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1564年5月 稲葉山城攻め<前>



永禄七年(1564年)五月 美濃国(みののくに)稲葉山城(いなばやまじょう)




 永禄(えいろく)七年五月十日。高秀高(こうのひでたか)率いる二万六千の軍勢は空き城となった美濃国内の支城を素通りし、斎藤龍興(さいとうたつおき)の居城である稲葉山城を包囲した。秀高率いる軍勢は稲葉山城下の上加納(かみかのう)井ノ口(いのくち)北一色(きたいっしき)の三方向に別れて布陣すると、金華山(きんかざん)山頂に(そび)える稲葉山城を睨むように布陣した。


「おのれ…眼下にまで秀高の軍勢が迫っておるではないか!」


 金華山の山頂に聳える稲葉山城本丸にある三層の天守閣。その最上階の高欄から稲葉山城を取り囲むように布陣した秀高勢を見て城主の斎藤龍興は苛立ちを隠しきれなかった。何しろ味方であるはずの美濃国内の土豪たちが秀高勢に何の抵抗も示さずに逃げ去ったという事実の前に怒りを覚えていたのである。


「なぜ国内の土豪共は秀高に立ち向かおうともしないのだ!美濃国の、斎藤家の危機であると申すに!!」


「ま、まぁ殿。美濃西部ではこちらに従属する国衆が反発しておると聞き及んでおりまする。それにこの稲葉山城を前にしてはさしもの秀高も手を出せますまい。」


 高欄の手すりを握り締めながら怒っていた龍興に対して、家臣の斎藤飛騨守(さいとうひだのかみ)が龍興を宥めるように意見すると龍興は飛騨守の方を急に振り向いた。


「ほう?あの秀高がこの稲葉山城を前にして何もせずに黙っているとお主は申すのか?」


「そ、それは…」


 龍興の余りの気迫に飛騨守が言い淀むと、龍興は飛騨守の方を指さして怒鳴りつけた。


「このわしに対して何か申す暇があるのならば、お主はさっさと相場山(そうばやま)の守備に就け!秀高の事だ、直ぐに攻め掛かってくるぞ!」


「は、ははっ!」


 この龍興の指示を受けた飛騨守は恐れ(おのの)くように返事をするとスッと立ち上がってそそくさとその場を去っていった。その飛騨守を見た後に龍興は再び外の方を振り返ると、包囲する秀高の軍勢に視線を向けて睨みつけるように鋭い眼光を送った。


「秀高め…この稲葉山城はそう易々と落ちぬぞ。」


 龍興は秀高の軍勢を見つめながら自分を鼓舞するようにこう言った。最早この状況においてはこの堅牢な稲葉山城を頼むしかなく、龍興は美濃武士の誇りをかけて秀高の軍勢と相対しようとしていたのである。




 一方、稲葉山城の麓まで何ら抵抗を受けずに進軍してきた秀高勢は上加納に本陣を置くと、本陣の(とばり)の中に諸将が集結し稲葉山城攻めの軍議が始まろうとしていた。


「いよいよここまで来たね。」


 その本陣の陣幕から稲葉山城の方向を見ていた秀高に対して小高信頼(しょうこうのぶより)が話しかけると、秀高は直ぐに後ろの方を振り返って自身の床几(しょうぎ)に向かいながら言葉を発した。


「あぁ。ここで龍興の首を挙げることが出来れば、亡き義龍(よしたつ)殿の供養にもなるだろう。」


 こう言った秀高が自身の床几に腰を下ろすと、鋭い視線を稲葉山城の方角に向けながらも言葉を続けた。


「だが皆も知っての通りこの稲葉山城は堅牢な山城として知られている。それに敵の抵抗も激しいものが予測されるだろう。半兵衛(はんべえ)、ここにいる皆に稲葉山城の備えを教えてやってくれ。」


 秀高は脇にいた竹中半兵衛(たけなかはんべえ)に話を振ると、半兵衛はそれに頷いて答えると、稲葉山城の縄張り図である絵図を開いて諸将に伝え始めた。


「まず、この稲葉山城は本丸に大小二十もの曲輪を持ち、大手門は金華山山頂に通ずる山の中腹にあります。またこの稲葉山城本丸を守る様に南方には斎藤道三(さいとうどうさん)公の時代に整備された砦群が存在し、これらを合わせると総勢五十もの砦や曲輪が存在する一大要塞ともいえる規模を持っています。」


「さすがは稲葉山城。今までの城とは桁外れにございまするな。」


 この説明を聞いて、留守居の父・三浦継意(みうらつぐおき)に代わって戦に参陣していた三浦継高(みうらつぐたか)が秀高の方を振り向いて言葉を発した。


「あぁ。だがこちらも尻込みしている訳にもいかない。それを踏まえた上で皆にこの稲葉山城攻めの策を尋ねたい。何か意見のある者はいるか?」


「然らば、申し上げまする。」


 と、その中でまず声を上げたのは秀高の客将である真田幸綱(さなだゆきつな)であった。幸綱は机の前まで出てくると秀高に対して自身の腹案を述べた。


「この稲葉山城は半兵衛殿の情報を基にするにまさしく二つの城が一つになったようなものにございまする。であれば我らがまず行うべきはこの南、稲葉山城の前面にある砦群の攻略にございましょう。」


「でもよ幸綱、この絵図を見るだけでも砦の数は多いぜ?これを全て力攻めするって言うのか?」


 この策を聞いた大高義秀(だいこうよしひで)が幸綱に問い返すと、ふと幸綱は上空を見上げた。この時の上空は薄雲に交じって黒い雲が混ざり始めていて一降りあるかともいうべき空模様であった。


「いや、ただ単に攻め掛かっては損害を増やすだけにござる。ここはこれから降るであろう雨に紛れて接近し一気呵成に奇襲を掛けまする。そうすれば前面の砦群は次々と落ち、元々士気が低い敵方は恐れをなして砦を放棄する者も出るでしょう。そうなればいかに堅牢な稲葉山城であろうとも一気に無抵抗な姿をさらけ出すかと。」


「…つまり奇襲を掛けて前面の砦群をまずは狙うという事だな?」


 秀高が幸綱の意見を聞いてこう言うと、幸綱はその秀高の言葉に対して首を縦に振って答えた。


「如何にも。差し当たって狙うべきはまず南の権現山砦(ごんげんやまとりで)瑞龍寺山砦ずいりゅうじやまとりで、西は稲荷山砦(いなりやまとりで)伊奈波山砦(いなばやまとりで)、そして東の上加納山砦(かみかのうやまとりで)にございましょう。これらの砦を抑えることが出来れば、大手口にほど近い相場山砦(そうばやまとりで)を三方向から取り囲めましょう。そうなれば…」


「…俺たちは一気に大手口までの障害を取り除くことが出来るな。よし!」


 秀高は幸綱の意見を聞くと、首を縦に振って頷いた後に言葉を発した。


「ここはこの幸綱の策に従うことにし、まず前衛ともいうべき砦群の制圧に取り掛かるとしよう。良通(よしみち)直元(なおもと)!」


「ははっ!!」


 と、まず秀高は稲葉良通(いなばよしみち)氏家直元(うじいえなおもと)の名を呼ぶと二人に対して下知を飛ばした。


「二人は布陣している井ノ口から進軍し、この稲荷山と伊奈波山の両砦を落としてくれ。両砦の陥落後はそこに布陣し次の指示を待つように。」


「ははっ!」


 この下知を聞いた二人は返事を秀高に返し、その返事を聞いた秀高は続いて義秀の方を振り向いた。


「義秀、お前は加賀井重宗(かがのいしげむね)不破光治(ふわみつはる)の軍勢、それに半兵衛の軍勢と旗本から二千を分け与える。三人が布陣する北一色から山麓の岩戸村(いわどむら)を経由して上加納山砦を攻撃してくれ。」


「おう!その役目引き受けたぜ!」


「ヒデくん、砦の制圧後は相場山に攻め込まなくて良いのね?」


 と、その義秀の隣の床几に座っていた(はな)が秀高に確認するように質問した。


「はい。大高勢はそのまま上加納山に留まり相場山の牽制をお願いします。」


「分かったわ。」


 華の返事を聞くと秀高は義秀夫妻の隣に座っていた織田信包(おだのぶかね)前野長康(まえのながやす)の方を向いて下知を飛ばした。


「信包、長康!お前たちはここの上加納から攻めてもらう。信包は瑞龍寺山砦を攻め、長康は権現山砦に攻め掛かるんだ。」


「ははっ。その任しかと承りました。」


「殿、よろしゅうございまするか?」


 と、秀高が信包と長康に指示を飛ばした後に同じく客将として参陣していた本多正信(ほんだまさのぶ)が声を上げた。


「あぁ正信。遠慮なく意見してくれ。」


「はっ。確かにその布陣であれば砦群を落とせましょうが、この状況下で敵も籠城するほど頑固ではありますまい。現状として手薄の北方向から城を捨てる事も考えねばなりませぬ。」


「なるほど、北から捨てる可能性か…ならばどうすればいい?」


 すると正信は幸綱と同じように後ろの方から前に出てきて机の前に立つと自身の腹案を意見した。


「幸い関城(せきじょう)長井道勝(ながいみちかつ)殿の軍勢は龍興を牽制すべく関城を動いておりませぬ。この長井殿の軍勢を転進させて稲葉山城の北、この達目洞(たちぼくぼら)まで進ませ、同時に幸綱殿の手下と私で夜陰に紛れて鼻高洞(はなたかぼら)から稲葉山城の東砦を襲いまする。そうすれば、龍興を逃す不手際を無くすことが出来ましょう。」


「確かにこの布陣だと北から逃げられる可能性があるな…分かった。幸綱と正信にこのことは任せる。」


 秀高は正信の意見を聞き入れてこう言うと、正信は幸綱と共に頭を下げて答えた。するとその時、参陣していた木下秀吉(きのしたひでよし)が声を上げた。


「殿!この秀吉にも意見がございまする!どうか某の手勢に稲葉山城の中腹・煙硝曲輪(えんしょうぐるわ)への奇襲をお命じ下さいませ!」


「サル!今俺たちは稲葉山城前面の砦への攻撃を決めた所なんだぞ!どうして一人で稲葉山城に攻め込もうとするんだ!!」


 と、その秀吉の方策を聞いて義秀が怒鳴りつけると、秀吉は機敏な動きで正信の隣まで進み出てくると怒鳴りつけてきた義秀に対して言葉を返した。


「いやいや義秀殿、何も某一人の為に功績を立てようという訳ではございませぬ。前面の砦へお味方が攻め掛かっている隙に、我らの手勢のみでこの古屋敷(ふるやしき)と呼ばれる地に潜伏し、城攻めの時を見計らって一気に百曲口(ひゃくまがりくち)を駆けあがりまする。そうすれば稲葉山城は大手門と本丸の道を寸断され、城攻めも容易になりましょう!」


「…なるほど。お前は砦攻めの隙に城下に潜伏して機を見計らい敵の寸断にかかるという訳だな?」


 秀高が秀吉の意見を聞いた上で秀吉の方を見ると、秀吉は首を何度も振って頷いた。それを見た秀高はため息をついた後にこう言った。


「…分かった。そこまで言うのならば俺も止めはしない。代わりにこれを持っていけ。」


 と、秀高は徐に自身の脇に置いてあった瓢箪(ひょうたん)の水筒を秀吉に渡すと秀高は秀吉に向けてこう言った。


「藤吉郎、お前は確か馬印(うまじるし)が無かったよな?その瓢箪を馬印として授ける。今後はそれを目印に使えよ?」


「は、ははっ!ありがたき幸せ!この木下藤吉郎秀吉きのしたとうきちろうひでよし、身命を賭してこの策を成功させまする!」


 秀吉は秀高から受け取った瓢箪を片手に感謝するように言うと、それを見ていた秀高は微笑んで頷いた。その後に秀高は諸将の方を向いて改めて言葉を発した。


「よし、攻めかかるのは雨が降ってからとする。各隊は所定の位置について策を実行してくれ!」


「ははっ!」


 こうして秀高らの軍勢は稲葉山城攻めの方策を整えると、各々それぞれの行動を起こし始めた。それから数刻後、果たして稲葉山城一帯に土砂降りともいうべき雨が降り注ぎ始めたのである。





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