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1564年5月 信隆の決意



永禄七年(1564年)五月 越前国(えちぜんのくに)一乗谷(いちじょうだに)




 高秀高(こうのひでたか)が美濃攻めの論功行賞を行った二日前の五月二十五日。秀高がその行方を追う織田信隆(おだのぶたか)の姿は美濃の隣国・越前国にあった。信隆は明智光秀(あけちみつひで)の仲介で越前国主・朝倉義景(あさくらよしかげ)を頼り義景の本拠・一乗谷にある朝倉館(あさくらやかた)にて義景と面会していた。


「…そなたが織田信隆か。」


「はい。織田信秀(おだのぶひで)が一子、織田信隆にございます。」


 朝倉館の中の大広間。上座に座る義景が肘掛けにもたれかかりながら信隆の挨拶を聞いていた。すると義景は手に持っていた扇を(てのひら)で叩きながら言葉を返した。


「光秀から(おおむ)ねの事情は聞いておる。これまでのこと難儀であったな。」


「ははっ…」


 義景と信隆は互いに言葉を交わしてはいるものの、両者は互いにその腹の内を探る様に(うかが)っていた。その様子につられて下座に控える義景の家臣たちや信隆配下の家臣たちも互いに相手の出方を見ていた。


「信隆、わしは頼ってくる者は拒まぬ主義でな。そなたにはこちらから所領を与えて迎え入れようと思うがどうか?」


「ははっ、身に余るお言葉にございまする。」


 義景は強者の風格を漂わせるように信隆に話しかけたが、信隆はその様な雰囲気など意に介さず、淡々と言葉を義景に返した。義景はそんな信隆の態度を受けてピクリと眉を動かしたが、不機嫌な顔を見せずに言葉を進めた。


「うむ、ならばお前には先祖ゆかりの地の織田(おだ)を与える。しばらくはそこでゆるりと過ごせ。」


「ははっ。ありがたき幸せに存じます。」


 信隆が義景の言葉を聞いてすぐに頭を下げると、義景はそんな信隆の態度や口調を受け取って内心穏やかではなかった。


(ふん、尾張(おわり)の成り上がりが。このわしと対等に渡り合おうなどとは気に食わぬ!)


 一方の信隆も、上座の義景が不満そうな雰囲気を取り繕っていた様子を見て心の内で軽蔑した思いを抱いていた。


(名門の出だけでこちらを判断し、あまつさえ不満そうな表情を見せるなんて…やはり朝倉宗滴(あさくらそうてき)亡き朝倉家では話にならないわね。)


 両者とも互いに互いを敵視し、瞳の奥に闘志を宿すように見つめ合っていたが、建前上ではその内心をひた隠しにするように努め、信隆は上座の義景に一礼すると配下の家臣たちと共に大広間を後にしていき、その様子を義景は開いた扇を扇ぎながら後姿を見つめていた。




 翌日、信隆一行は義景より宛がわれた織田の地にやって来た。この織田という地はその名の通り織田家(おだけ)の先祖発祥の土地でもあってこの地にある劒神社(つるぎじんじゃ)、別名「織田明神(おだみょうじん)」の神官を務めていたという歴史を持っていたのだ。


「信隆殿はこれからどうなさるのであろうな。」


 その織田の地の中心に位置する劒神社の境内にて、神社に参拝した信隆を待つように配下の家臣たちがその場に待機していた。劒神社の本殿の方向を見ながら言葉を発した前田利家(まえだとしいえ)の言葉を聞き、丹羽隆秀(にわたかひで)が利家に向けて言葉を返した。


「無論、秀高に対抗するに決まっておるではないか。」


「そう言う事ではない。既に秀高は尾張のみならず、濃尾勢(のうびせ)を含め四ヶ国の大大名にのし上がった。それに遠江(とおとうみ)まで版図に加えた三河(みかわ)徳川家康(とくがわいえやす)の勢力も合わせれば、東海道(とうかいどう)の覇権は秀高の手に落ちたということになる。殿は今後、どのような方策を示すのであろうかと思ったまでよ。」


 利家が腕組みをしながら隆秀に対してそう言うと、その言葉に反応した光秀が利家に発言した。


「未だ上杉輝虎(うえすぎてるとら)殿は東北(とうほく)平定の途上にあり、輝虎殿が東北の平定を終えなければ傀儡の古河公方(こがくぼう)は東海道に動いては来ぬでありましょうな。つまり上杉殿のご助勢を得ることは当分出来ぬという事です。」


「かといって義景のあの様子では、朝倉家を当てにすることは到底出来ぬ。殿もそれを痛いほどわかっているはずであろう…」


 利家がやや俯きながらそう言うと、隆秀も光秀も利家同様に本殿の方角を仰ぎ見た。その本殿の中では広間の祭壇の前に信隆が座っており、その目の前で神官が大麻(おおあさ)を片手にして御祭神に祈りをささげ、傍らでは巫女が神楽鈴(かぐらすず)を鳴らしていた。


(織田家再興、ですか…)


 その神官と巫女の後方で目を瞑りながら祈りを捧げる信隆は内心、自身の悲願の一つである織田家再興の事について思いを馳せた。まさに登り竜のように勢力を拡大する秀高の前に、信隆の悲願の織田家再興は何度もかき消されていた。


(私は織田家再興を目標に掲げて秀高と戦って参りました。しかし、結局は秀高の前に阻まれ、かえって奴の勢力拡大に貢献してしまいました。)


 一定の間隔を持って鳴らされる神楽鈴の荘厳な音を聞きながら、信隆はただ黙って内心の想いに向き合っていた。最早自身の掲げる織田家再興という名目だけでは秀高に対抗できないところまで、秀高の勢力は大きく拡大してしまっていた。


(私の想いは…織田家再興は成し遂げられないのですか…?)



「そのままでは無理でしょうな。」



 巫女の手に持つ神楽鈴が一拍鳴らされた後、その聞き覚えのある声に反応して信隆が目を見開くとそこには不思議な光景が広がっていた。信隆自身がいた神殿の広間にいつの間にか巫女と神官の姿はいなくなっていて、その代わりに信隆の目の前に現れたのは亡くなった筈の織田信長(おだのぶなが)であった。


「信長…どうしてここにいるのですか?」


「姉上が道に御迷いのようなので、そのお手伝いを致したいと思いましてな。」


 鎧姿に身を包んだ信長はそう言うと、太刀を手にしながら神社用の床几(しょうぎ)に座る信隆の周囲を歩き回って信隆に語り掛けた。


「姉上、なぜ秀高がここまで勢力を伸ばしたとお思いになられる?それは姉上とは違い、奴が心の中に大きな大望を秘めておるからです。」


「大きな…大望?」


 信隆が信長の声に反応して問い返すと、信長は徐に手にしていた太刀を抜いてその太刀筋に視線を向けながら言葉を続けた。


「即ち、天下統一。この麻の如く乱れた乱世を打ち払い強力な勢力が日本全国の乱世を静める事を目的にしておるのです。姉上の掲げる織田家再興とは雲泥の差があり申す。」


「天下…統一…」


 信隆は信長より告げられた四字熟語を口に出した。その言葉を聞いた信長は太刀を下ろすと信隆の目の前で足をとどめて信隆を見つめた。


「それが分かれば、姉上の為されるべき事は自ずと見えて参るのではありませぬか?」


「私の…為すべき事…」


 信隆がその言葉を受けて考えると、信長は少し微笑みながら頷いたのであった。




「…信隆様…信隆様、御祈願の方が終わりましたぞ。」


 ふと、信隆は呼び掛けられた神官の声が聞こえた。信隆はそれに気が付いて目を覚まして瞼を開けると、その目の前に信長の姿はなく代わりに神官と巫女が信隆を気遣う様に見つめていた姿があった。


「…今のは?」


「何かございましたかな?今までの御祈祷の最中、信隆様がいつの間にか眠られておられました故。」


 信隆は気が付かないうちに眠っていたようで、神官がそれに気が付いたのは全ての御祈祷を終えた後だったと神官は述べた。信隆はそれを聞くと襟を正し、祈祷をしてくれた神官に対してお礼を返した。


「…何でもありません。御祈祷、ありがとうございました。」


 信隆は神官に対してそう言うと、やがて床几から立ち上がって巫女の先導の元で本殿から玄関口を繋ぐ渡り廊下を歩いた。その途上、信隆は先ほどの夢を思い返しながら外の景色を見つめた。


(先ほどの夢…あれはもしや、信長が私に道を指し示すために…?)


 信隆は自分の中で考えをめぐらしながら先ほど見た夢の内容を思い返していた。あの夢の中で信長が伝えた事を思い出した。天下統一、それが秀高の大望だと信長は言った。信隆はその言葉を思い出すと同時に、不思議と自信の為すべき事が見えてきたのであった。




「…おぉ殿!御祈祷はどうでしたか?」


 やがて信隆が外で待つ利家一行の前まで来ると、利家たち信隆配下の家臣たちは信隆の雰囲気の変化を感じ取った。そしてその信隆は利家たちに対してこう告げた。


「皆、私は今まで尾張奪還と織田家再興を題目に掲げていました。しかしそれでは勢力を拡大し続ける秀高には対抗できません。」


 この信隆の言葉を聞いた利家たちは、まるで聞き入るように一言一言に耳を貸していた。信隆はその様な利家たちの反応を見ると同時に言葉を続けた。


「ならばここはかつて、唐土(もろこし)蘇秦(そしん)が強大な(しん)に対抗するべく提唱した合従策(がっしょうさく)を用いて奴の天下統一の大望を阻むしかありません!」



 合従策…その昔、中華大陸(ちゅうかたいりく)春秋戦国時代しゅんじゅうせんごくじだいに活躍した縦横家(じゅうおうか)・蘇秦によって提唱された政策で、強大な秦に対抗するために周辺六ヵ国が互いに協力し合って対抗するという物であった。信隆はこの政策をもって天下統一を標榜する秀高に対抗しようとしたのであった。




「恐らく奴は今後、(みやこ)へと上洛する手段を取るでしょう。ならば畿内(きない)やその周辺の勢力を(けしか)け、秀高の打倒の為に立ち上がらせるのです。そうすればいずれ秀高は敗れ去り、そうなれば織田家の再興も尾張の奪還も叶いましょう。」


「合従策…しかしどうするというのです?日の出の勢いの秀高を止めるには畿内の諸侯だけでは…」


 利家が自身の腹案を述べた信隆に対して懸念を表明すると、信隆は利家の方を振り向いて更に言葉を続けた。


「いいえ、合従策の肝は周辺を取り囲む事です。近江(おうみ)大和(やまと)に働きかけるだけではなく、北の能登(のと)越中(えっちゅう)、ひいては上杉輝虎殿にもご助勢いただくのです。そうすれば四方八方を敵に囲まれた秀高は間違いなく滅亡するでしょう。」


「なるほど…日ノ本全土を嗾けて秀高打倒に向かわせるという訳ですな。」


 光秀が信隆の考えを受け止めた上で発言すると、光秀の方を振り向いた信隆は光秀に対して頷いた。


「そうです。未来の情報を知り尽くす秀高に天下を取らせるわけにはいきません。何としてでも奴の野望を食い止めます!」


「ははっ!!」


 利家や光秀はこの信隆の言葉を聞くと、その意気に応えるように返事を返した。そして信隆は傍らにいた隆秀や光秀たちに指示をした。


「隆秀、まずは近江の浅井(あざい)六角(ろっかく)若狭武田(わかさたけだ)氏に接触を図りなさい。いずれも秀高が上洛する進路の途中にある大名達です。容易に説得することが出来るでしょう。」


「ははっ、直ぐにでも接触いたしましょう。」


「光秀は朝倉家中の説得をお願いします。朝倉家中にもきっと我らに親近感を抱く者達がいるはずです。その者達を説得して回り家中の味方を増やすのです。」


「承りました。」


「利家、あなたは上杉殿や能登・越中との接触を任せます。その際に上杉殿から万が一の時に落ち延びる許可を取り付けなさい。」


「ははっ!」


 自身に付き従う家臣たちに下知を下した信隆の視線は既に定まっており、宿敵・秀高の天下統一を阻むべく動き出した。信隆にとって秀高は既に不俱戴天(ふぐたいてん)(てき)ともいうべき敵意を向ける存在になったのである。そしてそんな秀高にも、信隆が越前に逃げ延びたという一報がその数日後に届いたのであった。





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