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1564年5月 斎藤家滅亡



永禄七年(1564年)五月 美濃国(みののくに)稲葉山城(いなばやまじょう)




「くそっ、煙硝曲輪(えんしょうぐるわ)が夜襲を受けるとは…守兵たちは何をしていたのだ!!」


 稲葉山城の本丸御殿の中にて、城主である斎藤龍興(さいとうたつおき)は昨夜の攻撃によって大手口と本丸の中間地点にある煙硝曲輪陥落の報せに憤っていた。ただでさえ不甲斐ない味方の情報を聞き続けていた龍興の精神はかなりすり減っていた。


「はっ、まさか高秀高(こうのひでたか)がこのような奇策に出るとは思いもよらず…」


「何を言うか!泣き言を言ってどうにかなる状況ではあるまい!飛騨守(ひだのかみ)、如何するのか!!」


 と、龍興は家臣の斎藤飛騨守(さいとうひだのかみ)に言い寄った。龍興同様に精神をすり減らしていた飛騨守も、しだいに尊大な部分は鳴りを潜めていたのだった。


「そ、それはその…あと少し耐えればきっと、東濃(とうのう)より織田信隆(おだのぶたか)殿の援軍が!!」


「援軍が来ているのならばこのような状況にはなっておらんわ!!」


 龍興は飛騨守の言葉に堪忍袋の緒が切れると、そのまま飛騨守を拳で殴り飛ばした。その拳を受けた飛騨守は殴られた箇所に手を当てながら、龍興の事を呆気に取られるように見つめた。


「な、何をなさるのか…(それがし)はこの斎藤家の為に、龍興さまの為に働いて参ったのですぞ!それをこのような仕打ちをなさるとは!」


「黙れ!元はと言えばその方が家臣の統制はお任せあれと豪語したから信任したのだぞ!それが今日のこの状況を前にして、よくもそのような言葉が言えるな!!」


 この龍興と飛騨守のやり取りを見ていた周囲の足軽や侍大将たちは、二人のやり取りを冷ややかな視線で見つめていた。この期に及んで見苦しい言い争いに終始する二人を目の前にその場にいた一同は戦意を失うどころか馬鹿馬鹿しい感情を抱き始めたのである。


「…殿!山麓の御殿と丸山砦(まるやまとりで)が陥落!守将の揖斐光親(いびみつちか)殿は討死なさいました!」


「…もう良い。わしは逃げる。」


 と、その報告を聞いた龍興は手短にそう言うと、それを制止するように飛騨守が抱き付いてとどめた。


「なりませぬ!ここで諦めては信隆殿に何と言われまする!斎藤家を見放すおつもりか!」


「くどい!」


 そう言うと龍興は抱き着いた飛騨守を振りほどくと足で思いっきり蹴飛ばした。


「そこまで斎藤家斎藤家というのであればお主がここで秀高を迎え撃て!わしはそのような犬死まっぴらごめんだ!」


「…龍興さま、龍興さま!!」


 飛騨守がその場から去っていく龍興を呼び止めようとしたが、龍興はその声に耳を貸さずに本丸御殿を後にしていった。その場に取り残された飛騨守は放心状態となっていたが、そこに別の早馬が駆け込んできた。


「申し上げます!高秀高が総攻めを開始しました!既に本丸の目の前まで敵が迫っておりまする!」


「…わしは、何のために尽くしたというのだ…」


 この駆け込んできた早馬の報告を聞くや、単身飛騨守は俯きながらも呟いた。この言葉と時を同じくして秀高の軍勢は大高義秀(だいこうよしひで)(はな)夫妻を先陣として城内に残存する斎藤勢を打ち倒しいよいよ本丸御殿に乗り込んだ。


「おう!大高義秀、稲葉山城本丸に一番乗りだぜ!」


「…そなたが大高義秀殿か。」


 龍興が座っていた床几に丸まって座っていた飛騨守は駆け込んできた義秀の姿を見ると義秀に対して言葉をかけた。すると義秀は後に続いてきた華や味方の足軽と共に飛騨守の周囲を取り囲むと、飛騨守に対して問いかけた。


「てめぇが斎藤飛騨守か?」


「…如何にも。最早斎藤家に愛想がつき申した。」


 飛騨守は義秀に対してそう言うと、腰に差していた脇差を鞘ごと抜くと地面に投げ捨てて無抵抗を示した。


「この斎藤飛騨守、謹んで秀高殿の軍門に降りたく存ずる。どうかお取次ぎを願えぬであろうか?」


「…あぁ、分かったぜ。」


 義秀は飛騨守の言葉を聞いてそう答えると、徐に槍の石突(いしづき)で飛騨守の鳩尾(みぞおち)を勢いよく突いた。その突きを受けた飛騨守は声もなく床几から転げ落ちるようにその場に倒れ込んだ。


「てめぇの処遇は秀高に託すとするぜ。」


義秀は気を失った飛騨守にそう言うと、配下の桑山重晴(くわやましげはる)に命じて飛騨守を秀高の御前へと連れて行った。一方の龍興は本丸御殿を単身出ると北の水風呂谷(みずぶろだに)から長良川(ながらがわ)河畔に出ようとした。だがそこには…


「斎藤龍興殿、にございまするか?」


 本丸の裏手から出た龍興は、そこにいた味方ではない軍勢に驚いた。その場にいた軍勢が掲げていた旗印は六文銭(ろくもんせん)の旗印。これこそ、昨夜来に大きく迂回して鼻高洞(はなたかぼら)から稲葉山の東砦を攻め落とした本多正信(ほんだまさのぶ)真田幸綱(さなだゆきつな)の手勢であった。


「某、高秀高が客将・本多正信と申しまする。龍興殿、ご神妙になされよ。」


 正信が龍興の前に出てこう言うと、龍興は刀を抜いて切っ先を正信に向けた。するとそれに反応した幸綱の手勢全てが各々の手に持つ得物の矛先を全て龍興に向けた。それを見た龍興は即座に不利を悟ると、ゆっくりと刀を下ろして地面に刀を捨てた。


「良きご判断にござる。縄を掛けよ!」


 幸綱は龍興の立ち振る舞いを見ると配下の足軽に命じて龍興の身体を縄で縛り上げ、生かしたまま召し捕えた。この龍興の捕縛を聞いた城兵たちは悉く秀高に恭順し、ここに稲葉山城は高秀高の手に落ちたのであった。時に永禄(えいろく)七年五月十二日の事である。




「龍興、それに飛騨守。面を上げよ。」


 その日の夕刻、戦を全て終えて本丸御殿の中に入城した秀高は捕縛した龍興と飛騨守を中庭に引きずり出し、茣蓙(ござ)を敷かずに地面に座らせた。御殿の中の床几に座った秀高は顔を上げた龍興と飛騨守の顔を見ると、徐に睨みつけて言葉を発した。


「…俺は今、こうして義龍(よしたつ)殿を殺した犯人たちを捕まえることが出来て安心している。自分たちの私情で美濃国を混乱に陥れ、あまつさえ義龍殿が守った斎藤家を滅亡に追い込んだ連中の顔を拝むことが出来た。」


「…」


 西日が傾きながら照らす中で龍興はこの秀高の言葉をただ黙って聞いていて、一方の飛騨守は恐れ(おのの)きながら震えていた。


「俺の中ではお前たちの処遇は既に決まっている。打ち首獄門。これが亡き義龍殿の供養にもなるだろう。」


「お、お待ちを秀高殿!」


 と、その処遇を聞いた飛騨守が居ても立っても居られずに口を開いて秀高に進言した。


「秀高殿、この飛騨守をお使いになるつもりはありませぬか?」


「飛騨守!見苦しいぞ!貴様のこれまでの所業を我ら知らぬと思うたか!」


 この飛騨守の言葉を聞いて怒った稲葉良通(いなばよしみち)が飛騨守に対してしかりつけると、飛騨守はそれに負けずに言葉を続けた。


「そこの稲葉良通は所詮主家を捨てて他家に寝返る不忠者。信を置ける存在ではございますまい?某は忠義に値する主君には誠心誠意お仕えする覚悟がございまする!秀高殿と某が組めば——」


 しかし、そこで飛騨守の言葉は終わってしまった。というのも飛騨守が必死に頼み込んでいた秀高本人が飛騨守の目の前まで進んでくると話していた飛騨守を一太刀で斬り捨てたのである。


「ひ、秀高…貴様…」


「…お前が明智光秀(あけちみつひで)と繋がって義龍殿の一族を弑逆したのは既に知っている。そんな獅子身中の虫をどうして召し抱えると思ったんだ?」


 すると飛騨守は徐に秀高に抱き着くと怨念を込めて秀高を罵った。


「おのれ…高秀高!貴様の天下を…わしは認めぬぞ…!」


 その言葉を聞いた秀高はそれに意を介さずに抱き付いて来た飛騨守の背中に太刀を突き刺した。それを受けた飛騨守は声にもならない悲鳴を上げると太刀を抜かれた反動でその場に倒れ込んだ。秀高は倒れ込んだ飛騨守を冷ややかな視線で見つめた後、血を払って刀を鞘に納めて龍興の方を振り向いた。


「…龍興、お前は俺に断交の書状を送ってきた際に「父・義龍は俺によって暗殺された」と虚言を述べてきたな?すべての事実を俺たちが知っている今、それでもお前はそう言うのか?」


 この秀高の問いを目を閉じて聞いていた龍興は目を開くと、側にいた秀高の方を向いて静かにこう言った。


「…全てが終わった今ではもはや言うべき事もない。このわしは父にも、祖父にも及ばなかった。ただそれだけだ。」


 龍興の言葉を聞いた秀高は静かにそれを聞くと、懐に差してあった脇差を抜き、それを龍興の目の前に置いた。


「龍興、お前は斬首に処すべきであると思うが父・義龍殿に免じてここで腹を切れ。介錯だけは俺がしてやる。」


「…そうか、分かった。」


 龍興は秀高の言葉を受け取ると静かに答え、衣服を脱ぐと脇差を抜いて切っ先を腹に当てた。それを見た秀高も再び太刀を抜いて切っ先を高く上げた。


「父上、あの世に行ったのならば是非ともこの愚息を叱ってくだされ…」


 龍興は小声でそう言うとその場で切腹を遂げ、その作法を見た後に秀高は龍興の首を落とした。ここに斎藤道三(さいとうどうさん)より始まった斎藤家は滅亡し秀高は地面に落ちた龍興の首を見つめていた。


「秀高…」


 小高信頼(しょうこうのぶより)は一連の行動を見て秀高の戦国武将としての覚醒を肌で感じると同時に、このような結末になってしまった秀高の感情を思うといたたまれない気持ちになったのである。


「信頼、この龍興と飛騨守の首は城下に晒せ。あとの処遇はお前に任せる。」


「…うん、分かった。」


 この場で起きた出来事を長康や信包など秀高の家臣団たちはしっかりとその目に焼き付け、一方良通や竹中半兵衛(たけなかはんべえ)などの旧斎藤家の面々は首を落とされた龍興の亡骸を見た後、かつての主家の滅亡を思って悲しんだのだった。




 その後、龍興と飛騨守の首は井ノ口(いのくち)市中に晒され、同時に掲げられた高札にはこう書かれた。「以下の者、織田信隆と共謀し先君・斎藤義龍を毒殺し、先祖代々の家を滅亡に追いやった。」と。この首と高札を見た市井の人々は安定した統治をしていた義龍を殺した二人を罵り、中には首に投石にする者も出始めた。


 同時にその暴君を征伐して美濃国を得た秀高を称賛して、やがて秀高率いる高家への恭順を誓う起請文を美濃各地の村主が続々と提出してきた。こうして斎藤家を打倒して美濃国の実権を得た秀高は残る宿敵である信隆討伐に向かうべく戦後処理を終えた五月二十日、一路東濃へと向かって行ったのである。





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