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1560年6月 関東の動静



永禄三年(1560年)六月 尾張国(おわりのくに)那古野城(なごやじょう)




 永禄(えいろく)三年六月。長尾景虎(ながおかげとら)からの使者が訪れてから二ヶ月後、梅雨が庭に降り注ぐ中の那古野城の本丸館内にて、薄暗い中で蝋台に灯された灯りの中に、高秀高(こうのひでたか)が自身の居室の中に入った。


「あ、お帰り。秀高くん。」


 その入ってきた姿を見るなり声をかけてきたのは、かなりお腹が大きくなっていた(れい)であった。


「あぁ。ただいま玲。体の調子はどうだ?」


「うん。三回目だからとても落ち着いて過ごしてるよ。」


 玲からその言葉を聞いた秀高は自身の座る場所に座ると、それを見てもう一人、お腹を大きくしている静姫(しずひめ)が秀高の傍に座った。


「静。体の方に異常はないのか?」


「いいえ、とても元気よ。初めてのことで緊張していたんだけど、玲の補佐もあって何の心配もなく過ごせてるわ。」


 静姫のその言葉と様子を見て、秀高は安心して見つめていた。初めての出産となる静姫には、玲のほか、城にて働いている(うめ)(らん)の親子が付きっ切りで側についていた。その為静姫は何の不安もなく一日を過ごせていたのである。


「殿、小高信頼(しょうこうのぶより)殿と山口盛政(やまぐちもりまさ)殿が書斎にお越しになられておりまする。」


 と、そこに側近の津川義冬(つがわよしふゆ)が現れ、居室の中にいる秀高に用件を伝えた。その事を聞いた秀高は頷くと、隣に座る玲に申し訳なさそうにこう言った。


「ごめんな玲、帰って来たばかりだけど、ちょっと行ってくる。」


「うん。私たちの事は心配しなくていいから、仕事頑張ってきてね。」


 立ち上がった秀高に玲がそう言うと、秀高は微笑んで頷いて書斎へと向かって行った。




 秀高が書斎の中に入ると、信頼と盛政、それに書斎の棚の管理を行っている(まい)が頭を下げて秀高を出迎えた。


「よく来たな信頼。用件は何だ?」


 すると、信頼はスッと頭を上げ、まずは秀高にある事を報告した。


「秀高、さっき早馬が到着して、数日前に長尾景虎(ながおかげとら)が、鎌倉(かまくら)鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐうにて関東管領(かんとうかんれい)の継承式と、足利藤氏(あしかがふじうじ)殿の公方就任式を行ったそうだよ。」


「そうか…これで関東の支配者が定まったという事か。」


 秀高が信頼の報告を聞いてこう言うと、その場にいた盛政が続いて秀高に向かって発言した。


「殿、なんでも鶴岡八幡宮の就任式には、佐竹義昭(さたけよしあき)殿をはじめ、関東全域の諸大名がこぞって参列し、皆一様に新たな関東管領と公方を祝ったようにございます。」


「やはりそうなるよな。それで?景虎は上杉姓を名乗ったのだろう?」


「それなんだけど…」


 と、信頼は秀高の言葉を受け取ると、その早馬から貰った一枚の書状を広げ、その中身を秀高に見せるように手渡した。その書状の中には、景虎が上杉姓を名乗るにあたって改名した名が書かれていた。


上杉政虎(うえすぎまさとら)…これが改名した後の名前か。」


「うん。さらに長尾家の一門でもある長尾景信(ながおかげのぶ)殿も上杉姓を名乗っているから、これで名実ともに上杉の実権は政虎に移ったと見ても良いね。」


 信頼が秀高に対してこう言うと、盛政が秀高に対してもう一つの要件を進言した。


「殿、それで足利藤氏殿の事にございますが…」


「藤氏?あいつは古河公方(こがくぼう)になったんだろう?」


 と、秀高が盛政に尋ねるように聞くと、盛政は秀高にある事実を突きつけるように言った。


「いえ、藤氏殿が任命されたのは古河公方ではなく、鎌倉公方(かまくらくぼう)なのです。」


「え?鎌倉公方って、鎌倉府(かまくらふ)の?」


 と、そのあまりにも驚きの報告を聞いた舞が思わず声を発し、その事実を盛政に問うた。すると盛政はその問いに驚いたものの、舞に対してこくりと頷いた。


「如何にも。これは(みやこ)足利義輝(あしかがよしてる)様からの任命だそうで、政虎はこれを受けて関東全域に鎌倉府の再興を宣言したとの事。」





 鎌倉府…室町幕府(むろまちばくふ)が成立した時、初代将軍である足利尊氏(あしかがたかうじ)が自身の息子でもある足利基氏(あしかがもとうじ)を関東における室町幕府の統治機関として発足させた。それから紆余曲折があって鎌倉府は消滅してしまったが、この度将軍・足利義輝の命で再興が許されたのである。


 それが意味する事は、関東における鎌倉公方・足利藤氏と関東管領・上杉政虎の統治は京の幕府のお墨付きを得た正式なものであり、これによって政虎は、関八州(かんはっしゅう)伊豆(いず)甲斐(かい)、そして東北(とうほく)出羽(でわ)陸奥(むつ)までの正当な支配権を得たという事になるのである。




「鎌倉府…それを聞いて、政虎はさぞ感激しただろうな。」


 秀高は鎌倉府再興を聞くと、伝統的なものを好む政虎の様子を思い浮かべ、鼻で笑う様に言った。すると秀高がある事を思い出し、それを盛政と信頼に尋ねた。


「そうだ、相模の事はどうなったんだ?あの伝統的な統治を望む政虎の事だ。きっと代わりを立てたんだろう?」


「はっ、その事にござるが…その早馬が申すには、相模東部を有していた大森(おおもり)家の末裔でもある菊池泰定(きくちやすさだ)殿が大森姓に復し、新しい主君になる上杉憲勝(うえすぎのりかつ)殿から一字を拝領して大森勝頼(おおもりかつより)と名乗って小田原(おだわら)城主になったと。」


「そうそう、それと三浦(みうら)なんだけど、里見義堯(さとみよしたか)の家臣の正木(まさき)家が三浦家の血を引いているようで、その一族の正木弘季(まさきひろすえ)が三浦姓と朝廷より三浦介(みうらのすけ)の官位を貰い、名を三浦義季(みうらよしすえ)と改めて三浦半島の領主になったそうだよ。」


 盛政と信頼の報告を聞いた秀高は、新しい相模の支配者となった二人の名前を言葉にして発した。


「大森勝頼と三浦義季か。これを聞いて北条に心を寄せていた民衆は、さぞ悲しむ事だろうな…」


 秀高が吐き捨てるようにその一言を言った後、その場に颯爽と伊助(いすけ)が現れた。伊助は手に持っていた書状を手短に秀高へ手渡しした。


「伊助、何だこれは?」


「殿、相模(さがみ)に放った忍びよりの報告にございます。どうぞ。」


 伊助にこう言われた秀高はこれを受け取り、伊助はそのまま姿を消して去っていった。秀高は伊助より受け取った書状の封を解き、その中身に目を通した。すると、秀高はその中身を見てほくそ笑むように微笑んだ。


「どうしたの?」


 と信頼に問われた秀高は、その書状の書かれている方を信頼らに見せつけるようにすると、そこに書かれてあった内容を口に出した。


「その上杉政虎が管領就任式の際、出席していた成田長泰(なりたながやす)を殴打したようだ。」


「なんと!なぜそのような…」


 盛政が秀高の言葉を聞いて驚いていると、代わりにその書状を拝見した信頼が顛末を簡単に語った。


「この書状によると、就任式の際、長泰が下馬せずに挨拶をした為に、怒った政虎によって扇で烏帽子を打ち落とされたそうだよ。」


 その政虎のあまりにも短慮な振舞いを聞いた秀高は、机に肘を置き、顔を手で押さえるようにすると、視線をそらしながら一言、ポツリと漏らすように言った。


「…もし、それが本当ならば政虎は一人の味方の心を失ったことになる。」


「どういうことです?」


 盛政が秀高の言葉を聞いて気にかかり、秀高に対してその言葉の意味を尋ねると、自身の机の上にある湯飲みに舞が茶を注いでくれている傍らで、問うてきた盛政の方を向いてその理由を語った。


「関東諸将とはいえ、常陸源氏(ひたちげんじ)の血を引く佐竹(さたけ)や、新田源氏(にったげんじ)を称する里見(さとみ)など、本来の政虎の出自(しゅつじ)からすれば格上や同格の者達もいる。その者達から推挙されて関東管領になったのならば、あくまで関東諸将たちを立ててやらないといけないと俺は思う。」


「なるほど…」


 盛政が秀高の考えを聞いてこう言うと、秀高は溜飲を静めるように舞が注いでくれた湯飲みの中の茶を一気に飲み干すと、一つため息をついた後にその続きを言った。


「それをちょっとした理由で怒り、挙句の果てに辱めを与えるような行為をしたら、折角の苦労が台無しになりかねない。政虎も馬鹿な事をしたな…」


「じゃあ、このままこの些細なことが大きくなるって事?」


 信頼が秀高に対して尋ねると、秀高は今度は信頼の方を向くと、首を横に振って否定した。


「それはまだわからない。だが今後同じようなことが続くのならば…関東支配もそう簡単なものじゃなくなるだろうな。」


 秀高が信頼にそう言うと、それらの会話の全てを聞いていた舞が、徐に自身の考えを秀高に向けて発言した。


「あの…秀高さん、今後の事を考えると、京の公家や将軍家とつながりを持っていた方が良いんじゃないですか?」


「…舞、実は俺もそう思っていたんだ。」


 秀高は舞の意見に賛同してそう言うと、その場で腕組みをしながら自身の考えを述べた。


「この一連の関東の動きを見ていると、俺たちも正式に京と連絡を取り合い、名実共に戦国大名と呼べる、官位や役職と言った格式を得ても問題ない頃合いだと思っているんだ。だが、今の俺たちには、京の者達と折衝を任せられる人材がいないんだ…」


「殿、それに関して、うってつけの者がおりますぞ。」


 と、その秀高の考えを聞いた盛政が、秀高に対してその解決策とも呼べる人材を推挙すべく発言した。


「この城で庇護しておられる斯波義銀(しばよしかね)様はかつて、数年の間京に滞在しており、その間公家や将軍家の重臣方と関係を築いたそうにございます。義銀様を通じ、京の折衝を任せられては如何でしょう?」


 その進言は、秀高にとっては思いもよらないものであった。秀高は城内で庇護していた義銀について、何か役立つところはないかと思案していた所で、盛政の提案を聞くと二つ返事で頷いてこう言った。


「なるほど…義銀ならばきっと、公家と俺たちとの間を取り持ってくれるはずだ。盛政、直ちに義銀に、京への折衝を任せたい旨の事を伝えてくれ。」


「ははっ。しかと承りました。」


 その盛政の言葉を聞いて秀高は頷くと、大きく背伸びをした後に二人の顔を見ながらこう言った。


「…さて、とりあえずいったん休憩しよう。舞、二人にも茶を振る舞ってやってくれ。」


「はい。分かりました。」


 秀高の言葉を聞いた舞は、書斎に用意されていた小さな戸棚から湯飲みを取り出し、そこにお茶を汲み入れると、それを二人の目の前に出した。それを受け取った信頼は舞に微笑んでありがとうと言って受け取り、盛政もそれを受け取って会釈した後、その茶を飲み干して一息ついたのであった。





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