1562年3月 伊勢志摩平定
永禄五年(1562年)三月 伊勢国大河内城
「何、政成の隊が全滅したと申すのか!!」
永禄五年三月二十八日。ここ、伊勢大河内城で声が上がっていた。ここにいたのは、高秀高討伐の偽の御教書に踊らされ、秀高による伊勢志摩侵攻の目標となっていた北畠具教その人である。具教は味方である北畠政成の敗報を聞くと、信じられない表情を浮かべていた。
「はっ…一万いた味方は総崩れとなり、大将の政成殿を始め、鳥屋尾殿、家城殿、森本父子や坂内殿や大河内殿など、北畠一門譜代の数多くが戦死いたしました…」
そう報告したのは、具教の側に付いていた木造城主の木造具政であった。具教の弟である具政は安濃津の戦いの戦況を告げると、兄である具教に対してこう進言した。
「兄上…すでに味方の大半は戦死し、これ以上高家にあらがう術は残されておりませぬ。ここは何卒、高秀高へ降伏を…」
「馬鹿も休み休み言え!」
と、具教は具政を叱るように怒ると、義輝から手渡されたという偽の御教書を持って具政に言い放った。
「この御教書こそ上様直筆の親書である!高秀高が掲げる御教書こそ偽書であろう!そのような邪な野心を抱く者達に、おいそれと屈するわけにはいかん!」
「しかし、既に兄上には長野次郎を経由して書状が…」
「そのような事を口にするな!」
と、具教は火に油を注がれたように更に怒ると、下座に控える具政を指さしながら更に怒り続けた。
「私の息子を養子に迎えておきながら、容易く我らを裏切るとは!稙藤父子のなさりようこそ最も忌むべき行為ぞ!それに屈した長野次郎から届いた秀高の親書など、見る価値もないわ!!」
「具教、いい加減にせよ!!」
と、その場に現れたのは、具教の実父である北畠晴具であった。晴具は隠居の身であったが、北畠勢敗報の方を聞くと、隠居していた山間の多気御所から遠路はるばるこの大河内城まで出向いて来ていたのだ。
「もはや北勢四十八家は壊滅し、長野工藤も秀高に降伏した。それに秀高の陣中には、武家伝奏の勧修寺尹豊公もおる。これ即ち、秀高にこそ大義がある証ではないか。」
「…それが一番解せんのだ!!」
具教はそう言うと目の前の床几を蹴飛ばすと、父である晴具や具政に対して怒りをぶつけた。
「なぜ武家伝奏が秀高なんぞに味方をする!あ奴は官位欲しさに金を朝廷に貢ぎ、汚い銭で官位をむさぼった悪しき者ではないか!」
「もっと広く視野を持つのだ具教!尹豊殿は帝の勅許を携えておると聞く。もしそれが真ならば、速やかに降伏した方が身のためではないか!?」
晴具は具教を諭すようにそう言うと、蹴飛ばした床几を手で拾いつつも、具教に向けて言葉を続けた。
「…今ここで、再びつまらぬ意地を張っては、ここまで家名を繋いできた北畠の存続に関わる。偽の御教書に乗ってしまった事を神妙に詫びて、秀高殿の裁可にすがる他はあるまい?」
「しかし…!」
その言葉を受けて具教がなおも食い下がろうとすると、そこに北畠一門の田丸具忠が現れて具教に火急の報告を告げた。
「殿!一大事にございます!志摩が高秀高の侵攻を受け、九鬼嘉隆が我らの海賊衆を打ち払い、鳥羽城を奪われました!」
「何!?志摩が落ちたというのか!?」
志摩の情勢を聞いた具教はその報告を聞くや驚き、父である晴具より床几を受け取ると、それを開いて座りなおした。その様子を見ていた晴具は、再び具教に近づいて説得を繰り返した。
「…具教、降参するなら今しかない。伊勢や志摩の領地はすべて失うやもしれぬが、北畠の家名存続なればきっと再起の時は来る。ここは隠忍自重して、秀高殿に降るのじゃ。」
「その通りです兄上。どうか、賢明なご判断を…!」
父・晴具と弟・具政の説得を聞いた具教は目を閉じて噛みしめると、その後に一回、大きく一息ついて目を見開き、二人に対してこう言った。
「…分かりました。全ては北畠の為、恥を忍んで秀高に降参しましょう。」
「…賢明な判断じゃ。ならばすぐにでも、安濃津の秀高殿の下に参ろう。」
父である晴具の言葉を聞いた具教は、ただこくりと頷いてそれを受け入れた。
ここまで、晴具と具政が降伏和平に拘るのに訳がある。それは事前に滝川一益や伊助など、高秀高配下の忍びたちの接触を受け、秀高への降伏を諭すように工作を受けていたのだ。特に父である晴具にとっては尹豊からの書状が決め手となり、晴具はこれ以上歯向かう愚かさを既に悟っていたのであった。
さらにそれだけではなく、田丸具忠や家臣の藤方朝成など、家中の和平派などに働きかけ、北畠家の早期降伏を説かせていたのである。こうした一連の工作は実際に実を結び、この北畠具教の降参という結果を招いたのである。
兎にも角にも、自身の不利と父たちからの説得を受けた北畠具教は、翌四月一日、秀高が逗留する安濃津陣城に父や和平派家臣と共に入城。秀高に降伏の意を示したのである。
「…面を上げてくれ。」
安濃津陣城に構築された館。その中の広間において秀高は上座に座り、北畠具教一行の引見を受けていた。具教は神妙に頭を上げると、秀高に対して言葉を述べた。
「…秀高殿、此度我々は偽の御教書に踊らされ、何の諍いもない貴国に対して攻め込もうとした儀、誠に申し訳なく思いまする…」
その具教の詫び言ともとれる言葉を聞いた秀高は、上座に用意されていた肘掛けに体勢をかけると、具教を冷ややかな視線で見つめながら言葉をかけた。
「そもそも、お前が言った通りこちらと北畠家は何の敵対心もなく、至って中立にしていたつもりだった。それを何者かの讒言に惑わされ、北勢四十八家や長野工藤家を先導してこちらに攻め込もうとした。その罪は極めて重い。」
秀高はそう言うと、顎に当てていた手を下ろし、傍に控えていた武家伝奏である尹豊の方を振り向きながら言葉を続けた。
「本当ならお前の首一つでも取りたかったが、ここにいる尹豊殿の意向…即ち帝の意向とあってはそう言う訳にもいかない。具教…いや具教殿。今後はこの事を水に流し、互いに仲良く付き合っていきたいが、どうだろうか?」
「ははっ…一度は歯向かった私に対し、格別の温厚を賜り、恐悦至極に存じまする…。」
「だが条件がある。」
具教の感謝の言葉に被せるように、秀高は具教に対してこう言った。
「偽の御教書を元に、伊勢全土を戦に招いた罪は重い。よって南伊勢、並びに志摩の北畠領を全て召し上げる。それと同時に、北畠・木造両家は京へと向かってもらう。」
「…京に、ですか?」
「尹豊殿、帝の勅許を。」
秀高が尹豊にそう言うと、尹豊は懐から帝の勅許を取り出すや立ち上がり、秀高より譲り受けて上座に昇った。それと同時に下座に下がった秀高は尹豊に向けて頭を下げ、それと同時に大高義秀以下秀高配下の諸将、並びに具教ら北畠一門も頭を下げて勅許に耳を傾けた。
「北畠権中納言具教、勅命によって北畠一門に羽林家の家格を与え、同時に在京を命ず。また、木造左中将具政も同様、羽林家格として在京を命ずる。」
「…なんと、羽林家格ですと…」
尹豊が申し伝えた羽林家というのは、公家の家格の一つである。羽林家は上から四番目の家格であり、格付けでは中級貴族の部類に当たる。南北朝の時代に南朝に仕えた北畠家にとっては、北朝の流れを汲む今の朝廷から昇殿を許される堂上家に命じられた証であった。
「…具教殿、あなた達北畠一門にとっては京への帰還は念願だったはず。帝は北畠の家名を惜しみ、こうして温情をもって京に迎え入れると仰せになられたのです。」
勅許を読み終えた後、懐に勅許をしまった尹豊が具教にそう言うと、尹豊に代わって上座に登った秀高が、具教に対してこう言った。
「具教殿、北畠家にはこれから、京に上って公家の一家として滞在し、京の朝廷内に気脈を通じてほしい。」
「気脈を…通じる?」
具教が秀高に対して言葉を復唱して問い返すと、秀高はそれに頷いて言葉を続けた。
「知っての通り俺はかつて無位無官の身。これから京に上る事があった時、朝廷の方々と親しく付き合う必要性が出てくる。そこで具教殿や具政殿には、義近と共に京の朝廷工作を担当してもらい、京での名声を得てほしいと思っている。」
秀高がそう言うと、背後にいた晴具が口を開いた。
「つまりは、村上源氏である我らの力が必要だと?」
「その通りです晴具殿。村上源氏の血を引く北畠が京に帰れば、同じ村上源氏の中院家などと気脈を通じやすくなる。それを京で成し遂げてほしい。どうだろうか?具教殿?」
秀高の意向を聞いた具教はしばらく考えた後、秀高の顔を見つめながら決意を込めて言葉を返した。
「…分かり申した。秀高殿や帝に救って頂いたこの命。今後は秀高殿の為に尽くしましょう。」
「この木造具政も、兄同様に秀高殿に尽くしましょうぞ!」
後ろに控えていた具政も秀高にこう告げ、その言葉を聞いた秀高は頷いて答えた。その後、北畠晴具・具教の一族と木造具政の一族は尹豊と共に京へと向かって行った。こうして秀高は僅か一ヶ月という電撃的な速さで伊勢志摩二ヶ国を確保し、秀高は安濃津の陣城に留まって戦後処理を行おうとしたが、そこに国元の尾張から火急の知らせが届いた。
曰く「蟹江の帰蝶の庵が襲撃を受けた」と…。