1561年11月 水路完成
永禄四年(1561年)十一月 尾張国小牧山城
永禄四年十一月上旬。高秀高の姿は那古野城を離れ、森可成の居城である小牧山城にあった。というのもこの日、秀高が肝いりで推し進めていた水路開拓が完成したとの報告を受け、その水路が脇を通っている小牧山城にて、周辺に住まう農民らを招いての落成式を執り行っていたのだ。
「…信頼、遅くなったが元気な男の子が産まれたそうだな。おめでとう。」
小牧山城本丸にそびえたつ二層の木造天守閣。その二階の高欄から地平線の彼方へと伸びている水路の風景を見つめながら秀高は近くにいる小高信頼にそう言った。
「ありがとう。これで僕にもようやく後継ぎが出来たよ。」
信頼は秀高からの声掛けに少し照れながら答えた。実はこの時、信頼と妻の舞との間に一人の男の子が産まれていた。その幼名は信頼の名づけによって、名を茶々丸と名付けられていた。
「これで皆、等しく子持ちになったな。」
と、秀高はその高欄から部屋の中に信頼と共にいた、大高義秀の姿を見ながらそう言うと、義秀はニカッと笑って秀高に言った。
「そうだな。まぁ、子供の数では俺の方が二番目に多いがな。」
「それもそうか。しかしびっくりしたよ。まさか華さんが三つ子を産むなんてな…。」
そう、この信頼夫妻の出産の二ヶ月前に、義秀と妻の華との間にもめでたく新しい命が産まれていたのだが、その子供というのが当時かなり珍しかった三つ子の女の子たちであった。出産の報告を聞いた秀高はかなり驚き、出産直後に義秀の家に向かって祝ったほどであった。
「まぁな。今は三人とも穏やかにしてて、名前もそれぞれ決めるのが大変だったぜ。」
「そうだろうな…」
と、秀高が義秀の言葉を聞いてそう言うと、それを聞いていた信頼がある事を思い出して秀高に一言感謝するように言った。
「でも秀高、今度の通告の一件、本当に感謝しているよ。」
「あぁ、忌み子のことか。」
と、秀高は信頼に言われて思い出して言葉を返した。
実は、春姫の一件以降、秀高は家中に忌み子が生じた場合は決して蔑むことなく、一人の人間として扱う様にという世にも珍しい通告を出していた。
もちろん、この通告を受けて家臣たちは動揺したが、家老の三浦継意や森可成ら、通告を好意的に受け止めている者達によって説得が為され、今では家中において忌み子という風習は禁止され、今後、双子の男の子が産まれた時に限り、秀高ら主家に通達するように改められたのだった。
「うん、あのお陰で双子の片割れが不幸な目にあう事は、少なくともこの家中では起きにくくなったと思うよ。」
「まぁな。これで少しはそう言う悲劇が無くなると良いんだけどな…」
と、秀高が信頼の言葉を聞いた上でこう言うと、その二階へと通じる階段を昇り、家老の山口盛政がやってきて秀高に報告した。
「殿、農民共も集まり、殿のお越しを待ち侘びております。」
「分かった。直ぐに向かうと伝えてくれ。」
盛政の呼び掛けに応じて振り返った秀高は、盛政にそう答えた。秀高からの答えを聞いた盛政は直ぐに頷くと、秀高らより先に階段を降りてその場を去っていった。
「さて、じゃあ行くとするか。」
「うん。」
秀高は高欄から部屋の中に入って信頼にそう言うと、信頼は手短に返事し、義秀も頷いて答えた。秀高はその返事を見ると二人を連れて階段を降り、本丸館の庭先が見渡せる縁側まで来て、中庭一帯に集まっていた一同の前に姿を見せると、城主の可成から促されて一同に向けて声を発した。
「皆!まずは、皆の働きによって、この水路開拓が約二年で完成できたこと、この秀高、心より感謝している!」
秀高はその場にいた農民や人夫たちの顔を見回しながら、水路開拓の完成を感謝するように頭を下げた。そして頭を上げた後、再び一同に向けて言葉を続ける。
「この水路開拓によってこの地域にも水が行き渡り、それによって水田の開発が可能になるだろう。そうすれば、今まで苦しい生活をしてきた皆の生活も、幾らかは改善されるだろうと思う。」
秀高の言葉を聞いていた一同の中には目頭が熱くなり、涙を見せていた者もいた。そして大半の者達も、工事が達成したことに喜びつつも、今後の明るい生活に思いを馳せていた者もいた。
「無論、それにこちらも報いない訳ではない。今後水路開拓によって、水路が及ぶ範囲に新しく水田を開墾した際、その村々の税を一年は免除し、収穫した稲は全て各々の村の蓄えとする。」
この秀高の方策を聞いた一同の中から、おぉとどよめきに似た声が上がり、農民たちの中には、互いに顔を見合わせて喜ぶものも出始めていた。
「これも全て、皆が心血注いで作ってくれた事への褒賞だ。これから不慣れな稲作が始まるだろうが、それに付いては村に稲作の教育役を派遣するので安心してほしい。」
秀高は一同の様子を見ながらそう言うと、特に農民たちは安堵するように頷き、また人夫たちの目も、将来の事に思いを馳せるように輝いていた。
「さぁ、今日は完成祝いだ!皆無礼講で飲み明かしてくれ!」
その言葉を受けた一同は、おぉーっと大きな喊声を上げ、手にしていた盃を天に掲げるように高く上げた。こうしてその場で盛大な酒盛りが始まり、農民や人夫たちは今までの苦労をねぎらう様に互いに飲み明かし始めた。
「…それにしても殿、ここまで皆が働いてくれるとは思いませんでしたぞ。」
その光景を見渡せるように、本丸館の広間に設けられた席にて、上座の秀高に喜びをかみしめながら意見したのは、この水路開拓の奉行を務めた村井貞勝であった。
「あぁ…今川の侵攻があったとはいえ、それでもみんなよく働いてくれたよ。」
「まさしく…それに一番幸運だったのは、工期の最中に台風が来なかったことですな。」
と、貞勝が盃を手にしながら、こうも水路開拓が早く終わった一因を話すと、それに対して盛政が頷きながら話し始めた。
「それそれ。この二年は大きな嵐もなく、それによって工期の延長がなかったのが幸いであるな。」
「如何にも。一たび嵐が来てしまえば、水路に溜まった水を抜くのに数週間を要しますからな。」
その盛政の意見に賛同して可成がそう言うと、それを聞いていた信頼が貞勝に向けてこう言った。
「でも貞勝さん、この工事の経験は大きかったんじゃないですか?」
「はい。此度の工事を通じて、治水工事の課題等が見えて参りました。今後、国内に新たな治水を行うときに、その経験が存分に活かせることでしょう。」
その言葉を聞いた秀高は盃を置くと頷き、腕組みしながら言葉を発した。
「そうだな…今後の方策にも、いい経験になっただろうな。」
「…ところで信頼、此度の水路開拓で一体どれだけの石高の増加が見込まれるのだ?」
と、継意が反対方向に座っている信頼の顔を見ながら、概ねの試算を尋ねた。
「はい…こちらの試算では、今回の水路開拓で概ね八万石の加増を見込んでいます。」
「なんと、八万石も増えると仰せか。」
その試算を聞いて驚いた安西高景に対し、信頼は自身の中に秘めている腹案をその場の一同に語った。
「はい。そしてゆくゆくは犬山から弥富までの木曽川左岸に堤防を築き、それによって支流のせき止めによって水源が枯渇するであろう農地に向けて取水用の水門と導水路を設け、そこから各地への用水路を造る計画でいます。そうなれば、加増する石高は更に高くなるでしょう。」
「なんとも壮大な計画にござるな…しかしもしそれが可能になれば、周囲の状況は一変するでしょうな。」
「うむ。もしそれがすべて完成すれば、この尾張一国で三ヶ国分の石高を養えるという事になるであろうな。」
その信頼の腹案を聞いて、継意と可成が互いに見合わせながら言葉を発した。するとそれを聞いていた秀高が一堂に向けてこう言った。
「無論、良い事ばかりじゃない。その堤防築造によって美濃側との農村の軋轢も生むだろうし、いわゆる輪中地域との兼ね合いも生まれてくるだろう。」
秀高はその腹案に対してそう言うと、貞勝が秀高に言上するように言った。
「されば、まずは現存の用水の改修と、必要な水路の開拓や貯水池の築造に専念すべきでしょうな。」
「その通りだ。貞勝、今後も同じような事を頼むこともあるだろうが、その時まで方策を纏めておいてくれ。」
その言葉を聞いた貞勝はそれに対して頭を下げて会釈した。それを見た秀高は再び視線を外の農民たちに向けると、ひとまず工事が無事に終わったことを安堵しつつも、酒が満たされている盃を一息で飲み干したのだった。
こうして完成した木津用水は周囲の村々に水を行き渡らせ、それによってその地域では新田開発が盛んになり、それによって農村では生活の質が向上するなどの利点を生み出していったのである。