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1562年4月 因果は巡る



永禄五年(1562年)四月 美濃国(みののくに)稲葉山城(いなばやまじょう)




 その日の夜、稲葉山城の麓にある斎藤義龍(さいとうよしたつ)の居館において、義龍は息子の斎藤龍興(さいとうたつおき)、継室である一条局(いちじょうのつぼね)や幼い子供たちを集めて一家団欒の夜食を取った。


「…龍興、元服して数ヶ月経ったが、上手く家臣たちと打ち解けておるか?」


「はっ…抜かりはございませぬ。」


 この年の元旦に元服したばかりの龍興に向けて、優しく語り掛けた義龍に対し、龍興はやや俯き加減で言葉を父である義龍に返した。


「そうか。お主もゆくゆくは斎藤家の家督を継ぐ身。くれぐれも家臣たちとの間に不和は抱え込むでないぞ?」


「心得ております…。」


 龍興が義龍に対して言葉を返すと、それを聞いていた一条局が義龍にこう言った。


「あなた様、龍興殿の官位については良き返事を頂いているのですか?」


「うむ…幕府よりは色よい返事を頂いておる。母に先立たれた龍興の為にも、良き官位を授かりたいものだ。」



 龍興の生母である近江の方(おうみのかた)は、龍興が元服する数年前の永禄(えいろく)元年(1558年)に死去しており、継室である一条局は龍興の事を自身の子供のように扱い、自身が産んだ子供たちと同様に気にかけていた。しかし龍興にとっては、一条局に対しては何の特別な感情を抱いていなかったのである。



「…父上、母上。一杯注いでも宜しいでしょうか?」


 と、龍興は徐にそう言って顔を上げ、自身の側に置いてあった銚子を手に持つと、義龍と一条局の前に進み出た。


「…そうか。ならば一献貰おうか。」


 義龍は、子である龍興の気遣いに微笑んで盃を差し出すと、龍興は銚子の中にある酒を義龍の盃に注いだ。続いて龍興は差し出された一条局の盃にも同様に酒を注いだ。この時、龍興は無表情のまま二人の盃に酒を注いだ。


「…では、今後の龍興の栄達と斎藤家の繁栄を共に祈ろうぞ。」


「はい。貴方様。」


 そう言うと義龍と一条局は互いに盃に口を付けて酒を飲み干した。



 だがしかしその酒は、普通のどぶろくなどではなかった。



「…?…!?」


 義龍はその酒を飲み込んだ後に何かもがき始め、バタバタしながらその場に倒れ込んだ。一方の一条局は手にしていた盃を落とすと、首に両手を当ててもがき苦しみ、やがてその場に横に伏せるとそこから一つも動かなくなり、やがて口から一筋の血が溢れるように流れた。


「た、龍興…貴様…!」


「…父上、この私を恨みなさるな。」


 力を振り絞り、口に入ったものを吐き出して声を上げた義龍に対し、龍興は冷ややかな目線を義龍に送りながら冷たく言い放った。


「これも全て、祖父上を討って美濃を掠め取った天罰にござる。」


「…た、龍興…」


 義龍はその場で腹ばいになり、ほふく前進をしながら龍興の裾を掴むと、龍興に向けて力を振り絞って言った。


「因果は…巡り巡る…ぞ…」


 義龍はか細い声で龍興を睨みながらそう言うと、やがて力が抜けて息絶えた。父である斎藤道三(さいとうどうさん)を下剋上で討ち、美濃一国を支配下にした梟雄(きょうゆう)・斎藤義龍はここに、息子によって毒殺されるという惨めな最期を迎えた。





「…殿、終わりましたか?」


 と、義龍が息絶えた後、その場に斎藤飛騨守(さいとうひだのかみ)が現れ、龍興は飛騨守の方振り返って頷くと、飛騨守は親子の死を目の当たりにし、部屋の片隅に固まっていた義龍の幼子たちの元に近づいた。


「龍興殿、どうか身体を抑えていてくだされ。」


 飛騨守は龍興に幼子たちの身体を抑えさせると、一人ずつ口に毒手を含ませ飲み込ませた。すると幼子たちは次々に苦しみ始め、やがてピタリと動かなくなった。


「…飛騨守よ、もう後には引けぬぞ。」


 すべてが終わった後、龍興は義龍の亡骸を見つめながら飛騨守に言った。すると飛騨守は龍興の言葉に対して頷いた。


「如何にも。全ては斎藤家の為。簒奪者・高秀高(こうのひでたか)を討つためにございます。」


 龍興は飛騨守の意見を聞くと、亡くなった義龍や一条局に対して手を合わせると、騒ぎを聞きつけてやってきた側近たちに対してこう言い放った。


「一大事だ!父上が何者かに毒殺された!直ちに家臣団を招集せよ!急げ!」


「は、ははっ!!」


 側近たちは何が何だか分からなかったが、龍興の指示を聞いて迅速に行動を起こすと同時に、義龍親子の亡骸の後処理を行った。側近たちは義龍や一条局をはじめ、子供たちの亡骸を棺に納めると、涼しい一室に運んでそこに安置した。その数刻後、義龍急死の方を受けて稲葉山城下にいた斎藤家重臣たちが一斉に登城した。


「…皆聞いての通りだ。我が父・斎藤義龍は今晩、何者かに毒を盛られて息を引き取った!」


 義龍の居館の中、広間にて集まった斎藤家臣たちは、上座に立つ龍興から述べられた事実に一様に驚いたが、その席に加わっていた竹中半兵衛(たけなかはんべえ)安藤守就(あんどうもりなり)は、ただ黙って事態の推移を見守っていた。


「騒ぎを聞きつけた父上の側近たちによって亡骸は安置されておるが、この下手人は間違いなく高秀高(こうのひでたか)に相違ない!秀高は近年、その野心をこの美濃に向け、いずれは攻め込んでくる腹積もりであった!父上は、その野心の犠牲になったのだ!」


「なんと、おのれ高秀高!許すまじ!」


 家臣団の中からそう発言したのは、中濃(ちゅうのう)地方の加治田(かじた)城主である佐藤忠能(さとうただよし)であった。この佐藤忠能、実は織田信隆(おだのぶたか)と気脈を通じている武将で、信隆より龍興の斎藤家相続に協力するよう暗に依頼されていたのである。


「よって、我らは父が結んだ尾張との同盟を破棄し、準備を整え次第東濃(とうのう)に逃れている信隆殿と組んで尾張に攻め込む!これは父の弔い合戦である!」


 強い口調で言い放った龍興に対し、忠能ら織田派の斎藤家臣たちは勢いよく声を上げ、それに釣られるようにそれ以外の家臣たちも声を上げて賛同したが、半兵衛と守就はただ黙って龍興の事を見つめていた。


「…如何なされた安藤殿、竹中殿。殿の申されたことに不服か?」


 と、その様子を見ていた飛騨守が守就らにそう言うと、半兵衛と守就は互いに見合った後、龍興に対して頭を下げて服従を誓った。


(この一連の素早い動き…やはり殿は龍興殿に…)


 しかし、半兵衛は頭を下げながら龍興や飛騨守が義龍を殺害したことを悟り、頭を下げながら龍興への不信感を募らせていった。


「よし、まずは美濃国中から起請文を集める。飛騨守、仔細はそなたに任せるぞ。」


「ははっ、お任せくださいませ。」


 龍興の下知を聞いた飛騨守は龍興の方を振り返ると、頭を下げて龍興の下知に従った。こうして一夜のうちに美濃の斎藤家の家督は龍興に代わり、龍興は尾張に対して同盟の手切れを通告したのだった。




「ふふっ、上手くいったようね。」


 翌日、義龍死去の一報は岩村城(いわむらじょう)にも届けられた。岩村城本丸館の一室でその方に接した信隆は、微笑みながら喜んだ。


「斎藤義龍に比べ、斎藤龍興は凡庸。神輿にするには丁度良いかと。」


 信隆に対して丹羽隆秀(にわたかひで)がそう言うと、信隆は帰還していた明智光秀(あけちみつひで)の方を振り返ってこう言った。


「光秀、この働き誠に見事です。」


「ありがたきお言葉。しかしこの好機を逃さず、一気に挙兵するべきです。」


 光秀はそう言うと、その居間に絵図を広げて信隆に説明した。


「岩村城に苗木城(なえぎじょう)、それに妻木城(つまきじょう)妻木広忠(つまきひろただ)殿も従うとなれば、明知(あけち)飯羽間(いいばま)の将兵たちも付き従いましょう。」


「そうですね…ざっと六千辺りでしょうか。」


 信隆が光秀の試算を聞いてそう言うと、前田利家(まえだとしいえ)が信隆に対してこう言う。


「信隆殿、挙兵するならば早いうちに越したことはありませぬぞ!」


「えぇ、分かっています。良勝(よしかつ)景任(かげとお)殿に出陣の手はずを整えさせなさい。」


「はっ!承知いたしました!」


 信隆の指示を聞いた岡本良勝(おかもとよしかつ)がその場を去っていくと、信隆はその場にいた家臣たちに向けてこう言った。


「良いですか、苦節四年にして織田再興の好機が巡ってきました。必ずやこの好機をものとし、高秀高を討ち取るのです!」


 その言葉を聞いた利家以下諸将たちは奮い立った。美濃で起こった一つの事件が、美濃と尾張の関係性を大きく揺るがし始める震源地となったのである。





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