表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
179/554

1564年1月 中濃確保に向けて



永禄七年(1564年)一月 美濃国(みののくに)猿啄城(さるばみじょう)




 伊木山城(いぎやまじょう)出現から一夜明けた一月二十三日。高秀高(こうのひでたか)率いる軍勢は木曽川(きそがわ)を渡河して昨夜のうちに確保した猿啄城に入城。そこで再度の軍議を開いた。


「…殿、これなるが昨夜の戦いにおいて討ち取り申した大石直重(おおいしなおしげ)多治見修理(たじみしゅり)の首にございまする。」


 猿啄城の館内の居間にて秀高は森可成(もりよしなり)から机の上に置かれた二つの首桶を指されながらこう言われた。秀高はその言葉を聞くと首桶の方を一回見た後に可成に対して言葉を返した。


「ご苦労だった可成。これらの首は丁重に弔ってやってくれ。」


「ははっ。」


 可成のこの言葉と同時に、神余高政(かなまりたかまさ)と弟の神余高晃(かなまりたかあきら)がそれぞれ首桶を抱えるように持つとその場から下げた。それと同時に今の中に入れ替わって入ってきたのは木下秀吉(きのしたひでよし)であった。


「殿!まずはご戦勝祝着至極にございまする!」


「あぁ、とりあえずはな。それでそちらの方が…?」


 と、秀高が秀吉の後ろにて控える人物を見つめながら言うと、それに気が付いた秀吉が秀高に発言した。


「ははっ!ここに控えられておるのが此度我らに協力することを決められた仙石久盛(せんごくひさもり)殿にございまする。仙石殿、殿にご挨拶を。」


「お初にお目にかかります。美濃国黒岩(くろいわ)の住人、仙石治兵衛久盛せんごくじへえひさもりと申しまする。秀吉殿からのお誘いを受け、是非とも幕下に加わりたいと思い馳せ参じた次第にございます。」


 久盛のこの言葉を聞いた秀高は頷くと、傍らの小高信頼(しょうこうのぶより)から一つの書状を受け取ると久盛に対してこう言った。


「久盛、よくぞ俺たちの元に来てくれた。その心に答えるためにもお前をこの猿啄城の城主に任じよう。」


「なんと…この某を城主にしてくださると?ははっ!ありがたきご配慮を下さり恐悦至極に存じまする!今後は秀高殿に誠心誠意お仕えいたしまする!」


「それにしても、猿啄城というのは少し難解な読み方をするな。何かいい名前はないだろうか?」


 と、秀高がふと辺りを見回しながらこう言うと、その言葉に反応した久盛が秀高に対してこう進言した。


「然らば、この城は勝山(かつやま)という地にあるゆえ勝山城(かつやまじょう)と名を改めるのは如何にございましょう?」


「勝山か…うん、実に縁起のいい名前だ。今後はこの城を勝山城と改める。」


 その下知を聞いた久盛は神妙に頭を下げ、その様子を見ていた秀吉も微笑みながら頷いていた。こうして猿啄城改め勝山城の城主として仙石久盛が宛がわれ、以後は中濃の一拠点として機能する事になるのである。




「…殿、こちらが香川清兵衛(かがわせいべえ)と申しまする。」


 その後に秀高の目の前に現れたのは先の伊木山築城に関して功績を立てた香川清兵衛であった。清兵衛は主君である丹羽氏勝(にわうじかつ)と共に秀高にお目通りすると氏勝の紹介の傍ら頭を下げていた。


「お前が清兵衛か。面を上げてくれ。」


「ははっ。」


 清兵衛は秀高よりの言葉を受け取るとゆっくりと頭を上げて秀高にその顔を見せた。すると秀高は清兵衛の顔を一目見た後清兵衛に対して語り掛けた。


墨俣築城(すのまたちくじょう)の知恵を元に敵地での野戦築城という功績を立て、鵜沼城(うぬまじょう)などの敵を敗走させた功績は大きい。」


 秀高は清兵衛に対してそう言いながらも信頼から書状を受け取り、清兵衛に見せつけるようにこう言った。


「よってお前を伊木山城の城主とし、そしてその功績大なるを賞するためにも、新たに伊木(いぎ)の姓を授ける。今後は伊木忠次(いぎただつぐ)と名乗るが良い。」


「伊木…忠次…」


 その言葉を受けた清兵衛は呆気に取られながらも次第に感情が高まっていき、秀高に対して一礼した後にこう言った。


「ははっ、過分なるご高恩を賜り恐悦至極!かくなる上は殿の御采配に違わぬよう、全身全霊で勤め上げまする!」


 するとこの采配を聞いた氏勝も秀高に対してこう言った。


「殿…我が配下の功績を立てて下さり忝く思いまする。今後は清兵衛…いや忠次の事を何卒良しなにお頼み申し上げまする。」


「あぁ、分かった。」


 ここに香川清兵衛改め伊木忠次は伊木山城の城主となり、損害著しいために廃城となった鵜沼城の代わりに木曽川の渡しを監視する役目を担うことになった。そして忠次が氏勝と共に脇に下がると秀高が諸将に対して口を開いた。


「さて、この戦いで俺たちは鵜沼城を落とし、そしてこの勝山城を手に入れた。これで中濃への道筋は開けたと言っても良い。可成、ここから先の目標としてはどこだ?」


「ははっ。然らば…」


 と、秀高から話を振られた可成は床几(しょうぎ)から立ち上がって机に置かれている絵図を指し示しながら説明し始めた。


「これより先の目標としましては三つございまする。まずはこのまま木曽川沿いを北上し烏峰城(うほうじょう)を襲う道、それに勝山より真っ直ぐ北上して堂洞城(どうぼらじょう)加治田城(かじたじょう)を襲う道。そしてここより北西に向かって関城(せきじょう)を襲う道にございまする。」


「なるほどな…斎藤(さいとう)に何か動きはあったか?」


 と、秀高がこう言うとその言葉を聞いた信頼が可成に代わって発言をした。


「うん、伊助(いすけ)からの報告では既に軍勢の招集は終わったようで、道筋の予測としては加納(かのう)から中山道(なかせんどう)を伝ってこの勝山に向かってくるみたいだよ。」


「そうか…余り時を掛ければ東濃(とうのう)信隆(のぶたか)も動き出すだろう。どうするべきか…」


「殿、申し上げまする。」


 と、そこに忍び頭の中村一政(なかむらかずまさ)が現れて懐から一通の書状を取り出すと秀高に対して報告した。


「昨晩、某の配下に竹中半兵衛(たけなかはんべえ)殿より接触があり、この書状を秀高殿に渡して欲しいとの事。」


「半兵衛殿からだと?」


 秀高はそう言うと一政からその書状を受け取り、自ら封を解いてその中身を見た。するとそこにはこう書かれていた。



【高秀高殿、この書状が届いている頃には既に高家の軍勢が中濃に侵入している頃合いかと存じまする。さて、高家の方々が龍興(たつおき)や信隆の注意を引いていてくれたおかげで我らの工作が美濃国内に広がることが出来、そのお陰で関城の城主・長井道勝(ながいみちかつ)殿が我らに内応する旨を取り付ける事に成功いたしました。高家の軍勢が中濃に入ったと同時に反旗を翻すとの事にて、何卒秀高殿にはその旨ご承知いただきたく存じます。 竹中半兵衛重治たけなかはんべえしげはる



「…半兵衛殿が、関城の長井道勝の内応を取り付けたようだ。」


「なんと、それは真にございまするか!?」


 その言葉に驚いた盛政が秀高より半兵衛からの書状を受け取り中身を確認すると、それに対して大高義秀(だいこうよしひで)が口を開いた。


「あの長井道勝が寝返ったって言うのか?そんなのありえねぇぜ。」


「えぇ、とてもじゃないけどあの若武者が主家を捨てて寝返るなんて考えられないわ。」


 義秀に続いて(はな)が義秀に賛同するようにそう言っていると、今度は伊助が現れて秀高にこう報告した。


「殿!関城の長井道勝が斎藤家に反旗を翻したようにて、こちらへの帰順を願っております!」


「…どうやらその書状は本当のようだな。」


 秀高は伊助の報告を受けてそう言うと、伊助の方を振り向いてすぐに指示を下した。


「伊助、お前は直ちに道勝の元に向かってこちらへの人質の供出と加治田・堂洞攻めへの出兵を命じてくれ。」


「ははっ!」


 秀高の下知を聞いて伊助が頷くと、伊助は一政と共にその場から消え去るように去っていった。それを確認した秀高は諸将の方を振り返った。


「よし、みんな聞いてくれ。長井道勝の降伏で中濃地方の勢力図は大きく変化した。この変化を後押しするように行動を直ぐに始める!まず可成、お前は金森可近(かなもりありちか)を連れて烏峰城攻めに向かってくれ。」


「ははっ。しかと承りました。」


 可成が自身の後ろにいた可近と共に頭を下げると、続いて秀高は義秀の方を振り返ってこう言った。


「義秀、お前は信包(のぶかね)の軍勢やこちらの旗本衆の半数を連れて加治田・堂洞両城の攻略を任せる。」


「おう!ちょうどいい機会だ。道勝に会ってみてその本心を探ってやるぜ。」


「私もヨシくんと共に向かって敵の様子を探ってくるわね。」


 義秀と華が秀高に対してこう言うと、残った諸将の方を向いて言葉を続けた。


「残った諸将はここに留まって敵の出方を見る。この城には秀吉と久盛を残し、高景(たかかげ)には犬山城の監視を任せているので、残りの部隊は伊木山城に入城して龍興を迎え撃つ!」


「ははっ!!」


 その場にいた諸将は秀高の下知を聞くと勢い良く返事を発し、直ぐに各々行動を起こし始めた。森可成率いる二千五百は木曽川を北上するように烏峰城へと向かい、大高義秀率いる五千人は加治田方面に。残る秀高軍二千五百は勝山城を出て一路伊木山城へと向かって行ったのである。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ