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1562年5月 光秀の献策



永禄五年(1562年)五月 尾張国(おわりのくに)犬山城(いぬやまじょう)




「まだ城は落ちないのですか!?」


 犬山城を取り囲む織田信隆(おだのぶたか)軍の本陣。陣幕の中から総大将である信隆が犬山城を見つめながらいら立ちの余り机をたたいて怒っていた。


「はっ、既に攻めて数刻は経っておりまするが、依然どこからも城門を破ったという報告は上がってきておりませぬ。」


 と、信隆家臣の丹羽隆秀(にわたかひで)が渋い顔をしながら意見すると、それに対して岡本良勝(おかもとよしかつ)が苛立つ信隆に対して言葉を挟んだ。


「殿、数年前に攻めた時よりも犬山城の備えは強化されており、とてもそう易々と城内に踏み込めませぬ。」


「ええい、明日には秀高の援軍が来るというのに、犬山城一つを攻め落とせずになんとするのです!?」


 と、信隆が話しかけてきた良勝に怒りをぶつけるように言うと、南の大手門(おおてもん)を攻めていた前田利家(まえだとしいえ)が本陣の中に入ってきた。


「信隆殿、どうも城攻めの戦況は(かんば)しくありませぬ。一度は我が家臣が城内に踏み入ったが、敵に討ちとられて振出しに戻ってしまい申した。」


「…まさか犬山城如きにここまで手こずるとは…!!」


するとその時、本陣の中に明智光秀(あけちみつひで)が陣幕を潜って現れると、一向に好転しない戦況に焦っている信隆に対してこう報告した。


「…殿、上手く行きましたぞ。」


「…光秀、上手くいったとは?」


 それまで怒っていた信隆が光秀の報告を聞くと怒りを和らげ、顔を上げて詳しい事情を尋ねると、光秀は信隆に対してある事を報告した。


「実は我が配下の溝尾茂朝(みぞおしげとも)の遠縁が犬山城内におり、その者との接触が叶いこちらに協力してくれる旨を取り付けました。」


「何、協力を取り付けたというか!?」


 その光秀の報告を聞いて隆秀が喜ぶように言うと、光秀はその協力の手はずを話した。


「はっ。されば今宵の内、東の内田門の城内で火をつけて騒ぎを起こし、その隙に門の(かんぬき)を開けて我らが軍勢を引き込む手はずとなっています。」


「なるほど…その手筈が成功すれば犬山城は一夜で陥落しますね。」


 信隆は絵図を睨みながらそう言うと、首を縦に振って頷き、顔を上げて光秀の方を向いてこう指示した。


「分かりました。ならばここは光秀の計略を採用しましょう。夕刻になって各攻め口撤退の後、夜が更けた頃合いを見計らって策を実行し、光秀と良勝の手勢で東から城内に雪崩込みなさい。」


「はっ。見事犬山城を落として見せまする。」


 信隆の下知を聞いた光秀は会釈してそう言うと、陣幕の外に出ていって待機していた茂朝を通じて計略実行の段取りをつけ始めた。光秀は信隆の大望の為にも、そして来る秀高の援軍を迎え撃つためにも犬山城夜襲攻めの手はずを素早く整えていった。




 日中通して続いた織田軍による犬山城への攻撃は日が暮れた事によって止み、織田軍は本陣がある南東方向へ下がっていった。その攻撃を耐えきった城内では、城外を見張る監視の兵二千を除いてほとんどの将兵が本丸内で休息を取る為曲輪から本丸へと下がっていた。


「…良いか、与助(よすけ)。」


 やがて夜も更けた真夜中。犬山城東にある厩舎(きゅうしゃ)の一角で二人の人物がひそひそ話で話していた。片方は日中の戦闘の最中に上手い具合に城内に潜り込んだ光秀の家臣である茂朝であり、もう片方は茂朝の遠縁である足軽の与助であった。


「光秀さまの軍勢は東の内田門の先、城方からは死角になっている林に隠れておる。我らは直ぐに城内に火をかけて回り、口々に謀叛だと告げて回るのだ。」


「謀叛、ですか?」


 与助が茂朝に聞き返すように尋ねると、茂朝はその問いに頷いて答えた。


「そうだ。足軽たちに裏切りが出たと各所に告げて回るのだ。そうして城内が騒ぎになった隙に、内田門の閂を抜いて門を開くのだ。そうすれば潜んでいる光秀さまの軍勢が城内に入ってくる手はずとなっている。」


 茂朝は懇々と丁寧に手はずを与助に教えると、茂朝は与助の手を取ってこう語り掛けた。


「これが上手くいけば、お前は光秀さまの家来となり、領地も宛がわれることになる。そうなれば、お前の生活も少しは良くなるはずだ。」


「ははっ。光秀さまの為にもこの計略、ぜひとも成功させましょうぞ。」


 与助の言葉を聞いた茂朝は頷き、直ぐに計略を実行した。二人は手近な建物に火をかけて回ると、東の曲輪内に響くように口々に謀叛だと告げて回った。最初の内は静かであった城内であったが、次第に騒ぎの輪は大きくなり、やがて東の曲輪内で火災が起き始めたのである。




 その騒ぎは、犬山城内の松の丸にあった城主館にも広まっていた。初めはボヤ騒ぎだと思っていた城内の兵たちは、やがて謀叛だという風聞に惑わされて徐々に混乱をきたし始めていたのである。


「おぉ、聞かれたか奥方!城内で謀叛と…」


 と、その館内の渡り廊下にて、騒ぎを聞いて起きた坂井政尚(さかいまさひさ)塙直政(ばんなおまさ)と共に歩き、その途中で安西高景(あんざいたかかげ)の正室である(みずき)の姿を見かけて語り掛けた。


「ええ、話は聞きました。なんでも足軽が謀叛を起こしたとか…」


「もし真であれば由々しき事態になりかねませんぞ。一刻も早く高景殿のご下知を仰がねば。」


 直政の言葉を聞いた瑞は政尚らと共に、館の奥にある高景の居間へと共に向かって行った。その道すがら、城内の様子を見ながら瑞がこう漏らした。


「それにしても、この騒ぎの中でも眠っているとは…旦那様は何を考えているのですか!?」


 やがて瑞が高景の居間の襖の前に立つと、瑞は勢いよく襖を開けて政尚らと共に入っていった。


「旦那様!一大事になって…」


 と、勢いよく居間の中に入り込んだ瑞は視線の先の風景を見て言葉を失った。というのも、すっかり寝間着姿で布団の中に寝ていると思っていた高景は、寝間着姿ではなく鎧に身を固めたまま、居間の小窓を開けて小窓の敷居に座り込み、外の様子を窺っていたのだ。


「どうした瑞、慌てて入ってくるとはらしくもない。」


「高景殿、寝ておられたのではないのですか?」


 と、瑞に続いて中に入ってきた政尚が高景にそう言うと、高景は手にしていた盃に徳利から水を注ぎ、口を付けて一息に飲み干すと政尚にこう言った。


「明日になれば殿の援軍が参るこの状況で、恐らく敵は今晩にも夜襲の類を仕掛けてくるだろうと思ってな、こうして徹夜できるように眠らず過ごしていたのだ。」


「そうだったのですか…」


 政尚が納得したようにそう言うと、高景は敷居から立ち上がって二人にこう言った。


「それにしても、先程から騒ぎの全てをここから聞いていたが、どうやらきな臭いぞ。」


「きな臭いとは?」


 瑞が高景にそう言うと、高景は盃を置いて二人に説明し始めた。


「先ほどから聞こえてくる声をずっと聴いていたが、二人の声色だけしか聞こえず、その二つの声が内容を変えて吹聴するように叫んでいた。恐らくこれは敵の放火か、もしくは城外の敵と示し合わせた計略だろう。」


「なんと…それではやはり敵は夜襲を仕掛けて参ったと!?」


 政尚が驚いて高景にそう言うと、高景は直ぐに政尚に対してこう言った。


「政尚、そなたは直政と共に直ちに城内の味方に告げるのだ。火を消し止めて冷静に対処し、不審な者があればすぐに捕えよ。また、この騒ぎで不用意に騒ぐ者は斬って捨てるとも伝えよ。」


「ははっ!」


 高景の下知を聞いた政尚と直政は返事を返して承諾し、直ぐに居間から出て行って城兵たちに高景の旨を伝えた。その後、高景が瑞と共に館内の広間に向かうと、そこに兼松正吉(かねまつまさよし)が二人の人物を捕縛して待っていた。その人物こそ、東の曲輪に火をかけて回った茂朝と与助の二人であった。


「…正吉、この者らはどうしたのだ?」


「ははっ、先程東の曲輪にて方々に火を放っているのを見かけ、我が手下と共に二人を飯捕えて参った次第にございます。」


 高景は用意された床几(しょうぎ)に瑞と共に腰を掛けると、捕縛された与助の姿を見てこう言った。


「そなた…この城の足軽か。でその方は…」


「…」


 高景が与助から視線を茂朝に移すと、茂朝は高景の顔を見つめながら黙り込んだ。すると高景は、何かを悟ったのか正吉に向かってこう告げた。


「正吉、この者らは不届き者だ。直ちに庭先にて首を撥ねよ。」


「ははっ!!」


 正吉は高景の下知を聞くと、茂朝らを中庭に引っ張っていき、手下の武者と共に二人の首を撥ねた。その後、高景は戻ってきた政尚や直政、そして息子の安西高朝(あんざいたかとも)を集めると迅速に指示を下した。


「良いか、直ちに東と南を繋ぐ清水門(しみずもん)を閉じ、弓足軽と鉄砲足軽を集めて伏兵として東曲輪の中に潜ませよ。」


「弓と鉄砲の足軽ですか?」


 高景の下知を聞いて直政が尋ね返すと、高景は頷いて城内の見取り図を広げて詳しい指示を伝えた。


七曲門(ななまがりもん)を抜けて裏道から伏兵を配置し、配置完了と共に内田門を開く。そうすれば誘いに乗った敵がこの城の中に入ってくるはずだ。そこを討ち取り余勢を駆って織田軍を追い打つ。政尚、他の足軽たちにも戦闘態勢を取らせておけ。」


「ははっ!心得ました。」


 政尚が高景の下知を受け入れてこう言うと、その高景に対して直政が進言した。


「然らば高景殿、伏兵の指揮は某にお任せあれ。必ずや敵を打ち抜いて見せましょうぞ。」


「うむ。その意気を買おう。直政は伏兵の指揮を執り、敵の先頭が清水門まで到達したときに射掛けるのだ。よいな?」


「はっ!承知致しました。」


 高景の細かな指示を聞いた直政は、その下知を受け入れて会釈をした。こうして諸将は城外の敵に気取られぬように迅速に行動し、敵が城内に入ってくるまで息をひそめて待機したのだった。





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