1562年5月 犬山城夜襲攻め
永禄五年(1562年)五月 尾張国犬山城
犬山城内で城主の安西高景ら城方が対策を施しているその頃、こちらは林の中に潜む明智光秀と岡本良勝率いる二千の軍勢。光秀は馬に跨りながら城門が見える位置で待機し、燃え盛る東曲輪の様子を見ながら待機していた。
「…殿!城門が開きましたぞ!」
と、光秀が乗る馬の手綱を持っていた藤田伝五行政が開かれた城門を指さしながらこう言った。するとその言葉を聞いた良勝が光秀に対して馬上から声を掛けた。
「どうやら上手くいったみたいですな。」
「うむ。そろそろ参るぞ。」
光秀は良勝の方を振り向いてそう言うと、腰に差してあった刀を抜いて高く掲げると、後ろに控える味方の軍勢に対して呼び掛けた。
「皆よく聞け。これより迅速に城内に入り、本丸目指して突き進むのだ!」
「おぉーっ!!」
その下知を聞いた明智勢は岡本勢を先頭にして続々と内田門を潜り、東曲輪の中に入っていった。侵入した曲輪の中は放火された火によって所々が照らされるように燃え盛り、黒煙が天に向かって立ち昇っていた。
「…殿、殿!」
と、先頭を行く岡本勢からの早馬が、本丸へと馬を進める光秀の元に駆け込んできてある事を報告した。
「先頭の良勝殿より報告!この先の門は固く閉じられており、その先の曲輪には人の気配が全く無いとの事!」
「何、人の気配がいないだと…」
早馬の報告を聞いた光秀はふと、馬上から周囲の風景を見渡した。今光秀がいるのは両脇を塀に囲まれた小道の中にいたが、気づけばその場におかれている荷物や柵から異様な殺気を感じ取り、そして不自然なまでの静けさに不気味さを覚えた。
「この異様な静けさ…まさか!?」
光秀が何かを感じ取ったその時、道の両脇にある柵や物陰から弓や鉄砲の銃口が徐に出てくると、伏兵を指揮する直政の指示の声が辺り一帯に鳴り響いた。
「放てぇ!!」
直政の号令と共に鉄砲や弓から放たれた矢玉が、侵入してきた光秀勢めがけて撃ち込まれた。逃げ場のない小道に立ち往生した光秀の軍勢は、この不意を突いたような射撃の前に一人、また一人と明智勢の足軽は倒され、さらにこの射撃によって光秀軍は混乱状態に陥った。
「まずい、計略が見破られたか!?ええい、全軍引き返せ!」
その攻撃の最中でも光秀は冷静に努めて馬上から味方に指示すると、光秀勢は来た道を戻る様に内田門へと引き返した。
「おぉ、あれは名のある将ぞ!皆、あの者を狙い打て!」
と、撤退する光秀の姿を見た直政は周りにいた弓足軽に、その場から退却しようとする光秀の姿を見ると射止めるように指示した。すると、その矢の一本が光秀の乗る馬に命中し、光秀は馬上から地面に放り出された。
「殿!大事はござりませぬか!」
その光秀の落馬を目撃した家臣の明智光忠が飛んでくる矢を払い、鉄砲の弾を交わしながら光秀に駆け寄ると、光秀は幸い怪我もなく、光忠の肩を借りて立ち上がった。
「あぁ、大事ない、ともかくここを離れるぞ!」
「ははっ!」
光秀は光忠の肩を借りながら、なんとか袋小路から去っていった。だが、その場に取り残された足軽たちは直政の伏兵によって悉くが討ち取られ、やがてその場には幾重にも折り重なる様に死体が転がるだけとなった。
「殿!ご無事で!」
と、かろうじて小道を抜けて光忠に介抱されながら脱出した光秀は、内田門の前にて騒ぎを感じ取った行政と合流した。
「残念だが計略は失敗だ。おそらく茂朝も…」
「殿、今はそれよりもひとまず撤退を!」
計略が失敗に終わって落胆する光秀に対して行政が撤退を促したその時、北方向から新手の足軽たちが這う這うの体である明智勢に襲い掛かった。
「かかれ!この機を逃さずすべて討ち果たせ!」
この部隊こそ、坂井政尚指揮する軍勢九百であり、坂井勢は疲弊しきっている明智勢を討ち取っていった。そのような中で光秀は辛うじて行政や光忠の奮戦で九死に一生を得たが、明智勢の殆どは討ち取られる有様となった。
「くそっ、謀られたのか!?」
一方、明智勢の撤退で城の奥深くに取り残された岡本勢は、良勝の指揮のもと襲い掛かる敵に対して奮戦したが、やがて明智勢を破った政尚の部隊が合流すると、もはや勝敗は決したも同然であった。
「敵将、覚悟!」
と、馬上から刀を振るって奮戦する良勝に、一本の槍が脇腹に突き出された。その槍を突き出した武将こそ、政尚の部隊に交じって戦っていた正吉であった。
「ぐはっ…信隆様…」
良勝はそう言葉を漏らすと、突き刺した正吉によって地面に引きずり降ろされ、その首は正吉によって取られた。その後、正吉は引きずりおろした良勝の首を取り、それを掲げて味方に対してこう宣言した。
「敵将討ち取ったり!者ども、このまま敵をせん滅せよ!」
良勝を討ち取った正吉の宣言ともいうべき呼び掛けを聞いた政尚勢は、残る足軽たちのほとんどを討ち取り、それと同時に東曲輪に潜入した明智勢の大半は、あえなく討死してしまった。
「父上、お味方が侵入してきた敵の排除に成功したようですぞ!」
その後、追い打ち部隊を率いて待機している高景の元に、高朝が戦況を報告するべく馬を駆けて報告した。それを聞いた高景は頷くと、後ろに控える味方に対してこう告げた。
「皆聞け!これよりこの機に乗じて城外に打って出て、信隆の軍勢を追い散らす!者ども、見事に戦って武名を上げよ!」
「おぉーっ!!」
その足軽たちの喊声を聞いた高景は、南の大手門の扉が開かれたと同時に城外へ出陣し、政尚の部隊と共に織田信隆本陣を強襲した。
「…殿、もはやこの戦はここまでにございます。」
その信隆本陣では、迫りくる安西勢を前に陣幕の中の床几に座る信隆に対して家臣の丹羽隆秀が撤退を進言した。
「…ここまで来て、撤退しろと言うのですか?」
「命あっての物種と申しまする。ここは何卒撤退を!!」
隆秀が信隆に頼み込むように説得すると、信隆は歯ぎしりしながら床几から立ち上がると本陣の外につないであった馬に跨った。
「秀高…私は諦めたわけではありませんよ。」
こう言った直後、信隆は馬を走らせて戦場より離脱し急ぎ東濃へと撤退していった。しかし信隆に付いていけなかった足軽たちは高景らの追撃を受け、六千いた将兵は千余りまで討ち減らされたのだった。
「まさか、俺たちがつく前に勝敗が決するとはな。」
その数時間後、小牧山城にて一夜を過ごし、森可成の軍勢二千を合わせた高秀高率いる五千の軍勢が犬山城に到着した時には、織田軍は遥か東濃まで撤退し、高景らによって戦の後始末が行われていた。
「はっはっは、殿ばかりに手柄を立てさせるわけには参りませぬからな。」
やがて秀高の軍勢が犬山城内に入城し、松の丸にある城主館に入ると、城主の高景に対して秀高が声を掛けた。そして高景が述べた言葉を聴いた後に秀高と共に参陣した大高義秀らが高景の戦果を褒め称えた。
「しかし見事なもんだぜ。あの光秀の計略を見抜いた上で、敵将数名を討ち取るなんてな。」
「うむ、しかもその中の一人は、高景殿の奥方が討ち取ったというではないか。」
と、義秀の言葉に続いて可成が頷きながらこう言うと、それを聞いていた秀高が高景に対してこう褒め称えた。
「高景、今回の犬山城死守、実に見事な物だった。今後も犬山城守備の任務を引き続き頼むぞ。」
「はっ!犬山城の事、この高景にお任せくださいませ!」
高景が秀高に会釈しながらそう言うと、秀高は視線を高景の後ろにて会話を聞いていた瑞に視線を移した。
「瑞さん、貴女の武勇も見事でした。」
「いえ、これしきの事何の造作もございませぬ。」
と、瑞が秀高の言葉を聴いて謙遜するように返事を返すと、瑞は秀高に対してある事を言った。
「大殿、近年は大殿の旗本ばかり大功を立ててございますが、此度の戦いで旦那様は大殿古参の家臣の面子を示しました。」
「うん、その通りだ。」
この秀高の簡素な返事を聞くと、瑞は高景より前に出てこう進言した。
「大殿、今後とも旦那様の事、何卒宜しくお願い致しまする。」
「…あぁ、無論そのつもりだ。高景、これは本当に見事な奥様だ。」
「はっ…某には勿体ない妻にございます。」
高景が秀高に対し感謝するように会釈をすると、その様子を見て瑞も一緒に頭を下げて頼み込み、その様子を見た秀高は高景夫妻の手を取って固い握手を交わし、それを見ていた義秀一同も微笑ましく思ってその様子を温かく見守っていた
ここに犬山城の戦いは安西高景らの奮戦と機転によって勝ちを収め、同時に犬山城の防衛成功によって尾張に織田の侵入を防ぐことに成功したのであった。この勝利によって安西高景の武名は高まり、旗本の知立七本槍に負けぬ名声を得たのであった。