1564年4月 遠藤家の去就
永禄七年(1564年)四月 尾張国名古屋城
「何、戦を仕掛けるというのか?しかし俺たちは年初に出陣したばかりですぐに出陣という訳には…」
名古屋城の高秀高の書斎。秀高が客将となった本多正信が進言した再度の美濃攻めに対してこう言うと、正信はほくそ笑んで秀高に更にこう言った。
「竹中半兵衛殿から送られてきた情報から察するに美濃はあと一押しで秀高殿の手に落ちるはず。ここは兵糧など厳しいものがあっても無理のしどころでありまするぞ。」
「…みんなの意見を聞きたい。この美濃攻めの方策、どのように思っただろうか?」
と、秀高は書斎に集まっていた三浦継意以下の重臣たちに意見を諮った。するとその中から大高義秀が秀高に対して勢いよく進言した。
「正信の言う通りだぜ!墨俣一夜城からの中濃攻めで斎藤の勢いは低下している!今こそ無理をしてでも龍興の息の根を止めるべきだぜ!」
「殿、某も義秀の申す通りかと存じまする。半兵衛殿らを助ける意味でも死に体の斎藤龍興にとどめを刺すべきかと存じまする。」
「…確かにこの好機を逃せば美濃攻めは難しいか…よし!」
秀高は進言してきた義秀や継意の意見を聞いて決意すると、その場にいた重臣たちに向けてこう言った。
「みんな聞いてくれ。俺たちは半兵衛殿の動きに合わせて斎藤・織田から美濃を奪い取る!正信の言う通り、ここが無理のしどころだろう。」
秀高はその場に居並ぶ重臣たちにこう言うと、兵糧など軍需物資を取り仕切る山口盛政に対して尋ねた。
「盛政、兵糧の備蓄はどれほどある?」
「ははっ、城の備蓄では些か厳しいものはありまするが、農村部から幾らか供出させれば数ヶ月分は確保できるかと存じまする。」
「そうか…ならばすぐに兵糧の手配を頼む。長期的には長引かせないつもりだが三ヶ月ほどの兵糧があれば良い。米問屋に手配を回してくれ。」
秀高のこの下知を聞いた盛政は頭を下げて承諾した。それを見た秀高は続いて木下秀吉の方を振り向いてこう指示した。
「藤吉郎、お前は直ぐにでも半兵衛殿に使いを走らせ、決起に踏み出すよう指示してくれ。」
「ははっ!すぐにでも密使を遣わしましょう!」
秀高の指示を聞いた秀吉は直ぐに返事をして言葉を返した。そして秀高は小高信頼の方を振り返るとある事を尋ねた。
「信頼、各城主の兵力はどれほど出せる?」
「うん、伊勢や志摩の兵力を総動員すれば、斎藤や織田と二正面で戦えるだけの兵力は捻出出来るよ。」
この事を聞いた秀高は目の前に置いてあった各城主の動員表を参考にするべく見た後、信頼の方を向いてこう言った。
「よし、既に三河一向一揆も鎮圧し、美濃以外で戦端が開かれる様子もないだろう。信頼、伊勢の滝川一益、長野藤定、北条氏規にも美濃攻めに出陣するよう下知を飛ばしてくれ。」
「うん、その旨を伊勢志摩の城主たちに伝えておくよ。」
「それでは殿、此度の戦では我らにも出陣の機会が?」
と、この会議に出席していた鳴海城の城主である佐治為景が喜ぶように声を上げると、秀高は為景の言葉を聞いて頷いて答えた。
「あぁ、今回の戦では佐治勢や久松勢にも動いてもらう。伊勢志摩の戦い以来の動員になるだろうが大丈夫か?」
「ご心配には及びませぬ!二年前の戦い以降参陣の機会がなく、逆に力を有り余らせており申した!この佐治為景、亡き簗田政綱殿の仇である織田信隆を討つのであれば喜んで参陣いたしまするぞ!」
「うん、その力を存分に発揮させてくれ!」
「ははっ!」
秀高の言葉を受け止めた為景は直ぐに頭を下げて承諾した。これを見た秀高は義秀の方を振り返ってこう言った。
「義秀、直ぐに城下の足軽たちに戦支度を整えさせてくれ。足軽たちには負担が大きいとは思うがそこのところをよろしく頼むぞ。」
「おう、足軽たちの事は俺に任せておけ。それよりも気になるのは郡上郡の遠藤兄弟の動向じゃねぇか?」
義秀は秀高に対して遠藤兄弟の動向について意見した。既に秀高たちのところには安藤守就が郡上郡の遠藤兄弟に働きかけている事は情報で知っていたが、色よい返事が返ってきていないという事が不安材料となっていた。
「あぁ、もし遠藤兄弟が龍興についたのならば折角の好機が台無しになるだろう。どうにかして遠藤兄弟を説得できないだろうか…」
「…秀高殿、ここはこの正信にお任せあれ。直ぐにでも美濃に潜り込んで遠藤兄弟の旗色を鮮明にさせましょう。」
と、このように発言してきたのは客将となったばかりの正信であった。正信のこの提案を聞いた秀高は正信の方を振り返って言葉を返した。
「正信、本当に説得できるのか?」
「はっ、遠藤兄弟は恐らく何者かに見張られていて動けぬと心得まする。ここは秀高殿の忍びをお借りして遠藤兄弟の説得に臨みたいと思いまする。」
その正信の目を見た秀高は正信の本気を感じ取り、同時に覚悟を感じ取った。秀高はこの正信の提案を聞くと忍びの中村一政を付けて遠藤兄弟の説得を命じたのであった。
「…正信殿、単身敵地に参られるとは肝が据わっておりまするな。」
その数日後、正信は美濃国内に潜入し遠藤兄弟の兄・遠藤胤俊の居城である郡上八幡城に赴いた。郡上八幡城内の本丸館の一室にて城主である胤俊と面会した正信は、その一室に漂う不穏な気配を感じ取りながらも胤俊に向けて言葉を発した。
「遠藤胤俊殿、貴殿の話は秀高殿より聞き及んでおりまする。話の内容は至極明快。胤俊殿の恩人でもある斎藤義龍殿を殺した斎藤龍興に如何程の恩義がありましょうや?」
「帰られよ。その話は聞かなかったことにする。」
と、正信の話を聞く耳も持たずに席を立とうとした胤俊の姿を見た正信は、胤俊の事を呼び止めるように声を掛けた。
「胤俊殿、既に弟の遠藤胤基殿はこちらに付くことを明確になさいましたぞ?」
「…何、今何と申されたか!?」
その場を去ろうとした胤俊が正信の言葉を聞いて振り返ると、正信は手を叩いて合図を出した。するとその一室の奥から悲鳴が上がりはじめ、やがてそれらの悲鳴が収まると正信は立ち上がって室内の襖に近づくと徐にその襖を開けた。
「!!ま、正信殿…」
その襖の奥の光景を見た胤俊は言い淀んでしまった。というのもこの襖の奥にいたのは信隆配下の虚無僧たちであり、実は遠藤兄弟は信隆の監視を受けていたのだ。それを三河時代に徳川家臣の服部半三から聞き及んでいた正信は中村一政ら稲生衆に命じて監視の虚無僧を排除させて信隆の魔の手から解放したのだった。
「…胤俊殿、貴殿の状況は全て知っており申した。信隆の監視を受けて身動きが取れない事も全て。しかしこうして虚無僧を排除した今、貴殿は自由の身になったのでござる。」
正信は胤俊の方を振り返り顔を見つめながらそう言うと、姿勢を胤俊の方に向けて再度こう言った。
「胤俊殿、改めて申し上げまする。父殺しの龍興を見捨てて秀高殿に帰参なされよ。それが遠藤家の為にございまする。」
「…分かった。信隆の監視が無くなったのであればもう遠慮する事はありますまい。」
胤俊は正信の言葉を聞いて決心すると、正信に歩み寄って手を取ると正信の顔を見つめながらこう言った。
「この遠藤胤俊、龍興を見限り秀高殿に忠誠を尽くしまするぞ。」
「おお、それは良きご判断にございまする。秀高殿は数週間のうちに出陣を為される手筈なれば、ご舎弟の胤基殿と示し合わせて決起の準備を為されよ。」
「ははっ!」
その胤俊の目にはもう迷いはなくなり、この瞳を見た正信は改めて秀高の勝利を確信したのである。こうして秀高にその動向を懸念された郡上郡の遠藤兄弟も秀高側に付くことを約し、これによって美濃国内の情勢は既に決したと言っても同然であった。
そして月が改まった永禄七年五月。斎藤龍興・織田信隆の息の根を止めるべく秀高は尾張・伊勢の諸将に出陣を命じたのであった…




