1560年7月 秘めたる感情
永禄三年(1560年)七月 尾張国内
先月末から始まった尾張国内の検地は、実施されてから各地の村々に検地する隊が六つに分かれて分散し、それぞれの土地で領主の許可を得て検地を行っていた。その中で、検地奉行に任命された小高信頼は自ら検地の為の人足を引き連れ、方々の村々で検地を指示していた。
「…よし、次は隣の畑だ。細見竹と梵天竹を立てて。」
ここ、小牧山の水路開拓が行われている場所の近くにある村において、信頼が連れて来ていた人足に検地に使う用具を用いるように指示した。それを聞いた人足たちはそれぞれの用具を畑の四隅に細見竹とその中間に梵天竹をそれぞれ立てた。
「舞、水縄を張った後に十字木を当てて、直交しているかどうか確認して。」
「はい。分かりました。」
と、信頼はその場にいた舞にそう言って指示した。この時信頼の傍には高秀高からの指示を受けて、舞が検地の手伝いに来ていた。舞は信頼の指示を聞いて、てきぱきと用具を使いこなしていた。
「…お奉行様、この畑は縦に十間の横に十間にございます。」
と、舞がその場から退いた後、間竿と尺杖を使っていた役人が縄に印をした後に信頼にその畑の広さを教えた。
「とすると…ここは三畝と十歩の広さになるね。と考えれば上田の坪刈りから考えて大体一石辺りの収穫高になるかな?」
「へぇ。大体そのくれぇだと思いますだ。」
と、信頼が算盤を使った上で出した数値を聞いた村の代表である村長が、首を縦に振って頷いて賛同した。
「分かった。ここの耕作地は下々畑の地位になるね。耕作者は誰になるかな?」
「へぇ、ここは与一というのが耕しておりますだ。」
「分かった。じゃあ与一の畑として検地帳に記しておくよ。」
名主からその畑の耕作主の名を聞いた信頼は検地帳に調べ上げた結果を記すと、そのまま隣の畑へと移っていった。これを繰り返して田畑を調べ上げ、その村の全てが終わったのは、それから数刻後の事であった。
「お奉行様、お疲れ様にございました。」
その検地の作業が終わった後、信頼らは村長の家で休息を取っていた。お茶を指し出された信頼と舞はそれに口を付けた後、信頼は付け終えた検地帳を手にしながら村長に語った。
「ところで村長さん、こうして検地帳に記してみたけど、この辺りの農民たちは少ない量しか収入できてないんだね。」
「へぇ…実のところを言えば、この辺りは水利が悪く、土がかてぇ土地になりますだで畑をほとんどの土地で耕しておるのですが、その検地帳の通りほとんどの土地が収穫量が少なく、皆困窮しておりますだ。」
村長が首を掻きながらそう言うと、それを聞いていた舞が検地帳の数値を見てこう言った。
「確かに…さっきの与一さんだって家族がいるから、一石だと相当厳しい生活をしていると思います。」
「そうですだ。でも、この村々の連中には全てが悪いことばかりじゃねぇですだ。」
「と言うと?」
と、信頼が村長に尋ねると、村長は喜びながら信頼に対してこう言った。
「いや、ここのお殿様が進めている水路の開拓の事ですだ。これが上手くいけばこの村にも水路を引っ張ってくることができて、畑を水田にし直して広くすることも出来ますだ。」
村長からそう言われた信頼はその村長の家から見える村の風景を見た。確かにこの村では村長の言ったとおり、畑の面積が小さくまとまっていたが、もし水路が開拓されてここに大きな水田が広がるのであれば、この村の生活も少しはましになると思っていた。
「…確かに。じゃあこの村にとっては、水路の開拓は正に希望の光なんですね。」
信頼が村長の方を振り向いてこう語りかけると、村長はその言葉にうなずいて信頼に言葉を返した。
「そうですだ。だからそれまではここの村民と一緒にその日を待ってるだで、お奉行様もよろしく殿さまに伝えてほしいだ。」
「…分かりました。」
そう言って信頼が再び湯飲みに手を差し伸べようとしたその時、その湯飲みが突如破裂した。信頼がそれに驚いて破裂したと同時に鳴り響いた銃声の方を振り向くと、その方向の遠方から虚無僧たちが得物を振りかざして襲い掛かってきた。
「あ、あれはなんだだ!?」
「慌てないで!村長さん、皆を避難させてください!」
村長は信頼の冷静な指示を聞くと、それに頷いてすぐさまその場から離れた。するとその検地に同行して来ていた数十名の足軽が得物の刀を抜いて虚無僧たちの前に立ちふさがった。すると虚無僧たちは足軽の目の前で動きを止めると、その中から一人の武将が信頼らの目の前に現れた。
「…高家家老、小高信頼殿か?」
その武将が信頼の姿を見てそう言うと、刀を鞘から抜いて切っ先を信頼の方に向け、自身の名を信頼に対して名乗った。
「某は織田信隆が家臣、奥田直純。その首、貰い受けに参った。」
「…やはり、政綱殿をやったのも全て信隆の…」
すると、その直純の名乗りを聞いた足軽の一人が信頼にこう言った。
「お奉行!ここは我らに任せて御逃げを!」
「信頼さん!ここを早く離れないと…!!」
と、それと同時に舞からも逃げるように促された信頼は、その場に置いてあった火縄銃を取ると、その場から逃げるように去っていった。それを見ていた直純は立ちふさがった足軽たちに向けてこう言った。
「ふん、貴様らでは相手にならんわ!!」
直純はそう言うと、そこに立ちふさがった足軽たちと斬り合いを始めた。その間に信頼と舞は村長の家から遠ざかっていったのである。
「…ふう、ここまでくれば大丈夫だろう。」
信頼は舞を連れて逃げ、そのまま村長の家から離れた村の端の米倉の中に隠れた。信頼は万が一に備えて火縄銃の火縄に火をつけると、その場に一緒に逃げ込んできた舞が信頼にこう言った。
「信頼さん…さっきの奥田直純って…」
「あぁ。堀直政の父だ。僕たちがいた世界じゃ義龍さんの家臣だったはずだけど、やっぱりどこかで歴史が変わっているんだね。」
信頼が外を警戒するようにそう言うと、舞が信頼に向かってこう言った。
「でも…まさかこんなことになるなんて…」
「ううん、そんな考えこむことはないよ。きっと大丈夫さ。」
信頼が舞にそう言っていたその時、米倉の戸が蹴飛ばされて破壊された。二人がその方向を振り向くと、そこには直純が刀を構えて立ちはだかっていた。
「見つけたぞ…お前の配下共はすべて討ち取った。神妙に覚悟せよ!」
「それはどうかな?」
そう言った瞬間、信頼は弾込めが終わっていた火縄銃を構え、その場にいた直純に狙いを定めて引き金を引いた。するとその弾は見事に直純の右肩を打ち抜いた。
「ぐぅっ!!」
弾を喰らった直純は小さく声を漏らすと、右手に持っていた刀を落としてその場に膝を付いた。信頼がその様子を見て銃を降ろすと、直純は強く噛みしめながら立ち上がり、左手で刀を持つと信頼に斬りかかった。
「危ない!」
直純の刀が信頼に振り下ろされようとしたその時、舞が信頼に抱き着いてそのまま倒れ込んだ。直純の太刀は信頼には当たらなかったが、舞は右手の腕にかすった刃先が当たり、切れた箇所から血が流れ始めていた。
「舞!大丈夫?」
その信頼の返答を受けた舞は起きて切れた箇所を抑えながら頷いたが、その二人の目の前に直純の切っ先がかざされた。
「さぁ、おとなしくここで死んでもらおうか。」
「…くっ、ここで死ぬなんて…」
信頼と舞が互いに抱き合いながら直純をにらむ。それを直純は意に介さず、刀を高くかざして信頼らに振りかざそうとした。二人が斬られると思って目を瞑ったその時、その直純の太刀は二人を切ることなく、その場にパタッと音を立てて落ちた。
「あ、あがぁぁぁ…?」
信頼がその直純の悲鳴を聞いて目を開けると、直純はその場で立ち尽くしていたが、脇腹に一本の槍を受けていた。
「下郎が…秀高殿のご家来に触れるでないわ!」
「ま、まさか浪人如きに…!!」
その槍を突き刺した浪人は、直純の言葉を聞くや否や槍から手を放し、腰に差していた刀を抜いてそのまま一太刀で斬り捨てた。その太刀を浴びて直純の首は離れ、その場に落ちたのだった。
「方々、お怪我はありませんでしたか?」
浪人は刀についた血を払い、そのまま鞘に納めると信頼らの目の前に膝を付き、自身の素性を名乗った。
「それがし、この村に住んでいる足軽武士の深川市之助と申す。村長から事の次第を聞き、村にいた虚無僧を全て斬り捨ててここに参った次第。」
「深川…市之助さん…」
信頼は名乗った市之助の名を言うと、そのまま舞から離れて襟を正すと、正座して市之助に対して感謝の念を述べた。
「市之助さん、本当に助かりました。貴方がいなかったら、僕たちの命はここで終わっていたでしょう。」
「…本当に、ありがとうございました。」
信頼に続いて舞も感謝するように礼を述べると、市之助はそれを謙遜して受け取り、そのまま信頼に言葉を返した。
「いえ…秀高様は尾張の為に働いていらっしゃる。その家臣たちを狙う不届き者は許しておけんと思ったまで。」
すると、その言葉を聞いた信頼が突拍子もない提案を市之助に対して提案した。
「市之助さん、突拍子もない提案ですみませんが、その武勇を、どうか秀高に尽くしていただけませんか?」
その提案を聞いた市之助は微笑み、二つ返事で言葉を返した。
「願ってもない申し出。秀高殿ならば我が武勇をささげるにふさわしいお方。是非ともお仕えいたしましょう!」
市之助は信頼の提案を聞くと、その願いを聞き入れたのだった。その後、市之助は信頼の紹介で秀高に仕え、家来に取り立てられて秀高から一字を拝領した。そして名を市之助から深川高則と名を改めたのは、また後の話である…
「…信頼さん…良かった。本当に…」
その後、市之助が直純の首と亡骸を片付け、残る残党を倒しにその場から去っていった後、舞は切られた箇所を抑えながら信頼に近づいて話しかけた。すると、信頼は振り返って徐に舞の事を抱きしめた。
「舞…僕も生きててくれて本当に良かった。僕にとって舞は…」
信頼は舞に向かって抱きしめながらそう言いかけると、そこで言葉が一瞬止まってしまった。しかし、信頼は意を決し、舞に対して自身の本心を打ち明けようと思ってそのまま伝えた。
「舞は…かけがえのない、大切な存在だから。」
その言葉を聞いた舞は目に涙を浮かべていた。それは死への恐怖から解放された喜びなのか、それとも恋焦がれていた者から聞いた嬉しさからなのかは分からない。ただ分かる事は、舞が信頼に対して抱いていた感情と、信頼が舞に対して抱いていた感情が一致したことであった。それを知った舞が次に言ったのは、まさに必然ともいうべきものだっただろう。
「信頼さん…私ずっと…信頼さんの事が好きでした…」
「舞…」
二人は互いに抱きしめあいながら、それぞれの感情に浸った。
信頼と舞は元の世界からの付き合い、そしてこの世界に来てからの書物作成などで助け合い、いつしかパートナーともいうべき関係性になっていた。二人は互いの趣味を通じて親交を深め、そしていつしか二人は相手への恋心を内心に秘めていた。
だが、恋に対して奥手だった二人はその気配を全く見せなかった。しかし、命の極限状態に陥った今、二人はその感情を発露させ、互いに確かめ合ったのである。
「舞…いきなりで悪いけど、舞さえよければ、僕と結婚してくれるかな?」
信頼の覚悟を決めたその言葉は、今まで恋という物から逃げて来ていたからなのか、どこか空虚に聞こえていた。しかし、自信も信頼への愛があった舞にとっては、言ってくれて嬉しいものに聞こえていたのである。
「…はい。こちらこそ、よろしくお願いします。」
舞は信頼の言葉を聞いて信頼に返事を返すと、そのまま信頼と口づけを交わしてその愛を確かめ合ったのであった。それは恋人らしいことをしてこなかった二人ではあったが、心で通じ合っていた二人にとっては初めて、恋人らしいことをした瞬間であったのだった。
ここに、六人の中で結ばれていなかった二人が急展開を経て結ばれることになったのである…