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1562年3月 長野工藤家



永禄五年(1562年)三月 伊勢国(いせのくに)安濃城(あのうじょう)




「…藤敦(ふじあつ)、まだ分からぬか?」


 伊勢国・安濃城。長野工藤家(ながのくどうけ)重臣・細野藤光(ほそのふじみつ)の居城であるこの城。この城内には重たい雰囲気が漂っていた。というのも、高秀高(こうのひでたか)への侵攻へ対処するため、当主・長野稙藤(ながのたねふじ)と子の長野藤定(ながのふじさだ)親子が本陣を置いていたが、北勢四十八家ほくせいしじゅうはっけの末路を聞くや、城内に駐屯する長野工藤の軍勢の士気は、日を経つにつれて下がり始めていたのである。


「北勢四十八家の末路こそ、我らが長野工藤の未来ぞ。無用な意地を張って、先祖代々の家を滅ぼすのか?」


 その城内の本丸館におかれた本陣内において、上座の床几に座る稙藤が話しかけていたのは、長野工藤家中において数少ない強硬派であった藤光の子、細野藤敦(ほそのふじあつ)であった。藤敦は祖父である稙藤からそう言われると、歯ぎしりしながらも反論した。


「しかしおじい様!鎌倉(かまくら)より続く誉ある長野工藤が、おいそれと敵に膝を屈するのはいかがなものかと思われまする!北畠(きたばたけ)より養子を迎えた以上は、北畠の援軍を待つためにも抵抗を!」


 藤敦は必死の形相を浮かべ、稙藤に対して懇願するように説得をした。




 この長野工藤家は「曾我(そが)兄弟の仇討」で有名な工藤祐経(くどうすけつね)の三男・祐長(すけなが)を始祖とする名家で、先祖代々この中伊勢(なかいせ)に勢力を保持していた。


 しかし、前年に北畠家と争って敗北し、和議の条件として北畠具教(きたばたけとものり)の次男である長野次郎(ながのじろう)を養子として迎えさせられ、長野工藤家中にはこの屈辱的な和議に反発する勢力が多く、今回の秀高の侵攻に降伏しようとする面々の多くが、その者達で構成されていたのである。




「藤敦、そなたは浅はかな短慮でこの家を滅亡に追い込もうというのか。」


 そう言って藤敦を諭したのは実父である藤光だった。これに同調するように、分部城(わけべじょう)から兵を率いて参集していた分部光高(わけべみつたか)も意見を述べた。


「如何にも。そもそも我らが憎き北畠に付き従う理由など微塵もない。ここは速やかに秀高殿に帰参し、長野工藤家の安泰を図るべきである。」


「光高殿には、長野工藤家の武士の誇りはござらんのか!?」


「控えよ!藤敦!」


 なおも食い下がろうとする藤敦に対して怒って制止したのは、稙藤の隣の床几(しょうぎ)に腰かける藤定であった。藤定は藤敦の顔を見つめながら、こう言った。


「北勢四十八家すべてがああなった以上、偽の御教書(みぎょうしょ)を奉じる北畠に付き従う道理などない。たとえ北畠から養子を迎え入れていてもな。」


「…」


 その藤定の脇で黙って意見を聞いていたのは、僅か十歳の次郎本人であった。その姿を見た藤敦は、藤定や稙藤に対してこう言上した。


「…だからといって、せっかく和議をして仲直りした北畠との間柄を、また無に帰すとでもいうのですか!?」


「無に帰すのではない。これは長野工藤家存続のための判断じゃ。このこときっと、先の隠居(北畠晴具(きたばたけはるとも))は分かってくださるじゃろう…。」


 稙藤は立ち上がって、幼い次郎に肩を掛けながらそう言うと、次郎は少しうつむいた後、気持ちを切り替えるように頭を上げ、肩に手をかけた稙藤の方を向いてこくりと頷いた。するとそこに、早馬が血相を変えて駆け込んできた。


「も、申し上げます!先刻、雲林院城(うじいじょう)が落城いたしました!」


「何、雲林院城が落城だと!?祐基(すけもと)殿は如何した!?」


 と、その報告に驚いた藤敦が声を上げ、報告に来た早馬に城将・雲林院祐基(うじいすけもと)の安否を尋ねると、また別の早馬が報告をしに本陣に駆け込んできた。


「申し上げます!ただ今城の眼前に、高秀高が軍勢四千が現れました!!」


「何、秀高殿が…?」


 秀高軍来襲の報告を聞いた稙藤が早馬の方を振り返って返事をすると、早馬はその言葉に頷き、一本の矢文を取り出して稙藤に報告した。


「それに伴い先程、城内にこの一本の矢文が撃ち込まれて参りました。」


「矢文とな…見せて見よ。」


 稙藤からそう言われた早馬は立ち上がり、稙藤に矢文が括り付けられた鏑矢(かぶらや)を献上した。稙藤は鏑矢から矢文を取り外すと、床几に座って藤定と共にその内容を拝見した。



【長野稙藤殿、尾張那古野(おわりなごや)城主、高秀高と申します。今回、偽の御教書を奉じた北畠具教を討伐すべく、将軍・足利義輝(あしかがよしてる)様からの御教書を賜って伊勢へと侵攻して来ています。長野工藤家の経緯については、忍びを通じて全て知っています。もし、こちらへ帰順のお考えがあるのでしたら、何卒城門を開け、我らを出迎えてください。稙藤殿のご子息、雲林院祐基殿の身柄はこちらで丁重に保護しています。何卒、稙藤さまを始め御家中においては、ご賢明な判断を期待しています。 高民部少輔秀高こうみんぶのしょうひでたか




「…なるほど、祐基の身柄は秀高殿の手中にあるようじゃ。」


「なんと…では秀高は祐基殿を殺しはしなかったと…」


 藤敦が書状の内容に目を通した稙藤の言葉を聞くと、稙藤は報告に来た早馬にこう指示した。


「これ、直ちに城門を開けさせよ。秀高殿の軍勢を中に入れるのじゃ。」


「おじい様!!」


 と、稙藤の指示を聞いて藤敦が制止しようと声を掛けると、稙藤は藤敦の方を振り向いてこう述べた。


「藤敦、もはやこの戦は終わりじゃ。偽書を奉ずる北畠に大義などない。我らは長野工藤家の存続のために秀高殿につく。それが、我ら弱小勢力が生き残る道ぞ。」


 その稙藤の言葉を聞くと、それまで威勢良く反発していた藤敦もそれ以上の反発を辞め、口を尖らせながらも床几に着座した。そして稙藤の意向を受けた早馬はすぐさま城内を回り、城門を開いて秀高の軍勢を迎え入れるように告げ回った。それを聞いた将兵たちは次々と城門を開き、ここに安濃城は無血開城となったのである。




「…稙藤殿、今回の英断、誠に感謝いたします。」


 その後、城内に秀高の軍勢四千余りが入り、秀高ら諸将たちは本丸館に足を踏み入れて、稙藤ら長野工藤家の面々と対面。互いを見合う様に置かれた床几にそれぞれ座ると、開口一番に秀高が口を開いた。


「なんの、これも長野工藤家を守るためにござる。北勢四十八家の(てつ)は踏みたくはありませんからな。」


 秀高とは対面の位置に置かれた床几に腰かける稙藤は、秀高に対してこう言った。すると秀高は、後方の席に座っている祐基の方を見ながら稙藤にこう言った。


「稙藤殿、それに藤定殿。この祐基殿も我らの真意を分かってくださり、共に降伏の道を選んでくださいました。」


「…父上、この私が愚かでした。日の出の勢いの高家に歯向かって、勝てると思った某の無知を許してくだされ…。」


 祐基が恥じながら父である稙藤にそう言うと、稙藤は祐基に対して言葉をかけた。


「祐基…良いのじゃ。こうしてそなたの命がある以上、わしは何も言う事はないわ。」


 稙藤が祐基に対して言葉をかけると、それを聞いていた秀高が稙藤に対してこう言った。


「稙藤殿、長野工藤家の所領については全て安堵とし、祐基殿の所領である雲林院領も長野工藤家に返還しますが、祐基殿はこちらの家臣、滝川一益(たきがわかずます)預かりとし、その後は滝川家臣に組み込みます。それでよろしいですか?」


「はっ。降伏した我らに、選択肢などありませぬ。何卒、愚息をお願い申し上げまする。」


 稙藤はそう言うと、秀高に対して頭を下げて頼み込んだ。それを受け入れた秀高は立ち上がると、頭を下げた稙藤の手を取り、稙藤の顔を見つめながら声を掛けた。


「稙藤殿、今後長野工藤家は俺たちの傘下に入りますが、これからは互いに手を取り合い、この戦乱の終息の為に力を尽くしてくれませんか?」


「…秀高殿、この老骨にそこまでのお言葉をかけてくださるとは、ありがたき事にございまする。わしは家督を子の藤定、その後は長野次郎へと譲りまするが、何卒、長野工藤家の事を良しなに…」


 稙藤はそう言うと秀高の手を握り返し、両者互いに固い握手を交わした。その光景を見てそれまで反発していた藤敦も心を入れ替え、秀高に付くことを決めた主家に尽力しようと決意し、熱い視線を両者に送っていたのである。


「…さて、長野次郎殿、といったか?あなたのお父様にこれを渡して欲しい。」


「…これは?」


 と、幼い次郎が秀高より手渡された書状を手にし、秀高に問い返すと、秀高は次郎の顔を見つめながらしっかりと話した。


「これはお父様への手紙で、俺は北畠になんの私心もないこと、北畠一門の身柄は帝によって保障されているなどの旨が書かれた手紙だ。是非ともこれをお父様に渡してくれれば、きっとお父様は助かるだろう。この手紙、渡してくれるか?」


「はい、分かりました。」


 幼い次郎がしっかりと秀高に返事をすると、秀高は微笑みながら首を縦に振って頷いた。こうしてこの秀高の親書は長野次郎を通じて父・具教へと渡され、それを見届けた秀高は安濃城で一泊した後、翌日には長野工藤家の軍勢も連れて安濃津(あのつ)方面へと向かって行ったのである。





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