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1561年5月 今川軍再び



永禄四年(1561年)五月 駿河国(するがのくに)今川館(いまがわやかた)




 永禄(えいろく)四年五月二日、駿河国今川館では、法螺貝の音の色と「赤鳥紋(あかとりもん)」の大きな旗指物がなびいていた。この日、いよいよ出陣準備を整えた今川氏真(いまがわうじざね)率いる総勢三万八千と号す大軍勢が、父・今川義元(いまがわよしもと)の敵討ちを題目に、いよいよ尾張(おわり)高秀高(こうのひでたか)討伐へと動き出そうとしていた。


「氏真、氏真!!もう一度考え直しなさい!!」


 この今川館の中で、縁側をそそくさと歩く鎧姿の氏真を追いかけながら、一人の女性が諫めるように語りかけていた。その者こそ、氏真から見れば祖母でもある寿桂尼(じゅけいに)であった。


「私たちの敵は尾張ではなく、関東(かんとう)上杉(うえすぎ)です!それを目の前のことだけに固執しては、今川家の大義は無くなりますよ!!」


「ええい、黙れっ!!」


 出陣を前に、聞きたくもない諫言を聞いていた氏真は、寿桂尼の方を振り返るや、自身の袖を掴んでいた寿桂尼の腕を振りほどいた。すると、その行動を受けた寿桂尼が氏真を睨みつけてこう言った。


「…氏真、何をするのですか!!そなたにはこの私の言葉が、今川家の前途を憂う気持ちが分からぬのですか!」


「…おばあ様は今川の当主になったことがないからそのような事が言えるのです!!」


 と、氏真は寿桂尼と春を睨みつけるや、直ぐにものすごい剣幕で怒り始めた。


「この今川の衰亡も、国人衆の反乱の続出も、裏を返せばすべて秀高のせいにございます!後背がすべて固まった今、今川全軍を以って高秀高を討伐し、今川家の威名を回復させる!!そのための同盟なのです!!」


「…それが、長年連れ添ってきた妻の(はる)離縁させてでもやりたかったことですか?」


「何…もう一度言ってみなされ!!」


 寿桂尼のこの言葉を聞いた氏真は頭に血が上った。実はこの時、氏真は北条氏康(ほうじょううじやす)の娘でもある春と正式に離縁し、上杉(うえすぎ)家を通じて新たな正室を得ようとしていた。その事を言われた氏真は、再び寿桂尼に言い寄ろうとしたが、それを止めたのは、寿桂尼に付いて来ていた家臣の関口親永(せきぐちちかなが)であった。


「殿、殿っ!!どうか落ち着いて下さいませ!このような強引な出兵、国人たちが承知しても心までは承知しませんぞ!!」


「ええい、無礼であろうが!!」


 すると、氏真は親永を拳で殴って吹き飛ばすと、その場にて固まっていた寿桂尼らを見つめながらこう言った。


「この戦には勝機あり!連中はしばらくの間戦からは離れておる!その隙をついて大軍で飲み込めば、尾張などあっという間に平定できよう!!」


「…殿、出陣の準備が出来ました。」


 と、そこに氏真側近の小原鎮実(おはらしげざね)が出陣準備が整った旨を報告すると、氏真は鎮実の方を振り返り、冷静に努めてこう言った。


「分かった。直ぐに出陣する。鎮実、おばあ様は気が動転しておる。館の奥でしっかりと安静に過ごさせるよう、見張っておくのだ。」


「ははっ。直ぐにでも倅にそうさせましょう。」


 鎮実はそう言うと、後ろにいた自身の息子である、三浦真明(みうらさねあき)に目配せを送ると、真明は武者たちを連れて寿桂尼の両脇を囲むと、そのまま奥の方へと連れて行った。


「氏真…氏真!!私心によって戦を起こせば、やがてそなたにも帰ってきますよ!!」


 寿桂尼は去り際にそう叫びながら連れ去られていったが、氏真はその言葉を一切気に留めず、そのまま館を出ると馬に跨るや、集められた将兵の前でこう言った。


「良いか!!これより尾張に向けて進軍する!狙うは父の仇、高秀高の首一つ!!全軍、出陣!!」


 氏真の号令を受けた将兵たちはおぉーっ!と声を上げると、そのまま駿府(すんぷ)を出て東海道(とうかいどう)を下っていった。この時、馬上に跨る氏真の顔は、勝利を確信した、自信満々に満ちた表情をしていた。


 かくして、今川軍は氏真指揮下の下、尾張へと向かって行った。しかし、今川軍は総勢を三万八千と誇張していたが、この遠征に消極的な傘下の豪族は、適当な理由をつけて参陣を拒み、実数はおおよそ三万余りしかかき集める事が出来なかったのである…。




 今川氏真、駿府を発つ。


 この報せは、伊助(いすけ)配下の忍び衆(しのびしゅう)によって当日中に尾張・那古野城(なごやじょう)に届けられると、秀高は直ちに小高信頼(しょうこうのぶより)村井貞勝(むらいさだかつ)に命じ、すぐさま境川(さかいがわ)北岸の丘陵地帯に陣城が建設された。その一方で、秀高は各城主に軍勢を率いての参集を伝え、その数日後には全軍が那古野に集い、秀高はそこで軍議を開いたのだった。


「皆、ご苦労だった。いよいよ、今川氏真がこの尾張に向けて動き出した。」


「今川が再び、この地に攻めて参りますか…」


 と、上座に座る秀高の言葉に反応して、三浦継意(みうらつぐおき)がそう言うと、目の前に座っていた義秀が継意にこう言った。


「大丈夫だってじいさん。攻めてくるんなら、もう一度やっつけてやりゃあいいだけだ。」


「義秀の言う通りだ。俺たちは二年前、たった四千弱の軍勢で今川軍四万余りを討ち破った。今回も、向こうから攻めてくるなら迎え撃つまでだ。一益(かずます)、こっちの兵力はどうなってる?」


 秀高は、その座に列している滝川一益(たきがわかずます)に話を振ると、一益は床几から立ち上がり、指示棒を使って、目の前の机の上に広げられている絵図を示しながら説明した。


「ははっ。まず那古野城に集結している軍勢ですが、殿の率いる本隊が四千、丹羽氏勝(にわうじかつ)殿の軍勢が二千五百。安西高景(あんざいたかかげ)殿の軍勢三千。森可成(もりよしなり)殿二千、前田利久(まえだとしひさ)二千。織田信包(おだのぶかね)殿三千五百。そして坪内利定(つぼうちとしさだ)殿の二千五百。総勢一万九千五百ほどとなります。」


「なんと…たった二年でそれほどの兵力を確保できたのか…」


 その陣立てを聞いた継意が感嘆してこう言うと、隣に座る可成が継意にこう言った。


「まぁ、これでも潜在的な動員数の半分にもいっていない数でござる。このまま内政が上手くいけば、尾張一国だけで四万ほどは招集できるでしょう。」


「ふむ…やはり足軽というのは金がかかるが、兵を揃えやすい故の利点が効いた訳か。」


 継意が可成の言葉を聞いた上でこう言うと、一益はその空気を見計らった後に言葉を続けた。


「これに、鳴海城(なるみじょう)で合流する佐治為景(さじためかげ)殿の三千、それに坂部城(さかべじょう)にて対岸の水野(みずの)勢の牽制に当たっている久松定俊(ひさまつさだとし)殿の二千を加えれば、こちらの総兵数は約二万五千ほどになります。」


「うむ…良くこれだけの兵力を確保できるようになってくれた。これも全て皆のお陰だ。本当にありがとう。」


 と、秀高は味方の状況を聞くと感慨深く思い、その場にいた一同に向けて頭を下げた。すると、それを見ていた継意が秀高に頭を上げさせてこう答えた。


「いえ、これも全て殿の方策のお陰にございます。これだけの兵数があれば、今川勢など恐れるに足りませぬ。」


「その通りだ!こちらは守りの戦、はるばるやってくる今川の野郎どもを叩けばいいだけだ!秀高、それでどう動く?」


「…よし、ではこれより今後の戦術を伝える。」


 継意や義秀の言葉を聞き、頭を上げた秀高は、一益より指示棒を貰い受けると、着座しながら机の上の絵図を示し、その場の諸将に作戦を伝えた。


「まず我々は今日のうちに、この那古野を出立し、途中の鳴海城にて佐治勢と合流。その後は鎌倉街道(かまくらかいどう)を下り陣城へと向かう。陣城内の配置だが、本陣は旧沓掛城(くつかけじょう)内に置く。各隊は陣城の内側に一列で並ぶように配置し、敵の侵攻を跳ね除ける。」


 秀高はそう言うと、指示棒を両手で持ちながら言葉を続けた。


「それに、もし敵が岩崎(いわさき)大府(おおふ)方面に向かった場合はその都度、それぞれの部隊に命じて迎撃に向かわせるので、各隊は陣城の中でいつでも動けるようにしておけ。」


「ははっ!!」


 諸将が秀高の作戦を聞いた上で各々声を上げ、承諾した旨を秀高に伝えると、秀高はその諸将に向けてあることを伝えた。


「既に松平元康(まつだいらもとやす)朝比奈泰朝(あさひなやすとも)らが率いる今川先鋒は既に、境川東岸の知立城(ちりゅうじょう)に入城したという。我らもすぐさま陣城へと向かい、今川軍を迎撃する態勢を整えるんだ。」


「ははっ!!」


 その情報を聞いた諸将が声を上げて答えると、秀高は床几から勢いよく立ち上がり、諸将を見つめながらこう言った。


「皆、良いか!敵はこちらが戦から離れていて、久しぶりの戦で弱くなっていると思っているに違いない。だがそれは敵も同じ!たかが私心で戦を起こし、憎しみだけで動く氏真に負けるわけにはいかない!!もう一度今川軍を散々に打ち破り、その武名を天下に轟かせてやれ!!」


「おーっ!!」


 その秀高の発破を聞いて奮い立った諸将は一斉に立ち上がり、喊声を上げて秀高に意気を示した。


こうして秀高率いる軍勢約二万余りは、その日のうちに那古野城を出立し、鳴海城で佐治勢三千と合流すると、夕方には陣城に到着して各々野営を張り、今川軍の侵攻を待ち受けた。そして今川軍の先鋒が境川を渡り、陣城前面に現れたのは、それから四日後の五月十日の事であった…





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