1563年10月 美濃攻めに向けて
永禄六年(1563年)十月 尾張国那古野城
竹中半兵衛らの密書は、その数日後には墨俣城の城代から高秀高の居城である尾張・那古野城に届けられた。密書が届けられた報に接した秀高は、自身の書斎に重臣たちを招集して評議を諮った。
「…墨俣築城の影響が、徐々に出てきたみたいだな。」
この時、築城した木下秀吉に代わり、墨俣城の城代を務めていた小出重政より半兵衛の密書を受け取っていた秀高は、書斎の上段におかれている机に肘をつきながら一言こう言う。すると、その下段で封を解かれた密書を片手に持っている小高信頼が発言した。
「うん、しかもその差出人はあの竹中半兵衛…それにその密書の中には西美濃四人衆の面々の署名血判が押されているみたいだよ。」
「なんと…西美濃の主たる将達が挙って内応を申し出て参ったのか?」
と、信頼の言葉を聞いて山口重政がそう言うと、この時に召集を受けて同じく評議に参加していた丹羽氏勝が口を開いた。
「…殿、我らは数ヶ月前に加賀井重宗の内通を受けて美濃に攻め込み、痛い目に負うた前例がございまする。此度もその計略ではございませぬか?」
「…いや、その密書には俺たちへの内応の証として、墨俣に書状を届けてきた半兵衛の弟・竹中久作を人質として那古野へ留めおくと書かれている。現に、ここにいるのがその証だ。」
実はこの時、墨俣に書状を届けに来た久作は兄の意向を受けて自ら秀高の人質に志願し、自らの足で墨俣から那古野に密書を届けると自身はそのまま人質の身柄としてとどまったのである。そしてこの評議の席にその久作本人が陪席していた。
「…お歴々の方々、我が兄並びに安藤守就殿以下の諸将は美濃の新たな主に秀高殿を推すことを決め、内部調略を以って美濃国内を切り崩すと申し出ております。」
「…だがな久作、俺たちは森部でお前の兄にひどい目にあわされているんだ。いくら本心だって言ってもな、そう易々と信じるわけにはいかねぇぜ。」
と、評議の席に加わっていた大高義秀が久作の方を振り向いてこう言うと、久作は義秀の方を振り向くとこう言った。
「義秀殿、確かに貴殿を初め尾張の諸将の中には内通に対し不信感を抱く者がいても致し方無い事にござる。されど、此度の申し出は二心なき申し出にて、我らに浅ましき野心などは毛頭ござりませぬ!」
「…殿、某はこの久作殿の言葉には裏はないように思いまする。」
そう秀高に意見したのは、墨俣築城の功労者であり初めて評議の席に参加した秀吉である。この時久作の隣に着座していた秀吉は主である秀高や、不信感を未だ持っている義秀に向けてこう意見した。
「重宗殿の一件は墨俣築城の際に重宗殿の帰参によって水に流したことにて、その一件を根に持って疑ってかかるのは損しかありませぬ。尚且つ、こうして久作殿が兄である半兵衛殿の名代として人質になりに来ている事こそ、その密書に署名した面々の二心なきを示している物ではありませぬか。」
「藤吉郎の言う通りよヒデくん。」
と、この時義秀と共に公務に復帰した義秀の妻である華が秀吉の肩を持つように意見した。
「ここはこの久作の言葉を信じて、美濃の攻略を押し進めるべきだと私は思うわ。」
「私もそう思います。今後の美濃攻略の道筋を考えるのならば、この半兵衛殿の密書を元に推し進めるべきです。」
と、秀高の秘書であり信頼の妻である舞もまた、姉である華の意見に賛同して秀高に自身の意見を述べた。すると秀高はそれぞれの意見を聞いた上でこう言った。
「…確かに美濃攻略を進める上で、今回の申し出は正に渡りに船ともいうべきものだ。それにこの那古野にまできた久作の本心を感じ、半兵衛の申し出は本物だと確信している。」
秀高はそう言うと、不信感を抱いている義秀にこう声を掛けた。
「義秀、先の戦のことは確かに悔しい気持ちでいっぱいだろう。だがここは心を入れ替えて、もう一度この申し出を信じてやってはくれないか?」
「…あぁ、分かったぜ。確かにいつまでも意地を張ってちゃあしょうがねえもんな。」
義秀は秀高の言葉を聞くと深く頷いて受け入れ、その様子を見た秀高は一同に対してこう言った。
「よし、みんな聞いてくれ。先月の墨俣築城によって俺たちは美濃攻略にむけて大きな一歩を歩みだすことが出来た。今後はこの一歩を無下にせず、着実に美濃を攻め取ることが大事だ。」
秀高はそう言うと、下座の信頼から密書を受け取って片手に持つとそのまま言葉を続けた。
「それについてこの半兵衛の密書には、俺たちの今後の方針ともいうべきある要請が書かれている。その要請とはすなわち中濃地方への出兵だ。」
「中濃地方への出兵にございますか…。」
と、三浦継意に代わって評議の席に列していた森可成がこう言うと、秀高は秘書である舞に目配せをし、下座に控える一同の前に美濃地方の絵図を広げさせた。その後秀高は上座より立ち上がると下座に降りて正座の姿勢で指示棒を持って説明し始めた。
「半兵衛からの密書によれば、俺たちがこの中濃に攻め込むことによって東濃の織田信隆・西濃の斎藤龍興の目をこちらに向けさせ、その間に半兵衛たちが西濃以外の美濃全域に調略の手を伸ばす算段となっている。」
「…中濃にございまするか…。」
と、その算段を聞いて美濃出身者である可成が腕組みしながらこう言った。するとそれに気づいた秀高が可成に対して言葉をかけた。
「そう言えば可成、お前はこの辺りに土地勘があったな?」
「はっ…我が祖先がその昔に領していた土地が中濃の辺りにございまして、その縁でこの辺りに土地勘がございますが…なるほど半兵衛殿は良い場所に目を付けられましたな。」
「というと?」
可成は秀高にそう言うと、秀高より指示棒を貰い受けて秀高やその場の一同に対してこう意見した。
「この中濃一帯は地侍達がそれぞれに城を持ち、その時の美濃の国主に従う半自治地帯にございまする。その中でも関城の長井道勝、堂洞城の岸信周、加治田城の佐藤忠能らは大身の豪族にて、他の中小の諸豪族は彼らの旗色を見て寝返る者どもばかりにございます。」
「関城の長井道勝なら知っているぜ。数年前の郡上郡遠征の際に会ったことがある。あいつはなかなかの武将だぜ。」
と、数年前の遠征の際に知り合った道勝の事を思い出した義秀がこう言うと、可成はそれを聞いた上で更に言葉を続けた。
「もし我らが中濃を確保することが出来たのであれば、西濃の斎藤と東濃の織田の間を遮断することに繋がり、今後の美濃攻略に大きな影響を与える事になりましょう。」
「なるほどな…他の者達はどう思う?忌憚のない意見を聞かせてくれ。」
と、可成の意見を聞いた秀高はこの際に評議に参加する一同に意見を諮った。すると、その求めに応じて秀吉が徐に口を開いた。
「殿!もし中濃に攻め込むのであればこの藤吉郎に一案がございまする!」
「その一案とは?」
藤吉郎は秀高の言葉を聞くと、絵図の上に置かれた指示棒を取って秀高に献策を行った。
「犬山城から木曽川を上って数里先のところにある加茂郡の黒岩に根を張る仙石久盛なる豪族は、鵜沼城の大石直重や猿啄城の多治見修理と対立しておりまする。この者を調略させることが出来れば、鵜沼や猿啄を落とし中濃への道筋を確保することが出来ましょう。」
その献策を受けた秀高は絵図を見た上で、その内容に魅力を感じ取ると秀吉に対してこう言った。
「なるほどな…よし、その者の調略は藤吉郎に任せる。」
「ははっ!この藤吉郎にお任せあれ!」
秀吉は秀高よりの許可を得るとそのまますぐに頭を下げて会釈した。するとその後に氏勝が秀高に対してこう進言した。
「ならば殿、ここは中濃攻めの前哨基地たる陣城を築かれては如何か?」
「ほう、陣城をか。どこに築く?」
秀高からこう尋ねられた氏勝は秀吉より指示棒を受け取ると、絵図の箇所を指し示しながらこう提案した。
「犬山城から木曽川を挟んだ対岸の伊木山にござる。実は某の配下に香川清兵衛なる足軽武士がおりまして、先の墨俣築城の技能を聞くと一念発起して築城術に磨きをかけた人物にございまする。この者を用い、中濃侵攻の時になれば一夜にして伊木山に陣城を築いて見せましょう。」
氏勝の提案を聞いて秀高はしばらく思考した。確かに中濃攻めをするにあたり犬山城を前線地点にするには木曽川が支障となり、その為にも対岸の美濃に拠点を構築する必要があったのだ。その秀高の考えに対して示された氏勝の提案は正にわがいをえたものであった。
「分かった。氏勝、清兵衛と共にいつ出陣となっても良いよう、手筈を万事整えておいてくれ。」
「ははっ!然らば早速にも容易に取り掛かりましょう。」
その氏勝の言葉を聞いた秀高は、その場の一同に対してこう言い放った。
「良いか、中濃への出陣予定は来年年初をとする。それまで各城主は秋の収穫を済ませ、それぞれ戦支度を整えておいてくれ。」
「ははっ!」
こうしてここに、秀高率いる高家は半兵衛の献策を受けて中濃への出陣準備に取り掛かった。その数日後から尾張領内にて米の収穫が始まり、概ね例年通りの収穫を確保すると出陣予定の各城主は各々戦支度を整え始めたのである。それらを見届けた秀高は翌月、僅かな供周りを連れてある場所へと向かって行った…。