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1561年5月 水野家の最期



永禄四年(1561年)五月 三河国(みかわのくに)刈谷城(かりやじょう)




 今川氏真(いまがわうじざね)駿河(するが)へと海路で撤退していった十二日の午前。氏真が出港した大浜(おおはま)から三河湾(みかわわん)を遡上した上流。境川(さかいがわ)河口にある刈谷城は、知立(ちりゅう)の戦いで勝利を得た高秀高(こうのひでたか)松平元康(まつだいらもとやす)ら総勢三万余りの軍勢で包囲されていた。


「…そうか。やはり忠重(ただしげ)は降伏しないって言ったか…」


 その刈谷城を囲む秀高勢の本陣の帳の中では、昨夜のうちに刈谷城に入り、水野忠重(みずのただしげ)に恭順を進めるように説得を行った久松定俊(ひさまつさだとし)とその妻でもある於大(おだい)の方が、床几(しょうぎ)に座って秀高に昨日の様子を告げていた。


「はっ…忠重殿は水野家の意地にかけても戦う所存にて、既に城内の兵士二千五百余りは意気軒昂に迎え撃つ準備を整えております。」


 定俊が昨夜の説得のついでに、密かに確かめてきた城内の様子を秀高に報告すると、それを聞いていた松平元康(まつだいらもとやす)が、自身の母でもある於大に対してこう言った。


「…母上、何をそこまで忠重を頑迷にさせるのです?」


「…恐らくは、忠重の兄でもある信元(のぶもと)殿を討ち取った、秀高殿への敵対心を捨てきれないのでしょう。」


 それを聞いた元康は秀高の方を振り向くと、秀高に向けてこう言った。


「余程、忠重に嫌われておるようですな。」


「…仕方がない事だ。忠重にとってみれば信元は兄でもあり、また幼いころに産みの父を亡くした忠重にとっては、信元は父のような存在であったんだろうな。その信元を殺した以上、目の敵にされるのはしょうがない事だ。」


 秀高が手にしていた軍配を回しながら、地面を見つめてこう言うと、その言葉を聞いていた小高信頼(しょうこうのぶより)が秀高に向けてすぐに言葉を挟んだ。


「でも秀高、既に今川軍も消滅し、三河や遠江(とおとうみ)で今川への反乱が起きている今、いつまでも元康殿をこの刈谷にとどめておくわけにはいかないよ。」


「分かっている。もうしょうがないか…」


 信頼の催促を聞いた秀高は意を決すると、目の前の机に広げられていた刈谷城の周囲が描かれた絵図を指示棒で指し、諸将に指示を飛ばし始めた。


「これより、刈谷城攻略を始める。刈谷城は西側に川が流れていて、攻め込めるのは東、北、南の三か所からだ。俺たちの本隊は東門から本丸を目指す。北条(ほうじょう)殿は北門から、元康殿は南門からの攻撃を任せたい。」


「ははっ。しかと承りました。」


 秀高の指示を聞いた北条氏規(ほうじょううじのり)は直ぐに返事をして承諾すると、続いて元康も氏規に続いて、秀高に言葉を返した。


「承知いたした。しからば秀高殿の法螺貝を合図に開戦と致しましょう。」


「あぁ。元康殿、くれぐれもよろしく頼む。」


 秀高からそう言われた元康は、首を縦に振って頷くと氏規と共に本陣の帳から出ていった。その後秀高は、その場にいた佐治為景(さじためかげ)為興(ためおき)父子の方を見ると、すぐさま二人に向けてこう指示した。


「為景、為興。こちらの先陣はお前たちに任せる。北条勢や松平勢に負けぬよう、高家の力を示してきてくれ。」


「ははっ!先陣のご下命、しかと承りました!参るぞ八郎!」


「はっ!」


 秀高の指示を受けた佐治父子は互いに声を掛け合うと、秀高に向けて会釈をした後に意気込みながら帳の外へと出ていった。こうして刈谷城を包囲する秀高勢三万は総攻撃を決定し、東口を佐治勢、北口を北条勢、南口を松平勢が請け負った。その後、秀高の本陣から法螺貝の音が戦場に響き渡ると、三方向の軍勢は一斉に城へと襲い掛かったのである。




「者ども怯むな!我らの意地を敵に見せつけてやれ!!」


 秀高勢が三方向から攻め掛かった刈谷城の北口。門の辺りで味方を鼓舞しながら、塀の裏で督戦していた高木清秀(たかぎきよひで)であったが、やがて北門が北条勢に破られると、その中に雪崩打つように入り込んできた北条勢三千を相手に、槍を振るって一人、また一人と北条勢の足軽を打ち倒していった。


「…ほう、なかなか腕が立つようだな。」


 と、その清秀の目の前に、黄色い旗に八幡と書かれた旗指物を背に差している一人の武将が現れた。その者こそ、北条氏規配下の武将でもある、北条綱成(ほうじょうつなしげ)その人であった。


「くっ、敵将か。我が名は水野忠重が家臣、高木清秀なり!」


「清秀か。良いだろう!この北条綱成が、貴様を討ち取ってくれるわ!!」


 清秀は綱成の言葉を聞くと、先手を打とうとして槍を振るい、一気に綱成に近づいた。しかし綱成は手にしていた野太刀の柄を両手で持つと、清秀に踏み込まれる前に清秀の頭上へと野太刀を勢いよく振り下ろした。すると清秀は兜から胴体に至るまでその攻撃を受けると、真っ二つになってその場に倒れ込んでしまい絶命した。


「ふん、造作もない…」


 綱成がそう言って野太刀の刃先に付いた血を払って飛ばすと、倒れた清秀の首を手際よく取り、それを腰に括り付けると、その場に一人の武将が現れた。


「ん、そなたは…」


「おぉ、北条綱成殿でありましたな。」


 そう言って綱成に話しかけたのは、その僅か数分前に東門を突破してきた為興であった。為興は綱成の腰に掛けられた首を見ると、その腕前に感嘆して綱成を称えた。


「さすがは綱成殿、もう一人を討ち取られましたか。」


「あぁ。確か、高木清秀と申したかな?だが…そなたも首を取っているではないか。」


 話しかけられた綱成は、ふと為興の腰に視線を向けながら声を掛けた。


「はっ。この者は忠重の兄である水野近信(みずのちかのぶ)にございます。」


「ほう…そなたもなかなかやるな?」


 綱成は為興が討ち取った近信の首を見ながら、同じように為興の武勇を称えた。すると、その二人の目の前に敵の足軽たちが道を塞ぐように現れた。綱成はそれを見ると野太刀を構えなおし、為興に向けてこう言った。


「為興、この先には敵の大将が待ち構えておる。そやつを討ち取り、こんな戦などさっさと終わらせてしまおう。」


「はい。綱成殿。」


 為興は綱成の言葉に答えると、得物の槍を構えなおすと、綱成と共に立ちふさがる敵へと斬り込んでいった。秀高勢を迎え討つべく意気軒昂に戦っていた水野勢二千五百であったが、所詮は衆寡敵せず、じりじりと各門を突破され、本丸の中に侵入を許しつつあった…




「申し上げます!水野忠勝(みずのただかつ)様、お討死!!」


 その刈谷城の本丸内の広間。忠重は鎧を脱いで白装束姿になっていると、そこに早馬が味方の討死を報せに来た。すると、忠重は報告に来た早馬の方を向くと、直ぐにこう指示した。


「もはやここまでだ。私はここで腹を切る。そなたはわしを介錯した後、この館に火を放って誰にも私の首を渡すな。」


「と、殿…」


 早馬が忠重の言葉を聞いて涙ぐむと、忠重が躊躇している早馬の顔を見つめると、直ぐに強い口調で言った。


「早くせよ!もう間もなく敵も攻め込んでくる。この私の首を秀高の目の前に晒されるなど…そのような屈辱を味わいたくない!」


「は、ははっ!!」


 早馬は忠重の睨みを見ると、直ぐに姿勢を正して腰に差していた刀を抜き、忠重の背後に回った。そして忠重は目の前の短刀を抜くと、それを腹に当ててこう言った。


「高秀高…あの世で待っておる故、その時は覚悟しておけよ…ぐっ!!」


 そう言った後、忠重は短刀を腹に刺して切腹し、それを見ていた早馬によって介錯させられた。享年二十一。この忠重の自害を以って、水野家の一族は於大を除き、あえなく滅亡してしまったのである。




「…終わったのか。」


 その数刻後、秀高の本陣から燃え落ちる刈谷城の光景を見つめながら、報告に来ていた佐治父子より仔細を聞いた秀高は、床几から立ち上がって刈谷城の遠景を見つめていた。


「…水野忠重は城内にて切腹。水野家の一門も悉く滅亡し、ここに水野家は滅亡いたしました…。」


 この為景の報告を、脇で聞いていた定俊と於大は身が引き裂かれるような思いであったが、その報告を全て受け止め、亡くなった水野家の面々の冥福を祈る様に目を瞑っていた。すると、その秀高の本陣に帰ってきていた元康が、秀高にこう言った。


「…秀高殿、余りお気になさるな。これも乱世の習いにござる。」


「元康殿…」


 秀高は話しかけられた元康の方を向くと、元康は目の前に座っている定俊らの姿を見ながら、秀高に向けて進言した。


「忠重は水野家の誇りを大事にし、秀高殿に屈さぬ道を選んだ。これも戦国の世に生きる武士の、一つの生き方にござる。」


「…そうか。」


 元康の言葉を聞いた秀高は短く返事をすると、再び刈谷城の方を振り向いてその光景を見つめていた。この刈谷城の陥落をもって三河・尾張国境地帯から今川の影響力は完全に排除され、その代わりに高秀高・松平元康という、新進気鋭の大名の存在感を近隣諸国に知らしめることになったのである。





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