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1564年5月 美濃攻めの仕置き



永禄七年(1564年)五月 美濃国(みののくに)稲葉山(いなばやま)城下




 永禄(えいろく)七年五月二十七日。東濃(とうのう)地方の要衝である岩村城(いわむらじょう)攻め落とし、遠山景任(とおやまかげとお)夫妻を討ち取った高秀高(こうのひでたか)は、美濃攻めに動員していた軍勢の大半を帰国させると、美濃攻めに加わった諸将をこの稲葉山城に参集させた。諸将は山城の稲葉山城ではなく稲葉山城近隣の瑞龍寺(ずいりゅうじ)に設けられた秀高本陣に集結した。


「一同、面を上げてくれ。」


 瑞龍寺の本堂の中を借りて本陣を置いた秀高は、その中に集結した諸将に頭を上げるように促した。この言葉を受けて美濃攻めに参集していた諸将はこぞって頭を上げ、目の前にいる秀高と顔を見合わせた。


「今回の美濃攻めは諸将の力によって概ね成功し、美濃一国を確保することが出来た。これも全ては皆の功績だ。この秀高、改めて礼を言わせてもらう。」


 秀高は居並ぶ諸将に対して頭を下げると、諸将もまた秀高に対して頭を下げた。すると秀高はスッと頭を上げて言葉の続きを話した。


「しかし、肝心の信隆(のぶたか)には逃げられてしまい、目標の全ては達成することは出来なかった。今後、信隆はいろんな手を講じて俺たちに立ち向かってくるだろう。」


 秀高は織田信隆(おだのぶたか)の事について表情を曇らせながらそう言うと、瞬時に秀高は表情を切り替えて言葉を続ける。


「だが今は、こうして美濃一国が手に入ったことを喜びたい。今日はこれよりこの美濃攻めにおける論功行賞を行いたいと思うが…氏規(うじのり)!それに伊勢志摩(いせしま)の諸将にまずは伝えたいことがある。」


 と、秀高は論功行賞を行う前に美濃攻めに参加した北条氏規(ほうじょううじのり)滝川一益(たきがわかずます)以下、伊勢志摩に領地を持つ城持大名の方を振り向いて用件を伝えた。


「伊勢志摩より今回の美濃攻めに参戦してくれた諸将は、各々の裁量で配下の諸将に論功行賞を施してくれ。そして論功行賞を終えた後は俺のところにその詳細を送って報告を頼む。」


「なるほど…然らば我らが独自に論功行賞を施して宜しいという訳ですな?」


 氏規が秀高に確認の意を込めて聞き返すと、秀高はその言葉を聞いた上で頷いて答えた。


「そうだ。こちらからも褒賞として金子などを送る。それらを配下の諸将に施してやったり、各々の配下の知行を増やしてやってくれ。」


「ははっ!」


 その命令を受けた伊勢志摩の諸将は頭を下げて秀高に承諾の意を示した。その後、伊勢志摩の城持大名たちは各々の裁量で論功行賞を行い、秀高より下賜された金子などを各々の配下に施した。その褒美を受けた伊勢志摩の諸将やその配下たちは、皆満足したのであった。


「さて、まずは今回の戦で味方してくれた美濃の諸将に論功行賞を伝達する。稲葉良通(いなばよしみち)氏家直元(うじいえなおもと)安藤守就(あんどうもりなり)不破光治ふわみつはる!」


「ははっ!」


 秀高は論功行賞の先付けとして、まずは斎藤龍興(さいとうたつおき)を見限って秀高に味方した稲葉良通以下西美濃四人衆(にしみのよにんしゅう)に論功行賞を伝えた。


「良通、それに西美濃の諸将は今回の美濃攻めにおいて絶大な戦功を挙げてくれた。お前たちの内応が無ければ、美濃攻めは長期化してどうにもならなかっただろう。ここにお前たちの戦功を賞したい。」


 というと、秀高は良通たち宛ての知行宛行状ちぎょうあてがいじょう小高信頼(しょうこうのぶより)から手渡しで受け取ると、それを各々の手に渡した。良通らはその書状を見ると一様に驚いた。


「なんと、本領を安堵していただけるだけではなく、加増をしてくださるというのですか?」


「あぁ。稲葉・安藤・氏家らは本領を安堵とはなるが、不破は高須城(たかすじょう)へ移封の上加増となる。その旗下には各々が内応させた豪族たちが入り、その城が統轄する郡の郡代に収まることになる。」


 良通たちが手にしていた知行宛行状には、各々の居城に付随する郡の数と傘下の豪族の名が記されていた。即ち牧村政倫(まきむらまさみち)は稲葉配下に、高木貞久(たかぎさだひさ)は安藤配下に入り、他に西尾光教(にしおみつのり)は氏家傘下、丸毛兼利(まるもかねとし)は不破傘下に入る事が明確に記されていた。この宛行状の内容を見た良通は四武将を代表して秀高に謝意を伝えた。


「…このような褒美を賜るとは…我ら一同、格別のご高配を賜り恐悦至極に存じ奉りまする。」


「うん。今後の活躍を期待しているぞ。」


 秀高の言葉を受け取った四武将は改めて秀高に頭を下げて一礼した。ここに西濃地方は西美濃四人衆の領地となり、これら西美濃四人衆の知行地は合わせて四城十郡、合計約二十五万石の石高を誇る城主たちが誕生したのであった。




 その後、秀高は味方した美濃の諸将に対して論功行賞を行った。その主な知行は以下の通りである。


 ・遠藤胤俊(えんどうたねとし)遠藤胤基(えんどうたねもと)兄弟を郡上八幡城ぐじょうはちまんじょう木越城(きごえじょう)の二城五郡の領地を与え、胤俊を長とする城持大名・遠藤家を発足させる。


 ・東濃(とうのう)遠山綱景(とおやまつなかげ)岩村(いわむら)城主とし、遠山友勝(とおやまともかつ)苗木(なえぎ)城主に据えて、綱景を長とした二城六郡の城持大名・遠山家が誕生する。


 ・関城(せきじょう)長井道勝(ながいみちかつ)が一城三郡、伊木山城(いぎやまじょう)伊木忠次(いぎただつぐ)勝山城(かつやまじょう)仙石久盛(せんごくひさもり)、それに墨俣城(すのまたじょう)に移封となった加賀井重宗(かがのいしげむね)がそれぞれ一城一郡の所領を持つ城主となる。


 これらの論功行賞は皆すべて秀高に内応して味方になった褒美として与えられた物で、同時に斎藤龍興や織田信隆に殉じた豪族や諸将の領地、更には土地から離散した豪族の領地を没収した上で配分されたものであった。こうして美濃国の殆どは秀高に帰順した諸将に分け与えられたのであった。




「あぁそうだ。大事な者を忘れていた。竹中半兵衛(たけなかはんべえ)!」


 と、秀高はこの論功行賞の中で大事な者を忘れていた。そう、美濃侵攻の全ての先導を務めた竹中半兵衛重治たけなかはんべえしげはるの事であった。半兵衛は弟の竹中久作(たけなかきゅうさく)と共に秀高の目の前に進んだ。秀高は信頼から半兵衛宛ての宛行状を手に持つと半兵衛に話しかけた。


「半兵衛、今回のお前の戦功は西美濃四人衆に匹敵するものがある。よってここに知行を与えたいと思う。」


「殿、宜しゅうございまするか?」


 その秀高の話を、半兵衛は割って入って止めさせた。


「我らの知行の件にございますが、我らの居城・菩提山城(ぼだいさんじょう)を廃城にして美濃国内の所領を全て返還し、殿直参の家臣として働きたく思います。」


「何、領地が要らないというのか?」


 秀高が半兵衛の申し出に驚いてその真意を尋ねると、半兵衛は秀高の言葉を聞いた上で首を縦に振って頷いた。


「そうです。私は結末がどうであれ、かつて仕えていた主家を滅亡に追いやってしまいました。ここで私が知行を得ては旧主の義龍(よしたつ)公や道三(どうさん)公に申し訳が立ちませぬ。」


 半兵衛はやや(うつむ)きながら自身の心情を吐露すると、秀高の顔を見るように顔を上げて言葉を続けた。


「秀高殿、ここはどうかこの某の願いをお聞き届け願えませぬでしょうか。」


「…分かった。そこまで言うのであれば俺も無理強いはしない。」


 秀高は半兵衛の決意を受け取ったようにそう言うと、信頼に半兵衛宛ての宛行状を戻した上で半兵衛にこう告げた。


「ならば半兵衛、今後はこの信頼と共に俺の参謀として働いてくれ。」


「ははっ。拙者の願いをお聞き届けいただき、ありがたく存じまする。」


 竹中半兵衛はこうして美濃国内の領地を秀高に返還し、後に名古屋城(なごやじょう)下に移り住み秀高より俸禄を受け取るようになったのであった。この半兵衛の申し出によって秀高の論功行賞の計画は少し乱れたものの、秀高は瞬時に臨機応変を効かせた。


「さて、半兵衛の申し出を受けた事で、概ね美濃諸将への論功行賞は終わったな。では次に俺の家臣たちへ論功行賞を行う。まず高景(たかかげ)!それに可成(よしなり)!」


「ははっ!」


 秀高は続いて自身の古参の家臣たちの中から安西高景(あんざいたかかげ)森可成(もりよしなり)を呼び寄せた。二人は各々の床几から立ち上がって秀高の前に進むと、その場に置かれた床几に座って秀高に一礼した。


「まず高景、お前は信隆の攻撃を犬山城(いぬやまじょう)で跳ね返し、策略を持って敵を撃退した。のみならず美濃攻めでは東濃侵攻に大きな戦功を立ててくれた。その功績は素晴らしい物と言えるだろう。」


「ははっ、身に余るお言葉にございまする。」


 秀高の言葉を緊張しながら聞き入れた高景が秀高に対して更に一礼すると、信頼から宛行状を受け取った秀高が高景にこう伝えた。


「よって安西高景をこの稲葉山城の城主に据え、同時に城下四郡を束ねて統治してもらう。」


「おぉ、この某を稲葉山城主にしていただけるのですか!!」


 光景が秀高の言葉に感激して反応すると、秀高は微笑みながらも信頼からもう一通の宛行状を受け取って今度は可成の方を振り向いた。


「そして可成、お前は先の中濃攻めにおいて見事に東濃への玄関口ともいうべき烏峰城(うほうじょう)を攻略し、東濃侵攻でも戦功を立ててくれた。よってお前を烏峰城の城主に転任とし、同時に城下三郡を与える。」


「ははっ。烏峰城ならば祖先が領していた土地に近き場所にございます。その差配、謹んでお受けいたしまする。」


 可成の言葉を聞いた秀高は微笑みながら頷き、その後に両者へそれぞれ宛行状を手渡しした。その後、席が空いた犬山城主には末森(すえもり)城主の丹羽氏勝(にわうじかつ)が転任し、小牧山城(こまきやまじょう)には坂井政尚(さかいまさひさ)が入り、末森城には三浦継意(みうらつぐおき)の推薦によって三浦継高(みうらつぐたか)が城主として就任した。ここに秀高は四ヶ国を支配する大大名・高家の支配体制を築き上げたのであった。





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