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1563年7月 墨俣一夜城



永禄六年(1563年)七月 美濃(みの)国内




「ええい!どうして誰一人として気付かなかったのだ!」


 軍勢を引き連れている一人の武将が、馬上から味方の失敗を(なじ)っていた。この馬上に乗る武将は斎藤龍興(さいとうたつおき)。彼はこの日の早朝に居城の稲葉山城(いなばやまじょう)を発ち、ある場所へと向かっていた。


「ははっ、それが夜明けとともに突如として現れたようにて…」


 と、その龍興の隣で馬に乗って駆ける斎藤飛騨守(さいとうひだのかみ)が龍興に対して報告した。この日、龍興率いる二千もの軍勢は、不意を突かれたような一報を受けてとある場所へと向かっていた。


「突如として現れたなどありえぬ!対岸を見張る加賀井重宗(かがのいしげむね)は何をしておったか!」


「さぁ、それが…」


 と、そうやって飛騨守と話していた龍興は、その前面に見えてきた風景に驚いて馬の足をとどめた。その龍興の目の前に会った風景というのは、川の向こうに小規模な小城が出現し、その至る所に「丸に違い鷹の羽」、即ち高秀高(こうのひでたか)の家紋があしらわれた旗指物が立っていた。




 そう、この場所の名は墨俣(すのまた)。二ヶ月前に秀高と龍興が戦った森部(もりべ)の近くにあるこの場所は、秀高ら元の世界から来た人たちにとっては有名な場所であった。太閤(たいこう)豊臣秀吉(とよとみひでよし)の立身出世の第一歩である「墨俣一夜城(すのまたいちやじょう)」。講談などで有名となったこの城こそ、龍興の眼前に広がる小城そのものであった。


 無論、そのような事実など知らない龍興ら斎藤勢にとっては、一夜のうちに出現したこの小城を不気味がる様に見つめる足軽も出始め、龍興は馬上からその異様な風景を見つめていた。




「ありえぬ…墨俣に秀高の城が現れるなど…!」


「怯むな!みだりに騒ぐ者は斬って捨てるぞ!」


 と、慌てふためく飛騨守とは対照的に、龍興は太刀を抜くと馬上から自身の将兵たちに呼びかけた。


「あのような小城一つ何を恐れる事があるか!秀高の奸計に惑わされず、我ら斎藤家の武勇を再び見せつけてやる!かかれ!」


 龍興は馬上から勇んで足軽たちに攻め掛かるように促すと、足軽たちは重い足取りを進めて川を渡り、一夜城へと攻め掛かり始めた。しかしその時、城から鉄砲の音が鳴り響いた。


「ぬうっ、ある程度武装は整えておったか!」


 龍興はその攻撃を受けると万全な体制を整えている一夜城を警戒し始めた。龍興の号令で一夜城に攻め掛かった龍興勢の足軽たちは、城から放たれる鉄砲や弓の矢玉を前にバタバタと倒れ始め、徐々に数を減らし始めた。


「おのれ…稲葉(いなば)氏家(うじいえ)は何をしておる!まだ駆けつけて来ぬのか!」


 と、一夜城の前に倒れていく味方を見つめていた龍興は(おもむろ)に馬首を返し、飛騨守の方を向くと味方である稲葉ら諸将の参陣を尋ねた。すると飛騨守は慌てながら、馬を宥めるように手綱を引きつつ答えた。


「はっ、それが未だ出陣したとの報告は届いておらず、どの将も参陣しておりませぬ。」


「おのれ…役立たず共が…」




「はっはっは!見よ小一郎(こいちろう)!斎藤めこの城に手をこまねいておるぞ!」


 一方、この城を築いた主将である木下秀吉(きのしたひでよし)は、板塀の後ろに隠れながら弟の木下秀長(きのしたひでなが)に、指差しながら外の様子を見せつけた。


「兄者!こちらは慕ってきた地侍を収容しても千にも満たない。対する敵は二千だ!いつまで持ち堪えられるか分からぬ!」


 と、秀長は自身の背後を振り返りながらこう言った。龍興勢には一夜でできたように見えたこの城は、四方を囲う板塀(いたべい)冠木門(かぶきもん)、数基の物見櫓しか完成しておらず、その中身では築城に当たる人足たちが建物などの建築に当たっていた。


「気にするな小一郎。全部出来てなくても、斎藤勢には一夜で城が出来たように見せつける事が肝心じゃ。そのためにも、何としても守らなければならぬ!」


「藤吉郎殿、藤吉郎殿一大事じゃ!」


 とその時、外の様子を見ていた小出重政(こいでしげまさ)が秀吉の元に駆け寄ってきて、ある事を報告した。


「南東の方角から軍勢が迫ってきておる!旗指物を見るに…あれは加賀井重宗(かがのいしげむね)の軍勢じゃ!」


「何だと!?加賀井がやってきたのか!?」


 その報告を受けて秀長は大きく驚き、兄である秀吉の方を振り向いてこう言った。


「兄者!加賀井が来たのであればもう我らの命運は尽きたぞ!?」


「落ち着け小一郎!どんな相手が来ようと必ず撃退する!者ども怯むな!攻め掛かってくる敵には存分に矢玉を射掛けよ!」


 秀吉は板塀の奥から矢玉を射掛ける将兵に対して鼓舞するように呼び掛けた。その言葉を受けて足軽たちが奮い立つ一方、秀長は冷静に板塀の中から外の様子を窺った。




「おぉ、殿!あれは加賀井勢にござる!」


「ふん、やっと来たか重宗め。戦が終わればあやつの領地、全て没収してやるわ。」


 一方、龍興は馬上から加賀井勢の到来を確認すると、吐き捨てるようにそう言うと馬上から太刀を振り下ろして足軽たちに下知した。


「よし!このまま二方向から包むように攻めよ!あの小城を揉み潰せ!」


 その下知を受けた龍興配下の足軽たちは、喊声を上げると川を渡って一夜城に攻め掛かる。しかしその時、その足軽たちに城とは別方向から矢が放たれ、それを受けた足軽たちはバタバタと倒れていった。それを見た飛騨守は更に驚いた。


「な、どういうことか!敵の援軍とでも言うのか!」


「違う…この矢は…!」


 龍興はそう言うと、矢の飛んできた方向に馬首を向けて睨んだ。そこにいたのは何を隠そう、この戦場に駆けつけてきた加賀井勢であった。


「…おのれ重宗!主であるこの俺に楯突くのか!」


 龍興が馬を進めて加賀井勢に呼びかけるように言い放つと、加賀井勢の中から重宗が馬を進めて現れ、龍興の姿を確認するとこう言った。


「これは殿、われら加賀井勢援軍に馳せ参じましたぞ。」


「ほざくな!ならばなぜ我らを狙い打ったのか!」


 龍興が太刀の切っ先を遥か遠くの重宗に向けながらそう言うと、その言葉を聞いた重宗は高らかに笑い飛ばした。


「はっはっは。殿に小心者と呼ばれ、死んでも惜しくないこの某の命、もはや殿に捧げるわけにはいきませぬ。この加賀井重宗、今日をもって高家に寝返り申す!」


「おのれ…貴様はこの俺を裏切るというのだな!?」


「ふっ、些細な理由で家臣の領地や命を取ろうとするお方に従う道理などありませぬ。」


 重宗は苛立つ龍興に対して冷ややかに言葉を投げかけると、自身の腰に差した太刀を抜いて配下の足軽たちに下知を飛ばした。


「者どもかかれ!これより斎藤勢を駆逐し、高家が築いた墨俣の城を守るぞ!」


 その言葉を受けた加賀井勢千二百は、勇猛果敢に龍興勢へと攻め掛かった。この攻撃を受けると龍興配下の足軽たちは浮足立ち、ろくに戦いもせずに戦線から離脱し始めた。するとその様子を見ていた墨俣城の城方も、前野長康(まえのながやす)を大将に斎藤勢の追い打ちを始めた。


「殿、もはやこれまでにございます!急ぎ撤退を!」


 この状況を受けた飛騨守は龍興に撤退を進言し、それを聞いた龍興は攻め掛かってくる加賀井勢を睨みながら、歯ぎしりしてこう叫んだ。


「ええい、全軍撤退!稲葉山城まで帰還するぞ!」


 龍興は馬上からそう叫ぶと、飛騨守や馬廻らに護られて戦線を離脱した。しかし龍興配下の足軽は加賀井勢の追い打ちによって減らされ、二千いた軍勢は敗走時には数百にまで減ってしまったのである。




「…秀高殿、加賀井重宗にござる。」


 その数日後、一夜城完成の報を受けて秀吉を援護すべく少数で入城した秀高の前に、高家へと寝返った重宗が面通りした。するとその挨拶を脇で聞いた大高義秀(だいこうよしひで)が、重宗を睨みつけて怒鳴り散らした。


「てめぇ…どの面下げて秀高の前に現れた!もうお前の言葉など信じられるか!!」


「義秀、落ち着け!」


 と、その怒鳴りを聞いた秀高本人が義秀を宥めるように諭すと、義秀は頭をかきながら床几(しょうぎ)に着座した。秀高はそれを確認すると、視線を重宗の方に向けて語り掛けた。


「…重宗殿、どうして龍興を見限った?いくら龍興に不満があったにせよ、主君に忠義を尽くすのが美濃の武士ではなかったのか?」


 すると、その言葉を聞いた重宗は、顔を上げて秀高の顔を見つめると秀高の問いにこう答えた。


「…秀高殿、わしは先の戦での秀高殿の言葉や、戦の後の龍興の振る舞いを受けて、美濃武士はこのような者に尽くすほど愚かではないと感じました。もう、某の心に二心(ふたごころ)はございませぬ。」


 重宗はそう言うと、参陣した義秀や小高信頼(しょうこうのぶより)の顔を見ながら秀高に対して言葉を続けた。


「…重臣の方々の某への不信感は無理もありませぬ。もしお疑いになるようならば、某の妻子を秀高殿に預けまする。どうか、それをもって仕官を認めていただけぬでしょうか…。」


「…分かった。そこまでの事を言うなら俺は過去の事は水に流そう。」


「秀高!」


 秀高の言葉を聞いて義秀が怒鳴るように呼び掛けたが、秀高はそれを気にせずに床几から立ち上がって重宗の手を取ると握手を交わしてこう言った。


「重宗、これからは誠心誠意、この俺に仕えてくれるか?」


「…ははっ!不義理をした某を受けていただき、何の言葉もございませぬ!今後は殿への忠節を必ずお誓いいたします!」


 重宗はそう言うと秀高と握手を交わして見つめ合った。その様子を義秀はまだ受け入れられずに視線をそらしたが、信頼は対照的に重宗の姿を見つめていた。やがて重宗がその場を去ると、入れ替わるように秀吉が現れた。


「殿!無事墨俣築城、この藤吉郎が成し遂げましたぞ!」


「はっはっは。調子のいいやつだな。重宗の援軍が無かったら、お前の命も危なかったんだぞ?」


 秀高は調子のいい秀吉の言葉を聞いてそう言うと、笑いながら受け止めた秀吉に対して声を掛けた。


「…藤吉郎、よくやってくれた。この働きに報い、お前を評定衆の一人に加える。」


「…殿、このわしを評定衆にお加えいただけると?」


 秀高から重臣の役職の一つである評定衆の一人に加える旨を聞いた秀吉は徐々に目に涙を蓄え、感謝するように秀高に頭を下げた。


「ははっ!この木下秀吉、今後も殿への忠節を誓いまするぞ!」


「おいおい、泣くこともないだろう…まぁ、これからもよろしくな藤吉郎。」


 秀高がこう言いながら秀吉に肩を掛けると、その様子を見ていた信頼も、そして機嫌を取り戻した義秀もその光景を見て微笑んでいた。この木下秀吉が成し遂げた墨俣一夜城という一手は、秀吉の見込み通り美濃国内を不穏な雰囲気にさせるのに大きすぎる効果を与えたのだった…。





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