1561年5月 尾三同盟
永禄四年(1561年)五月 尾張国那古野城
那古野城にて祝宴が行われた翌日の二十一日。那古野城の評定の間において、高秀高と松平元康。所謂尾張と三河の同盟交渉の取り決めが行われていた。秀高ら高家の家臣団と元康率いる松平家の面々は、評定の間の下座で互いに見合う様に、真ん中に置かれた絵図を挟んで座っていた。
「…さて元康殿、まずは両家の境についてだが…」
秀高は交渉が始まった初めに第一声を発し、最初の取り決め事項である高と松平の勢力圏について語り合い始めた。すると、その言葉を聞いた石川数正が秀高に対してこう言った。
「されば、それについては先般申し上げた通り、この境川を境とし、東を我ら、西を秀高殿の領地といたしましょう。」
「うん、それに付いては異存はない。だがここで解決しなきゃならない問題がある。旧水野領の事だ。」
秀高がその話題を切り出すと、その言葉を聞いた小高信頼が、尾張と三河の国の絵図の上に薄い紙で書かれたものを置いた。それはすなわち、水野家が治めていた範囲を示すための物であった。
「ご覧の通り水野領は尾張・三河に跨る様に点在していて、水野家無き今、それらの土地をどのようにするべきかがまずの問題点だろう。」
「確かに…この水野家の所領分配をどうするかが一番の難題にございまするな。」
元康が絵図を見つめながら秀高にそう言うと、ここでその言葉を聞いた滝川一益が意見を述べるために口を挟んだ。
「畏れながら、意見を申してもよろしゅうござるか?」
「あぁ、構わない。言ってみてくれ。」
「はっ、されば…」
一益は秀高より発言の許可を得ると、自身が座っていた後ろの位置から前に進み出て、指示棒を取ると、絵図の箇所を指し示しながら意見を述べた。
「水野領に関しては刈谷城は再建し、新しく改修した上で、城主に久松定俊殿を配置するのは如何でしょう?」
「ほう、定俊殿を…」
その意見を聞いた本多重次が感嘆するように呟くと、一益はそのつぶやきに反応し、重次の方を向いて頷き返すとそのまま言葉を続けた。
「定俊殿の妻は元康殿の生母。定俊殿が刈谷城に入って両家の橋渡し役を務めてくだされば、きっと両家の連携はさらに深まりましょう。」
「確かに…そうすれば松平とも緻密な連絡を取り合うことも出来よう。」
その一益の意見を聞いていた筆頭家老・三浦継意が賛同するように言うと、継意の言葉を聞いた一益はそれに頷き、更に話を続けた。
「そして坂部城については、定俊殿が前妻との間に産んだ久松定員に継がせ、尾張に残る旧水野領を与えます。そうすれば、久松家が水野家の後釜として統治をおこなうことが出来ましょう。」
「そうか…どう思うだろうか?定俊。」
そう言って秀高は、この交渉の席に列していた定俊に話を振った。すると定俊は神妙な面持ちで秀高に向けて頭を下げると、冷静にこう答えた。
「はっ。身に余るお申し出。元康殿がよろしければ、是非ともそのお話を引き受けたく存じます。」
「何をお仰せになられるか。継父殿が仰せられるのならば、某にも異存はござらん。」
その元康の答えを聞いた定俊は、秀高に向けてすぐに返答を言った。
「…それでは殿、そのお申し出、是非とも引き受けまする。」
「そうか。刈谷城の再建にかかる人足については、後で貞勝と話し合って決めてくれ。刈谷や三河の領地の事、お前に任せるぞ。」
「ははっ。お任せくださいませ。」
定俊は秀高に向けてそう言うと、深々と頭を下げたのだった。こうして久松定俊は刈谷城主に転任し、坂部城と尾張国内の水野領と久松領を庶長子の定員が継いだ。
「…殿、実は折り入ってお願いしたき儀がござり申す。」
「ん?どうした定俊。」
すると、その席上で定俊は秀高に対して頭を下げたままで、一つのお願いを述べた。
「実は…殿より一字を拝領出来ないでしょうか?」
「何?名を変えるのか?」
秀高が定俊からの急な提案に驚いて聞き返すと、定俊は秀高に頭を下げながら言葉を続けた。
「はっ。某の今の名は、水野家にいた頃よりの名にて、水野家無き今、心機一転するためにもどうか殿よりの一字を貰い受けたいのでござる。」
「そうか…分かった。」
秀高は定俊の願いを快く聞き入れると、信頼に命じて紙と筆を持ってこさせ、その場で定俊、並びに定員の名を書き上げた。そして二人の名を書き終えた秀高は、まず定俊の変更後の名前が書かれた紙を定俊に見せた。
「まず定俊、お前は俺の「高」の一字を与え久松高家とする。今後はこの名を名乗ってくれ。」
「はっ。格別の名を頂き、恐縮の限りにございます。」
そう言うと定俊は秀高から紙を受け取り、それを大事そうに懐へとしまった。すると、秀高は次に定員の名が書かれた紙を定俊に見せた。
「それと、お前の子の定員にも一字を与える。今後は定員改め「久松高俊」と名乗るように。」
「ははっ。我が倅もきっと喜びましょう…」
定俊は秀高よりその紙をありがたく受け取った。この後、定俊は高家と名を改め、同時に松平家の三河統一にも従事するようなど独自の裁量権を秀高より許された。これによって、秀高の下には坂部城主の職を継いだ高俊が主に出仕するようになったのである。
「さて、これで両家の国分に関しては話がまとまった。それで次はこちらからの要望なんだが…」
秀高は話を切り替えるように元康に提案すると、元康はその提案を聞くために秀高に耳を傾けた。
「そう言えば元康殿、ご家族は息災だろうか?」
「はっ…我らが氏真より裏切った後、戦の終結と同時に半三を駿府に遣わし、寿桂尼様のお口添えで駿府から引き取る事が叶い、今は義父の関口親永と共に岡崎にて過ごしております。」
「そうか…それでご嫡男は今おいくつで?」
と、秀高は元康の嫡男でもある竹千代の年齢について尋ねた。
「はっ。我が倅は二歳になり、まだまだ幼子にございまする。」
「そうですか…」
秀高は元康の言葉を聞いてそう追うと、信頼と視線を合わせた後に互いに頷きあい、そして元康の方を振り返るとこう提案した。
「…元康殿、今後の事はどうなるか分からないが、もし、こちらに娘が生まれた時には、その娘を竹千代殿に娶らせ、高と松平の友好の証としたいんです。」
「なるほど…秀高殿のご息女を…」
その提案を受けた元康は、数正らと目を合わせた後に、再び秀高の方を向くと直ぐに返答をした。
「分かりました。そのお申し出、是非とも引き受けましょう。」
「そうですか。その言葉を聞けてなによりです。」
元康の返答を聞いた秀高は安堵し、そのまま微笑んで嬉しい気持ちを見せたのだった。その後、秀高らは他の要件についても話し合い、ここに同盟に関するいくつかの条項を取り纏めた。
一、同盟の証として、竹千代に秀高の息女を娶らせ、両家友好の証とする。
一、旧水野領を久松高家の所領とし、同時に松平家の与力として行動させる。
一、境川より東を松平領、西を高領として扱う。
一、もし、片方が敵に攻められた場合は、もう片方は必ずこれを助け、力を合わせて敵を跳ね除ける事。
一、もし、片方の大名家が援軍要請を行った際は、もう片方はこれを受け入れ、援軍を優先的に派遣すること。
一、東濃の織田信隆の動向に気を配り、何か情報を得た際には互いに共有し合うこと。
これらの条項がこの会議で決まり、その条項が書かれた紙に秀高と元康がそれぞれ名前を書き、血判を押して書状に取り纏めた。
こうして、ここに「尾三同盟」とも呼ばれる同盟が締結され、その数か月後には美濃の斎藤義龍も元康と同盟を結んだことで、ここに斎藤・松平、そして高の三ヶ国が強固な同盟関係で結びつくようになったのである。