1556年8月 稲生原の戦い<三>
弘治二年(1556年)八月 尾張国稲生原
秀高らが岩倉織田勢に加勢し、佐久間信盛勢を打ち破った頃、織田信勝軍の中央である前衛に布陣する林秀貞・通具兄弟の部隊では、各地の戦況が逐一報告されてきていた。
「兄上!話を聞いたか!?秀高らが、見事大手柄を挙げたそうじゃ!」
早馬から報告を聞いた通具が、秀貞に戦況の報告と同時に、秀高らの奮戦を伝えた。
「そうか…やはり、信勝様の目に狂いはなかったか…。」
「敵大将・佐久間信盛のほか、裏切り者の佐久間盛重、それに飯尾父子や玄番様まで討ち取ったとか…」
その戦死した武将たちの名前を聞いた秀貞は、通具に対して落胆するように言った。
「あの玄番様が、討死なされたか…殿はさぞ、悲しむであろうな…」
秀貞の言葉を聞いた通具は、それを聞いて表情を曇らせた。大叔父でもある織田玄番の討死は信長のみならず、信勝にも悔やまれることであると、分かっていたからである。
「…しかし、秀高らの働きで、岩倉勢は息を吹き返した。勝家も勝幡勢を食い止めておる。今こそ攻勢の好機ではないか?」
通具の具申を聞いた秀貞は、我に返るとその意見を聞き入れ、配下の兵士たちに号令を下そうとした。
「よし!今こそ好機!全軍、直ちに前進し——」
「も、申し上げます!敵軍本隊、一直線に我が方に突撃してまいります!」
秀貞の号が言い終わる前に、その場に飛び込んできた早馬は、目の前の織田軍の進撃を報告した。それを聞いた秀貞が前方を見てみると、庄内川を越えて信長軍本隊が、秀貞がいるこの前衛に向けて猛攻を仕掛けてきたのである。
「ぐっ、応戦だ!通具!応戦の指示を下せ!」
「心得た!者ども、敵勢を食い止める!我に続けぇ!!」
慌てた秀貞の言葉を受け止めて、通具は勢いよくそう言うと、得物の刀を片手に持ち、兵を引き連れて信長軍本隊を迎え撃つべく、防戦を始めたのである。
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「父上!お味方の中央に敵軍本隊が突撃!林勢は苦戦しております!」
一方、こちらは岩倉織田勢。大将である山内盛豊に、早馬から報告を受けた山内十郎が、その内容を伝えた。
「何…やはり中央突破を図ったか!やむを得ん、林勢の助勢に回るぞ!」
盛豊がそう言って馬首を返そうとした時、別の早馬が来て盛豊に報告する。
「申し上げます!川上から敵勢凡そ二百!こちらに向かってまいります!」
「何っ!おそらくこちらの足止めであろうか…ええい、敵を突破する!かかれ!」
敵勢接近の報告を受けた盛豊は、自らの兵に対し、迎え撃つように指示した。
「秀高、それにそなたら、またもや戦となるが、戦ってくれるか?」
「もちろんです。お任せください。」
馬上から盛豊に尋ねられた秀高は、まだまだ戦えることを示すように言葉を返した。それを受けた盛豊は槍を片手に敵へと突っ込み、交戦を始めたのである。
「はっ、まだやって来んのか…てめぇら!!」
義秀は敵である武士たちと相まみえると、開口一番にそう引き捨て、槍を振るってその目の前の武士たちを薙ぎ払った。
「あ…あれが佐久間勢を…鬼だ…鬼がいるぞ!」
それを見た足軽がこう叫んで恐れおののくと、義秀はその呼び名を気に入ったのか、槍の柄を地面に立てると、目の前の敵に見栄を切った。
「よく聞け!この俺は「鬼大高」だ!死にたくなかったら、道を開けやがれ!!」
そう言って叫ぶようにその名前を言うと、叫び声の高さと響き声に驚き、目の前の足軽たちが一人、二人と逃げるように去っていった。
「ふん、何が鬼か。たがたか年端もいかぬ童ではないか。」
すると、その逃げる足軽たちの中を割ってくるように、一人の武将が刀を片手に現れた。
「小童、我こそは織田信長が家臣、毛利新助である!貴様の首、貰ったぞ!」
そう名乗った敵将、新助は刀を振りかざし、義秀へと斬りかかった。義秀はそれを交わすと槍を振りかざして新助の脇を狙う。すると新助は軽い身のこなしでそれを避け、今度は新助が義秀の脇腹を狙う様に斬り払う。
「へっ、甘ぇんだよ!!」
義秀はそれを待っていたように言うと、槍を器用に使って新助の手から刀を叩き落とし、その勢いで新助の鎧を貫くように腹を槍で突いた。
「ぐあっ、お、おのれ…」
新助がその槍の先端を掴んで抵抗しようとすると、その義秀の脇から華が前に出て、手に持つ薙刀で新助の首を斬り落とした。
「大丈夫かしら?ヨシくん?」
華の言葉を受けた義秀は、首のない新助から槍を引き抜き、槍の切っ先に付いた血を、槍を振り払って取ると華に礼をするように言葉を発した。
「…ったく、本当にいいところを持っていくんだもんなぁ。華さんは。」
「ふふ、悔しかったら、もっと精進することね。」
二人がそう言っていると、そこに盛豊と共に秀高たちが来た。
「義秀、それに華さん、敵はどうなったんです?」
「あぁ、秀高か。攻めてきた敵ならもう総崩れだ。これで心置きなく援軍に行けるぜ。」
「…いや、そうとは限らないみたいだよ?」
義秀の言葉に、信頼は前方を見つめてこう言った。秀高がその言葉を聞いて、信頼が見ている先を見ると、そこには一騎の騎馬武者が、馬を進めてこちらに向かってきていた。
「…ありゃあ、ただ者じゃあねぇな。」
「…あぁ。」
秀高は義秀のその言葉を受けると、後ろを向いて盛豊にある事を伝えた。
「盛豊様、あの者は私たちにお任せを。岩倉勢は一刻も早く、中央へ!」
「…あぁ、わかった。秀高、くれぐれも無理はするなよ?」
盛豊は秀高にそう告げると、十郎や自身の手勢と共に反転し、急いで中央の林勢救援へと向かって行ったのである。
「ほう、そなたらが信盛殿らを倒した連中か。」
その騎馬武者は秀高ら四人の前に来ると、その顔や風貌を見てこう告げた。
「我が名は織田家家臣・森三左衛門可成である。そなたらを止めるため、いざお手合わせを願う…!」
可成はそう言うと馬を降り、得物の大身槍を携えて秀高らに近づいた。
「…森可成?あの信長の尾張統一を支えた猛将の?」
信頼の言葉を聞いた可成は何かを思い出し、秀高らに言い放った。
「…まさかそなたら、信隆様が勝幡城で呼び出した、あの未来人どもか?」
その言葉を聞いた秀高たちは、より一層可成に対して身構えた。すると、可成はいきなり声高らかに笑い、秀高らを見てこう言い放った。
「そうか、なるほどな。道理でそんなに強く、我が将たちを討てるわけだ…。」
「…信隆の所に連れ帰るのか?」
秀高は可成に対し、心の奥底から出た予想を聞いた。
「まさか?これはそなたらが選んだ道。いまさら外様がとやかく言う義理はない。今は、そなたらと刃を交えるまでよ。」
可成はそう言うと得物の大身槍・「人間無骨」を振るって秀高らに襲い掛かった。それを見た秀高は弓を地面に捨てて刀を抜き、大身槍の切っ先を刀で払った。
「秀高!下がってろ!」
義秀が秀高にこう叫び、秀高の前に躍り出て可成と槍を合わせた。しかし、義秀は今までの相手とは違う力量を可成から感じると、可成と槍を合わせて互いに睨みあった。
「ふむ…なるほど力と迫力は十分…だが技量が足らんな!!」
「ふざけんなこのジジイが!」
可成の冷静な言葉を受けた義秀は逆上して一歩下がり、再び槍を構えて戦う姿勢を見せる。可成はすぐに前に出て義秀へ向かう。するとその間を割って入り、今度は華が、薙刀で可成の大身槍を防いだのである。
「ほう、女子にしては、なかなかやるではないか?」
「…ふふ、女だからこそ、強いのですよ?」
それを聞いた可成が今度は一歩下がって態勢を整えた。するとそこに秀高が現れてこう言った。
「華さん!義秀、ここは三人で戦いましょう!」
すると、それを聞いた可成は、その三人を見てこう言った。
「ふっ、そなたら、まるで呂布と相対した劉備三兄弟みたいではないか。」
その言葉を聞いた秀高は、可成にこう反論した。
「いいえ、俺たちは…三人ではありません!」
秀高はそう言うと最初に可成に斬りかかる。可成がそれを払うと今度は義秀が襲ってきた。そして義秀の攻撃の後に華が斬りかかって、それぞれ一合ずつ刃を合わせた後、可成の右脚の太ももを銃弾が撃ち抜いた。
「ぐぅっ!!」
可成は悲鳴を漏らすとその場に膝を付き、大身槍を支えにして片膝を付いてしゃがんでいた。そう、この可成の右太ももを打ち抜いたのは、三人が戦っている間に、火縄銃へ弾込めを終えていた信頼であった。
「は、はっはっは!実に見事!その連携、正に以心伝心であるな…」
可成は笑ってそう言うと、可成の目の前に秀高らが立ち、秀高は刀の切っ先を可成の顔面に向けた。
「可成殿…お覚悟を。」
すると、可成ははるか遠くを見た後、秀高らにこう言った。
「ふっ、若き獅子達よ、良いことを教えてやる。武芸ではわしに勝ったが、どうやら大局を見据える眼はないようだな。」
「…何?」
秀高が可成の言葉に引っかかると、そこに信勝の本陣からの早馬が到着し、驚きの報告を告げた。
「も、申し上げます!中央のお味方、突破されました!」
「何だって!?勝家殿は何をしていたんだ!?」
その報告に驚いた信頼が、早馬に対してこう言い放った。
「既に勝家さまの部隊は、勝幡勢に押され劣勢…岩倉織田勢も敵勢に当たりましたが、勢いの強さに敗走…信勝様は全軍に撤退をご下知なさいました!」
早馬はそう言うと、悔しさに満ちた表情を浮かべながら、一礼してその場を去っていった。すると、それを聞いていた可成は、秀高らにこう言った。
「聞いたであろう。我が主、信長様には天運がついておる!これに歯向かって、生きながらえると思っておるか!?」
「…天運だと?」
可成が言った一言に引っ掛かった秀高は、可成の方を振り返ってこう言い放った。
「ふざけるな。天運なんか、あるはずがない!単に敵の…信長の実力が、勝っていただけだ!」
秀高は可成にそう言うと、地面に落ちていた弓を拾ってその場を後にしようとした。
「実力であろうが何であろうが、この戦、既に我が主の勝ちだ。…信勝殿の命運は、既に尽きたのだ。」
「…そうだな。」
秀高は可成にそう言われると小さくつぶやくように言葉を返し、そのままその場を去っていった。それを見た信頼は秀高の後を付いて行き、義秀は可成を一瞬睨みつけると、ふん、と鼻息を荒げてそれに続いた。そして華も、可成を一目見た後に、立ち去っていく秀高たちの後をついていったのである。
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「三左…大事ないか?」
やがて合戦が終わって大勢が決した後、手傷を負った可成は信長と合流し、信長は可成のその怪我を見舞った。
「いえ。しかし…新助を討ち取られてしまいました。」
「…案ずるな。そなたが無事でなによりだ。」
可成が配下の戦死を悔やむと、信長はそれを気に病むことないように告げた。すると可成は信長にこう伝えた。
「そう言えば…新助や佐久間勢を討ち取ったもの、名を高秀高と大高義秀と申すとか。」
「高秀高…気になるな。」
信長はそう言って、秀高の名を記憶に刻むように覚えた。
「もしかすれば…例の未来人…だとすれば…」
信長は、未だ行方を掴めていなかった未来人を秀高の事であると仮定し始め、その存在を改めて追うことを決めたのである。