1562年3月 中伊勢到達
永禄五年(1562年)三月 伊勢国上野陣城
永禄五年三月二十日。亀山城落城から数日が経ったこの日、高秀高率いる本軍は中ノ川南岸にある上野に築かれた陣城に入城し、先行して着陣していた佐治為景らの軍勢と合流。その陣城の中で軍議が開かれたのである。
「殿、亀山城落城、祝着至極にござりまする。」
軍議の冒頭、為景は上座におかれた床几に着座する秀高に対し、亀山城落城を祝賀する言葉を述べた。
「ありがとう為景。これで北勢四十八家は悉く滅亡して、残るは南伊勢に残る北畠具教のみになる。」
「はっ。しかし、ここから先の状況は、我々にとっては芳しくないものばかりにございます。まずはこの絵図を…」
と、為景は独自に入手した敵の状況を説明するため、目の前に置かれていた机に広がる絵図を、指示棒を使って説明し始めた。
「まず、この先にあるのは北畠傘下の有力豪族、長野工藤家の諸城にて、当主・長野稙藤の居城はこの長野城。その有力な支城としては、雲林院城の雲林院祐基、安濃城の細野藤光、分部城の分部光高。その他、十二にも及ぶ支城群で構成されておりまする。」
「長野工藤だけでもかなりあるのじゃな…」
と、その説明を聞いていた三浦継意が、苦悶の表情を浮かべながらそう言うと、それを為景は脇で見ながら、秀高や諸将に対して説明を続けた。
「さらにその奥に北畠配下の諸城が広がっており、これらの総数を合わせると、これまで味方が攻め落としてきた北勢四十八家の諸城の総数よりも多くなります。」
「…殿、我らは東濃の信隆の横槍を防ぐためにも、この戦には長く時を費やせませぬ。ここは支配した諸城に城代を置き、一旦撤退するのも選択肢の一つかと…」
為景の説明が終わった後、参陣していた諸将の一人である前田利久が、秀高の顔色を窺いながら意見を発した。すると、その意見を聞いていた大高義秀がその意見に反論するように言葉を発した。
「何、ここで退くだと!?馬鹿言うな!ここで退いたら、北畠が直ぐに反撃に出てくるのは目に見えてんだぞ!?」
「…しかし大高殿、我らは遠征の身。遠く国元を開けてこの伊勢まで出張ってきているのです。その隙を信隆に襲われては、それこそ本末転倒でござるかと。」
と、その義秀の反論に対して客将の北条氏規が、務めて冷静に義秀に反論した。すると、その議論を聞いていた秀高が口を開き、諸将に向けてこう言った。
「…氏規や利久の言う通りだ。俺たちは信隆に隙を見せるのを承知で遠征して来ている。あまり長く時をかけられないのも事実だ。」
「でも秀高、ここで退いたらそれこそ北畠や、近江の六角の介入を招くかもしれないよ?」
と、秀高に対して小高信頼が口を挟んで意見すると、その意見を聞いた秀高は、徐に信頼の方を向いて言葉を発した。
「…心配するな信頼。この戦はもうすぐ片が付く。それにな、目の前の長野家とは戦は行わない。」
「戦を行わない?それはどういう事で?」
秀高の言葉に引っ掛かった継意が復唱しながら問い返すと、そこに滝川一益が伊助と共に本陣が置かれていた建屋の中に入ってきて、秀高の目の前に来ると会釈して挨拶した。
「おぉ、一益。首尾はどうだ?」
「はっ。首尾よく長野家中と接触が成功し、既に当主・稙藤父子のほか、重臣の多くはこちらへの恭順を示してきておりまする。この書状を…」
と、一益は秀高に対してそう言うと、馬廻の毛利長秀を介して秀高にある書状を手渡しした。それは、長野稙藤はじめ、長野家中の恭順を示した面々からの連署血判が記された恭順の意を示す書状であった。
「…なるほど、これを見るに、殆どの面々はこちらに付くことを承知した訳か。」
「はっ。しかし雲林院祐基は頑強に抵抗の意思を示し、雲林院城にて籠っているとの事にございまする。」
一益が秀高に対して説明している脇で、秀高は手渡された連署血判の書状を、継意はじめ、諸将たちに下げ渡してその内容を共有させた。
「なるほど、確かにこの連署血判には、雲林院祐基の名がござらんな。」
「はい…しかし祐基は稙藤の子ですから、父である稙藤が再度説得すれば、無駄な血は流れずに丸く収まるのではないですか?」
継意と信頼が祐基への対策を話し合っていると、それを聞いていた氏規が、秀高に対してこう意見した。
「畏れながら秀高殿、どうか雲林院城へは我ら北条勢を当てていただけませぬか?」
「何?北条勢を?」
その申し出を受けた秀高は驚いていたが、氏規はその秀高に対して言葉を続けて理由を述べた。
「はっ。雲林院祐基は僅かな兵で抵抗の意思を示そうとするはず。そこですぐにでも出立し、雲林院城を迅速に攻め落として祐基を生け捕りに致しまする。」
「なるほど、雲林院祐基を生け捕りさえすれば、後の処遇は稙藤と取り決めることが出来る。こちらが温情を示せば長野家の態度も柔らかくなるだろう。」
秀高は氏規の発言を容れて頷くと、即座に氏規に対して指示を下した。
「では氏規、お前の軍勢は直ぐに出立し、雲林院城を攻め落とせ。ただし祐基に傷はつけるな。生け捕りにして、この俺の元に送り届けてくれ。」
「しかと承りました。では早速にも。」
氏規は秀高の下知を受け入れると、秀高に対して一礼し、スッと床几から立ち上がってその場を出ていった。するとその氏規と入れ替わるように、家臣の山内高豊が入ってきて秀高にある事を報告した。
「申し上げます!北畠一門、北畠政成が率いる軍勢一万弱、大河内城を経由して安濃津方面に向かって来ています!」
「そうか…北畠は軍勢を繰り出してきたか。」
秀高は高豊の報告を聞いてそう言うと、その場にいた一益が秀高に対して進言した。
「殿、その政成というのは北畠家中でも強硬派の意見の持ち主で、恐らくそれに従う家臣たちを連れて出陣して来ていると思われまする。」
「なるほどな…高豊。早馬や斥候を放って敵の陣容を掴んできてくれ。」
「ははっ!」
秀高の下知を聞いた高豊は勇ましく返事を返し、秀高に対して一礼してその場を颯爽と去っていった。すると、一益が秀高に対してある事を進言した。
「殿、志摩国平定についてですが、うってつけの人材を見つけて参りました。」
「うってつけの人材?」
秀高が一益の進言に対してそう言うと、一益はその本陣の中に一人の人物を招き入れた。その風貌は海賊と呼ぶにふさわしく、荒々しい雰囲気をまとってその場に現れ、用意された床几に着座した。
「お初にお目にかかりまする。志摩国の九鬼嘉隆と申しまする。」
九鬼嘉隆…秀高の側にいる信頼はその名を知っていた。この人物、織田信長配下の水軍衆を率いた大将として知られ、木津川口の戦いにおいて鉄甲船を用いて村上水軍を撃破した名将であったのだ。
「嘉隆殿は、元は志摩にて北畠の水軍衆を務めておりましたが、内乱によって故郷を追われ、こうして流浪の生活を送っておりましたが、此度の侵攻に際して某から声を掛けて、こうしてこの軍勢に馳せ参じてきた仕儀にございまする。」
「そうだったのか…」
秀高が一益の説明を聞いてそう言うと、嘉隆は秀高の顔を見つめると、真面目な表情をして秀高に頼み込んだ。
「お願い致しまする。この伊勢志摩侵攻の時こそ、志摩帰還の絶好の好機にございまする。どうか某に、水軍衆を与えていただけぬでしょうか?」
この嘉隆の言葉を聞いた秀高は一たび思案すると、直ぐに首を縦に振って頷いて嘉隆に言葉をかけた。
「分かった。ならば尾張水軍、並びに北条傘下の水軍を連れて行ってくれ。軍監に塙直政を付けるから、見事志摩を奪還して来てくれ。上手く行ったら、お前に志摩一国を与えよう。」
「おぉ、そこまでの事をお約束頂けるとは…志摩侵攻、ぜひとも成功させて見せましょう!」
嘉隆は秀高の言葉を聞くと勇んで返事を返し、立ち上がるとその場を去っていった。こうして嘉隆は水軍衆を引き連れ、伊勢湾を南下して志摩へと向かって行ったのである。その後、従軍していた武家伝奏の勧修寺尹豊が、ある事を思い返して秀高に進言した。
「秀高殿、実は某、帝より北畠具教殿の実父・北畠晴具殿宛てに書状を預かってございます。これを秀高殿から届けていただけないでしょうか?」
「帝より…そうですか。伊助!直ちにこれを晴具殿に送ってやれ。」
秀高の言葉を聞いた伊助はスッと秀高の近くまで近づき、秀高から書状を受け取るとその場から消え去るように去っていった。
「その書状が、果たしてどのような展開を招くのでござろうな…?」
「継意殿、ご案じなさいますな。帝の書状を拝謁すれば、北畠具教の態度も柔らかくなりましょう。」
継意に対して尹豊が安堵させるべくそう言うと、その言葉を聞いていた秀高が諸将に対してこう指示した。
「よし、俺たちはここに兵糧部隊を置き、大部分の部隊は安濃津に向かって陣城の構築を頼む。おそらくこちらの方が安濃津に先着するはずだ。為景、利久、高俊。築城の指揮は任せるぞ。」
「ははっ。お任せあれ。」
秀高の指示を聞いた為景たちが秀高に対して頭を下げると、秀高は残った面々の方に顔を向けて速やかに指示を下した。
「残った旗本たちは長野稙藤の元に向かう。一益、道案内は任せたぞ。」
「ははっ。ただ今稙藤は陣頭指揮のため、安濃城に本陣を置いているとの事。そこまで案内いたしまする。」
一益の言葉を受けた秀高は、こくりと首を縦に振って頷いた。こうして秀高率いる軍勢はそれぞれの指示を受けて行動を始めた。この軍議以降、伊勢志摩侵攻は佳境を迎えようとしていた…。