられていた。


「我が父は叔父の麻生野直盛(あそのなおもり)と共に徹底抗戦の構えを取っておりまするが、何分多勢に無勢ゆえ秀高殿の信義に(すが)りたく(まか)り越しました。」


「飛騨への出兵、という事か…」


 秀高は信盛の言葉を聞いて呟くようにこう言った。確かに気脈を以前から通じていた江馬家の窮地ならば助けない訳にはいかなかったが、美濃攻めの際に無理して出兵した秀高にとっては厳しい状況であったのだ。


「信盛、お前も知っての通りだが俺たちはこの数日前に美濃を攻め落としたばかりだ。援軍を派遣するにしても数が足らないかもしれない。」


「何を仰せになられますか!秀高殿の軍勢が飛騨に入れば、様子見を決め込む豪族達が挙って参集して参ります!そうなれば軍勢の数など御懸念には及びませぬ!」


 信盛が身を乗り出して秀高にそう言うと、秀高はその熱意と心意気に応じて信盛に返答した。


「分かった。しばし重臣たちと協議するので奥の間で待っていてくれるか?」


「ははっ。色よい返事をお待ちしております。」


 信盛は秀高の言葉を受けてそう言うと、馬廻の毛利長秀(もうりながひで)と共に別室へと向かって行った。そして秀高は本堂に集まった配下の旗本たちに改めて語り掛けるように言葉を発した。


「皆、聞いての通りだ。今この稲葉山にいるのは旗本の六千しかいない。この旗本を率いて飛騨の江馬氏救援と飛騨平定を為そうという物はいるか?」


 その呼びかけを受けて秀高配下の旗本たちにはしばしの間沈黙が漂ったが、その中で一人の武将が名乗りを上げた。


「…畏れながら殿。その任、是非ともこの某が承りたく存じまする。」


「おぉ、可近(ありちか)か。」


 秀高に自ら名乗り出たのは金森可近(かなもりありちか)であった。可近はスッと自身が座っていた床几(しょうぎ)から立ち上がると秀高に対してこう意見した。


「はっ。某と同じ美濃の出身でありまする森可成(もりよしなり)殿が美濃烏峰城(うほうじょう)の城主に任じられたのを聞き、この某も負けてはおられぬと思い名乗りを上げました。」


「殿、可近殿は殿に仕官して以降、各地の合戦では旗本衆を率いて戦いその都度武功を上げておりまする。可近殿であれば飛騨の平定を成し遂げることが出来ましょう。」


 秀高の重臣である山口盛政(やまぐちもりまさ)が秀高に進言すると、秀高はその進言を容れて可近の方を振り向いた。


「よし、可近に旗本衆四千を貸し与える。道中で郡上郡(ぐじょうぐん)遠藤(えんどう)兄弟の軍勢と合流して飛騨国の平定をしてくれ。」


「ははっ!その任、しかと承りました!」


 可近が秀高の命令を聞いて意気込むように返事をすると、秀高はそんな可近にある事を尋ねた。


「可近、出兵の際に誰か副将を付けようと思うが、誰を副将に付ける?」


「ご心配には及びませぬ。実は某の元に垂井城(たるいじょう)を治めていた長屋(ながや)氏の一族・長屋景重(ながやかげしげ)殿を匿っておりまする。この景重殿と力を合わせ、飛騨国の平定に臨みたいと思いまする。」


 可近の返答を聞いた秀高は頷いて返すと、その場にいた長秀の方を振り向いた。


「よし長秀、直ちに信盛を迎えに行ってこの場に連れて来てくれ。」


「ははっ。」


 秀高の命令を聞いた長秀は直ぐに別室に控える信盛を呼びに向かった。やがて長秀に連れられて信盛が本堂に入ってくると、秀高は信盛に対して先程決まったことを伝えた。


「信盛、お前や父を見殺しにするほど俺も落ちぶれちゃいない。ここにいる金森可近を大将とした四千と、郡上郡の遠藤軍三千を合わせた七千を援軍として差し向けるが、この援軍はただの援軍ではない。」


「援軍ではない、とは?」


 信盛が秀高の事に引っ掛かって問い返すと、秀高は言葉の続きを発した。


「即ち、今回の援軍は単なる援軍ではない。姉小路家を打倒して飛騨を版図に加える。無論江馬家の所領は安堵するつもりだがな。」


「おぉ、秀高殿が飛騨をお治めになられるというのですか!?」


 信盛は秀高の予想外の返答を聞くと大いに喜び、自身が座っていた床几から勢いよく立ち上がって秀高にこう言った。


「秀高殿が飛騨をお治めになられるのであれば我が父も、飛騨の民衆も喜びましょう!然らば秀高殿、飛騨への道先案内はこの信盛にお任せあれ!」


「うん、よく言ってくれた。可近の事、よろしく頼むぞ。」


「ははっ!!」


 信盛は秀高の言葉を聞き入れてすぐに返事を返した。ここに金森可近を大将とする飛騨平定軍は長屋景重を副将に据え、江馬信盛を案内人として飛騨の玄関口である郡上郡へと向かって行ったのであった。


「これで飛騨が平定されれば、僕たちは五ヶ国を領する大大名となるね。」


 飛騨へと向かう平定軍を瑞龍寺の山門から見送る秀高の脇で、信頼が秀高に語り掛けた。それに賛同するように義秀も秀高に向けて言葉を発した。


「あぁ。これで俺たちも押しも押されぬ大勢力になった訳だぜ。」


「いや、まだ油断は出来ない。」


 秀高は視線を瑞龍寺から去っていく飛騨平定軍に向けたまま、腕組みをしながら険しい表情を浮かべて義秀に言葉を返した。


伊助(いすけ)によれば織田信隆(おだのぶたか)越前(えちぜん)に落ち延びたらしい。越前と飛騨は隣国。この事を聞けば信隆はこちらに何かしらを仕掛けてくるだろう。」


「そうね。くれぐれも信隆の動向には気を付けておかないとね。」


 義秀の正室である(はな)が秀高に賛同するように意見を述べると、その言葉を聞いた秀高が発言した。


「えぇ。ですが今は可近たちの成功を祈るとしましょう。」


 その言葉を受け取った華は義秀と共に去り行く平定軍を見送り、信頼も秀高の傍らで同じように見送った。この飛騨平定軍はそれから数ヶ月の間、在地勢力である姉小路・内ヶ島との戦いを飛騨国内で繰り広げる事になったのである。





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