1560年8月 義秀の進言
永禄三年(1560年)八月 尾張国那古野城下
高秀高に新たな命となる子供たちが産まれた翌日、東から昇る朝日が照らされる那古野城下の大高義秀の家老屋敷では、寝室から出てきた義秀が背伸びをすると、そのまま華が待つ囲炉裏の間へと向かって行った。
「おはよう華。」
「あら、おはようヨシくん。今日は味噌汁とご飯と…ノブくんの所から頂いた漬物を用意しているわ。」
囲炉裏の間に入ってきた義秀を見て、華が囲炉裏の前のお膳に用意された朝飯の内容を告げると、義秀はそのお膳の前に座ると歓喜して喜んだ。
「そうか!あいつんとこで付けた漬物が美味しいんだよなぁ…いただくぜ!」
「はいはい。私は力丸を起こしてくるわね。」
お膳に用意されたお椀を取り、粗雑に食べ始めた義秀を見ると、華は寝かせていた息子の力丸を起こしてくるためにその間から去っていった。やがて華が力丸を連れて戻ってくると、義秀は米櫃を寄せて二膳目をよそっていた所であった。
「まぁ…もう一膳目を食べ終えたの?」
「あぁ。やっぱりあいつの所の漬物が美味しくてな!」
そう言って微笑みながらご飯を口に運んだ義秀を見て、華は微笑ましく思いながらその場に座り、共に義秀と朝食を食べ始めたのだった。
「…にしても、秀高ん所はもうこれで五人目だぜ?」
二人が朝食を食べ終えた後、膝の上に力丸を載せながら、楊枝で歯の詰まりを取りながら華に話しかけた。すると、華は湯飲みの中の白湯を飲み終えると、それを降ろして義秀の言葉に返した。
「まぁしょうがないわよ。ヒデくんは大名なんだから、多くの子供たちを残さなきゃならないのよ。」
「それもそうなんだけどな…実際いまの子供の数は他の大名達と釣り合っているのか?」
その問いを聞いた華が、ある事を思い出して義秀に返答した。
「…確か舞が言うには、西国の毛利元就は十三人もの子供たちを正室や側室たちに産ませたそうよ。」
「十三人だと?まるで大家族じゃねぇか。」
義秀が華にそう言うと、華は力丸を見つめながら義秀に言葉を返した。
「そうとも言い切れないわよ?甲斐の武田信玄の父である武田信虎は、息女が十七人もいたそうよ。それを聞くと、秀高の五人は少ない方だと思うわ。」
「なるほどなぁ…」
義秀がそう言って口に運んでいた楊枝をお膳の上に置くと、その会話をしたうえで思ったことを華に語った。
「つまり大名家や武士にしてみれば、子供たちをたくさん産むことが、その武家の力に繋がるってことか。」
「そう言う事よ。だから武士というのは、子供こそ一つの武器になるという訳ね。」
華がそう言うと、義秀は華に向かってある事を提案した。
「じゃあ、俺たちもたくさん子供を作って、後の世に俺たちの子孫を残さないとな。」
すると、その一言を聞いた華が湯飲みを目の前のお膳の上に置くと、義秀をふふっと微笑みながら見つめた。
「…そうね。ヒデくんとの子供なら、きっと丈夫な子供が出来るでしょうね。」
微笑んだ華が耳にかかった髪をかき上げながらこう言うと、義秀はにやりと笑って華に言い返した。
「だろう?これからも子供たちが増えるのが楽しみだぜ。」
義秀が華に対してそう言った後、その囲炉裏の間の中に一人の家来が入ってきた。すると、その家来の姿を見た義秀がその家来に向けて声をかけた。
「おう、重晴か。朝からどうしたんだ?」
この家来、名を桑山重晴という。元は織田家の家臣であったが、織田家滅亡後に義秀の陪臣として召し抱えられ、今は義秀の屋敷に共に住み着き、陪臣として義秀に仕えていた。
「はっ、お食事中失礼いたしますが、ただ今門前に森可成様と坂井政尚様がお越しにございます。」
「え?可成殿と政尚殿が…」
重晴の報告を聞いて驚いた華は、対面に座る義秀の顔を見つめた。すると義秀はその報告を聞くと、重晴に向かってこう指示した。
「そうか…とりあえず館の客間に通してくれ。」
「ははっ。」
重晴は義秀の指示を聞くと、そのまま返事をしてその場から下がり、門前にて待っていた二人を館の中の客間へと案内していった。
「おうじいさん!よく来たなぁ。」
その後、主である義秀が客間の中に入り、中で差し出されたお茶を飲んで待っていた二人に声をかけた。
「いやいや、朝早くに尋ねておきながら、素早いもてなし感謝する。」
入ってきた義秀に対して可成が返答すると、義秀はそのまま上座の席に座り、二人と真向いの位置に座った。すると、義秀が開口一番で二人に来訪の要件を尋ねた。
「で、朝早くにこの屋敷に来た要件は?」
「あぁ、それなんじゃがな…実はこの政尚と話し合っておる方策があって、そなたの存念を窺いたいと思って参ったのじゃ。」
と、その場に華も入ってきて義秀の隣に座り、義秀が可成の言葉を聞くと、身を乗り出して聞き返した。
「方策って何なんだ?」
「まぁ、言わば戦の時の編成の事についてじゃ。」
可成が義秀にそう言ったのと同時に、可成の隣の政尚が懐から一枚の紙を取り出し、それを義秀らに見せるように広げた。
「…例えば、いざ戦となれば土豪や豪族たちがその土地ごとの兵たちの長となり、それが領地のごとの武将たちに加わり、その武将たちが兵を率いて城に参集して備えという部隊を形成するのじゃ。」
「…随分ややこしい事になってるんだな。」
義秀が可成の説明を聞いてそう言うと、それを聞いて華が可成にある事を尋ねた。
「しかし、今の戦の編成では、村々から来る農兵たちは当家の主力にあたるのでは?」
「その通りじゃ。そこでわしはこの編成を改め、農村部の兵農分離を推し進めたいと思っておるのじゃ。」
当時、戦国大名の兵力の殆どは、農村部で田畑を耕しながら、農閑期になると武器を取って戦に出る農兵が戦力のほとんどを占めていた。彼らはもし農繫期に戦に駆り出されることになれば、農作業を放って出なくてはならないため、戦国大名の中には農繫期に出陣を控える大名もいた。
そこで戦専門となる足軽武士を雇い、農兵たちには戦に出ることなく、自分たちの土地で農作業に専念してもらおうというのが兵農分離という政策である。これはすなわち武士とそれ以外の階級を振り分ける事であり、大名家の軍事力としてはより安定した兵力を確保できるのである。
「幸い、この尾張は税収も安定しており、兵農分離を進めても足軽たちに支給する俸禄も用意できる。それに今推し進めておる検地の結果によっては、どれほどの足軽を雇えるかはっきり分かる。そうなれば、農民たちはもう武器を取らなくてもよいという訳じゃ。」
「なるほどな。つまり最初っから軍事力と生産力の振り分けを行うってことだな。」
義秀が可成の言葉を聞いた上で、可成に言葉を返すと、それに対して可成の隣に座っていた政尚が義秀に向かってこう言った。
「えぇ。それと兵農分離と同時に、領内の城割を行おうと思っておりまする。そうなれば兵農分離で割り振った足軽たちをそれぞれの城にまとめることが出来、戦においてもその城で一つの備えを形成できるので召集の手間を省くことが出来ます。」
その、可成や政尚から一連の方策全てを聞いた義秀は、その意見を聞き終えると首を縦に振って頷き、腕組みを解いて可成にこう言った。
「…なるほどな。まぁ、俺の意見としたら、確かに戦が起きるたびに農村部から兵士を集めてくるんじゃ効率が悪すぎると思っていたんだ。城の周りに足軽武士を集めておき、農民たちには農作業に専念させるようにしたら、戦の時に素早く準備ができるだろうな。」
「そうか。お主ならそう言うと思っておった。」
可成は義秀の意見を聞くと喜び、義秀にある事を提案した。
「そこでじゃ。義秀と我らでこの一連の方策を取りまとめ、兵制改革として殿に具申したいと思っておるのじゃ。その時には義秀、その方の知恵も貸してもらえるか?」
「お安い御用だぜ。早速にも意見を纏めておこう。」
義秀はそう言うとその日のうちに、可成や政尚と共に兵農分離や城割などの意見を取りまとめ、一つの書状にまとめると、その数日後には那古野城に登城してそれを秀高に提出した。
「…なるほど、兵農分離政策か。」
那古野城本丸館の秀高の書斎にて、秀高は登城した義秀から意見を受け取っていた。
「おう、今の制度じゃ戦が起こった時に、兵たちの召集に時間がかかりすぎる。今ちょうど農兵たちを故郷に返してるんだろう?そのまま村で農作業に勤しんでもらい、その代わりに足軽を雇って常時動かせる戦力を確保しようってわけだ。」
秀高と対面する義秀が秀高に向かってその真意を語ると、共に登城した可成と政尚も頭を下げながらその言葉を聞いていた。するとその脇で聞いていた山口盛政が義秀に向かって反論した。
「義秀殿、確かに兵農分離は大事ではあるが、それに関連した城割というのは些か承服しかねる。いまここで城砦を減らせば、今川や信隆がこの機を逃すまいと隙を伺うのは必定であるかと。」
「盛政、逆に言ったら小城や砦を守るために戦力を置いておいた方が、兵を失い、更にはこっちの士気を下げるだけだぜ。だったらいっそのことそう言ったものを打ち壊し、攻め込まれた時には国境で迎え撃つようにすればいいだけの事だぜ。」
その盛政と義秀の会話を、上座で秀高が腕組みしながら聞いていた。すると、その秀高に対して可成が意見を述べた。
「殿、今我々は戦から離れているとは申せ、敵に攻められるのを待つのは国内に悪影響を残すのみにございます。迅速に攻め込んできた敵を国境付近で迎え撃つためにも、兵農分離と城割は避けては通れぬ道かと思いまする。」
「…お前たちの意見は分かった。」
すると、可成の意見を聞いた秀高は腕組みを解き、義秀らに一言、言葉をかけると下座に控える義秀らにこう言った。
「義秀、それに可成と政尚。お前たちの意見を受け入れる。義秀、お前を軍奉行に任じる。兵農分離と城割の案件を任せるので、可成や政尚と話し合って決めてくれ。」
秀高が義秀に向かってこう言うと、自身の意見を受け入れてくれた秀高に対して義秀は胸を叩いて意気込みを熱く語った。
「おう!すぐにじいさんたちと話し合って要件を取り決めるぜ。」
その意気込みを聞いた秀高は嬉しく思い、微笑むように義秀を見たのだった。こうして義秀は軍奉行に任じられて軍制改革に取り掛かり、可成や政尚と共に諸々の方策を決めていった。この方策が後に、秀高の天下取りに大きな支えとなるのである…