1560年8月 清洲からの商人
永禄三年(1560年)八月 尾張国那古野城
永禄三年八月の下旬。高秀高は自身の書斎において清洲城の城代を務める織田信包の面会を受けていた。その日は外は雨模様で、風にあおられた雨が縁側に少しかかっていた。
「…そうか、正利が…」
その書斎の中で、秀高はある訃報に接していた。蜂須賀城の城主でもあった蜂須賀正利が病を得て、去る八月の二十一日に死去したというのだ。
「はっ。なんでも昨年の冬ごろから体調を崩しており、つい先月辺りからは床に伏せたまんまでそのまま身罷ったようにございます。」
「そうか…惜しい人材を亡くしたな。」
秀高は信包にそう言うと、目を瞑って正利の事を悔やんだ。正利は尾張統一時に生駒一族を滅ぼし、戦後は海東郡の豪族武士として斎藤義龍との会見では共に同席していた。その時の顔を思い浮かべると、秀高にとっては何とも言えない気持ちになったのである。
「…盛政、直ぐにでも正利の所に弔問の使者を派遣してくれ。」
「ははっ。直ぐにでも使者を派遣いたしまする。」
その様に指示された山口盛政は、秀高よりその指示を受けると承知して受け取った。後に正利の遺族の元へ、秀高からの弔問の使者が派遣され、遺族たちは亡くなった正利の事を偲んだという。
「それで、蜂須賀家の家督は子の正勝殿が継がれるとの事ですが、その正勝殿より殿へ書状を預かっております。」
「何、正勝から?」
秀高は正利の嫡子でもある蜂須賀正勝からの書状を信包から受け取ると、直ぐにその場で開封してその中身を見た。
【殿に申し上げます。去る二十一日、我が父・正利がこの世を去りました。死際に際しても殿への詫びを口にし、まだまだ殿の役に立ちたかったという無念の言葉を述べて亡くなりました。父の悔しさを思うと、余りにも無念であったろうと思い、より悲しみが募って参ります。父は死に際し、某は殿の旗本となり、直臣として那古野城に移れという遺言を残しました。某はその遺言を果たしたいと思うので、殿には何卒、正利亡き後の蜂須賀城の破却を許していただきたいと思いまする。 蜂須賀小六正勝】
「…信包、正勝は蜂須賀城を破却し、俺の傍で働くことを希望して来ている。」
「なんと、蜂須賀城を破却なさると…。」
正勝の要望を秀高から聞いた信包は驚いていた。なぜならこの申し出は豪族の身分を捨て、秀高の側近として那古野に移住する事を申し出ていたからである。すると、その傍らで聞いていた盛政が、秀高に向かって口を開いた。
「殿、正勝の申し分を受け入れては如何か?これは義秀たちが進める兵農分離政策の追い風にもなり、正勝のような在地武士を集める事は、一つの例にもなるかと。」
「盛政の言う通りだ。」
秀高は盛政の意見を聞いた上でこう言うと、目の前の信包に向かってこう言った。
「信包、正勝にこの申し出を受け入れると伝えてやってくれ。そしてもし城の破却に人足が必要ならば、遠慮なく申し出てくれとも言ってくれ。」
「ははっ。その旨、謹んで正勝に伝えまする。」
信包は秀高の指示を受け取り、深々と頭を下げたのであった。その後、正利の葬儀を終えて埋葬を終えた正勝は、故地の蜂須賀城を破却し、そのまま秀高の那古野城へと移り住み、旗本として秀高の近くに仕えるようになった。
「…それで殿、実はもう一つ申し述べたき儀がございます。」
と、頭を上げた信包が、秀高に対してもう一つ進言することがあったので、秀高に向かってその意見を述べた。
「実は、殿が那古野へ居城を置いて以降、清洲に住まう商人たちが那古野への移住を申し出て来ておるのです。」
「何、商人たちが?津島や熱田ならともかく、なぜこの那古野に?」
秀高が不信がって信包に事の次第を問うと、信包は秀高に対してその事情を述べた。
「ははっ。殿がこの那古野に拠点を置かれて以降、清洲に住まう人口が少しずつ那古野へと流出して行っておるのです。商人たちは儲けを必要とするもの。その儲けを得るためには規模が縮小していっている清洲を去り、那古野へ移り住むのを希望するのも無理からん事かと思われまする。」
「そうか…盛政、この要望をどう思う?」
と、秀高は信包の意見を聞いた上で、傍らの盛政に話を振って意見を求めた。
「はっ。ただ今の城の周囲の用地の空きは、城の東部の広大な空き地がございます。この辺りを商人町として碁盤目状に整備すれば、より整然な街になるでしょう。」
「なるほどな…よし、盛政。直ちに清洲城下の商人たちや職人たちに触れを発し、希望する者に那古野への移住を許可すると伝えろ。その際、建物ごとの越しを命じ、人足は順番を追って派遣すると伝えてくれ。」
「ははっ。然らば早くも清洲城下に触れを発しましょう。」
この秀高の触れは早くも清洲城下に高札を以って貼られ、それを見た商人たちはこぞって移住を申し出た。それを見た清洲城では信包の判断で人足を派遣し、那古野城から来た人足と共に商人たちの屋敷を解体し、建材ごと那古野への移住を始めたのである。
それから数日後、その清洲から那古野への移住を申し出た商人の中の一人、伊藤惣十郎が秀高の元を尋ねた。
「…しかし驚いたな。まさか伊藤殿が、かつて信長の小姓を務めていたとはな。」
この伊藤惣十郎という人物、かつては織田信長の小姓を務めており、その時の名を伊藤祐広という。織田家の滅亡後、呉服商へと転身していて清洲の商人町で店を開いていたのだ。
「はっはっは。驚かれましたかな?しかし今のそれがしはしがない呉服商。織田家とは縁が切れております。」
「そうか…」
那古野城の本丸内に新たに建築された小さな茶室の中で、茶道の腕がある惣十郎が秀高に茶を振る舞っていた。茶道のしきたりに従って惣十郎から差し出された一杯の茶を頂くと、それを見ていた惣十郎が再び口を開いた。
「それに商人の某からすれば、此度の清洲からの引っ越しは願ってもない好機と思っておりまする。それに加えて高家からの御用達の看板を貰えれば、我が商家の商いはより大きなものになりますからな。」
「そう言ってくれると助かるよ。」
秀高は茶碗を惣十郎の前に差し出して返すと、そのまま惣十郎に対して会釈した。それに惣十郎も会釈して返すと、秀高は惣十郎に向かってこう言った。
「…ところで惣十郎。話は変わるが俺が知多半島で綿花の栽培を進めているのを知っているか?」
「もちろんにございます。呉服商である某にすれば、既に栽培を行っておる綿屋六兵衛とも知己になっておりまする。」
「そうなのか。」
秀高が惣十郎と六兵衛が知り合いになっているのに驚くと、惣十郎はそれに答えるように頷いた。
「はい。呉服商に比べて綿織物はいわゆる太物にはございますが、互いに商品の売り買いを認め、某の所の店でも六兵衛殿の太物も取り扱えるようにしてございます。」
「さすがに抜け目ないな。ならばお前に任せた方がよさそうだ。」
「…というと?」
秀高は惣十郎に向かってそう言うと、秀高は自身の腹案を惣十郎に向かって話した。
「惣十郎、俺は近い将来、この尾張で栽培した綿織物をはじめ、着物を諸国に売ってその利益で蓄銭を得たいと思うんだ。」
「なるほど、この尾張で仕立てた着物を売る交易を為したいと申すのですな?」
惣十郎が秀高の意見を聞いてこう言うと、秀高はそれに首を縦に振って頷き、更に言葉を続けた。
「そうだ。その際の商人たちを管轄する商人司を惣十郎、お前に任せたい。お前に当家御用達の手形を発行するので、お前は商人たちにその手形を渡してくれ。その手形が、当家とお前が認めた正当な商人になるんだ。」
「ほう…それでその見返りはどれほどもらえるので?」
惣十郎のその言葉を聞いた秀高は、見返りとなる銭の割合を隣に置いてあった算盤ではじいて示した。
「もちろん大きな役目を与えるんだ。当家の割合は四割で良い。残りはそちらの儲けにしてもらって構わない。」
すると、惣十郎は算盤を取ると秀高に向かって言葉を返した。
「…秀高殿、お気持ちは嬉しく思いますがその割合は引き受けかねます。」
「…まさか、もう少しそちらの割合を増やした方が良いか?」
「そう言う事ではありません。」
惣十郎は秀高の懸念を払拭させるように否定すると、算盤をはじきながら秀高にこう言った。
「秀高殿、商人司というのは商人たちを公正に監視し、公正に扱って商売を成り立たせるもの。その者が多く見返りをもらっては、他の商人たちの妬み嫉みを買いまする。」
惣十郎はそう言うと、算盤をはじき終えてその値を秀高に見せながら言った。
「…当方の割合は、四割で構いませぬ。いわばこれは、役目への割り当て銭と考えてくだされ。」
「そんなに少なくて大丈夫なのか?」
すると、その秀高の言葉を聞いた惣十郎は高らかに笑い、その心配を笑い飛ばすように言った。
「はっはっは。ご案じなさいますな。当方は商いが生業。その生業が失敗するようでは、商人とは到底呼べますまい?」
その笑みを見た秀高は納得し、ニヤリとほくそ笑んで惣十郎に言った。
「…さすがは商人だな。分かった、じゃあこちらの役銭の取り分は六割にしよう。惣十郎、商人司の役目、任せたぞ。」
「はい。秀高様、今後はこの伊藤屋にご用命くださいませ。」
惣十郎は秀高にそう言うと、丁寧にお辞儀して会釈した。こうして惣十郎は翌月に那古野への移転を終えると、移住してくる商人たちを先導し、同時に手形を発行して同じ商人たちの監督を行ったのであった。この時秀高は知らなかったが、この惣十郎こそ、秀高たちがいた元の世界での、松坂屋に繋がっていくのである…




