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1562年4月 不気味な予感



永禄五年(1562年)四月 尾張国(おわりのくに)那古野城(なごやじょう)




「…帰蝶(きちょう)さま、ご無事で何よりです。」


 翌月の永禄(えいろく)五年四月。那古野城へと急ぎ帰還した高秀高(こうのひでたか)は、本丸館内の居間に置いて、逃げ延びてきた帰蝶、並びに木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)小一郎(こいちろう)らを招き入れて声を掛けた。


「秀高殿、この度はいきなりの申し出を引き受けていただき、誠にかたじけなく思いまする。」


「いえ、留守居の貞勝(さだかつ)が判断した事です。私がこの那古野にいても、きっと同じことしましたよ。」


 秀高が帰蝶に対してこう言っている隣で、少しずつお腹が大きくなっていた秀高の正室、(れい)静姫(しずひめ)が、側室の春姫(はるひめ)や侍女の(らん)たちに付き添われて座っていた。その中で、帰蝶は秀高に対してこう言った。


「それにしても不覚でした。まさか信隆(のぶたか)さまに十兵衛(じゅうべえ)殿が味方しているとは…」


「その話は貞勝から聞きました。明智十兵衛光秀あけちじゅうべえみつひで…まさかあの男が信隆の味方になるなんて…」



 元の世界から戦国時代にやって来た秀高や玲たちにとって、明智光秀の名は誰もが知っている名前であった。元の世界では、織田信長(おだのぶなが)の家臣として活躍し、やがて主君の信長を「本能寺(ほんのうじ)の変」で討ち取った人物であったが、信長亡きこの世界では、あろうことか信長の姉である織田信隆(おだのぶたか)に協力していたのだ。



「はい。十兵衛殿が味方になったのであれば、きっと信隆さまはこの尾張への侵攻を企図してくる筈かと。」


「ええ、ともかく今は、こちらも備えておくに限ります。既に家臣たちには尾張国境の監視を行わせていますので、きっと何かあれば報告が来るでしょう。」


 と、秀高は帰蝶に対してそう言うと、秀高は帰蝶たちに対してある提案をした。


「それで今後ですが…帰蝶さまたちにはこの本丸館の南側、渡り廊下でつながれた一棟を与えたいと思います。城下の屋敷よりは、この城の中にいた方がきっと安全ですからね。」


「ご配慮、誠にかたじけなく思います。是非とも、お言葉に甘えさせて頂きます。」


 帰蝶はそう言うと、秀高らに一礼した後に立ち上がると、小一郎や秀高の侍女たちに付き添われてその場を去っていった。その後、秀高はその場に残った藤吉郎に声を掛けた。


「…藤吉郎殿、今回は災難でしたね。」


「如何にも。しかし旅の者が我らを救ってくださり、九死に一生を得たようなものにございまする。」


 藤吉郎がそう言うと、秀高は事前に貞勝から聞いていたことの経緯を思い返しながら話を進めた。


「何でも、帰蝶さまたちを救ったのは、中条流(ちゅうじょうりゅう)剣術の遣い手、富田治部左衛門景政とだじぶざえもんかげまさであったとか…?」


「如何にも。あの目にも止まらぬ剣捌き、やはり剣豪の名は伊達ではござりませぬな。」


 秀高は藤吉郎の言葉を聞くと、視線を庭先の方に向けて藤吉郎にこう言った。


「富田景政は朝倉(あさくら)の家臣。その朝倉の家臣が光秀の行方を探っていたとなると…」


「おそらくは、十兵衛は朝倉殿に詳しい事情を話さずに、信隆に味方したと考えるべきでしょうな。朝倉殿は大の織田嫌いでして、織田の一門である信隆殿に味方すると言われたら、猛反発は火を見るよりも明らかでしょうなぁ。」


 藤吉郎が推察した内容を聞いた秀高は、藤吉郎の方を振り向いてこう言った。


「藤吉郎殿、俺たちは図らずも短期間で伊勢(いせ)志摩(しま)を得ました。今後の信隆討伐も、兵糧などの事を考えると暫くは出来ません。」


「そうですなぁ…となればやはり、守勢に回るしかありませぬな。」


 藤吉郎が秀高の言葉を加味した上でそう言うと、秀高はその言葉に頷いて答えた。


「…ともかく、藤吉郎殿にも怪我がなくて良かったです。今後はこの城内でゆっくり過ごして下さい。」


「ははっ。では某も今日はこれにて。」


 藤吉郎は秀高に対してそう言うと、帰蝶たちの後を追うようにその場を去っていった。すると、その居間に入れ替わる様に小高信頼(しょうこうのぶより)が現れ、春姫や蘭たちは居間より出て襖を閉めると、信頼と玲、静姫と秀高の四人で円を描くように座って話し合い始めた。


「…それにしても、まさか明智光秀が織田信隆の味方になるなんてね。」


「あぁ。とんでもない展開になってしまったな。」


 歴史オタクである信頼が、頭を抱えながら言った言葉に対して、秀高も苦悶の表情を浮かべて言葉を返した。すると、その様子を見ていた玲が口を開いた。


「秀高くん、明智さんが信隆さんの味方になったって事は…」


「間違いなく連中の標的はこの尾張だ。となると、恐らく北勢四十八家ほくせいしじゅうはっけ北畠具教(きたばたけとものり)に偽の御教書(みぎょうしょ)を配布したのもきっと…」


「明智光秀、という訳ね。」


 と、静姫がそう言うと秀高は賛同するように頷いて答えた。すると、静姫は事前に目を通していた、秀高たちの世界での歴史が書かれた書物の知識を元に話し始めた。


「でも不思議ね。明智光秀にとって帰蝶さまは従兄妹なんでしょう?どうして襲撃しようと思ったのかしら?」


「…恐らくは、亡き信長の才能に感じ入っていた光秀にとって、信長を死に追いやって尾張から織田を追放した僕たちに庇護されている帰蝶さまの姿を見て、失望したんじゃないんでしょうか。」


 信頼が静姫に向けてそう言うと、静姫は信頼の方を向いてこう言い返した。


「でも、だからといって自身の従兄妹に手をかけるなんてありえないわ。」


「…恐らくは、それ以上の何かの為に襲撃した可能性もあるな。」


 秀高が静姫の意見を聞いた上でそう言うと、その言葉に引っ掛かった玲が秀高に聞き返した。


「それ以上の理由って、どんな理由?」


「今は分からない。だがもし、帰蝶さまが死んでいたら、きっと俺たちの情勢は大きく変わっていただろうな…」


「帰蝶さまが死んで、困る勢力って…斎藤(さいとう)?」


 玲が秀高の言葉を考えた上でそう言うと、その言葉を聞いていた静姫が腑に落ちたように言った。


「…あり得るわね。義龍(よしたつ)と帰蝶さまは血のつながった兄妹。妹である帰蝶さまが私たちの領内で死んだらきっと、義龍はこちらの不手際を詰ってきて、最悪同盟破棄もあり得るでしょうね。」


「同盟破棄…?」


 静姫の言った「同盟破棄」という言葉に引っ掛かった秀高は、頭の中でいろいろと考え始めた。その中で秀高は以前、美濃(みの)郡上郡(ぐじょうぐん)に出征した大高義秀(だいこうよしひで)からの報告の中に、義龍が自身の子供との間が上手くいっていない事を吐露してきたという報告が思い浮かんだ。


「でも、帰蝶さまの襲撃は失敗。そして美濃からの同盟破棄も無くなった今、信隆たちの打つ手は無くなったようなものね。」


「…いや、まだ油断は出来ない。」


 と、静姫が言った言葉に対して、秀高が反論するように口を挟んだ。


「帰蝶さまが死ななくても、光秀たちの標的はもう一人いると考えたら?」


「もう一人って…?」


 信頼が秀高の言葉に引っ掛かって問い返すと、秀高はその場にいた一同にあることを話し始めた。


「実はな、以前義秀から、義龍殿とご子息の関係性が微妙だという話を聞いた事がある。もし、そのご子息の側近と光秀たちが繋がり、行動を起こすとしたら?」


「まさか…義龍殿が!?」


 信頼が閃いたように声を上げてそう言うと、秀高は声を上げた信頼に頷いて答え、更に言葉を続けた。


「もし、帰蝶さまが死に、義龍殿も死んだらきっと、ご子息は家督を継いでその死の責任をこっちに被せ、同盟破棄を通告してくるだろう。その隙をついて信隆が挙兵し、ご子息と側近が権力を掌握した斎藤家と示し合わせてこの尾張に攻め掛かってくるだろう。」


「それは…余りにも杞憂(きゆう)じゃないかしら?」


 と、静姫が秀高に対して反論すると、秀高はその言葉を聞いた上で静姫に対して言い返した。


「無論、こうなって欲しくはないし、きっと杞憂かも知れない。だが万が一のことを考えておいても損はないはずだ。」


 秀高は静姫にそう言うと、目の前の信頼にある事を指示した。


「信頼、直ちに前野長康(まえのながやす)に斎藤家への使者を派遣するように命じてくれ。表向きは先月の援軍派遣の感謝を述べる為として送るんだ。その裏で極秘裏に義龍殿に身辺の警戒を怠らないようにと伝えてほしい。」


「分かった。万が一のこともある。早めに手を打っておくよ。」


 信頼が秀高に対してそう言うと、その話を聞いていた玲が秀高にこう言った。


「秀高くん、もし義龍さんの身に何かあったら…」


「…考えたくもないが、きっと状況は苦しくなるだろうな。」


 秀高は床に敷かれた畳を見つめながらやや俯き加減で玲にそう言った。その場にいた一同も、斎藤家に異変は起きないで欲しいと願っていたが、その場の重苦しい雰囲気はしばらく続いたのだった。兎にも角にも、数日後に秀高の使者が、美濃へ向けて出発していったのである。





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