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1562年3月 北伊勢侵攻



永禄五年(1562年)三月 伊勢(いせ)国内




 高秀高(こうのひでたか)が伊勢国内へ侵攻してから五日余りが経過した同月十一日、この間、北伊勢に点在する北勢四十八家ほくせいしじゅうはっけの拠点を次々と攻め落としていた秀高本隊は、この日には員弁郡いなべぐん麻生田(おうだ)まで進出し、伊勢街道(いせかいどう)を南下しながら小城を攻め落としてくる安藤守就(あんどうもりなり)率いる斎藤(さいとう)軍と合流すべく布陣していた。


「…それにしても、客将の北条(ほうじょう)勢の働きには目を見張るものがあるな。」


 麻生田の秀高本陣。帳の中に置かれた床几(しょうぎ)に座る秀高が、斎藤勢の着陣を待ち侘びながら本陣の中にいた小高信頼(しょうこうのぶより)に、客将である北条氏規(ほうじょううじのり)率いる北条勢の戦いぶりについて話し始めた。


「うん。僕たちが木曽川(きそがわ)を渡河してから五日余り、その間、北条勢が攻め落としたのは、矢田城(やだじょう)を始めとした桑名郡(くわなぐん)・員弁郡中部の城と周囲の小城を合わせて、九つほどを落としてくれたよ。」


「我ら三浦(みうら)勢が五つ、殿の旗本もせいぜい六つほど城を落としておりますが、九つというのは上出来というほどの戦果ですな。」


 と、自身も小城の攻略を行っていた三浦継意(みうらつぐおき)が、自身の軍勢が攻め落とした城の数と比較しながら、北条勢の戦果に感じ入ると、秀高に代わって旗本勢を率いていた大高義秀(だいこうよしひで)が継意の意見に頷きながら言葉を発した。


「そうだな…北条のやつらは秀高の元で庇護されている以上、ここで自分たちの力を秀高に知らしめるいい機会だと思ってるんだろうな。」


「その通りだ。さすがは氏規殿と言ったところだな。」


「殿、申し上げます。」


 と、その陣幕の中に神余高政(かなまりたかまさ)が入ってくると、秀高らの魔で膝を付き、秀高にある事を報告した。


「ただ今、羽津口(はづくち)佐治為景(さじためかげ)殿より早馬が到着し、羽津城、並びに赤堀城(あかぼりじょう)。見事攻め落としたとの事にございます。」


「おぉ、見事攻め落としたか!」


 と、秀高に代わって継意が、報告に喜んで声を上げると、高政はその継意の言葉に頷いた後、秀高に報告の続きを述べた。


「はっ。ちなみに、羽津城将・羽津宗武(はづむねたけ)、赤堀城将・赤堀忠綱(あかぼりただつな)の首を取ったのは、為景殿のご子息、佐治為興(さじためおき)殿との事にございます。」


「そうか!さすがは為興だ。正にその武名に偽りなしだな。」


 秀高が為興の戦果を聞いて感心し、武勇を褒め称えるように言うと、その事を聞いていた継意が秀高にある事を言った。


「…それにしても、事前の軍議では、北勢四十八家の諸城はそれなりの兵を抱えているはずにございましたが、こうも簡単に攻略が進むのは、一体如何なることにございましょうな…?」


「ふふっ、それにはな、ある仕掛けがあるんだ。」


 と、継意の疑問を聞き、秀高がほくそえんで微笑むと、その一言を聞いた継意が秀高に尋ね返した。


「ある仕掛け、とは?」


「実は藤孝(ふじたか)殿から将軍の御教書(みぎょうしょ)を受け取った後、伊助(いすけ)たちとは別に、一政(かずまさ)に命じて北勢四十八家支配下の民衆たちにある流言を流布したんだ。(いわ)く、「各領主が受け取った御教書は偽物。秀高は恭順の姿勢を示せば、命はおろか家財全てを安堵する」と。」


 秀高は、ほくそ笑みながら流言の大まかな内容を継意に伝えた。




 秀高は伊勢志摩侵攻を決意した後、中村一政(なかむらかずまさ)に命じて北勢四十八家の支配下に流言を流布した。既に北勢四十八家の面々は先般受け取った六角(ろっかく)家名義の偽物を本物と信じ込んでおり、一政は流布する対象を民衆に絞った。


これによって支配下の民衆は領主である北勢四十八家の面々を見限り、軍役の役目を放棄して農村に籠り、あろうことか進軍してきた秀高の軍勢に、続々と恭順してきたのである。




「なるほどな…通りで俺たちが進軍している途中で、村の名主たちが続々と、帳簿と兵糧を差し出してきた訳だ。」


 義秀が秀高の言葉を聞いた上で、合点がいったように出来事を思い出しながら言った。


「その通り。そのお陰で城に籠る兵数は殆どが半減。中でも、ある小城に至っては百にも満たない数しか集まらない場所もあった。それを攻め落とせば、ものの五日で多くの城を攻め落とせるという訳さ。」


「…さすがは殿、恐れ入り申した。」


 継意が秀高の考えを聞いて感心すると、感じ入って秀高を称えるように言葉をかけた。すると秀高はその言葉を微笑んで聞くと、目の前の方を向きながら言葉を発した。


「まぁ、これも無駄な血を流さないための考えだ。明日には長康(ながやす)の軍勢も合流する。これで南で居座っている北畠具教(きたばたけとものり)の鼻を明かすことが出来るだろうさ。」


「殿!ただ今斎藤勢が到着なさいました!」


 と、その本陣の中に、毛利長秀(もうりながひで)が駆け込んできて斎藤勢の着陣を報告すると、秀高はスッと立ち上がると、帳の中に入ってきた守就らを出迎え、守就の手を取ると握手を交わした。


「これは守就殿、わざわざご足労をおかけいただき、誠にありがとうございます。」


「何の、我らは義龍(よしたつ)様の意向を受けて参陣したまでの事。そのようなお言葉をおかけいただき、恐縮に存じまする。」


 秀高は守就の言葉を受け取ると、守就ら斎藤勢の諸将を床几に座らせ、自身も床几に座りなおした。すると、守就が秀高に向けて報告した。


「秀高殿、ここに来る途上、白瀬城(しらせじょう)野尻城(のじりじょう)を攻め落とし、城兵以下(ことごと)くを討ち取って参りましたぞ。」


「そうですか。さすがは斎藤勢ですね。」


 と、秀高が守就に対して答えると、その隣に座っていた竹中半兵衛(たけなかはんべえ)が、秀高に対して意見を述べた。


「それにしても、長島城(ながしまじょう)奪取の一件といい、此度の北勢四十八家攻略の際の手際、誠に見事なものにございまする。」


「それは…かの竹中半兵衛殿にそう言われるとは、ありがたい事です。」


 秀高よりその言葉を受け入れた半兵衛は、秀高に対して頭を下げて一礼し、その後に頭を上げて秀高に尋ねた。


「それで秀高殿、今後の予定は如何なる御所存でございますか?」


「あぁ、それについてですが…」


 と、秀高はそう言うと控えていた長秀や高政に目配せをし、諸将の間に盾を用いた机を(こしら)えさせて、その上に絵図を広げると、指示棒(さしぼう)を手に取って今後の作戦を説明した。


「俺たちはこの周辺の諸城を攻め落とした後は、このまま南下して千種城(ちぐさじょう)に向かいます。そして千種城を攻略した後は、このままさらに南下して(せき)一党の所領に攻め込みます。その際、斎藤勢には鈴鹿山脈(すずかさんみゃく)に沿って南下していただき、鹿伏兎城(かぶとじょう)などの諸城を攻略してもらいたいのです。」


「…なるほど、では秀高殿の本隊が亀山城(かめやまじょう)を取り囲むという事ですな?」


 と、守就が方策を聞いた上で秀高に尋ね直すと、秀高は即答するように頷いて答えた。


「その通りです。しかしこれから攻め込む千種城(ちぐさじょう)は北勢四十八家の中では中規模の築城が為されている城で、兵数も五百程度が立て籠もっていると言います。この城の攻略であまり時間は費やしたくなく、何か良い策はないかと思っているのです…」


「秀高殿、それならばこの私に良き策がございます。」


 と、その秀高の懸念を感じ取った半兵衛が、秀高に対してこう声を掛けた。そしてその場で半兵衛の方策を聞いた秀高ら一同は、皆一様に得心して納得した。この考えを胸に秘め、秀高の軍勢は翌日の朝、千種城攻略へと向かって行ったのである。





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