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1561年5月 大胆不敵



永禄四年(1561年)五月 尾張国(おわりのくに)三河国(みかわのくに)国境地帯




「何っ、対岸の丘陵地帯に城が出来ておるだと!!」


 五月十日の昼過ぎ。尾張・三河の国境である境川(さかいがわ)を渡河し、西岸に陣を敷いた今川(いまがわ)軍の先鋒総大将・朝比奈泰朝(あさひなやすとも)率いる軍勢一万七千は、北側に見える丘陵地帯に構築された建造物に度肝を抜かされていた。


「ははっ、敵は既に鎌倉街道(かまくらかいどう)東海道(とうかいどう)を防ぐ様に長城とも呼べるほど長い城壁を築き、その中に籠っておるとの事!!」




 西岸に陣を敷いた泰朝から、目の前の丘陵地帯に見える光景。それこそが、高秀高(こうのひでたか)が今川軍迎撃の要として構築した野戦築城の陣城であった。


南北二里半(10kmほど)にも及ぶこの長大な城壁とも呼べるこの陣城は、土台部分は石垣で覆われており、壁も板塀で銃眼(じゅうがん)が取り付けられ、ところどころには櫓も構築されていた、野戦築城にしてはかなり本格的なものであった。




「何という事だ…今朝方に太守が本隊を率いて知立城(ちりゅうじょう)に入られ、尾張攻略の本陣を置いたというに、この状況では尾張国内に踏み込むことも出来んではないか…」


 泰朝が本陣から見える陣城の風景を見つめながら、歯ぎしりをしてこう言うと、その陣営の中で軍議に加わっていた松平元康(まつだいらもとやす)が泰朝にこう言った。


「しかし泰朝殿、このまま手をこまねいている訳にも行きますまい。ここは少し強引にでも、こちらから攻撃を仕掛けねば…」


「元康よ、そこまで言うなら、何か良き策があるのか?」


 泰朝からそう言われた元康は、上空の空模様を見つめた後、泰朝に向けてこう進言した。


「某の見たところ、明日早朝は深い霧になると思いまする。そこで某の配下の忍びを陣城の中に潜らせ、門の(かんぬき)を外しておきます。その後合図を元にこちらから陣城の中に攻め込めば、いかに堅牢な陣城とて一日で落ちましょう。」


「なるほどな…元康、そなたの伊賀者(いがもの)たちは本当に大丈夫であろうな?」


 元康の策を聞いた泰朝は、元康に対してこう尋ねた。すると元康は、泰朝の不安を払拭させるようにこう言った。


「ご心配なく。我らの配下たちも先の失態を(そそ)ぐべく、気を奮い立たせております。今度こそは上手くいくでしょう。」


「泰朝殿、ご案じなさいますな。」


 と、元康に賛同するようにこう進言したのは、この先鋒の陣営に加わっていた北条氏規(ほうじょううじのり)であった。氏規は泰朝の顔を見ながら、自身の意見を進言した。


「その奇襲には我らも同行しまする。そうすれば如何に堅牢な陣城とて、いとも簡単に落ちる事でしょう。」


「…よし、分かった。」


 元康や氏規の意見を聞いた上で、泰朝は意を決すると、その場にいた諸将に向けてこう指示した。


「では明日、元康の策で陣城に攻め掛かる。元康と氏規殿はそれぞれの部隊を率い、霧の中を進んで敵陣城に攻め掛かるのだ。よいな?」


「ははっ!」


 その言葉を聞いて元康と氏規は勢い良く返事して答えた。こうして、朝比奈率いる今川軍先鋒は、翌早朝の濃霧の中の奇襲を取り決め、軍議を終わらせて各隊に準備させるべく解散させた。




「…殿、殿!」


 軍議が終わった後、泰朝の本陣から自身の部隊の元へと戻る道中、人目のないところまでやってきた元康と氏規は、周りの草の茂みの中から呼び掛けられた。その声の主は、元康配下の忍びである服部半三(はっとりはんぞう)であった。


「半三か…すでに渡りは付けたのか?」


「はっ。先方には夜半、こちらから矢文を打ち込むことを伝えておりまする。」


 半三に対して小声で尋ねた元康に対し、半三もそれに小声で答えると、そのまま半三に対して元康が指示をした。


「よし、戻った後にすぐに文を認める。そなたは夜中になったら陣城の近くまで行き、矢文を打ち込むのだ。」


「ははっ!」


 半三は元康からの下知を受けると、そのまま気配を消してその場を去っていった。すると、元康が氏規の方を振り返るとこう尋ねた。


「氏規殿…そなたはこれでよろしかったのですか?」


「問題はありません。」


 氏規は元康の懸念に対してきっぱりとこう返すと、元康に対してこう告げた。


氏真(うじざね)は私の姉をいとも簡単に離縁した薄情者。そんな者に我らの命を捧げるなど、死んでも願い下げにございます。」


「そうか…」


 元康は氏規の言葉を聞くと、氏規に対して頭を下げてこう頼み込んだ。


「氏規殿、くれぐれもよろしくお頼み致す。」


「お任せあれ。」


 氏規は元康の頼みを聞くと快く返事をして、その場を去っていった。その氏規が去った後、元康は自身の部隊に戻る途中でこう思っていた。


(…しかし、まさか泰朝殿も、采配をしておきながら、隠されている真実の事など思いもよらぬであろうな…)


 元康はこう思いながら、そのまま自身の部隊の元へと帰っていった。それから数刻立ったその日の夜半、半三は一人、秀高の陣城の麓まで近づくと、櫓の柱の辺りに狙いを定めて鏑矢(かぶらや)を放ったのだった。




 そして翌五月十一日の早朝、まさに元康が予言したとおり、辺り一帯は深い霧に覆われたのだった。その中を、元康と氏規の総勢七千余りの軍勢が、陣城へと接近し始めたのだった。


「…泰朝殿の本隊は見えなくなったか?」


 ふと、元康が馬上から、馬を引いている本多重次(ほんだしげつぐ)に向けてこう聞いた。すると、重次は(おもむろ)に後ろを振り返って確認し、そのまま元康に言葉を返した。


「…はっ。もう全く見えなくなりましたなぁ。」


「半三。」


 重次の言葉を聞いた元康は、そのまま手元に半三を呼び寄せると、そのまま問いかけた。


「手筈は整っておるな?」


「はっ。氏規殿も承知しており、元康殿に続いて行動すると。」


「国元の動きはどうか?」


「万事すべて整っており、他の同志の方々も準備万端にございます。」


「よく分かった。」


 元康は半三といくつかの確認を行い、全てに納得していると、いつしか軍勢は陣城から九町(きゅうちょう)(1kmほど)の距離まで近づくと、全軍の足を止めさせてこう下知した。


「よし、鉄砲隊、構え!!」


 その元康の下知を聞いた鉄砲隊は元康の前面に出ると、そのまま鉄砲を構え、銃口を陣城の方に向けた。その構えを見た後、元康は勢いよく下知した。


「放て!!」


 その指示を聞いた鉄砲隊は一斉に火ぶたを切り、引き金と同時に轟音が辺りに鳴り響いた。しかし、その射撃は対面の陣城には一切被害が見受けられず、その引き換えと同時に、微かに先に見える陣城の城門の扉がゆっくりと開き始めたのが見えた。


「よし、全軍、行くぞ!」


 元康は味方の全軍にこう下知すると、そのまま城門が開かれた方向へと前進していった。しかしそれは、これから攻め掛かる軍勢の様子ではなく、寧ろその中へと入ろうとしている光景であった。


「殿、後戻りは出来ませんぞ…」


「分かっておる。」


 その城内へと入っていく味方の軍勢を見送りながら、重次が元康にこう言うと、元康は後方の泰朝の本陣の方向を見つめながらこう言った。


「この行動が、長く世話になってきた今川家との手切れとなる。この行動に一切の悔いはない。」


「…左様か。」


 元康の言葉に重次がこう答えると、元康の跨る馬の手綱を引き、そのまま軍勢と共に陣城の中へと入っていった。松平勢四千は、城から何の抵抗も受けずに城内へと入っていく。


「…綱成(つなしげ)殿、覚悟は出来ておりますか?」


「勿論だ。」


 その元康らの行動を見ながら、氏規は北条綱成(ほうじょうつなしげ)北条綱高(ほうじょうつなたか)ら参陣している諸将に存念を尋ねた。


「元康も覚悟して行動した。ここにおいて我らが尻込みしているなど出来ぬであろう。」


「…そうですね。」


 その言葉を聞いた氏規は軍配を振るうと、陣城の中に入っていく軍勢の後に付けて動いて行った。そして全軍が陣城の中に納まると、その陣城の門は再び閉じられたのだった。



 永禄(えいろく)四年五月十一日早朝。この僅かな間の出来事は、東海道一帯の勢力図を塗り替えるに十分な出来事となったのである…





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