1556年8月 兄弟相克
弘治二年(1556年)八月 尾張国末森城
織田信勝が兄・織田信長への反旗を翻す決意をしてから、実に四ヶ月が過ぎた。その間、信勝の居城・末森城には、各地からの早馬が続々と城の出入りを繰り返し、同時に城内や林秀貞の弟・林美作守通具が城代を務める那古野城では戦支度が着々と進められていた。このおびただしい様子は尾張国内を初め近隣諸国にも知れ渡り、織田家に内紛が起こったとその耳目を一身に集めていた。
「やはり、信勝は反旗を翻すつもりか…」
その渦中の末森城より北の方角、信長の本拠である清洲城にて、家臣からの報告を受けた信長は、その事実を重く受け止めた。信長にしてみれば、実弟でもある信勝の謀反は予測はしていたものの、それを実行に起こすとは思ってもいなかった、いや、思いたくなかったのである。しかしその、謀反の嫌疑の報告をした家臣・河尻秀隆の報告は、信長に重い現実を叩きつけるに等しかった。
「はっ、既に信勝殿は岩倉や犬山の織田家、更には斎藤義龍にも後援を仰ぎ、その軍勢が末森方面にも参集する可能性がござりまする!」
「殿、末森の軍勢は、御父上の信秀様直属の猛者揃い…それに援軍を受けては、数に劣る我らでは…」
信長の右隣り、下座に控える信長配下の家老・佐久間信盛がそう言うと、信長は扇で膝を叩いた後にこう述べた。
「…案ずるな、事ここに至っては仕方がない。今、信勝に攻めかかれば岩倉・犬山の援軍など、何の意味もなさぬ。ここは我が方の全軍にて、信勝を討つ!」
「しかし、信勝様を攻撃するならば、まずは庄内川を越え、那古野城に守山城を攻め取らねばなりませぬ。ここを守るはいずれも精鋭にて、ここで手間取っていては…」
「長秀、案ずることはないわ。」
下座に控える丹羽長秀の懸念にこう述べたのは、勝幡から来た織田信隆であった。信隆は高山幻道を伴っており、信隆が幻道の方を見ると、幻道は信長にこう言った。
「信長様、お喜びくだされ。予てからの調略が功を奏し、遂に信勝重臣の切り崩しに成功しましたぞ。」
幻道はそう言うと、部屋の奥に控えていた一人の武将を呼び出す。すると、その武将を見た信長は、ニヤリと笑ってこう言った。
「そうか、貴様がこちらに付くか…この戦、勝ちは貰ったぞ。信勝よ。」
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同じころ、こちらは信勝の居城・末森城の評定の間である。ここでは信勝と家臣の柴田勝家、それに高秀高らが出席して最後の決起準備を進めていた。
「那古野城と守山城の改修はどうなった?」
「ははっ、既に那古野城・守山城ともに曲輪の増設と堀の掘削、櫓の増設などを完了し、守備兵の増員も終わって万事整いました。」
信勝の問いに答えた勝家がそう言って状況を示すと、信勝は続いて参謀格の重臣・林秀貞に援軍の状況を尋ねた。
「秀貞、岩倉・犬山の軍勢はいつ到着する?」
「ははっ、既に岩倉織田家家老・山内盛豊殿率いる軍勢八百と同じく犬山織田家家老・中島豊後守殿率いる軍勢九百、いずれも明日までには末森城に到着する手はずにございます。」
「そうか…よし、出陣は明日とする。これを城下の土豪らに伝え、末森城に参集せよと伝えよ。」
「ははっ!」
秀貞がそう返事をした後、信勝は秀貞の奥に控える秀高らに目をやった。
「秀高、此度の戦、そなたらの初陣となろう。初陣ゆえ慎重に、だが心置きなく戦うと良い。」
「ははっ、身に余る言葉にございます。」
秀高はそう言うと、信勝にある事を伝えた。
「ですが信勝様、身重の玲と、玲を支えるために舞の二人は、今回の戦に参陣しないで城下に留まり、残りの四名が戦に参陣することになります。」
「そうか、それは仕方がない。ではそのように致せ。」
「ははっ、ありがとうございます。」
秀高が信勝に礼を述べたその時、評定の間へ早馬の使者が駆け込んできた。
「ご注進!守山城代の佐久間盛重様、清州の信長方へ寝返りしました!」
「何っ!?大学が裏切ったと申すか!?」
その早馬の報告を受けた勝家は立ち上がって驚き、怒りを沸々と湧きあがらせた。一方の信勝や秀貞はその報告にあっけを取られ、未だ信じきれない様子であった。
「馬鹿な…盛重が、寝返ったというのか…!」
「恐れながら、盛重様は佐久間信盛、それに…織田信隆の禅師・高山幻道の誘降を受けて寝返ったとの事…。」
早馬が漏らしたその名に、今度は秀貞が怒り、立ち上がって早馬の使者に向かい、吐き捨てるように怒った。
「おのれ…またしても高山幻道か!!」
「…分かった、下がって良い…。」
信勝はそう言って早馬の使者を下がらせると、秀貞や勝家に向かってこう言った。
「秀貞、勝家。兄上の事だ…恐らく盛重の寝返りを受け、既に清州を発ってこの末森に向かってくるであろう。最早致し方ない。明日までに軍勢を整え、庄内川南部の稲生まで進む。そこまで進めば、那古野城代の林通具の軍勢と合流できよう。」
「しかと、承りました。ではこれにて…」
秀貞はそう言うと、勝家と共にその場を去り、それぞれ戦支度を整え始めたのであった。すると信勝は勝家や秀貞らが評定の間より退出したのを確認すると、腰に差していた扇を取り出して手首をひねって秀高らを呼び寄せるように扇を操りつつ言葉を発した。
「秀高、それに皆、近う寄れ。」
信勝は評定の間の上段と下段の仕切り付近に秀高らを近くに集めると、単刀直入にこのようなことを聞いてきた。
「…秀高、それに皆。お前たちは未来から来た。ならばこの戦の行く末…知っておるのだろう?」
その言葉を聞いた秀高らは、次に信勝から出てくる言葉を知っていた。それを予測した秀高らの暗い表情を信勝は感じたが、構うことはなく言葉を続けた。
「教えてくれ。私は…織田家はこの後、どうなる?」
信勝の言葉を聞いた秀高は、その予測が当たったという思いと同時に、信勝に自分たちが知る歴史を教えていいのかと思った。仮にも、信勝のこれからの歴史はある程度決まっており、これを教えた時どうなるか、それは未だ予期出来ていなかったのである。
「…それは…」
秀高のその、言いよどんだ雰囲気を見た信勝は、その雰囲気で何かを感じ取ったのか、一瞬だけ目を閉じた後、開いて秀高にこう言った。
「言えぬ、か。すまぬ。意地悪な発言をした。許せ。」
信勝の謝りを聞いた秀高らは焦って頭を下げ、信勝に謝罪した。
「も、申し訳ありません、お教え出来なくて…」
「いや、気にするな。そなたらも歴史をおいそれと言えぬ、何か深い事情があるのであろう。ならば、私はこれ以上追及せぬ…。」
信勝はそう言うと、秀高の両手を取り、秀高を見つめてこう宣言した。
「…見ているが良い。私は兄上に勝ち、かならず織田家を救って見せようぞ。」
「…ははっ。」
秀高はその答えを受け止める事しかできなかった。そして、この判断が正しかったのか?その答えは未だ掴めないでいたのであった。
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こうして秀高らは末森城から帰宅して諸々の準備を済ませ、そして翌日、自身の武家屋敷において出陣の儀式を行った。
「玲、これより行ってくる。くれぐれも身体の事を大事にしてくれ。」
「…うん。秀高くんも、それに皆も無事に帰ってきてね。」
玲の言葉を受けた秀高、そして義秀や信頼はそれに一礼して答え、姉である華は優しく微笑みながら頷いた。
「秀高さん、玲お姉様のことは任せてください。梅さんたちと一緒に、必ずお守りしています。」
この舞の言葉と同時に、部屋の外に控える梅と蘭母子も頭を下げ、鼻に向かって礼をした。
「そうか…では行くぞ!良いか!」
「おうっ!!」
秀高が叫んで手に持っていた盃を叩き割ると、義秀もそれに応えて盃を叩き割り、信頼と華も同じく叩き割り、それぞれの得物を装備して屋敷から出ていった。その後姿を見て、玲たちは頭を下げてそれを見送ったのであった。
こうして参陣した秀高たちは信勝の軍勢に加わり、岩倉や犬山の軍勢を加えた信勝軍は一路北上、稲生の地へと向かって行ったのである…。




