1560年6月 信頼の献策
永禄三年(1560年)六月 尾張国那古野城
高秀高が小高信頼らから関東での一連の流れを報告され、それらをすべて聞いた後に一息ついていたころ、いつしか外の梅雨もいったん収まり、曇っていた空から晴れ間が見え、そこから日光が照らされると薄暗かった書斎もいくらか明るくなり始めていた。
「…そうだ、信頼。提案したいことがあるんじゃなかったのか?」
秀高が湯飲みの中の茶を飲み干した後、信頼に尋ねてきた本当の目的を問うた。すると、信頼は秀高に本題でもある提案を進言した。
「実は、そろそろ検地を実施してはどうかなって思うんだ。」
「なるほど…検地かぁ…」
検地。これは戦国大名が課税のための資料として行う土地の調査の事で、村の中の田畑の数や屋敷の数、また面積や収穫量を事細かく調査し、それによって等級を決め、村ごとの収穫高を決める物である。
この検地は家臣たちの領する土地を事細かに調べ上げるため、北条家のような新興勢力を除き、ほとんどの大名家は新規に手に入れた土地のみ検地を行っていたのである。
「殿、既に継意殿や可成殿からも同様の進言を受けており、水路開拓からの新田開発につなげる為にも、ここで新たに当家の税制の根源ともなる検地帳を作るべきかと思いまする。」
「確かに…今まで概ねの予想で収穫高を計算して来ていたが、検地帳を作れば村ごとの収穫高を見通せるし、今施行中の定免制の正確さや、蔵米の収穫高の正確性を高める事にもつながるだろう。」
秀高が検地についてそう言うと、信頼がその検地について秀高にある事を進言した。
「秀高、その検地の方法なんだけど、家臣たちからの指出検地ではなく、実際に村々に検地奉行を派遣して計測する丈量検地にしてはどうかな?」
「なるほど…実際に計測するのか…」
秀高は信頼の提案を聞いて考え込んだ。信頼の言った指出検地とは、言わば家臣や村落に面積や収穫量の明細を報告させる方式の事で、基準も定まっておらず曖昧な検地になりがちであった。
それとは別に丈量検地では奉行が一つ一つの土地の価値や面積、耕作者や収穫高などを詳細に調べ上げるため、より正確な生産高を把握できる利点があった。秀高たちがいた元の世界では、太閤検地と呼ばれる検地がこの方法を取ったことで知られている。
「しかし、丈量検地となれば…まず長さや枡の大きさなどを定めねばなりますまい。」
「盛政殿、それについてなんだけど既に考えてあるんだ。」
盛政の言葉を聞いた信頼が、その意見が出ることを予測していたかのように言うと、自身の脇に置いてあった一つの枡を取り出した。その枡を見た秀高が一言こう言った。
「それは…枡か?」
「うん。これは京の辺りで使用されている京都十合枡という物なんだ。今までこの尾張では枡は十二合だったけど、十合にすればすぐ一升に変換できるから、苦労なく計算しやすくなると思うよ。」
信頼のこの言葉を聞いて、盛政は感心するように頷いた。それと同時に秀高も頷き、信頼の考えに感心するように聞き入っていた。
「また、長さについては一間を六尺三寸とし、一間四方の正方形を一歩に統一する。そうすれば、より正確な石高を割り出すことが出来ると思うよ。」
これらの提案は、信頼が元の世界の参考書を見て得た知識であったが、盛政にしてみれば、余りにも画期的な提案だと感じていたのである。
「なるほど…そのように定めれば、計測も容易に進み、検地の正確さも増してまいりましょうな。」
「そうだな。よし、信頼を検地奉行に任命する。直ちに検地方法を取り決め、用意が出来次第検地を実行してくれ。」
その、秀高の言葉を聞いた信頼は、ゆっくりと秀高に対して頭を下げた。
「分かった。早速にも方策を纏めて検地に取り掛かるよ。」
こうして秀高は信頼を検地奉行とし、尾張国の内政に必要な検地帳を作成するための検地を実行する事になった。この検地実施を聞いた継意ら秀高の家臣たちは、検地奉行である信頼が、自分たちの領内の田畑を詳細に調べる事を認め、中には積極的に検地に協力する家臣も現れ始めた。こうした皆の協力を得て、今月末から信頼は尾張国内の検地を実行し始めたのである。
「そう、小高信頼が検地を…」
その検地実施の報せは、遠く美濃の岩村城に逗留している織田信隆の耳にも届いていた。その事を報告してきた丹羽隆秀は、信頼の言葉を聞くとそれに返事をして言葉を続けた。
「はっ。既に尾張国内では各地で田畑の詳細な検地が行われており、領民たちも皆その検地にしたがっておるという事です。」
「…それにしても秀高も思い切ったことをしますね。そんなに調べ上げたら、家臣たちの不満を買いそうなものを…」
信隆は秀高の強引な手腕を聞くと、秀高の家臣たちが不満を持つに決まっていると思い込み、外の縁側からの庭先を見つめながらこう言った。すると、その報告を脇で聞いていた前田利家が信隆にこう言った。
「何でも、秀高配下の家臣たちは皆秀高に心酔しており、此度の検地も筆頭家老の継意をはじめ、領主を務める家臣たちも一様に検地に協力しておるとの事です。」
「まぁ無理もなかろう。継意ら領主にしてみれば、治めてそう経ってもいない領地の実際の状況を知っておきたいはず。継意らにしてみれば、まさに願ったりかなったりとも言えるな。」
その利家の言葉を聞いて発言したのは、信隆が美濃に落ち延びた事を聞いて駆けつけてきた元織田家臣の岡本良勝であった。その良勝の言葉を聞いて、真向かいの利家が腕組みをしながら発言した。
「しかし、これで尾張での秀高の統治は盤石なものになるかと。そうなってしまえば、先月の闇討ちのような成果は難しくなるでしょうな。」
「…でも、逆にこれはいい機会かもしれないわ。」
と、利家の言葉を聞いた上で、ここまでの全ての会話を聞いていた信隆は徐にそう言った。
「先月の簗田政綱に続いて、また家臣の闇討ちの機会が来たという事よ。ましてや今回は秀高の懐刀と呼ばれ、あまつさえ秀高の親友の小高信頼よ。討ち果たせばきっと、秀高に多大な損害を与えられるわ。」
「まさか…また闇討ちを行うと?」
と、その信隆の考えを聞いていた利家が、不安そうな表情を見せて尋ねた。
「そうよ。検地している最中の信頼たちを襲い、首尾よく首を上げることが出来れば、秀高の損失は大きなものになるわ。前回のもの以上に、此度の闇討ちは何としても成功させなきゃならないのよ。」
この信隆の考えの裏には、ある一つの事情があった。信隆の元には先月来から、関東管領になった上杉政虎からの密書が届き始めていた。
その密書には尾張の正当な支配者である織田家再興の為なら、政虎が後見として補佐するという文面が書かれており、その密書を受け取った信隆は、政虎に自身の力量を証明するためにも、もう一人秀高の重臣を消し去る必要があったのである。
「では…某が信隆様の虚無僧を引き連れて参りましょう。」
と、その信隆の言葉を受けてこう発言したのは、その場にいた奥田直純であった。信隆は直純の言葉を聞くと、直純に向かってその意気を買うように言った。
「分かったわ。でも直純、信頼とはいえきっと警護に足軽を数十名引き連れているはずよ。その事も加味して実行しなさい。」
「お任せを。それがしはかつて長良川の戦いにおいて、道三殿の軍勢に加勢して敵将の日根野弘就を討ち取ったことがあります。この武勇をもって、きっと信隆様に良き報せを届けて参りまする。」
その直純の意気込みを聞いた信隆がこくりと頷くと、直純はそれを見て信隆に一礼し、その場を去って準備に取り掛かっていった。すると、部屋を出ていった直純の後を追いかけて、同じく信隆の家臣であった堀秀重が声をかけた。
「直純殿!本当に尾張に向かわれるのですか?」
「あぁ。この手で小高信頼を討ち、信隆様の悲願の先駆けとしてくれる。」
直純は右手で拳を作って握りしめながら秀重に言うと、そのまま秀重の方を振り返ってある事を頼んだ。
「秀重。もし某の身に何かあった時は、我が倅の事を頼む。彼奴はお前の子と親しく付き合っておる。もしもの時はお前が養子として引き取り、親代わりに育ててやってくれ。」
その直純の不吉な頼みを聞いた秀重は、その頼みに首を横に振って否定した。
「いいえ、そんなことおっしゃらないでくだされ。どうか無事に、この岩村への帰りを待っています。」
「…あぁ。そうだな。」
直純は秀重の言葉を受け取ると、ふっとほくそ笑んで微笑み、そのまま振り返ってその場を去っていった。その後姿を、秀重はその場で立ち尽くしながら見つめていた。そして直純は秀重に見つめられていることを感じながらも、信隆の悲願の為に信頼を討つべく虚無僧たちと共に尾張へと向かって行ったのだった。