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1561年1月 秀高の或る一日



永禄四年(1561年)一月 尾張国(おわりのくに)那古野城(なごやじょう)




 翌永禄(えいろく)四年一月上旬。元旦の慶賀を終えて普段の生活に戻った那古野城内の本丸館、城主である高秀高(こうのひでたか)の書斎において、馬廻の神余高政(かなまりたかまさ)がある者を連れて登城して来ていた。


「高政、今日はどうしたんだ?」


 上座の書斎の机の前に座った秀高は、秀高に向かって会釈をした下座の高政に向けて来訪の要件を尋ねた。すると高政はスッと頭を上げて、開口一番に要件を告げた。


「はっ。実はこの度、(それがし)の弟が是非とも殿の傍で仕えたいと申し、この場に連れて参りました。」


「ほう…じゃあその後ろにいるのがそうか?」


 秀高が高政の後ろにて控える人物を見て尋ねると、高政は秀高の言葉に頷いて答えると、背後にいる人物に向けて自己紹介するように促した。するとその人物は一つ前に正座の姿勢のまま進むと、再び手を付いて頭を下げ、秀高に向けて自己紹介をした。


「お初にお目にかかりまする。神余甚四郎高政かなまりじんしろうたかまさが弟・神余甚三郎(かなまりじんざぶろう)にございます。」


「甚三郎…お前も名がないという事は足軽武士なのか?」


 秀高が甚三郎の名を聞いてその事を尋ねると、甚三郎はそれに頷いて言葉を続けた。


「はっ。今は兄のもとで足軽武士を務めております。しかし殿への忠誠は兄にも負けてはおりません。どうか拙者を殿の馬廻の一人にお加えいただけないでしょうか?」


「殿、どうか某からもお頼み致す。弟は桶狭間(おけはざま)以降の殿の戦にも参加しており、その都度敵の足軽たちを切り伏せてきた猛者にございます。その武勇をどうか、殿のお側に置いて下さいませ。」


 甚三郎と兄でもある高政の願いを聞いた秀高は、直ぐにでも微笑んで二人にこう言った。


「何を言うんだ高政。むしろこっちから願いたいくらいだ。甚三郎。これからは俺の近くで是非とも働いてくれ。」


「…ははっ!!ありがたきお言葉、恐悦至極に存じ奉ります!!」


 甚三郎は秀高の言葉に感激すると、そのまま頭を下げて秀高に向けて感謝を示したのだった。すると、秀高は机の上にある筆を取ると、紙の上にある者を書き始めた。


「それにしても、甚三郎には名前がないと聞いた。よし、仕官のついでに俺の一字をつけて名前を授けよう。」


 秀高はそう言いながら甚三郎への新たな名前を紙に書くと、筆を(すずり)の上に置き、そのまま甚三郎に向けて紙に書かれた名前を見せた。


「俺の高の一字をつけ、高晃(たかあきら)だ。今後は神余高晃(かなまりたかあきら)と名乗ってくれ。」


「なんと…仕官を認めていただいたばかりか、新たな名を頂けるとは…この高晃、身命を賭して殿にお仕えいたします!」


 高晃は秀高の配慮に感激すると再び頭を下げて感謝を示した。こうして高政の弟である高晃が新たな秀高の家臣として仕える事になったのである。




「そう、また頼もしい家臣が増えたものね。」


 その数刻後、高政らが城から下がっていった後で、秀高は昼飯を取るために居間へと戻り、その中で静姫(しずひめ)(れい)と話していた。


「あぁ。これは俺の直感なんだけどな、あの高晃の風格は兄の高政にも劣らないものだ。きっと戦の際には大将首を上げてくれるだろうさ。」


 秀高は静姫にそう言うと、手に持っていたお椀に盛られた白米を口に運んだ。すると、その傍らで米櫃から白米をよそっていた玲が秀高にこう言った。


「…そう言えば、話は変わるけど秀高くん、知ってるかな?姉様が子供を身籠ったって。」


「あぁ、それなら聞いたよ。」


 と、大高義秀(だいこうよしひで)(はな)との間に新たな命が芽生えた事を、既に知っていた秀高が白米を飲み込んだ後にこう言うと、玲から白米が盛られたお椀を受け取った静姫が話に加わった。


「私もそれを聞いたわ。しかも二人からじゃなく、その家臣の重晴(しげはる)が昨日報告してきたのよ?いつもは本人たちが報告に来ていたのに…」


「仕方がないさ。あいつも今は兵制改革を取り仕切っている最中だ。本人が報告できない事情もあるからなぁ。」


 秀高が静姫にそう言うと、静姫はふん、と顔を背けながら白米を口に運んだ。すると、玲が隣に座る徳玲丸(とくれいまる)の分の白米をお椀によそうと、徳玲丸は箸を取って黙々と食べ始めた。


「ふふっ、ほら徳玲丸、着物にお米がついてるよ?」


「あ…申し訳ありません、母上。」


 玲がそう言いながら徳玲丸の着物の襟もとに付いた米粒を取ると、徳玲丸は母である玲に一言詫びて再び食べ始めた。それを見ていた秀高がふと、玲にこう言った。


「そうか、もう徳玲丸も四歳を迎えたんだったな。」


「…うん。本当に、成長というのは早いね。」


 秀高と玲が徳玲丸の姿を見つめながらそう言いあうと、それを見ていた静姫がふふっと噴き出して二人にこう言った。


「あら、二人とも随分と年寄りみたいな話をするのね。」


「そ、そうか?」


 秀高が不意を突かれたように慌てて、静姫に言葉を返すと、静姫は徳玲丸の姿を見ながらこう言った。


「まぁ、子供の成長は早いものというわ。子供と同時に、親でもある私たちも同じように年を取っていくのだから、そういう会話になるのも無理ないわ。」


「…それもそうだな。」


 秀高は静姫の言葉を聞くと、そのまま白米を口に運んだ。そして咀嚼しながら、目の前にいる徳玲丸の将来を考えながら思いにふけったのだった。




 昼食を摂り終えた後、この日は午後の政務がない秀高は居間に子供たちを集め、居間の外の縁側に座り込んでそれぞれと大切な時間を過ごしていた。


(とく)さん、徳玲丸の様子はどうですか?」


 と、秀高は生まれたばかりの秀千代(ひでちよ)を腕の中に抱えながら、乳母(うば)を務める徳に徳玲丸の普段の様子を尋ねた。


「はい。徳玲丸様は書庫に籠りっきりで、その中にある書物を見ながら、傅役の一益(かずます)兄の代読を聞きながら、静かにその内容を聞いています。」


「あら、徳玲丸ってその年で書物に興味を示しているの?」


 と、自身が産んだ子である静千代(しずちよ)を抱えながら、静姫がその事に驚いたのか徳に真偽を尋ねると、徳はそれに頷いて更に話を続けた。


「はい、しかもそれのみならず、一益兄が言うには最近は兵法書の代読も頼むそうでございますよ。」


「ほう…兵法書もか。これは将来が楽しみな話ですね。」


「秀高くん、どういう事?」


 と、秀高らと同じように友千代(ともちよ)を抱えながら玲が秀高に尋ねると、秀高は玲の方を向いて話し始めた。


「兵法書や政治書に興味を示すという事は、大名の後継者としては申し分ない要素だという事さ。それらに興味を示してくれればきっと、勉学が身に付きやすくなるだろう。」


「はい。殿と同じような事を、一益兄も申しておりました。」


 秀高に賛同するように徳がそう言うと、侍女の(うめ)の一人娘で成長して静姫付きの侍女となった(らん)熊千代(くまちよ)の遊び相手をするのを見つめながら、秀高が静姫らにこう言った。


「…となると、この熊千代の傅役をそろそろ決めないとな。」


「なら、いっその事義秀(よしひで)に託すのはどうかしら?あの武勇の持ち主に見てもらえばきっと、将来勇猛な武将になるに違いないわ。」



 静姫の意見を聞いた秀高は、蘭と遊ぶ幼い熊千代の姿を見つめながら静姫にこう言った。


「それも考えたんだが、熊千代は万が一のことがあったら次の当主になる身だ。そのように一方的な方向性を決めて良いんだろうか…。」


「何を言ってんのよ。」


 と、その一言に驚いた秀高が静姫の方を振り向くと、静姫は秀高の顔を直視しながら秀高にこう言った。


「あんたも織田家(おだけ)のいざこざや、かつての家督争いの経緯を知っているんでしょう?ならいっその事、熊千代やその弟たちには家督を相続させない前提で育てた方が安全よ。無用な争いで、この高家を滅ぼさない為にもね。」


 その意見を聞いた秀高は、秀千代を抱えながら居間の縁側から見える庭先を見つめた。静姫の意見は、家を滅ぼしたくない秀高にとっては正論のように聞こえた。そして秀高は意を決し、一回頷くと静姫の方を再び振り向いてこう言った。


「…そうだな。お前の言う通りだ。この子たちにはこれから、それをしっかりと言い聞かせないとな。」


 秀高はそう言うと空高く見つめた。その空は青く澄み渡っており、雲一つない景色であった。秀高は将来の子孫たちの事を見据える決心を心の中に決めたのであった。


「玲、きっと義秀なら、あの腕白な熊千代の傅役を務めてくれるだろう。どうだ?」


「うん。義秀くんなら、私も文句はないよ。」


 秀高は玲からその言葉を聞くと、蘭と遊ぶ元気いっぱいな熊千代の様子を見つめ、ふふっと微笑んでその光景を見つめていた。その後、大高義秀(だいこうよしひで)が熊千代の傅役に命じられることになったのは、その後日の話である…





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