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1564年5月 稲葉山城攻め<後>



永禄七年(1564年)五月 美濃国(みののくに)稲葉山城(いなばやまじょう)




 五月十日の夕刻。薄暗い雲が日光を閉ざし、稲葉山城一帯に激しい雨を降らしていた。その中で稲葉山城を守る砦の一つ、瑞龍寺山砦ずいりゅうじやまとりでに付随する南砦では砦を守る守兵たちが降り注ぐ猛烈な雨の中攻めてくる敵を警戒するように立っていた。


「…それにしてもひどい雨じゃなぁ。こうも酷くてはぬかるんで動きもままならぬであろう。」


 その中で歩哨の足軽の側にいた一人の足軽大将に守将の侍大将が近寄って話しかけていた。すると足軽大将は侍大将の方を振り向いて言葉を返した。


「ここまで酷い雨では敵も戦どころではありますまい。少し備えを解いてはどうか?」


「うむ、こうまで酷ければ敵も山道を登っては来るまい。」


 侍大将は足軽大将の意見を容れると、その砦内の守兵に聞こえるように声を上げた。


「よし!警戒する者はそのまま周囲を警戒し、他の者は雨宿りをせよ!」


「ははっ!」


 守兵たちは侍大将の下知を聞くと速やかに返事をして各々砦内に拵えられた建屋の中に入っていった。しかし、この侍大将の判断は結果的に凶と出た。何故ならばその僅か直ぐ後に敵である織田信包(おだのぶかね)勢が攻め掛かってきたのである。


「う、うわぁっ!て、敵じゃぁっ!!」


 歩哨に立っていた足軽たちは降りしきる雨の中から現れた織田勢を見るや恐れをなし始め、抗うことも出来ずに切り伏せられた。雨の中砦になだれ込んできた織田勢が迅速に砦内の守兵を切り伏せる光景を目の当たりにして、守将の侍大将は狼狽えていた。


「ええい、怯むな!戦え、戦え!」


 侍大将は刀を片手に味方を督戦していたが、やがて雨の中から現れた塙直政(ばんなおまさ)に首を取られた。こうなってしまっては多勢に無勢となり南砦は開戦からわずか数分で陥落したのである。


「…おぉ直政。首尾はうまく行ったようだな。」


 と、その直政に対して信包が雨の中から姿を現すと、直政は取った侍大将の首をその場に打ち捨てて信包にこう言った。


「信包殿、この勢いを止めねはなりませぬ。急ぎ瑞龍寺山砦へ!」


「うむ!この勢いを止めるな!一気に敵の懐に飛び込むぞ!」


 信包は配下の足軽に向けてこう呼びかけ、そのままその場を後にして瑞龍寺山砦へと向かって行った。この雨を利用した急襲はものの見事に成功して相場山砦(そうばやまとりで)に陣取る斎藤飛騨守(さいとうひだのかみ)が事態に気が付いた時には各地から戦いの状況を報せる早馬が続々と集まっていたのである。


「…申し上げます!上加納山砦(かみかのうやまとりで)が敵の強襲を受け、守将の原頼房(はらよりふさ)殿が討ち死になさいました!」


「瑞龍寺山砦と権現山砦(ごんげんやまとりで)に奇襲!瑞龍寺山砦守将の日根野盛就(ひねのもりなり)殿、敵将下方貞清(しもかたさだきよ)によって討死!」


稲荷山砦(いなりやまとりで)伊奈波山砦(いなばやまとりで)に敵が攻め掛かりました!伊奈波山砦の守将徳山貞孝(とくやまさだたか)殿、生死定かならず!」


「ええい、かくも不甲斐ないのかお味方は!!」


 各所から届けられる敗報ともいうべき報告を聞いた飛騨守は立ち上がって地団駄を踏むように怒り、その苛立ちを見た味方の足軽たちは不安に思い始めていた。


「ここまで秀高(ひでたか)の良いようにされるほど斎藤家が落ちぶれたというのか!?あり得ぬ、あり得ぬぞ!」


「飛騨守殿、一大事にございまする!」


 とその時、配下の足軽大将が飛騨守のいる砦内の建屋に血相を変えて駆け込んできた。


「各地の敗報を聞いた味方が勝手に砦の守備を離れ、次々と下山し始めておりまする!」


「何だと!?もはやそのような状況では戦にならぬではないか!」


 飛騨守は足軽大将から衝撃ともいうべき報告を聞くと手にしていた軍配を思いっきり地面に叩きつけるやその場にいた一同に聞こえる声でこう叫んだ。


「もうここまでじゃ!この砦を捨てて稲葉山城まで引き上げる!」


「何を仰せになられる!ここを失っては大手門の前まで敵の侵入を許すことになりまするぞ!」


 配下の足軽大将が飛騨守を諫言する様に制止すると、飛騨守は話しかけてきた足軽大将の方を振り向いて言い返した。


「もはやこのような所を守っては犬死をするだけじゃ!そなたも斎藤家に忠義を尽くす美濃武士なれば、このような所での犬死は恥と心得よ!」


 飛騨守は足軽大将に向かってそう言い放つとそのまま一人で勝手にその場を後にしていった。その場に残された足軽大将は呆れ返ったような視線を飛騨守に送った後、嫌々ながらため息を一つついて飛騨守の後を付いて行った。


この飛騨守が相場山砦を放棄したことを知った高秀高(こうのひでたか)は輜重隊を麓の瑞龍寺(ずいりゅうじ)に留めると本陣を瑞龍寺山砦に移し、相場山砦には上加納山砦を攻め落とした大高義秀(だいこうよしひで)の軍勢を入れた。時に翌五月十一日の未明の事であった。




 そして十一日の朝、秀高は本陣に据えた瑞龍寺山砦に前野長康(まえのながやす)の軍勢を留めさせると自らは相場山砦に進み、向山の稲葉山城本丸と相対すように布陣した。


信頼(のぶより)正信(まさのぶ)藤吉郎(とうきちろう)らの動きはどうだ?」


 秀高は相場山砦内の建屋に入ると小高信頼(しょうこうのぶより)に、古屋敷(ふるやしき)の地域に潜伏する木下秀吉(きのしたひでよし)の手勢や北側に迂回した本多正信(ほんだまさのぶ)真田幸綱(さなだゆきつな)らの動向を尋ねた。


「うん、伊助(いすけ)からの報告だと本多勢は既に鷹巣山(たかのすやま)を迂回し終えたようで、関城(せきじょう)から来た長井道勝(ながいみちかつ)隊と合流して各々の配置場所に向かい、秀吉の部隊も既に古屋敷に到着したそうだよ。」


「そうか…という事は、全ての布陣が終わるのは今日の昼過ぎか。信頼、くれぐれも稲葉山城周囲の監視を怠るなと伊助に伝えてくれ。」


 秀高の言葉を聞いた信頼はそれに頷いて答えると、その秀高に対して竹中半兵衛(たけなかはんべえ)が進言した。


「殿、それならば今夜再び夜襲をかけるべきと存じまする。狙うべき目標は…ここにございます。」


 半兵衛は建屋の中に置かれた机の上に広がる稲葉山城の縄張り図のある箇所を指さした。それは稲葉山城の山麓にある斎藤家の御殿ともいうべき居館一帯と背後に聳える丸山砦(まるやまとりで)であった。


「ここの一帯の守将は揖斐光親(いびみつちか)と申す武将にございまするがその手勢は少なくなっておると聞きまする。ここは稲荷山砦と伊奈波山砦を攻め落とした稲葉良通(いなばよしみち)殿と氏家直元(うじいえなおもと)殿に動いていただき、夜襲を掛けるのが宜しいかと。」


「よし、分かった。高豊(たかとよ)!」


 と、秀高は馬廻の山内高豊(やまうちたかとよ)を呼びつけると高豊は建屋の中に入ってきて秀高の前に片膝を付いた。


「高豊、直ちに稲荷山の稲葉・氏家勢に丸山砦と山麓御殿の夜襲を指示して来てくれ。」


「はっ!」


 高豊は秀高の下知を受け取ると、そのまますぐに外へ出て行った。そして秀高は信頼の方を再び振り向いてある事を伝えた。


「信頼、古屋敷に潜む秀吉にこう伝えてくれ。「稲葉・氏家勢が御殿と丸山砦に攻め掛かった後、百曲口(ひゃくまがりくち)を駆け上がって煙硝曲輪(えんしょうぐるわ)を襲え」とな。」


「うん、分かった。」


 こうして秀高の陣営はいよいよ龍興の籠る稲葉山城の本丸攻撃に乗り出し始めた。その日の夜になると下知を受けた稲葉勢・氏家勢七千が稲荷山砦と伊奈波山砦からそれぞれ下山して城下町を進み、山麓御殿と丸山砦に襲い掛かったのである。




「兄者、手筈通りに稲葉勢と氏家勢が御殿一帯に攻め掛かったそうじゃ。」


 一方、古屋敷一帯に意気を殺して潜む秀吉勢二千余りの中で弟の木下秀長(きのしたひでなが)が兄の秀吉に稲葉勢の動きを報告した。


「よし、これで敵の目は稲葉勢と氏家勢に向けられたな。今こそ好機!」


 秀吉は秀長からの報告を聞いて意気込むと、立ち上がって道案内を務める為に同行していた竹中久作(たけなかきゅうさく)の方を振り向いて尋ねた。


「久作殿、ここより百曲口の山道の具合はどうじゃ?」


「はっ、百曲口は険しい山道にて、昨日の雨によってぬかるんでいる場所もありましょう。ここは急がずに一歩一歩着実に進むことが肝要かと。」


「よーし、良いか。各々白襷(しろたすき)は身に掛けたな?」


 と、秀吉は配下の将兵たちへ事前に身にかけさせた白襷の事を確認させた。すると秀吉配下の足軽たちは身に掛けられた白襷を握り締めながら各々頷いて答えた。


「うむ、これより我らは死地に入る。されど、この死地は我らの死に場所ではない。一世一代の功名を立てる好機じゃ!行くぞ!」


「おう!」


 秀吉は配下の足軽たちの返事を受け取ると、久作の道案内の元暗闇に紛れて百曲口を駆け上がっていった。それに続く将兵たちは出来る限りの音を殺し、忍び寄る様に進んで煙硝曲輪の麓へとたどり着いたのである。


「…久作殿、宜しゅうございまするな?」


 煙硝曲輪の歩哨に立つ足軽たちからは死角となる茂みの中に身を隠した秀吉が、隣にいた久作に小声で尋ねた。久作は腰に差した刀を鞘から抜いて言葉を発さずに頷くと、それを見た秀吉も刀を抜くや側にいた配下の小出重政(こいでしげまさ)に小声で指示をした。


「よし、行け!」


 その言葉を受け取った重政は言葉を発さずに頷いて答えると、得物の槍を片手に数十名の足軽たちを伴って煙硝曲輪に攻め込んだ。やがて曲輪の中に踏み込んだ重政は歩哨に立っていた足軽を槍で突き殺した。


「木下秀吉が家臣、小出重政!稲葉山城に一番乗り!者ども続けぇ!」


 重政は後から続いてくる味方の足軽にそう言うと、秀吉勢の足軽たちは奮い立つように喊声を上げ、一方で奇襲ともいうべき攻撃を受けた曲輪の守兵たちは戦い始めて数分で算を乱して総崩れとなった。やがてすべてが片付いた曲輪の中に秀吉が入り込むと、馬印の瓢箪を高く掲げさせてこう言った。


「よし!我らの勝ちは決まったぞ!山向こうの我らが殿に我らの勝ちを示すのだ!」


 その言葉に応じた秀吉配下の足軽たちは、山向こうの相場山砦に陣取る秀高の耳に届くように大きな勝鬨を上げた。その勝鬨の声と同時に秀吉の馬印である瓢箪が天高く舞う様に掲げられたのだった。



 この電撃的な奇襲は正に成功した。木下勢は大手門と本丸を繋ぐこの曲輪を攻め落としたことによって大手口の将兵を孤立させ、これによって大手口の守兵たちは秀高の軍勢に投降し、秀高はこの夜襲の成功に契機に翌日からの稲葉山城総攻めを下知したのであった。





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