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1562年3月 願証寺の真意



永禄五年(1562年)三月 伊勢国(いせのくに)願証寺(がんしょうじ)




 永禄(えいろく)五年三月初旬。春の陽気が漂い始めた頃、尾張(おわり)と伊勢の国境を流れる木曽川(きそがわ)の中に浮かぶ輪中(わじゅう)と呼ばれる島の集落の一つ、長島輪中(ながしまわじゅう)の中にある願証寺に高秀高(こうのひでたか)の姿があった。


「…それにしても藤孝(ふじたか)殿、わざわざ付き添って頂いてありがとうございます。」


 願証寺の本堂の中で、秀高は先月に秀高へ将軍・足利義輝(あしかがよしてる)からの御教書(みぎょうしょ)を伝えた細川藤孝(ほそかわふじたか)に、同行して来てくれた感謝の念を述べた。


「なんの、(みやこ)へ急ぎ帰る用事もござりませんので、こうして秀高殿のお側に付いて来たのでござる。それに…」


 と、藤孝は秀高に意見を述べながら、本堂の中にある本尊の方を向きながら呟くように言った。


本願寺(ほんがんじ)派の寺社への交渉ならば、(それがし)がいた方が早いですからな。」


「…そうですね。」


 秀高が藤孝の言葉に対して返事をすると、やがてその場に願証寺の座主(ざす)である証恵(しょうえ)が現れたが、証恵はどこか弱り切っており、その脇を一人の僧侶が抱えていたのである。


「…願証寺が座主、証恵にございます…。」


「お初にお目にかかります証恵様。尾張那古野(なごや)城主、高秀高と申します。」


 すると、証恵は俯いていた姿勢を直し、秀高の顔を一目見ると、おぉ、と声を漏らして言葉を発した。


「そなたがあの高民部少輔(こうみんぶのしょう)殿でございますか…お目にかかれて…何よりにございます。」


「…証恵殿、何やらお加減が悪いようですが、どうかしましたか?」


 と、秀高に同行して来ていた小高信頼(しょうこうのぶより)が証恵の体調を(おもんばか)る様に声を掛けた。


「申し訳ございませぬ…昨年来より体調を崩しており…座主の役目は子の証意(しょうい)に任せておるのでございます…」


 証恵はそう言うと、隣にいた息子の証意を見ながらこう言った。すると証意は秀高らの方を向くとぶっきらぼうにこう言った。


「秀高殿、わざわざこの寺に参られるとは、一体如何なる用件にございますか?」


「…てめぇ、何だその言い方は!馬鹿にしてるにも程があんだろ!」


義秀(よしひで)、落ち着け!」


 と、そのぶっきらぼうな言い方に怒った大高義秀(だいこうよしひで)は証意に対して怒鳴ったが、直ぐに秀高に制止された。その言葉を聞いて証意は身構えたが、秀高は臆することなく手短に言葉を返した。


「…では、この願証寺に、将軍家からの御教書(みぎょうしょ)は届いたでしょうか?」


「それが何でござるか?」


 証意は秀高の顔を見つめながら言葉を素早く返すと、秀高は隣に座る藤孝を見つめながらこう言った。


「畏れながら、そちらに届いた御教書は何者かが偽造した偽物でして、こちらに控える細川藤孝殿が持つ御教書こそ本物の御教書です。」


 秀高の言葉を聞いた藤孝は、懐にしまっていた御教書を取り出し、それを証恵父子に見せつけた。すると、言葉を発しようとしていた証恵を塞ぐように証意が口を挟んだ。


「畏れながら、この寺域は守護不介入の地にて、そのような問いにはお答えできませぬ。」


「…お答えできませんか?」


 秀高が眉をピクリと動かしながら反応しつつも、冷静に証意に言葉を返した。すると証意は秀高に向かって毅然と言い放った。


「たとえどこの物からどのような書状が来ようとも、それをおいそれとお教えするわけには参りませぬ。」


「…では、たとえ偽物であっても、情報をお教えしないという事ですね?」


「如何にも。」


 証意が毅然と返事をすると、秀高は一つため息をすると、外の方を振り向いて声を掛けた。


一政(かずまさ)。」


「はっ。」


 と、その秀高の呼び掛けに応じて、忍び頭の中村一政(なかむらかずまさ)が襖を挟んだ外側の縁側に現れた。秀高は一政からの言葉を確認すると、一政に手短にこう指示した。


継意(つぐおき)たちに攻め掛かれと伝えてくれ。」


「しかと、承りました。」


 下知を受けた一政はその場から姿を消すように去っていった。すると、その言葉を聞いていた証意が立ち上がって秀高に詰め寄った。


「秀高殿!先ほどのお指図は何でございますか!?」


「…何とは?」


 秀高は立ち上がった証意を冷めた視線で見つめながら聞き返す。すると証意は秀高を指さしながら言葉を発して詰め寄った。


「先ほどのお指図、どこをお攻めになられるおつもりか!まさか、この寺を攻めると申されるのか!!」


 すると、その証意の言葉を聞いた秀高は高らかに笑い始めた。


「はっはっはっはっ…馬鹿馬鹿しい。どうして味方の軍勢に、自分のいる場所を攻めさせる大将がいるというのですか?」


「ほざけ!こうなっては貴様ら、逃がしはせぬぞ!!」


 証意はこう言うと寺内に控える僧兵たちを呼び寄せ、証恵を下がらせた上で秀高らを取り囲ませると、自身も薙刀を受け取って切っ先を秀高に向けた。


「秀高!すぐさま己の軍勢に、この寺に攻め掛かるのを辞めさせよ!仏罰が当たってもよいのか!」


「…こうも話が通じないなんてな。」


 秀高はそう言うと立ち上がり、証意に対してこう言った。


「良いか、よく聞け。この願証寺とはそこにいる証恵殿と不戦協定を結び、互いに戦わないことを決めていた。今回の来訪も、単に願証寺の旗色を窺うために来たんだ。そこまで隠し通すという事は、この寺に偽物の御教書が来たという事だな?」


「ひ、秀高殿…」


 と、その取り囲んでいる僧兵たちの方向から、証恵の声が聞こえてきた。


「御教書は…この寺に確かに届き申した。されど…書状に押されていた版が怪しかった故に、焼き捨てようとしたのでございます…」


「父上は黙っていなされ!!」


 と、証恵の言葉をかき消すように証意が振りかえり、怒りを込めてそう言うと、秀高はその言葉を聞いた上で証意にこう言った。


「…という事は証意、お前の独断で事を押し進めたという訳だな?」


「…だったら何だというのだ!貴様との不戦協定など、こちらに百害あって一利なしよ!」


 証意が薙刀を構えなおして秀高に近寄ると、秀高はそれに動じずに言葉を続けた。


「…本当だったら旗色を窺うだけだったが、お前の本心を知れてよかったよ。証意。それに言ったはずだ。俺たちの軍勢が狙ったのはこの寺じゃないってな。」


「座主…座主!」


 と、そこに寺に務める一人の僧侶が本堂の中に駆け込んできて証恵と証意に報告した。


長島城(ながしまじょう)が…長島城が攻撃を受けています!」


「何…長島城が?」


 証恵がその報告を聞いていると、証意は報告に来た僧侶を跳ね除け、襖を開けて長島城の方角を見た。その方角には黒煙が立ち上り、刀が交わる音や喚声が聞こえて来ていたのである。


「…長島城主の伊藤(いとう)氏は、偽の御教書を信じ、こちらへの侵攻を画策した。義輝公の御教書により、北勢四十八家ほくせいしじゅうはっけ根絶やしの命を受けてこうして攻めている訳だ。」


「…貴様、伊藤殿は我らの大事な檀家だぞ!それを攻め落とすのがどういうことか分かっているのか!!」


 と、証意が本堂の中に入ってきて秀高に長島城攻撃を詰め寄ると、秀高は藤孝から書状を受け取ってこう言い返した。


「それもこれも全てお前の短慮が招いた事だ。俺は藤孝殿と話し合い、願証寺が偽の御教書を受け取ったことを直ぐに認めれば、偽の御教書を受け取った伊藤氏の本領だけは安堵して、こちらの家臣に迎えて願証寺と共存しようと考えていた。」


 秀高はそう言うと、薙刀の切っ先を恐れずに証意に近づき、睨むように見つめてこう言った。


「だがお前はそうしなかった。お前は父親を跳ね除け、本願寺の威光と一向一揆の存在を当てにし、俺たちの言葉を聞こうともせずに独断で取り決めた。守護不介入なんか関係ない。この仕打ちは全てお前が招いた事だ。他人を当てにしたお前のな。」


 秀高が証意に対してこう言うと、その言葉を聞いていた藤孝が証意に対して一言こう言った。


「…証意殿、先程のやり取りの全て、上様を通じて本願寺の座主・顕如(けんにょ)殿に報告させていただく。あとで沙汰があるまで待っておくが良い。」


 その秀高と藤孝の言葉を聞いた証意は言い淀み、歯ぎしりして秀高一行を睨みつけていた。すると、その様子を見ていた証恵が取り囲んでいた僧兵たちにこう言った。


「そなたら…構えを解け!秀高殿を帰してやれ…。」


「父上!」


 証恵の言葉を聞いた証意はなおも食い下がろうとしたが、病の身とはいえ実質的な座主である証恵の指示を聞いた僧兵たちは薙刀の切っ先を上げ、秀高らの帰り道を開けるように避けた。秀高は義秀と信頼、それに藤孝らを連れて本堂の中から出て、階段を降りて外に出ると振り返って証意に言い放った。


「証意、今日のこの仕打ち、俺は覚えておくからな。お前が敵になった時は容赦しない。」


「…くっ!」


 証意は地団駄を踏んで悔しがり、それを秀高は去ってゆく背中で感じ取っていた。


「…やはり、一向一揆とは共存できないんだね…」


 願証寺の門を潜った後、門前につなぎ留めてあった馬に跨った信頼が、本堂の方を見つめながら悲しそうにつぶやいた。すると、秀高は自身の馬に跨ると、本堂の方を見つめてこう言った。


「…やっぱり、あいつのやろうとしていたことは正解だったんだな。」


「秀高…。」


 秀高が本堂を睨むようにそう言うと、その言葉を聞いていた藤孝が秀高にこう言った。


「秀高殿、本願寺派は浄土真宗の一宗派とはいえ、その信仰力と僧兵はかなりの脅威にて、昔には僧兵が加わるだけで戦が逆転し、加賀(かが)一国を支配した事実もござりまする。」


 藤孝は秀高にそう言うと、秀高と同じように願証寺の本堂を振り返って言葉を続けた。


「しかし、上様の幕府再興の為にはいずれ、彼ら本願寺派と決着をつけなければならない時が来まする。今日の事は、それがはっきりと分かったのです。悲しむ事はございますまい。」


「…そうですね。」


 秀高は藤孝にそう言うと馬の手綱を引き、馬を進ませて藤孝らとその場から去っていった。この日、秀高の下知を受けた三浦継意(みうらつぐおき)前田利久(まえだとしひさ)ら計六千の軍勢は、当日中に伊藤氏が領有していた長島城、それに木曽川を挟んだ対岸にある桑名城(くわなじょう)松ヶ島城(まつがしまじょう)を落城させ、伊勢侵攻への橋頭保を確保したのである…。





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