1561年5月 七本槍の武将たち
永禄四年(1561年)五月 三河国知立城外
永禄四年五月十一日夜。今川氏真を逃すべく知立城に留まった岡部元信が討たれた後、高秀高は参陣した諸将や、松平元康、北条氏規らを夜中の内に本陣へと集めた。
「一同、面を上げてくれ。」
夕方からの一連の戦いで焼け落ちた知立城を背景に、陣幕が垂らされ松明が灯る中で、秀高は床几に腰を掛け、上座から頭を下げていた一同に頭を上げるように促した。すると、元康以下一同は一斉に頭を上げ、各々に視線を秀高に向けた。
「…今日一日、厳しい戦が終わった。結果は皆も知っての通り今川勢を撃退し、尾張や三河から今川の魔の手を跳ね除けることが出来た。この秀高、心より感謝している。」
秀高はその場にいる諸将の一人一人の顔を見つめながら、諸将の働きを労うように話し、頭を下げて感謝の気持ちを示した。すると秀高は頭を上げると、少しうつむきながら言葉を続けた。
「しかし、こちらの被害も決して少なくなく、俺たちは利定を失い、松平勢合わせて死傷者は三千にも及ぶという。だが、命を落とした者達もこの結果を見てくれれば、きっと心安らかにしているだろう。」
秀高は目を瞑りながら、命を落とした坪内利定ら戦死者の御霊を慮ってこう言った後、再び目を見開いて諸将にこう言った。
「…とりあえず今は、今日の勝利を噛みしめたいと思う。明日からもまだまだ戦は続くが、今夜はしっかりと兵たちに休息をとらせてやって欲しい。皆、よろしく頼むぞ。」
「ははっ。」
秀高の下知を聞いた諸将は頷き、秀高に向かって一斉に返事をした。その後、秀高の隣の床几に座る小高信頼が諸将に向けてこう言った。
「…それでは、ここで今日の戦の戦功を吟味し、首実検を行おうと思う。誰か、捕虜にした今川の人たちを連れてきて。」
「ははっ!」
信頼の下知を聞いた足軽たちは、捕縛した氏真の側近だった一人の武士を連れてくると、その場に座らせ、その場に首桶を持ってこさせて順番に首実検を行った。まず運ばれてきたのは、大高義秀が討ち取った元信の首が収められた首桶であった。
「…これは岡部元信殿に相違ないな?」
捕虜である武士の前に、がさつに運ばれた首桶の中身を恐る恐る見た捕虜に対し、秀高が元信かどうかの本人確認を行わせると、捕虜は秀高の顔を見ると首を縦に振って頷き、これによってその首が元信本人であるという事の確認が取れた。
「そうか…義秀、ご苦労だった。」
「へへっ、こんなのは造作もない事だぜ。しかし、今回の戦は俺よりも…」
義秀は秀高にそう言っていた途中に、後ろに控えていた神余高政ら秀高配下の馬廻達の姿を見ながら、秀高に向けてこう言った。
「後ろにいる、高政たちの働きの方が凄まじいものがあるぜ。」
「そうか…分かった。高政。それに皆前に出て来てくれ。」
「ははっ!!」
その秀高の呼び掛けにこたえ、高政が代表して返事をすると、日中の戦いで戦功を挙げた高政ら七人の馬廻達が、各々取ってきた首桶を手で持ちながら、秀高の目の前に進むと、胡坐をかいて座った各々の目の前に首桶を置いた。
「…ほう、この七人で十三人もの将を討ち取ったのか。」
その首桶の数を見て元康が感嘆するように呟くと、信頼が捕虜を連れながら、高政から順に首桶の中身を捕虜に確認させた。捕虜はまず、高政の目の前にあった首桶の一つの中身を見ると、中に納められている首の素性を信頼に語った。
「…このお方は今川家重臣、庵原忠胤殿にございます。」
すると、その素性を聞いた氏規が、秀高の方を向いて首桶の中に入っていた忠胤の素性を説明し始めた。
「庵原殿…秀高殿、庵原殿は先の合戦において、一ツ木砦から氏真を逃す際に奮戦したお方にございます。」
氏規から忠胤についての事を聞くと、秀高は氏規の方を見て頷き、その後に高政の顔を見つめるとねぎらいの言葉を述べた。
「そうか…よくやってくれた高政。」
「ははっ!!ありがたきお言葉にございます!」
高政は秀高の言葉を聞くと、胡坐の姿勢で頭を下げてお辞儀をした。
その後、信頼は捕虜に首桶の中身を確認させ、その素性を戦功帳に纏めていった。その中で捕虜が述べた首の素性を聞いて、その場にいた一同がどよめいた。
神余兄弟や山内兄弟、深川高則の外にも、安部元真を討ち取った三浦継高、瀬名氏詮を討ち取った毛利長秀など、その場にいた七人の馬廻の戦果が確かめられていくと、しだいに諸将は、高政ら七人の馬廻達に称賛のまなざしを送った。
「…うむ。高政、それに皆。見事だ。今川配下の諸将のほか、氏真側近の小原鎮実などを討ち取ったお前たちの武勇、見事という他にない。」
「ははっ!そのお言葉、忝く思いまする!」
高政が秀高の言葉を受けて返事をすると、秀高は信頼の手によって纏められた戦功帳の中身を見ると、高政ら七将の顔を見てこう告げた。
「よし、その働きを賞し、高政ら七人を「知立七本槍」として定め、お前たちの武勇に報いたいと思う。」
「ははっ!身に余るご配慮、ありがたき幸せにございます!」
秀高の言葉を聞いた高政はすぐさま頭を下げ、それに続いて山内高豊ら残りの将達も続いて秀高に頭を下げたのだった。
ここに神余高政を筆頭に、弟の神余高晃、山内高豊、その弟の山内一豊、深川高則、三浦継高、毛利長秀ら七人の武将たちは、この戦いの功績によって「知立七本槍」と呼ばれるようになり、やがてこの武将たちは秀高配下として、その後の各地の合戦で武功を立てていくことになる。
ちょうどその頃、知立から少し離れた水野忠重の居城・刈谷城に二人の人物が訪れていた。一人は坂部城の主でもある久松定俊と、もう一人は定俊の妻でもある於大の方であった。二人は刈谷城本丸館の一室に通されると、その場に忠重が数人の武士を連れて現れた。
「…姉上…また参られたのか。」
襖を開けて部屋の中に入り、その中にて座っていた二人の姿を見ると、忠重はため息をつきながら肩を落として声を掛け、真向かいの位置に座った。
「忠重…既に今川殿の状況は聞いているでしょう?」
「…えぇ。太守の軍勢は秀高に敗れ、太守の行方も分からなくなっています。」
忠重が於大に対してこう言うと、その場に忠重の家臣である高木清秀が入ってきた。清秀は本来、刈谷城から境川を渡河した対岸の村木の地に砦を構築していたが、今川勢の敗報を聞くや砦に火を放って撤退し、今は手勢と共に刈谷に帰還していたのだ。
「…殿、既に知立城も陥落し、秀高の軍勢はこのままこちらに向かってくるものかと思われます。」
清秀は部屋に入ってくると、斥候から得た情報を忠重に報告した。すると、その報告を聞いていた於大が忠重に向かってこう言った。
「忠重、悪い事は言いません。お前の中にある憎しみはなかなか消えないでしょうが、水野家の為にも、秀高殿にどうか恭順を…」
「姉上、某が数年前、坂部の城にて姉上たちに言い放ったことをお忘れか?」
忠重が於大に対して反論するように言うと、それを脇で聞いていた忠重の兄である水野伝兵衛近信と水野弥平太夫忠勝もまた、於大に対して苦虫を嚙み潰したかのような表情を見せていた。
「我が水野家にとっては、兄・信元を秀高に討たれ、兄の仇を討てぬどころか、縁戚でもある元康までもが太守を裏切り、秀高の味方になった!このような恥辱を受けておきながら、秀高の前に膝を屈するなど出来ようはずもありますまい!」
「忠重!お前の気持ちは痛いほどわかります。しかし…水野家の、その領民たちの為にも、どうか堪えて…」
於大が忠重に説得の言葉を述べていると、その途中で会話を遮るように忠重が立ち上がると、於大たちを見下ろしながら強い口調で言い放った。
「くどい!姉上、かえって秀高にお伝えあれ!「我ら水野家一同、どんなことがあろうともお前の軍門には降らぬ」と!」
「…忠重!!」
於大に向かってそう言い放った忠重は、二人の兄と清秀を従えてドタドタと足音を立てながらその部屋を後にしていった。そしてその場に取り残された於大と定俊は互いに顔を見合わせ、あくまでも強情な姿勢を見せた忠重の行く末を思うと、どこかやるせない気持ちが込み上げてきたのだった。