1563年11月 美濃攻めの大義名分
永禄六年(1563年)十一月 山城国京
「…秀高よ、義龍の一件は真に残念であったな。」
永禄六年十一月上旬。竹中半兵衛の内意を受けて再度の美濃攻略を決意した高秀高の姿は尾張から遠く離れた京にあった。この日、秀高は家臣の小高信頼・大高義秀を伴って烏丸の将軍御所を尋ねていた。何を隠そう室町幕府の将軍である足利義輝に謁見する為である。
「ははっ。誠に惜しい人材が亡くなってしまいました。」
「うむ…さぞ義龍にとっては無念であったであろうよ。」
と、上座に座る義輝と下座にて着座する秀高は先に亡くなった斎藤義龍の事について互いに言葉を交わすと、ふと思い出したように義輝が秀高に対してこう言った。
「…そういえばその美濃の跡取りとなった龍興より使者がこの前参った。」
「なんと…?」
義輝の言葉に驚いた秀高が姿勢を上げ、その後ろにて控えていた義秀と信頼が互いに顔を見合わせた。すると義輝は手にしていた扇を握りながら言葉を続ける。
「何でも義龍に代わって美濃国主を継承したので美濃守護職の継承と、あろうことか偏諱を要請して参った。」
「偏諱…ですか。」
この頃、将軍家より各地の大名家に下される偏諱と言うのは、その大名家の正当性を担保する物であった。代表的な例としては義輝の父である足利義晴より一字を拝領した武田晴信こと武田信玄、義輝の一字を拝領した上杉輝虎など、その大名の威信を高めるにはもってこいの代物であった。
この偏諱を欲したという事知った秀高は、龍興の苦しい状況と弱い政治基盤を改めて実感したのである。
「しかし、義龍の死の顛末を噂で聞いたわしはその要請を断った。父殺しを行った者に継承を許すほど、将軍家の権威は落ちぶれてなどおらぬ。」
と、義輝が思考を巡らせていた秀高に対してこう言うと、その傍で言葉を聞いていた細川藤孝が秀高に対してこう言った。
「秀高殿、既にこの某も上様も、此度の上洛の要件についてはある程度察しておられる。概ね、美濃守護職についての事であろう。」
「…ははっ。藤孝殿の言う通りです。今後の美濃侵攻において大義名分を確保するためにも、美濃国制圧後に我ら高家に美濃守護職を賜ることは出来ないでしょうか?」
藤孝の意見を聞いた上で秀高は上座に鎮座する義輝に対してこう進言すると、義輝は扇を開いて秀高に対してこう言った。
「ふん、昨年に伊勢志摩を取り、伊勢志摩の両国守護を賜った者の言葉とは思えぬな。何を遠慮する事があるか。はっきりと美濃守護職を賜りたいと申せばよいではないか。」
「いえ…しかしこちらも直ぐに美濃守護職を賜れるとは思っておりませんので…」
と、秀高が義輝に対してこう言うと、義輝は上座から立ち上がって下座におり、秀高の周囲を歩き回りつつこう言った。
「秀高、わしが龍興の要請を撥ねつけたのには理由がある。美濃守護職は私心によって父殺しを行った龍興ではなく、そなたこそ美濃国主に相応しいと思ったからだ。そなたの才能に美濃守護職を合わせればきっと、美濃の国衆共は神妙にそなたに服属して参るであろう。」
「いえ…決してそのようなことは…」
「ありえぬ、と申すか?」
秀高の否定するような言葉を聞いた義輝はふと歩きとどまり、右肩に手を添えながら姿勢を低くしてしゃがむと耳元で言葉を続けた。
「…よく聞け秀高。そなたには藤孝より伝えてはあると思うが、わしはそなたを高く買っておる。そなたとならばきっと、この幕府を立て直し全国に再び将軍家の威光を示すことが出来る。そのためには秀高、そなたには一刻も早く大大名になって欲しいのだ。」
「上様…」
耳元で義輝からのささやきのような言葉を受け取った秀高は義輝の方を振り向いた。すると義輝はふふっと微笑むとスッと立ち上がって上座の場所まで戻り、再び座りなおすと秀高に対してこう宣言した。
「高秀高、そなたに正式に美濃守護職を授ける。美濃守護の名を持って一刻も早く美濃平定に務めよ。」
「は、ははっ!」
義輝のご下命を受けた秀高は恐縮しその場所で深く頭を下げた。こうしてここに高秀高は幕府より正式な美濃守護に任命され、同時に秀高は尾張・美濃・伊勢・志摩四ヶ国の守護を兼ねる大大名として名声を高める結果となったのである。
「…そう言えば秀高よ、昨日に北畠晴具公がご逝去したのは知っておるか?」
「…はっ。既に我らからは弔問の使者を発しましたが、我らにとっては恩ある人物を亡くしました。」
この秀高の上洛の数ヶ月前の八月中旬、昨年の伊勢志摩侵攻において北畠具教に対して和議を勧め、北畠家存続に一役買った隠居の北畠晴具が逝去していた。その噂を聞いた秀高は京の北畠屋敷に対して弔問の使者を送っていたのだ。
「うむ、それについて具教よりそなたにかたじけなく思うと伝えてくれと言われた。秀高よ、将軍御所より下がった後は北畠邸に足を寄っていくと良い。」
「ははっ。然らば今日この後にも伺います。」
義輝は秀高よりこの言葉を聞くと、ふとある事を思い出して秀高にこう伝えた。
「おぉそうだ。藤孝よ、あの書状を秀高に渡してやると良い。」
「ははっ。」
上座に座る義輝からこう言われた藤孝は、自身の脇に置いてあった桐箱を手に持つと立ち上がり、秀高の前に進み出て手に持っていた桐箱を秀高の目の前に差し出した。
「秀高よ、この機に幕府に届いたその書状を渡しておこうと思う。帰国後にゆっくりとその中身を見るが良かろう。」
「これはどなたからの書状で?」
「うむ、それはな——」
「飛騨からの書状ですって?」
その数日後、京より自身の居城である那古野城に帰城した秀高はその日の夜、自身の正室である玲や静姫、それに自身の子供たちや信頼・義秀両夫妻を招いてささやかな宴を開いた。その席上、静姫が秀高に義輝より受け取った書状の差出人について言葉を発した。
「あぁ。送られてきたのは高原諏訪城主の江馬時盛からだという。何でも将軍家に援助を頼み込んできた書状だという。」
飛騨国…秀高が勢力を保持する尾張からは北に、美濃のさらに奥に広がる飛騨山脈の西側に広がる高原地域である。ここの国主は代々公家である姉小路家が務めていたが、姉小路家没落後は国人の三木氏と江馬氏、更には浄土真宗の照蓮寺と手を結ぶ内ヶ島氏が互いに勢力を争っていた。
この中で、三木氏は上杉輝虎の援助を受けて飛騨国内で勢力を伸ばし、孤立無援の江馬氏は切羽詰まった状況となり、将軍家の威光を縋ってきたという訳である。
「飛騨国は今、上杉の援助を受けている三木氏が優位に立っており、内ヶ島氏はともかく江馬氏はかなり苦しい状況に追い込まれていると聞きます。」
「うん、もし江馬氏を助けたら、飛騨国は上杉と僕たちの代理戦争の場所となるね。」
信頼の正室である舞と信頼がこう意見を言うと、その話を聞いていた義秀が盃を片手にしながら秀高の方を向いてこう尋ねた。
「おい、まさか今この状況で飛騨国に手を差し伸べるってわけじゃねぇよな?」
「そんな訳ないだろう。とりあえず今できる事と言えば、伊助に命じて飛騨国内の情報収集と時盛殿との連絡の取り合いぐらいしか出来ないさ。」
秀高が盃の中の酒を飲み干した後にそう言うと、それを聞いていた義秀も手に持っていた盃の中の酒を一息に飲み干してこう言った。
「…なら良いんだがな。こっちは来年の中濃侵攻を控えているんだ。よそに手を回せる余力は無いしな。」
「…よそと言えば秀高、家康殿の三河で一向一揆が噴出しているのを知ってる?」
と、信頼がある事を思い出して秀高にこう言った。丁度この頃、尾張の隣国である三河では三河国を統一し朝廷より三河守と新たに徳川という姓を名乗った松平家康改め「徳川家康」に対して領内の一向宗派の寺院が決起し、一向一揆が三河国内で巻き起こっていたのだ。
「あぁ。聞けば一向宗を信じる家康殿の家臣の数名が一向一揆に加わり、徳川家は内部分裂をきたしていると高家から報告が来ていた。」
「一向宗…ねぇ。」
その情報を聞いた静姫がこう言うと、盃を置いて秀高の方に顔を向けてこう意見した。
「一向一揆に関しては、私たちも対岸の火事とは言えないわね?」
「あぁ、その通りだ。こちらも中濃侵攻を控えている。領内の一向宗の動きには警戒しておかなくちゃならないな。」
この秀高の言葉を聞いた信頼は盃を置くと、秀高の方を振り向いてこう進言した。
「とりあえず、尾張国内で最大の規模を持つ聖徳寺には一揆の気配はないけど…問題は何といっても長島の願証寺だろうね。」
「…あぁ。病死した証恵殿に代わって正式に座主となった証意はこちらへの敵対心を微塵も隠そうとしない。こちらで一揆が起こるとなったら、この地域だろうな。」
秀高は信頼の言葉を聞いてそう言うと、そのまま信頼の方に視線を向けてこう指示した。
「信頼、長島城の滝川一益に願証寺への警戒を怠るなと伝えておいてくれ。」
「うん。分かったよ。」
秀高の指示に対して信頼がこう返事をすると、それを聞いていた玲が秀高に対してこう言った。
「秀高くん、いよいよ美濃を攻める時が来たんだね。」
「…あぁ。上様から頂いた美濃守護職に恥じぬよう、見事に美濃国を奪って見せるさ。」
「ふふっ、その意気よヒデくん。今度からは私も戦に出られるようになったから、その時はよろしく頼むわね?」
と、秀高に対して義秀の正室である華がそう言うと、秀高はふふっと微笑んでこう言った。
「えぇ。華さんが戦場に出て武功を立ててくれればきっと、家中の武士たちもより奮い立ちますよ。」
「ふふっ、ありがとうヒデくん。そう言ってくれて嬉しいわ。」
華は秀高の言葉を聞いて気を良くすると、それを隣で聞いていた義秀もふふっと微笑んでいた。そしてそれを見ていた信頼夫妻や玲たちも微笑みながらそれを見つめていた。将軍・義輝より美濃守護職を得た秀高は美濃攻めを前に、このささやかな宴で英気を養うのであった。




