1564年2月 新生・名古屋城
永禄七年(1564年)二月 尾張国那古野城
永禄七年二月吉日。昨月に見事中濃地方平定を成し遂げた高秀高の居城である那古野城は周囲の城下町に住まう住民たちの視線を集めていた。というのもこの日、約二年にも及んだ那古野城の大規模改修がすべて完成し、まるで光り輝くように新しい天守閣が名古屋城の中に聳え立っていた。
「おぉ…これが新たな天守閣か。」
那古野城に新しく設けられた大手門を潜り、石垣が積まれた天守台の上に立つ三層四階の天守閣を見た北条氏規は感嘆して言葉を漏らした。この大規模改修の完成に伴い秀高は重臣一同を集めた完成披露の催しを開催し、同時に氏規や長野藤定、滝川一益などの伊勢志摩に所領を持つ重臣たちをも招待していたのだ。
「これは見事な物にございまするな。これほど壮大な物は日の本どこを探しても見当たらないでしょうな。」
氏規の隣で藤定が天守閣を見つめながら発言した。すると二人の先を歩いていた一益が二人の方を振り返って発言する。
「この天守こそ我らが殿が住まうにふさわしき城にござる。これを見れば東海道の諸将はこぞって我らになびくに相違ござるまい!」
「はっはっは。一益、そんなに大げさな物じゃないさ。」
と、そこにこの城の主である秀高が正室である玲と静姫、そしてこの見事な那古野城に作り替えた三浦継意を伴って現れた。その姿を見た一益は秀高の方を振り返るとすぐさま会釈をし、続いて氏規らも秀高に対して一礼した。
「これは秀高殿、御見事な城にございまするな。」
「あぁ、これも全て継意がやってくれた事だ。本丸の拡張と新御殿の造営にそれに伴う城下町の再配置などを全て継意らが心血を注いで取り組んでくれた。俺からしてみれば継意には本当に頭が下がる思いだよ。」
「殿、この老骨には滅相もないお言葉にございまする。」
と、この継意の言葉を聞いた秀高は微笑みながら頷き、氏規らの方を振り返るとこう言った。
「そうだ、まだ宴の刻限まで時間がある。良ければこの城の中を俺が案内しよう。」
「なんと、殿自らがご案内して下さるというのですか?」
この提案に驚いた藤定が秀高に対して尋ねると、秀高はそれに首を縦に振って頷いてから言葉を返した。
「そうだ。ちょうど可成や義秀たちもこれから登城してくる。皆集まったらこの新しくできた天守閣の中を案内する。まぁゆっくりと見て行ってくれ。」
この秀高の言葉を聞いた氏規や藤定らは一礼して答え、やがて大高義秀ら那古野在留の重臣や佐治為景、森可成ら尾張国内の城主たちがすべて揃うと秀高は彼らを先導して城内を案内し始めた。
「まずここがこの那古野城の天守閣だ。」
秀高が一行を連れて最初にやって来たのは新造された天守閣の間下であった。重臣たちが新しい天守閣を見上げるように見つめているとその中で秀高は説明した。
「この天守閣は三層四階。二層目と三層目の間に屋根裏の三階が作られている。最上階の四階は周囲を見渡せる高欄を備えた望楼型となっていて、天守閣の中には万が一の時に備えて鉄砲数十丁と槍、弓などの武具が備えられている。」
「…まさに実戦をも考慮した天守にございまするな。」
と、可成が秀高の説明を聞いてこう言うと、秀高は可成の言葉に頷いて答えて更に言葉を続けた。
「あぁ、だが俺としてこの天守閣に内蔵された武器が使われないようにすることが第一だと考えている。」
「そうね。ここまで攻められたという事はあんたが追い詰められた状況でしかありえない事ね。」
秀高の思惑を汲み取って静姫が発言すると、秀高はその言葉に頷いて重臣一同に向けてこう言った。
「そのためにも俺たちは襲い掛かる敵を必ず打ち倒す。そうすればきっとこの天守に内蔵されている武器が使われることはないだろう。」
「如何にも、その通りにございまする。」
と、重臣を代表して継意が言葉を発するとそれに続いて重臣一同は頷いて答えた。その後秀高の先導で天守閣の最上階に上った一同はそこから眼下に広がる那古野城下を見渡した。那古野城下の光景を見渡した重臣一同はその繁栄ぶりを見ると各々満足した表情を浮かべていた。
天守閣の最上階から降りた秀高一行は続いて新しく作られた本丸御殿の区画へと向かった。この本丸御殿は旧本丸館より面積が三倍ほど多くなっており、その棟数も旧来の館よりは格段に多くなっていた。
「まずここが俺たちの住む奥御殿だ。」
「おぉ、これが奥向きの御殿にございまするか。」
秀高たちが足を踏み入れたのは秀高たち城主の一族が住まう奥御殿であった。九つの棟と表御殿を繋ぐ渡り廊下で構成されたこの区画は風呂場を備えた棟や食事を作る専用の棟なども完備されており、重臣一同の目を一番引いたのは秀高が家族との時間を過ごす居間の様式であった。
「これは…金の装飾が施されておりますな。」
居間の中に入った可成が目にしたのは鴨居に取り付けられた金を施した装飾であった。この言葉を聞いた秀高は可成の方を振り返ってこう言った。
「あぁ、それは継意が用意してくれたものだ。城下の職人たちの手を借りて作ったんだ。」
「はっ、此度の改修に関しましては城下の職人たちの手も借りて一致団結して取り組み申した。」
秀高の言葉に続いて継意が発言すると、ふと氏規が襖に描かれた水墨画を見つめた後に秀高に対してこう言った。
「秀高殿、この水墨画はもしや…?」
「あぁ、この改修に際して表御殿・裏御殿の襖絵や障壁画を描いたのは狩野直信・州信親子だ。」
この那古野城の障壁画を描いた狩野直信・狩野州信親子。後の世では狩野松栄・狩野永徳という名で知られている戦国時代を代表する狩野派の絵師である。
秀高が居城を改修している旨を耳に入れた将軍・足利義輝によって那古野へと下向してくると、弟子たちと共に水墨画や煌びやかな絵画などを襖や壁画に描き入れたのであった。
「なんと、あの狩野派の絵画をここで見るとは思いもよらぬ事にて、驚き入りました。」
氏規は狩野派の描いた水墨画を見て感服すると、秀高の方を振り返ってこう言った。
「これほどの立派な絵画が城内に描かれておれば、殿の威信を大きく天下に示すことが出来ましょう。」
「あぁ。そうだな。」
秀高は氏規の言葉に対してこう答えると、重臣一同を連れて宴の用意がされた表御殿の大広間へと向かって行った。この大広間は評定などの重要な場面などで使用される広間で、この広間の襖には狩野派の手によって聖人君子などの肖像画が描かれ、また大広間の上座の壁一面には金獅子の親子の絵が大きく描かれていた。
「皆、ここに改めて新生された那古野城の姿を皆と共有できたことを嬉しく思う。」
上座に座った秀高は下座にて座った重臣一同に対して声を掛けた。重臣たちは上座の秀高へ視線を向けると、それを確認した秀高は脇に置いてあった一枚の紙を取り出した。
「さて、ここで皆に申し伝えておくことがある。この新しく生まれ変わった那古野城の姿を祝し、ここに那古野城の字を改める。」
「ほう、那古野城の字を?」
と、その下座の重臣たちの中から安西高景が言葉を発すると、それを聞いた秀高がこくりと頷いた。
「あぁ。読みの「なごや」はそのままとして、この地のもう一つの当て字である「名古屋」と改名するだけだ。今後は各々、この城の名前は名古屋城と統一するように。」
「ははっ、承知いたしました。」
その下知を聞いた継意は秀高の言葉を承諾するように頭を下げると、残る重臣たちも次々と頭を下げた。ここに那古野城は地名を「名古屋」と改め新生・名古屋城の第一歩を踏み出すことになったのである。
その後、大広間で始まった重臣一同の祝宴は夜まで続いていた。重臣一同は各々酒を酌み交わして主家の繁栄を祈るように盛り上がっており、中には木下秀吉らのように席上で田楽踊りを披露するとそれを手拍子で盛り上げたりするなど、大広間の空気は終始和やかであった。
「…ここにいたのね。」
と、その大広間から少し離れた表御殿の中庭に立つ釣殿の床に腰を下ろしている秀高を見かけてやって来たのは玲と静姫であった。秀高は話しかけてきた静姫の方を振り返ると盃を片手にしながらこう言った。
「あぁ、広間の空気はあのように盛り上がっているし、それに少し飲み過ぎたらしくってこうして空気に当たっていたんだ。」
「へぇ、その割には片手に盃を持っているじゃない?」
静姫が秀高の様子を見ながら一言こう言うと、秀高は図星を突かれたように顔をひきつらせた後、ため息をついてこう言った。
「…あの様子じゃあ、俺がいたら邪魔だろうと思ってここに来たんだ。」
「…ふふっ、ならそう言えばいいじゃない。」
静姫はそう言うと秀高の右隣に座り、続いて玲も秀高の左隣に腰を下ろした。すると秀高は静姫から盃に酒を注いでもらいながら二人に対してこう言った。
「…なぁ二人とも、この城は俺には勿体なさすぎるくらいだ。」
「うん、私も最初にこのお屋敷を見た時には少し驚いちゃったよ。」
と、秀高に続いて玲も賛同するようにこう言うと、酒を注ぎ終えた静姫が銚子を脇に置いて秀高に向かってこう言った。
「あら、伊勢志摩を抑えた三ヶ国の大大名が言う言葉じゃないわね?」
「ははっ、まぁそれもそうか。」
静姫の言葉を聞いた秀高は笑って受け止めると、盃に注がれた酒を飲み干して二人にこう言った。
「二人とも、俺は必ずこの城に負けない大名になって見せる。そしてゆくゆくは…」
「天下を取る。でしょう?」
秀高の言葉を先読みして静姫がそう言った後、玲が秀高の方を振り向いて言葉をかけた。
「秀高くんならきっと、天下にも手が届くよ。だからその後姿を私たちは見守っているからね。」
「…ありがとう、玲。それに静も。」
秀高は二人に対してそう言うと再び静姫の前に盃を差し出し、再び静姫から酒を注いでもらった。この名古屋城の完成によって東海道中にその武名は鳴り響き、尾張や伊勢、それに美濃の国衆たちは改めて秀高への従属を深めていくと共に絶大な威信を肌身で感じるようになったのであった。