1561年3月 聞こえてくる予兆
永禄四年(1561年)三月 尾張国小牧山城築城地
永禄四年三月。高秀高の姿は、新たに築城が進む小牧山城の築城現場にあった。秀高が昨年、水路開拓の様子を見下ろした小牧山に築かれていたこの城は、小牧山の頂上に本丸を置き、その周囲に三重の石垣を張り巡らせ、更にその周りを数多くの曲輪を開削している中規模の山城を築城中であった。
「おぉ、だいぶ工事も進んでいるなぁ。」
この日、築城作業が進む本丸内で、造営が進む本丸館内を、城主の職を拝命した森可成や、小高信頼と山口盛政、それに水路開拓の進捗を報告しに来た村井貞勝と共に秀高が歩いていた。
「はっ。元々廃城にしていた知多半島南部の諸城の建材を再利用しておるので費用も安く上がり、新しく作るところとの兼ね合いもしておりますので、新規とはいえ概ね早く出来上がっておりまする。」
可成は工事が進む館内を進みながらそう言うと、やがて居間の区画に置かれた床几に秀高らを誘導させ、秀高らは用意された床几にそれぞれ腰を下ろした。床几に座った秀高は、可成の方を向くとすぐに声をかけた。
「聞けば、黒田や末森の築城も同じように早く進んでいるという。もしこのままいけば一ヶ月もかからずに出来上がるだろうな。」
「はっ。また築城の際に手際のよい組には金子を振る舞っておる為、皆真剣に築城に取り組んでおるお陰で城の備えも何の心配もないかと思われます。」
「割普請、と言ったか?やはり分担作業は効率が良いんだな。」
秀高が割普請の事についてこう言うと、その場にいた貞勝も秀高に向かってこう言った。
「殿、某が行っている水路開拓も、割普請を行っており、皆の働きでただ今は六割ほどの開削を終えておりますぞ。」
「何、もうそんなに掘ったのか。」
秀高が水路開拓の成果に驚いてこう言うと、貞勝はそれに頷いて答えた。
「はっ。このまま順調に行けば早くても年内には完成いたしますぞ。」
「そうか…そうなれば尾張東部でも水田の開発が出来るだろうな。」
秀高がそう言ってこの国の将来に思いを馳せていると、その場に可成の家来たちがお椀を持ってきて、各々の目の前の机の上にお椀を置いていった。秀高はそのお椀を持ち、中に入っていた水を飲み干した。すると、その中で信頼が徐に口を開いた。
「…そう言えば秀高、個人的な事で申し訳ないんだけど…」
「ん?どうしたんだ信頼。」
秀高がお椀を机の上に置きながらそう言うと、信頼は秀高の方を向いてこう言った。
「実は、舞がめでたく妊娠したようなんだ。」
「何、それは本当か!?」
秀高がその一言に驚いて信頼に言葉を返すと、信頼はそれに頷きながらも言葉を続けた。
「うん。つわりがあったのは先日なんだけど、その様子から見て舞が身籠ったのは間違いないと思うよ。」
「おぉ、おめでとうござる!」
その言葉を聞いて盛政が喜び信頼に祝福の言葉を述べると、それに続いて可成も信頼に声をかけた。
「信頼殿、誠におめでとうござる。」
「ありがとうございます…。なんか、皆さんから祝福の言葉を受けて、とても嬉しいです。」
「信頼、これからが大変だ。今後は母子の健康を第一にして、産まれてくる子の事を思いながら過ごしてくれ。」
秀高が信頼にこう言葉をかけると、信頼はそれに頷いて応えた。信頼や舞にとっては、念願ともいうべき子供の出産に、その場の雰囲気は和やかなものになっていったのであった。
「殿、失礼いたします。」
と、その和やかな雰囲気のその場に、秀高に同行して来ていた神余高政が現れた。秀高は高政の姿を見ると、直ぐに反応して高政に声をかけた。
「おぉ、高政か。何かあったのか?」
「はっ。先ほど那古野の留守居である継意様より報告があり、この書状を殿に見せてほしいと。」
高政はそう言うとその場の中に入り、秀高の側に来ると継意からの書状を秀高に手渡しした。その場の一同は継意からの書状であると聞くと、和やかな空気から一転して張り詰めた空気になり、その書状の内容が気がかりになっていた。
「…そうか。やはり動いてきたか。」
「如何なさいましたか?」
継意の書状を見てポツリと言葉を漏らした秀高に、その様子を見ていた可成が声をかけると、秀高は目の前の机に書状を置くとその場の一同にこう言った。
「坂部城の久松定俊から早馬が来たそうで、何でも隣国の三河で米の買い占めや農村で人足の招集が始まっているらしい。」
「なんと、それはつまり…」
その報告を聞いた驚いた可成の姿を見ながら、秀高は書状を見つめながらこう言った。
「あぁ。これは間違いなく戦支度だ。そしてその目標はおそらく…この尾張だろう。」
秀高が自分の考えを元にしてこう言うと、その場にいた一同は驚愕した。後背の上杉や武田と戦の可能性が無くなった今、今川氏真が取る道は尾張への侵攻以外になく、この報告が意味するものはつまり、これから数ヶ月以内に尾張への侵攻が始まる事であった。
「如何なさいますか、沓掛城無き今、境川を渡ってくる今川軍を迎え撃つ地などありませんぞ。」
「案ずるな盛政。実は昨年から、この信頼と話し合って対策は練っていた。信頼、話していたことを皆に伝えてくれ。」
「うん、分かった。」
信頼は秀高から話を振られると、その場にいた一同の方を向き、秀高と極秘裏に打ち合わせていた事項を皆に向けて伝えた。
「…実は昨年の政綱の死後、子の政辰が父から極秘に聞いていた遺言があって、それは沓掛城の北西部に広がる丘陵地帯の三河方面一帯に大きな柵と櫓を拵えた陣城を築き、今川軍をその場で迎え撃つようにする事だった。」
信頼が皆に向けてそう言うと、それを聞いていた盛政が信頼にこう言った。
「しかし、そのような物を作るとなれば、対岸の三河に伝わってかえって警戒されるのでは?」
「そう、そこで一つ工夫を加えていたんだ。」
信頼が盛政に向かってこう返すと、再び目の前の一同の方を向きながら言葉を続けた。
「既に鳴海城や坂部城には櫓や柵用の部材が置かれ、目標の丘陵地帯一帯にもあらかじめ下準備はしていて、柵と櫓を組み込む土台を作ってあるんだ。もし今川軍が動き出したとわかればすぐにでも工作部隊を派遣し、土台の上に櫓や柵などの陣城を即座に築くことが出来るよ。」
「まぁ、言うなればこちらは機先を制して、陣城を作成することが出来るって訳だ。即座に陣城が出来れば、こちらはその中に籠り、境川を渡ってきた今川軍を迎え撃てば良いわけだ。」
その考えを聞いた重臣一同は、秀高の考えに感嘆した。確かに今川軍出陣の報を受けて数日の間に陣城が出来れば、今川軍の出鼻を挫くことが出来るのである。
「なるほど…もしそれが可能になれば、今川の進軍はそこで足止めになりましょうな。」
「そういう事だ。その為にも、こちらも準備をしなくちゃな。」
秀高は可成の言葉を聞いた上でこう言うと、貞勝の方を見ると、貞勝にこう指示した。
「貞勝、という訳で工事はいったん中止だ。水路開拓に従事していた農民たちには休みを与え、こちらから派遣した人足には直ぐに鳴海方面に向かうように伝えてくれ。」
「ははっ。この事情を聞けば致し方ありますまい。直ぐにでもそう致します。」
秀高の指図を聞いた貞勝はそれに頷き、直ぐに床几から立ち上がってその場を後にしていった。次に秀高は可成の方を向いてこう言った。
「可成、直ぐにでも動員がかかるだろう。今回は城の築城の人足を除いた足軽たちを率いてもらうが、その時はよろしく頼む。」
「ははっ。ではこちらも準備を始めるとしましょう。」
可成は秀高に向けてこう言うと、可成も床几から立ち上がって秀高に会釈をすると、そのまま出陣の準備をするべくその場を去っていった。そして秀高は、盛政に向けてこう指示した。
「盛政、聞いての通りだ。直ぐにでも尾張国内の諸城に出陣準備を取らせ、いつでも動けるようにしてもらいたい。」
「分かりました。直ぐにでも早馬を飛ばしましょう。」
盛政は秀高の指示を受けると、会釈をしたのちに床几から立ち上がり、那古野城へいち早く帰還するためにその場から去っていった。と、その盛政がその場から去っていったと同時に、その場に伊助が現れた。
「殿。申し上げます。」
「伊助か、どうかしたか?」
すると、伊助は懐から一つの密書を取り出すと、それを秀高に差し出しながらこう言った。
「先ほど、三河の密使と名乗る者がこの書状を殿にと。」
「何?三河の密使だと…?」
秀高はそう言うと、伊助から密書を受け取るやその封を解いて中身を見た。すると、その書状を見た秀高は驚き、秀高はその密書を信頼に手渡しして見せた。そしてその密書を見た信頼も、秀高と同じように驚いていた。その密書を送ってきたのは、驚くべき人物であった…