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1562年3月 帰蝶襲撃



永禄五年(1562年)三月 尾張国(おわりのくに)蟹江(かにえ)




 時は、高秀高(こうのひでたか)が、北畠(きたばたけ)の軍勢を迎え撃つべく、安濃津(あのつ)の陣城に入城した永禄(えいろく)五年の三月二十五日に遡る。この日、尾張国の蟹江にある帰蝶(きちょう)の庵は、穏やかな日常を送っていた。


「奥方、失礼いたします。」


 その庵の縁側で、庵に住み込む木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)が、襖の奥にいる帰蝶に向けて声を掛け、そのまま襖を開けた。庵の中では、帰蝶が仏壇に向かって手を合わせている最中であった。


「あら、藤吉郎。どうかしましたか?」


「はっ、お茶をお持ち致ししました。何卒お召し上がりを。」


 藤吉郎は襖を越えて中に入ると、お盆におかれたお椀を持つと、それを帰蝶の前に差し出した。帰蝶は藤吉郎の方を振り返り、差し出されたお椀を手に持つと、その中に入っていた茶に口をつけた。


「…そう言えば、秀高殿は今どのあたりにいるのでしょうか。」


 ふと、帰蝶はお椀を床に置くと、伊勢(いせ)へ出征中の秀高の状況が気になったのか、口に出して藤吉郎に尋ねた。すると藤吉郎は帰蝶の問いに対してすぐに返した。


「はっ、何でも今は中伊勢の辺りまで進んだと聞いておりまする。それに先立ち、途上にあった北勢四十八家ほくせいしじゅうはっけの豪族たちは、皆討ち滅ぼされたとの事にござりまする。」


「そうですか…秀高殿にしては、随分と冷酷な物ですね。」


 帰蝶が藤吉郎から聞いた情報を考慮した上でそう言うと、藤吉郎は帰蝶の言葉に相槌を打つと、更にこう言った。


「奥方、恐らく秀高殿は、歯向かう物には容赦しないという姿勢を内外に示すため、かかる冷酷な仕置きをしたのではと思いまする。」


「内外に示す…という事は…」


 帰蝶が藤吉郎の言葉を聞いた上でそう言うと、藤吉郎は帰蝶の言葉に頷いた上でさらに続けた。


「はっ。秀高殿は本当であれば、この月には東濃(とうのう)に攻め込む手はずにございました。恐らくこの仕置き、今後信隆(のぶたか)様に付いた者達への示しになりましょうな。」


 と、藤吉郎が帰蝶にそう言っていると、その庵の中に慌てて駆け込んできた者が現れた。藤吉郎がその様子を見ると、入ってきた人物の姿を見て声を上げた。


小一郎(こいちろう)!どうしたのだ!?」


 この、駆け込んできた男の名は木下小一郎(きのしたこいちろう)。藤吉郎の弟であり、秀高たちがいた元の世界では、後の豊臣秀長(とよとみひでなが)という名で知られている人物であった。その小一郎は、本来は庵にいる藤吉郎に対して食糧を持ってきていたのだが、この日は息も絶え絶えになりながら、藤吉郎や帰蝶に対して火急の要件を告げた。


「あ、兄者一大事だ!今さっき、庵の周りに数十人の侍が集まっておったぞ!」


「庵の周りに侍だと…奥方!」


 と、藤吉郎が帰蝶に向かってこう言ったその時、外から何か蹴破られた様な音が鳴り響いた。藤吉郎や小一郎、帰蝶が襖を出て縁側に立つと、その目の前にあった庵の門が打ち破られ、中に十人程度の侍の集団が、刀を抜刀した上で持って現れた。


「奥方、早くここを逃げましょう!」


 藤吉郎がこの場から逃げるように帰蝶へ促すと、帰蝶はそれに頷き、急いで庵の裏手にある裏門から逃げていった。それを見た侍の集団も、跡を追う様に二手に分かれ、追いかけていった。


「…しまった!」


 帰蝶を連れて逃げていた藤吉郎であったが、竹林の道を進むうちに方向感覚を失い、やがて切り立った崖に辿り着いていた。崖の先は川が流れていて、ほどほどの高さがある崖であった。藤吉郎たちは元来た道を戻ろうとしたが、運悪く追いかけてきた侍の集団と鉢合わせてしまった。


「…何者です?名乗りなさい!」


 追い詰められた帰蝶は、懐刀に手を掛けながら、じりじりと迫ってくる侍の集団に呼びかけた。すると、その集団の中から一人の侍が現れた。その姿を見た帰蝶は驚きのあまりこう言った。


「じ、十兵衛(じゅうべえ)殿?」


「何、十兵衛殿ですと?」


 そう、その侍の集団の中から刀を手にして現れたのは、帰蝶から見れば従兄妹(いとこ)であり、織田信隆(おだのぶたか)の配下として暗躍する明智十兵衛光秀あけちじゅうべえみつひで。その人であった。光秀は帰蝶の姿を見ると、一言こう呼びかけた。


「お久しゅうございます。帰蝶さま。」


「…十兵衛殿、これは何の真似ですか?」


 帰蝶が懐刀の柄に手をかけ、十兵衛の事を睨みながらそう言うと、十兵衛は刀を持ちなおし、帰蝶に向けてこう告げた。


「申し訳ありませぬ。帰蝶さまのお命、貰いにまかり越しました。お覚悟を。」


 光秀は帰蝶にそう言うと、付いて来ていた自身の部下たちに帰蝶の周囲を取り囲ませた。対する帰蝶や藤吉郎たちも身構えして互いに睨みあったその時、異変は光秀たちの方に起きた。


「ぐわっ!」


 光秀の手下である侍の一人が、悲鳴を上げてその場に倒れ込んだのだ。その声を聴いて光秀が声のした方向を振り返ると、そこには一人の中年の侍が、一本の小太刀を構えて立っていた。


「何者だ?」


 光秀がその侍に対してそう言うと、侍は顔を上げ、切っ先を光秀らに向けて言葉を返した。


「その声…やはり十兵衛殿であったか。」


「…!?き、貴様は…!」


 その侍の姿をはっきりと見た時、光秀は驚いた。そう、光秀はこの侍の事を知っていたのである。侍は光秀にそう言うと、一瞬の隙に光秀の手下たちの懐近くに潜り込むと、刀を素早い捌きで切り付け、小太刀で一人、二人と切り伏せた。その様子を見た光秀の家臣である明智次右衛門光忠あけちじえもんみつただが光秀にこう言った。


「殿、これはまずいですぞ!」


「…くっ、者ども引け!ここを立ち去るぞ!」


 光秀は自身たちの劣勢を悟ると、すぐさま配下たちに引き上げるように指示した。それを聞いた部下たちは光秀の後を追いかけていこうとしたが、その後ろを侍に襲われ、結局、光秀や光忠を含めた五人ほどがその場から逃げ去るように立ち去っていったのだった。


「…お怪我はありませぬか?」


 侍は光秀たちを追うのを辞めると、小太刀を鞘に納めて帰蝶たちの元に戻って声を掛けた。帰蝶はその侍の武勇を見ると、感謝を告げるべく言葉を返した。


「危ういところを助けていただき、感謝いたします。ところで、貴方は…?」


 すると、侍は帰蝶に対して膝を付いて頭を下げると、自身の名を帰蝶たちに対して名乗った。


(それがし)越前(えちぜん)の住人の富田治部左衛門景政とだじぶざえもんかげまさと申しまする。」


「富田治部左衛門…!?あの中条流(ちゅうじょうりゅう)の遣い手でございまするか!?」


 藤吉郎が驚いたのも無理はない。帰蝶の目の前にいるこの富田景政、世間では南北朝(なんぼくちょう)の御世から続く剣術の流派・中条流の免許を持つ剣豪で、兄の富田勢源(とだせいげん)共々剣豪として諸国にその名を轟かせていたのだ。


「如何にも。この辺りを通りがかったところ騒ぎを感じ取りまして、見過ごすわけにはいかぬと思い助太刀に参った次第にござりまする。」


 藤吉郎の問いに景政がこう返すと、帰蝶は景政に対してある事を尋ねた。


「越前、という事はやはり…。」


「はっ。朝倉(あさくら)の家臣でござりまする。先ほどの人物…明智光秀殿は越前にて殿の客将を務めていた御仁。それがいきなり急な要件にて朝倉家を離れ、どこにいったのか探って来いと殿に言われ、こうして諸国を尋ねていたのでござる。」


「そうでしたか…景政殿、改めて感謝申し上げます。」


 帰蝶は助けてくれた景政に感謝の念を述べると、景政はその言葉に頷いて答えると、立ち上がって帰蝶に別れを告げた。


「いえ、御身に何もなくようございました。某は越前に急ぎ立ち帰るので、これにてご免。」


 景政は帰蝶に手短にそう言うと、後ろを振り返ってその場を去っていった。その様子を見ていた帰蝶に、脇で藤吉郎の陰に隠れていた小一郎が問うた。


「そ、それにしても奥方様、今後もこのような襲撃をされては、あの庵に留まるのは危険ではありますまいか?」


 そう言われた帰蝶は考え込んだ。確かに、あの庵に居続けては光秀たちの襲撃を受けるかもしれない。その考えに至った帰蝶は、隣にいた藤吉郎の方を振り向き、すぐさま指示を伝えた。


「藤吉郎、直ぐにこの事を那古野城(なごやじょう)の留守居の村井(むらい)殿に報せなさい。」


「は、ははっ!すぐにでも知らせまする!」


 帰蝶の命令を受けた藤吉郎は、直ぐにでもその場を去り、那古野城へ急変を報せるべく発っていった。その数日後、報せを受けた村井貞勝(むらいさだかつ)一行が帰蝶たちを迎えに来ると、帰蝶や藤吉郎兄弟、それに庵に安置されていた織田信長(おだのぶなが)の位牌などを回収し、一路那古野城へと向かった。それと同時に、貞勝は伊勢へ出征中の秀高へ火急を報せる早馬を走らせたのである…





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