1561年8月 双子という概念
永禄四年(1561年)八月 尾張国那古野城
永禄四年八月某日。那古野城内の本丸館の居間では、高秀高の正室である玲と静姫が互いに話し合っていた。
「…これであいつも、立派な戦国大名になれたわね。」
「そうだね…」
と、秀高が二ヶ月前に官位任官を受けたことを思い返し、二人はお椀に入っている茶を飲みながら世間話を交わすように会話していた。
「これをじい様たちが見たらきっと、よくやったって言うに違いないわね。」
「そうだね。むしろ教継様たちなら、きっと喜びの余りに、秀高くんを抱きしめるんじゃないかな?」
「ふふっ、それもあり得るわね。」
二人はその会話を聞いて笑いあうと、ふと視線を居間から見える中庭へとやった。中庭では新たに秀高の側室に加えられた春姫が、秀高の三男である友千代を抱きかかえながら、庭先にて咲いている花を見せながら散歩していた。その光景を見た静姫は、玲に対してこう言った。
「…それにしても、この城に来た当初はどうなるかと思ったけれど、春様もこの生活に慣れてくれてよかったと思うわ。」
「うん、今じゃ私たちの大事な家族の一人になってくれたからね。」
と、二人が春姫を見つめながらそう言うと、春姫は友千代を抱きかかえたまま居間の中に入ってきて、二人の前に着座すると感心するようにこう言った。
「奥方様、散歩させて気がつきましたけど、この子はかなり花に関心があるようです。これはきっと、将来は穏和な子に育ってくれますよ。」
「そうですか。春様がそう言ってくれるなら嬉しいです。」
と、玲が春姫の言葉を受けて微笑みながら答え、春姫より友千代を預かって手の中に収めた。すると、その穏やかな寝顔を見た玲がふふっと微笑んだ。
「…本当に寝ちゃってる。春様の世話が良かったんだね。」
「そうね。ぐっすりと寝ているわね。」
と、その友千代の寝顔を覗き込んだ静姫もその顔を見て微笑みながら言葉を返したのだった。その後、その場に午前の政務を終えた秀高が居間に来ると、玲らは秀高が上座に座ったのを見ると、代表して玲が声を掛けた。
「お疲れ様、秀高くん。今日の仕事は終わりなの?」
「あぁ。水路開拓の報告と田畑の作物の成長状況の報告を聞き、それぞれの対処を命じて終わりだよ。午後からはまた、子供たちと過ごすつもりだ。」
その答えを聞いていた静姫は、居間の外の縁側で待機していた侍女の蘭に目配せをし、昼食の用意をさせるようにした。その目配せを受けた蘭はその場を去ると、数人の侍女たちと共に居間に帰ってきて、秀高らの前に昼の配膳を終えたのだった。
「…おっ、今日は鮎があるんだな。」
「はい。美濃の商人から仕入れまして、新鮮なうちに塩焼きにしました。」
蘭が秀高に対して鮎の塩焼きについて説明すると、秀高は目を輝かせて蘭にこう言った。
「そうか…いや、この辺りの鮎は美味しいんだよ…うん、美味い!」
秀高が鮎の塩焼きに手を付けて口に含むと、その旨さに感激して言葉を発した。それを見た蘭は喜んで秀高にこう言った。
「それは良かったです。きっと私の母も喜びますよ。今後も仕入れる機会があれば、仕入れますのでお楽しみにしてくださいね。」
「ありがとう。その時はよろしく頼む。」
喜びを隠しきれない表情を見せながら、感謝の言葉を述べた秀高の顔を見た蘭は、微笑みながら会釈をすると、侍女を引き連れてその場を去っていった。その後、鮎を食べた事のない春姫も秀高に負けないくらい感動した。
「…美味しいです。」
「そうか。いや、気に入ってくれて何よりだ。」
春姫がポツリと言った感想を聞いた秀高は、更に喜んで微笑んだのだった。その後、秀高らは昼食を摂り終えると、御膳が下がった後に食後の茶を飲みながら会話を始めた。
「…玲、そう言えば華さんの出産は間もなくか?」
と、秀高は大高義秀の妻でもある華の産み月を玲に尋ねた。
「うん。義秀くんから聞いた情報だと、あと一ヵ月の間に産まれるんじゃないかって。」
「そうか…今度はどんな子が産まれてくるんだろうな…」
秀高が義秀夫妻の新たな命に思いを馳せていると、それを聞いていた春姫が秀高にこう言った。
「そう言えば秀高様、少しお聞きしたかったのですが…」
「ん?どうしたんです?」
と、秀高は尋ねてきた春姫の意見を聞くべく耳を傾けた。すると、春姫は秀高の方を向き直すと要件を伝えた。
「聞けば、秀高様には双子の男の子がいるとお聞きしましたが…」
「えぇ、秀千代に静千代がいますが…その子がどうかしたんですか?」
「いえ、実は…」
と、春姫が言い淀むと、それを察した静姫が代わりにこう言った。
「…あのね、秀高。実は言い忘れていたことがあるんだけど…」
「ん?どうしたんだ?そんなに改まって…」
秀高は姿勢を正した静姫の姿に薄気味悪さを覚え、少し驚いていた。すると、秀高に対して静姫はこう言った。
「秀高は知らないでしょうけど、双子はこの世では忌み嫌わているのよ。」
「忌み嫌われている?どうしてだ?」
と、その言葉を聞いた秀高は驚き、その理由を静姫に尋ねた。
「…双子は「忌み子」とも呼ばれていて、汚らわしいものとされているのよ。そしてその双子を産んでしまった私は…」
静姫が語っていく内につらい表情になっていくのを感じた秀高は、すぐさま静姫の言葉を遮る様に声を掛けた。
「…静、無理して言う事はない。」
秀高はそう言うと、直ぐに立ち上がって静姫に駆け寄り、そのまま包み込むように抱きしめると、その腕の中で励ますように声を掛けた。
「それに、そんなに落ち込むじゃない。大丈夫だ。」
その言葉を聞いた静姫は、涙を流しそうになっていた所を堪え、一回目元を手で拭うと表情を明るくして気丈に返事をした。
「…ごめんなさい。大丈夫よ。」
静姫の言葉とその表情を見つめた秀高は、静姫から離れた後に春姫の方を向いてこう言った。
「…春さん。世間が俺の子に対してどう言おうが、どういう感情を持とうが、この俺には何の関係もありません。すべて皆、この世に生を受けた等しい命なんです。決して蔑んで呼んでいい存在じゃないですよ。」
「秀高様…」
春姫はその秀高の真剣な表情を見て呆気に取られていると、秀高の言葉を聞いていた玲も春姫に向けて言葉を発した。
「春さん、私も秀高くんと同じ意見ですよ。どんな事を言われても、静が産んでくれた子も、そして静も私たちの大事な家族です。その家族を悲しませるようなことは、絶対にしないで欲しいんです。」
「…申し訳ありません。とんだ失言を…」
その玲の言葉を聞いて、事の重大さを悟った春姫は秀高らに詫びるように頭を下げた。すると、秀高はそんな春姫に近づいて優しく声を掛けた。
「春さん、この城の中は春さんにとって、信じられないことが多いと思います。それでも、春さんにはどうか、一緒に生活する家族になって欲しいんですよ。」
秀高はそう言うと、頭を下げていた春姫に頭を上げさせると、春姫の手を取って春姫の顔を見つめながら話す。
「春さん、こんな周りから見ればおかしい俺達ですけど、それでも俺の家族たちに付き添ってくれますか?」
「…分かりました。」
春姫は秀高の説得を受け入れると、握手して来ている秀高の手を握り返すように握手を交わすとそのまま言葉を述べた。
「…秀高様、それに皆々様。今後はそんな迷信などは気にせずに、改めて、誠心誠意を込めて仕えさせていただきます。」
「そうですか。よろしくお願いします。春さん。」
秀高は春姫にそう言うと、そのまま握手を交わし続けた。その光景を見た玲は安堵し、そして苦しい胸の内を吐露した静姫もまた、心の中の不安が消え去ったように微笑んで見つめていた。
その後、春姫は静姫の子でもある秀千代と静千代にも誠意をもって接するようになり、徳玲丸の乳母を務める徳と共に秀高の子供たちの養育に当たるようになったのである…