1563年7月 秀吉献策す
永禄六年(1563年)七月 尾張国那古野城
永禄六年七月上旬。森部の戦いから二か月余りが経過したこの日、高秀高の居城である那古野城に伊勢志摩を治める滝川一益・長野藤定・九鬼嘉隆・北条氏規の四名が来訪していた。伊勢志摩国内の報告と今後の方針を話し合うためであった。
「ほう…これは見事な天守閣にございますな。」
この日、城主である秀高は来訪した四人や大高義秀・小高信頼と共に建築途中の新しい那古野城の天守閣の中身を案内していた。南に拡張された本丸の南東方向に作られた三層四階の望楼型天守は骨組みが完成しており、その中は新築特有の材木の香りが漂っていた。
「そうか、氏規にそう言ってくれてうれしいよ。」
秀高は天守閣の出来を見て言った氏規に対して満足そうに言うと、同じく見回すように見ていた嘉隆は感嘆しながら呟いた。
「これは…まさに殿に相応しき城にございますな。」
「如何にも…三ヶ国を治める高家の居城に申し分ない。」
と、嘉隆に続いて藤定が意見を発すると、それを聞いて築城奉行を務める三浦継意が二人に対してこう言った。
「そのお言葉を聴き、築城奉行たる某も嬉しゅうございます。」
「継意、あとどれほどでこの城は出来上がる?」
と、その継意に対して秀高が作業の進捗状況を尋ねた。
「はっ、新御殿や本丸外の重臣屋敷など、概ねの骨組みは組み終えており、あと半年もあれば落成と相成りましょう。」
「ほう、重臣屋敷をも作られておるのですか。」
と、その継意の言葉を聞いた藤定が驚いた。この時、既存の本丸から張り出されるように作られた箇所から空堀を挟んだ南側に、新たに十軒の重臣屋敷が整備されていたのだ。
「うむ。今までの家臣団の屋敷は那古野転居後に順次割り当てていった物でバラバラに分かれていてな、早急な招集を可能にするために重臣屋敷を整備しておるのじゃ。」
「それに今まで継意たちが住んでいた屋敷も改修し、新しく召し抱えた家臣たちに分け与えたり、一方で足軽長屋に組み替えたりしているんだ。そうすれば、城下町の整備も行える一石二鳥という訳だ。」
秀高が天守閣の柱に手を置きながらそう言うと、その意見に頷いた氏規が秀高に対してこう言った。
「もしそれらが完成すれば、この那古野城は東海道一の城下町となるでしょうね。」
「あぁ、そうなるのが楽しみだ。」
秀高は氏規の言葉を聞くと微笑んで、骨組みだけの天守閣の上を見上げた。昨年来から始まったこの那古野城の大規模改修も折り返し地点を過ぎ、徐々にではあるが新生・那古野城の姿が見え始めていた。
「…やはり、斎藤勢は一筋縄では参りませんか。」
それから数刻後、本丸館の重臣の間にてこう言ったのは氏規であった。氏規は先の森部の戦いの顛末を聞くと、その戦いで敗北した秀高の顔色を窺いながら言葉を進めた。
「いかに斎藤龍興が無道な行いをして家を乗っ取ったにせよ、その配下の将兵たちは美濃を守るために戦ったのですから、戦に負けても何の不思議はありますまい。」
「…しかし氏規殿、かくいう某も戦には参戦しておったが、一番の敗因は何といっても加賀井重宗の寝返りでござるぞ。」
と、その氏規の隣に座る一益が先の戦での敗因を述べると、それを対面で聞いていた義秀も頷いて言葉を発した。
「そうだ!あの野郎が寝返ったりしなきゃもう少しマシに戦えてたはずだ!それをあの野郎…俺たちに寝返ったのは嘘だったんだぜ!」
「殿、もしそれが真であるのであれば、やはり力による美濃攻略は些か厳しいかと。」
と、義秀らの意見を踏まえて藤定が秀高に意見を述べると、その言葉を聞いた信頼が藤定に対してこう言った。
「しかし藤定殿、その加賀井重宗は戦後、主君である龍興から冷遇されて領地の加増はおろか、褒賞一つももらっていないと伊助は言っていたよ。」
「何、褒美一つももらっておらぬと申すので?」
と、その事実に嘉隆が驚いて声を上げると、伊助から情報を共有されていた秀高がようやく口を開いた。
「…あぁ。風の噂では先の森部の合戦後、龍興は重宗の髪を掴んでその後投げ飛ばしたらしい。」
「およそ、主君の行いとは思えませぬな。」
秀高の情報を聞くと氏規が嫌悪感を表情に滲ませながらこう言った。すると、秀高はその場にいた一同に向けてこう言った。
「…みんな聞いてくれ。先の戦いでの敗北を受けて、俺は美濃攻略の方法を変えようと思う。つまり力攻めで美濃を攻め落とすのではなく、かつて俺たちがこの尾張一国を得たように、内部調略を盛んに行って斎藤家の土台を切り崩すようにしたい。」
「されど、美濃武士は忠義心が強く、いかに龍興が暗君と言えどこちらの誘いにはそう易々とは乗って参りますまい。」
と、その秀高の考えに対して氏規が反論すると、秀高はその意見を聞いて首を縦に振って頷いた。
「その通りだ。そこで俺たちはこれから先、斎藤家中の度肝を抜くような策略を成功させる必要がある。この斎藤家中の不意を突いた策が成功すれば、龍興への求心力は雪崩を打つように崩れ去るだろう。」
「…不意を突くような策、ですか。」
秀高の考えを聞いた藤定がそう言うと、秀高はその場にいた一同に対してこう言った。
「あぁ。だがどうすればいいのか皆目見当がつかない。どうすれば斎藤家中の不意を突けるだろうか…」
「…殿!畏れながら申し上げます!」
とその時、重臣の間の襖の向こうから突如として声が聞こえてきた。それと同時に襖があけられ、その声の主が恐縮しながらも重臣の間の中に入ってきた。
「お前…藤吉郎じゃないか。どうしたんだいきなり…」
そう、その声を上げた人物こそ秀高より藤吉郎と呼ばれている木下秀吉その人であった。秀吉は重臣の立場ではないものの、重臣の間の襖の奥から聞こえてくる会話が気になり、つい立ち聞きしてしまったのであった。
「てめぇサル!さては黙って会話を聞いてやがったな!?」
「ははっ!申し訳ありませぬ義秀殿!されど某黙っておる性分ではなく、こうして声を入ってしまい申した…。」
すると、その様子を見ていた氏規が秀吉の風貌を一目見ると、どこか感心したように頷いて義秀の方を向くとこう言った。
「義秀殿、良いではありませんか。こうまでしてこの間に入ってきたという事は、秀吉に何か良き方策があっての事でしょう。」
「…如何にも!殿、この秀吉にその斎藤家中の不意を突く策がござり申す!」
秀吉が氏規の意見に乗っかるようにそう言うと、秀高は秀吉に対してこう言った。
「藤吉郎、その胆力を俺は買おう。遠慮はいらないからその考えを教えてくれ。」
「ははっ!されば…」
と、秀吉はその場にいた一同に対して自身の考えた策を述べた。するとその場にいた一同は秀吉の大胆不敵とも呼ぶ策を聞くや感心する一方、無謀だともとれる意見も噴出した。
「無茶な事を言うな!そんなことが出来る訳ねぇじゃねぇか!」
その意見に対して無謀だといの一番に反論したのは義秀であった。義秀は秀吉が指し示した絵図を指さしながら言葉を続けた。
「だいたい、そんなのを見過ごすほど斎藤家は甘くねぇぞ!」
「義秀殿、そこが狙い目にござる。斎藤家中が不可能だと思っておるこの策を成し遂げてこそ、龍興への求心力を大いに削ぎ、斎藤家への忠誠心を低下させることが出来るのでござる!」
その秀吉が指し示した策を、実は信頼と秀高は元の世界での知識を通じて知っていた。しかし史実ではなく架空ともいうべき存在の策を秀吉が提案したことを受け、秀高は信頼を視線を合わせて互いに頷くと、秀吉に対してある事を尋ねた。
「…藤吉郎、どれくらいの人を使う?」
すると、秀吉は秀高の顔を見つめると、胸をポンと叩いて朗らかにこう言った。
「殿、ご心配には及びませぬ。されどこの策を行うにあたり、一時的な措置として前野長康殿と蜂須賀正勝殿をお貸し頂けぬでしょうか?」
「何?長康と正勝を?」
秀高がその人選を聞いて驚くと、秀吉は秀高の言葉に頷いて答えて言葉を続けた。
「ははっ。長康殿と正勝殿は某が信長公に仕える前にお世話になっていた方々にて、この方々のお助けがあれば、きっと斎藤家の不意を突けまする!」
「…そうか。よし分かった。秀吉、その策の実行はお前に任せるぞ。」
と、秀高は秀吉の決意のこもった言葉を聞くと、それに頷いて答えて秀吉の意見を認めるように言った。すると秀吉は恐縮するように頭を下げ、秀高に対してこう意見した。
「ははっ!この木下藤吉郎秀吉、必ずや成し遂げてみせまする!では、早速にも取り掛かる故これにて!」
秀吉はそう言うと秀高に対して一礼した後、その場にいた義秀らにも頭を下げて一礼し、そのまま立ち上がって襖を開け外へと出て行った。その一連の様子を見ていた氏規は、秀吉の行動すべてを見た後に秀高に対してこう言った。
「秀高殿、もしかすればこの策一つで美濃の情勢は大きく動きましょうぞ。」
「だが、余りにも無謀すぎる!あんなのを認めてよかったのか秀高!?」
「義秀、心配するな。」
秀高は問い詰めてきた義秀にそう言うと、藤吉郎が去っていった方向に視線を向けながら言葉を続ける。
「この策の成否で、秀吉の才能が本物かどうかが分かるんだ。その顛末を見届けてみたいとは思わないか?」
「…ふん、お前はお人よし過ぎるんだよ。」
義秀は秀高の言葉を鼻で笑いながらこう言ったが、藤定や嘉隆、そして一益もどこか不安げな表情を浮かべていた。しかし氏規や信頼、そして秀高本人はこの策がどのように動くかを見守るように微笑んだのだった。