1562年3月 北勢四十八家全滅
永禄五年(1562年)三月 伊勢国亀山城
永禄五年三月十七日。関一党の本拠地である亀山城を包囲する高秀高が軍勢六千余りは、亀山城の反対側にある小高い丘に本陣を構え、攻勢に出る時期を見計らっていた。
「…すでに各地の戦況は順調に様にございます。佐治為景殿の軍勢は神戸城陥落後、周辺の諸城を攻め落としつつ中ノ川北岸まで進み、そこで長野勢の動向を探るように命じてあります。」
と、秀高本陣の中にて各戦線の戦況を報告していたのは、筆頭家老の三浦継意である。継意は指示棒を片手に、床几に腰かけて戦況報告に耳を傾けている秀高へ更に話を進めた。
「また、先日に佐治勢から分かれた前田利久殿の軍勢二千が、国府城以下関氏配下の諸城を攻略し、前田利益殿が城将・国府盛種の首を上げたそうにございます。」
「へぇ…慶次もなかなかやるじゃねえか。」
その利益の戦功を聞いた大高義秀が利益の武勇を感じ言ってこう言うと、それを聞いていた小高信頼が、説明する継意に語り掛けるように話した。
「…残るは鹿伏兎城攻めに向かった斎藤勢の戦果待ちですね。」
「その通りじゃ。伊助の報告によれば、長野工藤の軍勢は挙兵の気配は一切なく、各地の諸城で籠城の支度を整えておると聞く。北勢四十八家を攻め落とした勢いのまま、長野工藤を相手にするは少し厳しかろうな。」
「心配するな。継意。長野工藤に関しては既に手は打ってある。」
と、その軍議を聞いていた秀高が口を開き、懸念を示した継意に対して声を掛けた。
「その結果をより良い方向に引き出すためにも、今回の北勢四十八家の末路を誇張して流布し、南伊勢の北畠の戦意を削ぐ必要がある。それにもう少しで一益が成果を上げてくるはずだ。それらがすべて合わされば、北畠はいとも簡単に降参してくるだろうさ。」
「…さすがは秀高殿。いつもながら見事なものにございますなぁ。」
と、この秀高の軍勢に従軍していた勧修寺尹豊が感心して頷くと、秀高はふと、ある事が気になって尹豊に尋ねた。
「…ところで尹豊殿、北畠の処遇について帝は何か仰せになられていましたか?」
「はい、帝としては村上源氏の名門たる北畠、並びにその庶家の木造家初め、北畠一門に関しては出来る限り助命を頼みたいと申されております。」
「…千種とはずいぶんな対応の違いだな。」
と、義秀が気になってポツリと一言漏らすと、それを聞いていた尹豊がほほほと笑い出して義秀にこう言った。
「北畠家は南朝の廷臣にはございましたが、やがて今の朝廷を認めて幕府に恭順し、一志郡以南の伊勢の守護を拝命されました。片や千種家は幕府に恭順する前に勢力を弱くし、千種忠治も誠に千種家の直系かどうかは怪しいものがありまする。何事も家名が重んじられる今では、家名の血筋が確かな方が尊重されるのです。」
「…それは、俺たちにとっては耳が痛い話ですね。」
と、秀高は尹豊の話を聞いて、自身が行った官位任官の際の系図詐称を比喩するように、尹豊に話した。すると尹豊は秀高の方を振り向くと、秀高に対してこう言った。
「何を仰せになられまする。秀高殿は朝廷に工作を行い、帝の勅許で名乗りが許された正式な存在。千種家との違いは、帝に対して働きかけたかどうかです。あやふやな状態になった千種とは、比べるまでのありますまい。」
「そうですか…」
と、秀高が尹豊の話を聞いて納得していると、そこに早馬を連れて家臣の三浦継高が現れて秀高に報告した。
「殿!ただ今早馬が到着し、斎藤勢、鹿伏兎城を攻め落としたとの事!」
「おぉ、それは真か継高!」
継高の報告を聞いた父・継意は喜んで継高に言葉を返すと、継高はそれに頷いて更に言葉を続けた。
「はっ!なお斎藤勢は命令があるまで鹿伏兎周辺に陣取り、六角の動きを見張るとの事にございます!」
「分かった。ご苦労だった継高。早馬に水を飲ませてやれ。」
と、継高に早馬に施すよう命じると、継高は秀高の命令を聞いて会釈をし、早馬を連れてその場を去っていった。するとその報告を聞いた義秀が、秀高に対してこう言った。
「秀高、鹿伏兎城が落ちたんなら、いよいよ亀山城攻略に乗り出す時じゃないか?」
「その通りだ義秀。そこでこれより陣立てを解説する。」
そう言うと秀高はその本陣の中にいた諸将に、これから攻め掛かる亀山城攻めの段取りを伝え始めた。
「亀山城の攻め口はこの通り三つある。まず北条勢は北口に陣取り、前野勢は西口。そして旗本勢は南口から攻める。旗本勢の指揮は義秀!お前に任せるぞ。」
「おう!城将関盛信の首、見事取って見せるぜ!」
と、義秀は意気込んでこう答え、その意気に触れた秀高は直ぐに頷いた。こうして秀高勢はそれぞれの攻め口に部隊を配置し終えると、秀高本陣からの法螺貝を合図に亀山城へと攻め掛かった。
「どけ!鬼大高のお通りだぁっ!」
その城攻めの中、本丸へ雪崩れ込んだ秀高勢の先陣を切っていた義秀は槍を振い、立ちはだかる関勢の足軽たちを切り伏せていった。そしていの一番に本丸館に踏み込むと、そこには一人の武将と夫人が立ちはだかっていた。義秀はその二人組を見ると、武将の報に槍の切っ先を向けてこう叫んだ。
「てめぇがこの城の関盛信だな?」
「おうよ!我こそが亀山城主、関中務大輔盛信である!貴様、その身なりからして大高義秀だな!?」
と、自身の名を当てられた義秀はへっとほくそ笑むと、槍を構えなおして盛信に言った。
「へっ!俺の名を知っているんなら話が早え。その首、この俺が貰ったぜ!!」
と、義秀は槍を繰り出して盛信と対峙した。すると盛信も槍を取り、互いに間合いを見合うように対峙した。両者が見合って暫く立った時、盛信が先に一歩踏み出して槍を突き出してきた。すると義秀は一歩下がってその攻撃を避けると、槍の穂先で相手の槍をはじき、その一瞬の隙に槍を胴体に突き刺した。
「ぐっ、む、無念…」
盛信はその攻撃を受けてもなお、最期の力を振り絞って立ち向かおうとした。しかし、その最期のあがきともいうべき攻撃は義秀に跳ね返され、義秀は突き刺した盛信を地面に押し倒し、そのままとどめを刺すように深く突き刺した。
「盛信さま…今お側に…」
と、その盛信の最期を見た夫人が、短刀を抜いて盛信の後を追った。それを見た義秀はやるせなく思い、短刀を突き刺してその場に倒れ込んだ夫人の瞼を閉じると、盛信の首を取ってその場を去っていった。
「そうか…皆自害して果てたか…」
亀山城陥落後、清掃された亀山城の本丸に入った秀高は、その場で関一門の末路を義秀から聞いた。
「あぁ。盛信もその正妻も、皆立派な最期を遂げたぜ。」
「そうか…」
秀高は義秀からその報告を受けると、本丸館の広間におかれた床几から立ち上がると、広間の天井を見上げながらこう言った。
「これで北勢四十八家は全て滅亡し、その一門はみんな根絶やしになった。北畠に威圧させるのが目的とはいえ、余りにも多くの血が流れてしまった…。」
「殿、ご案じなさいますな。」
と、その言葉を聞いた継意が、秀高が口にした懸念に対して反論するように、意見を述べた。
「平家物語に曰く、「盛者必衰の理を表す」とありますように、人間の盛衰は必ず来る物にござる。その家にとっては悲惨な事にござろうが、これも全ては時代の流れと割り切る他ありますまい。」
「そうか…盛者必衰、か。」
秀高は継意からその言葉を聞かされると、反復するように口に出し、その言葉の重さを感じ取っていた。それ以降、秀高の心の中には、この「盛者必衰」という言葉が呪文のように取り憑くようになったのである。
兎にも角にも、この亀山城陥落によって秀高は北伊勢の確保に成功し、この戦果をもって南伊勢の北畠具教攻略に乗り出すことになるのである…