1560年9月 川中島にて龍虎相打つ
永禄三年(1560年)九月 信濃国川中島
永禄三年九月九日。ここは信濃北部の千曲川と犀川の交差する三角地帯にある川中島。この地で十数年に及ぶある戦いが行われようとしていた…
千曲川東岸、かつて清野氏の居館があった場所に築城された海津城にて籠るは、甲斐の虎とあだ名される武田信玄率いる二万もの軍勢である。その海津城の南、長野盆地の南に位置する妻女山に陣営を張る軍勢こそ、勢いに乗る上杉政虎率いる二万二千の軍勢であった。
両軍は、先月末に武田軍本隊が海津城に入ってから、十日近くこうしてにらみ合いを続けていた。先に布陣していた上杉勢は犀川北岸の旭山城と善光寺に兵糧などの小荷駄と守備部隊八千を配備しており、兵力に劣る武田方は自然と上杉勢との決戦に迫られていたのである…
「…信玄坊主はまだ出てこぬのか。」
その日の夕刻、上杉勢の本陣が置かれている妻女山の山頂にて、山下の海津城を見下ろしながら政虎が家臣たちに語り掛けた。すると、それに反応したのは政虎家臣の柿崎景家であった。
「はっ。忍びの報告によれば、信玄は先月末に海津に入城して以降、一歩も城より出てこずに黙っているそうにございます。」
「おのれ…憎き信玄め、この期に及んでまたしても焦らすつもりだな?」
と、政虎が振りかえって陣幕の中に入り、上座に置かれている床几に腰を下ろすと、その後に政虎の軍師を務める宇佐美定満が口を開いた。
「しかし、既に城内では信玄の家臣たちが血気に逸り、城外に打って出ての決戦をもくろんでおると噂で聞いております。」
「…ほう?定満、もし信玄が動くとすればいつか?」
政虎が定満に向かってこう言うと、定満は陣幕の外から、海津城の方向を振り向いて見ながら答えを述べた。
「おそらくは…今晩かと。」
「何?しからば今宵の内に動かれると申すか?」
と、その陣幕の中にいた政虎家臣・中条藤資が驚いて定満に問い返した。
「…如何にも。恐らく信玄は此度の戦、数の上でも信玄に不利なのは分かっておるはず。ならば兵力に劣る信玄が勝つには、我らを野戦に引きずり込ませる。それ以外勝ち目はないと思われまする。」
「…なるほどな。もし動くとすれば今晩か…。」
その定満の予測を聞いて、政虎もその意見に得心していた。確かに現状で兵力で劣っているのは武田勢に間違いなく、信玄としては野戦に持ち込ませる気だろうと思っていた。しかし、今まで慎重な姿勢を見せ続けてきた信玄が、ここでそれを崩すことは到底あり得ないとも政虎は考えていたのである。
「殿、海津城に炊煙が上がりました。」
と、そこに小島弥太郎が入ってきて政虎に報告した。この妻女山に布陣して以降、政虎は弥太郎に命じて夕刻時に上がる炊煙の数を監視させていたのだ。
「そうか、どうだ?何か変わったことはあったか?」
「はっ、それが何やら、今日の炊煙はいつになく多く感じるのです。」
その報告を聞いた政虎は徐に立ち上がり、弥太郎と共に陣幕の外に出て海津城方面を見た。すると確かに、海津城から立ち昇る炊煙の数が、いつもより多く見えていたのである。
「あれは…確かに多いな。」
と、政虎に続いてやってきた景家も、炊煙の様子を見てポツリとこう言った。すると、今度は家臣の甘粕景持が炊煙を見てこう意見した。
「殿、あれは信玄の策ではござらんか?いくらなんでも、我らに炊煙の量を多く見せてくるとは、余りにも不自然ではありませぬか?」
「いえ、その懸念は無用かと。」
と、その景持の意見に対して定満がきっぱりと否定した。
「あれは間違いなく炊煙にござる。武田勢は二万という大軍勢、それを一時に支度を始めれば、あのように城のあちこちで不規則に炊煙が立ち昇ってもおかしくはありませぬ。」
「…殿!ただ今城内の忍びより報告が上がってまいりましたぞ!」
と、そこに本庄繁長が現れて城内からの忍びの密書を政虎に届けた。その密書の中身というのは、目の前の炊煙の数に関連している情報であった。
「…やはりな。信玄坊主は動くぞ。」
「…『今夜の夜半、武田勢二手に分かれて行動。一手は夜陰に乗じて尾根伝いに妻女山を突き、もう一手が追われてきた当家の軍勢を八幡原で迎え撃つ構え。』…殿、これは啄木鳥戦法にございますな。」
政虎から密書を受け取った定満が密書の内容を読み上げた上で、その策を看破して政虎に意見すると、政虎は早速にも振り返って諸将に指示をした。
「定満、我らは夜陰の霧に紛れて静かに千曲川を渡河し、早朝までに八幡原に布陣する。」
「この妻女山を捨て置くと?」
政虎の策を聞いた定満が、政虎に対して尋ねると政虎はそれに首を縦に振って頷いた。
「そうだ。この山には陣幕と旗指物、それとありったけの篝火を焚かせる。それと伏兵として五十公野治長と新発田長敦勢四千を残す。治長!長敦!」
「ははっ!」
政虎から名指しで呼ばれた治長と長敦両名は返事をすると、政虎の前に進み出て片膝を付いた。
「その方らは、夜半にこの本陣に敵が入ってきた時に夜襲し、明け方までに敵の足止めに尽力せよ。明け方になれば後退し、殿の部隊と合流するのだ。」
「ははっ!お任せくださいませ!」
治長の返事を聞いた政虎はそれに頷くと、続いて景持の名を呼んだ。
「景持!お前には六千を与える。我らが千曲川を渡り切った後に雨宮の渡しに留まり、下山してくる武田勢の足止めをせよ。」
「はっ。その任、しかと引き受けました。」
政虎は景持の言葉を受け取ると、その軍勢に参加していた村上義清と高梨政頼の両名を見た。この両名は信玄の信濃侵攻によって領地を奪われ、政虎の客将として戦に参陣していたのである。
「義清殿、それに政頼殿。ご両名は景持に従って武田勢の足止めをお願いいたす。」
「はっ。憎き武田に一泡吹かせてやりましょうぞ。」
義清の意気込みを聞いた政虎は頷くと、残る諸将に向かってこう指示した。
「残る諸将は我と共に山を下山し、夜半の内に対岸へ渡る!各々、急ぎ支度にかかれ!!」
「ははっ!!」
その政虎の下知を受けた諸将は、各々元気よく返事をしてそれに応えたのだった。こうして武田勢の動きを察知した政虎勢は、その日のうちに戦支度を終えた。そして政虎本隊が動き始めたのは、翌日未明の事であった。
「…良いか、皆よく聞け。」
翌日、十日の未明の事、妻女山を下山した政虎本隊が、千曲川の渡河地点である雨宮の渡しに着くと、政虎は馬首を翻して後方の将兵たちにある事を告げた。
「これより数里先に武田の本軍が控えておる。武田の者どもに察知されぬよう、渡河の際は一切の物音を立てるでないぞ。良いか。」
その政虎の言葉を聞いた将兵たちは頷き、その命令を後続の味方に早馬が伝えに行った。そして先行する政虎本隊は渡河を始めたのである。その際、馬の脚をゆっくりと進ませて水音を立たせず、足軽たちもそれぞれの武器をしっかりと持ち、身に纏う鎧のこすれた音一つも発しないように歩いた。
この場面こそ、後の世で[鞭声粛々夜過河]の漢詩で読まれることになる名場面である。
そして上杉全軍が川を渡り終えて布陣を整えた同じころ、いつしか霧に覆われていた八幡原も徐々に明るくなり始めていた。
「…いよいよか。」
その政虎軍の本陣。馬に跨って開戦の機を待つ政虎が、戦を待ちわびるように呟くと、その隣にて馬に跨る定満が声をかけた。
「はっ。忍びの報告によれば、すでに妻女山周辺に武田勢が襲い掛かり、留まる新発田勢と交戦中の由にございます。」
「そうか…定満。備えに戻るが良い。間もなく霧も晴れよう。」
「はっ。では殿、ご武運を。」
そう言って定満が自身の手勢に戻った頃、いつしか川中島一帯を覆っていた濃霧が晴れ始めていた。政虎はそれを確認すると、傍近くにいた早馬にこう指示した。
「その方、先陣の景家にこう伝えよ。霧が晴れ次第、景家の備えを先陣に敵に攻め掛かれとな。」
「ははっ。かしこまりました。」
早馬はその下知を聞くと、馬を早足で走らせて前面にいる柿崎隊の元へと向かって行った。そしてそれからしばらくすると、いよいよ濃霧も晴れ、政虎勢の前面に武田勢の姿を視認できた。
「…信玄坊主、行くぞ!」
政虎は刀を抜くと、馬上から振り下ろして攻撃開始の下知を下した。その合図を受けてか先陣の柿崎勢が喊声を上げ、鶴翼陣形で待ち構えている武田勢に攻め掛かっていったのである。
こうしてここに、四度目となる川中島の戦いが始まったのである。高秀高らのいた元の世界の歴史では、上杉勢は武田勢に損害を与える事に成功したが、結局信玄を討つことが出来ず、[流星光底逸長蛇]という漢詩のように政虎にとっては好機を逃す結果となった。
しかし、この川中島の戦いの結果は、元の世界とは大きくかけ離れた結果となったのである…