1556年4月 美濃潜入
弘治二年(1556年)四月 尾張・美濃国境付近
高秀高や大高義秀・小高信頼の三人は今回、主君・織田信勝よりある密命を帯びて美濃国へと向かっていた。その密命とは、「美濃国主・斎藤道三の嫡子、斎藤義龍に接触せよ。」という極めて重要なものであった。
「以外に、国境地帯に警備兵はいないんだな。」
義秀が目の前に流れる川を見つめてポツリと呟くように言葉を発した。ここは、尾張と美濃の間に流れる木曽川。その浅瀬に渡る渡しの部分に三人は来ていた。本来、川向こうの美濃側にいる斎藤の守備隊の姿は一向に見えず、この異様な光景を秀高らは余計に不信がっていた。
「それはそうだよ、これから起こることが起こることだし、守備隊なんておけないさ。」
「…道三と義龍の対立、か。」
信頼の言葉に、秀高はその原因となる物を言葉に出した。
斎藤道三と斎藤義龍。この二人は親子の間柄ながら、互いに憎しみ合い、相食む関係へとなっていた。
その原因にはいろいろな物があるが、代表的なのは義龍の生母が、前の美濃国主・土岐頼芸の側室であり、自身は道三の子ではなく、頼芸の子であるという流布を信じ、実の父である頼芸を追放した道三を憎むようになったとされている。
信頼からこの情報を聞いていた秀高にとって、今回の密命は、単に美濃国内の争いだけではなく、尾張にも波及する争いであることは、既に承知していたのである。
「…じゃあ、この国境の静かさは、その内紛の為か?」
義秀がそう言うと、信頼は頷いて義秀に自分の考えを述べた。
「うん。おそらく美濃の国中の豪族たちは、義龍に付くか道三に付くかで、今それぞれの陣営に参加している最中。この国境線沿いの豪族たちも、それに参加するべく向かっているんだ。とても国境の守備に兵を置いてる余裕なんかないさ。」
「だから俺たちがこうして、その義龍の所に行くわけか。」
信頼の考えを聞いた秀高が、そう言って尋ねた。
「うん。今回の密命、おそらく信勝様にすれば、今後決起する時の味方が欲しいのかもしれない。だからこうして、義龍への接触を図ろうとしてるんだ。」
「信頼、お前が知っている戦の成り行き通りなら、誰が勝つか分かってんじゃねぇのか?」
義秀が信頼に尋ねると、信頼はすぐに頷いてこう言葉を続けた。
「もちろん、僕が知っている通りならこの戦、多くの豪族や領主たちを集めた義龍軍が勝ち、道三は敗死。美濃は義龍のものとなる。」
「…ということは、信長も来るんだよな?」
秀高がこう言うと、信頼は秀高の方を向いて言う。
「もちろん。信長にとって道三は舅。舅の危機で、元々一族への情に厚い信長が見捨てるわけがない。」
「…だが俺は驚いたぜ。昔お前からあの信長が、以外に一族に対しては優しいという話を聞いてさ。俺の印象では、あいつはたとえ一族でも殺す男だと思っていたからな。」
すると、信頼は少しうつむいて話し始めた。
「…信長は一族には優しいというか、かなり甘いほうだと思うよ。信長が忌み嫌うのは、どちらかというと「裏切った事」さ。浅井長政も、そして信勝様も…皆、信長の事を裏切ったからああいう最期を迎えたんだ。」
「…裏切り、か。」
信頼の言葉に秀高は引っ掛かり、その言葉を反復するように言った。
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その後、秀高たちは木曽川の渡しを渡って美濃国内に入り、やがて義龍軍が詰める稲葉山城と、道三軍が詰める鷺山城、そしてその間に流れる長良川を一望できる地点へとやってきた。
「秀高、あれだよ。あれが長良川だ。で、あの高い金華山の山頂にあるのが稲葉山城。それで川向こうの小高い丘が鷺山城だ。」
秀高が、信頼が指をさす方向を見てみると、既に稲葉山城と鷺山城の間の長良川に、二つの軍勢が結集していた。
長良川南岸、つまり秀高らがいる方向には斎藤義龍の軍勢が展開し、川の向こう側の長良川北岸には斎藤道三の軍勢が展開していたのである。
「義龍の方が軍勢が多いな…どれくらいいるんだ?」
「義龍軍は一万八千弱…対して川向こうの道三軍は僅か三千余りしかいないよ。」
すると、義秀は信頼から聞いた数に驚き、咄嗟にこう叫んだ。
「何っ、そんなに差があるのか!?じゃあ、もう道三に勝ち目はねぇじゃねぇか!」
「うん…秀高、信勝様の密命を果たすのは、合戦が終わってからにしよう。」
秀高は信頼からそう提案を受けると、それを受け入れて合戦の成り行きを見た。そしてしばらくして眼下に広がる山麓…長良川を挟んで両軍の合戦が始まった。最初のうちは数で劣る道三軍であったが奮戦し、一時は義龍軍の前衛を撃破し、一挙に義龍軍の本陣に迫ろうとした。しかし、その時に右翼と左翼の義龍軍が包囲するように道三軍を取り囲み殲滅。やがて鬨の声が、合戦場から聞こえてきたのである。
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「織田勘十郎信勝が家臣、高秀高と申します。此度は戦勝、誠に賀し奉ります。」
合戦後、斎藤義龍の本陣を訪れた秀高らは面会に成功し、陣幕の中へと入ってきた。しかしその陣幕の中は、義龍の左右の武将が、みなどこかしらを怪我し、包帯で包んでいる有様であった。
「信勝殿の家臣か。遠路よくぞ来た。斎藤義龍である。」
秀高の正面で、床几に座る武将・斎藤義龍はそう言って楽にするよう促した。
「秀高、と申したか。先ほど戦勝とお主は申したが、果たしてこれが戦勝に見えるか?」
義龍の問いを受けた秀高は、その周りの状況を目で見て、その問いに答えるのに戸惑い、思わず言葉を澱ませてしまった。
「…ふっ、遠慮せんでもいい。父が…道三が窮鼠猫を嚙むの通り反抗し、おかげでこちらは竹腰道鎮・尚光父子や日根野弘就・高弘父子、それに長井道利までもが討ち取られた…戦には勝ったが、その見返りは尋常ではない…。」
義龍の独白を聞いた信頼は驚いた。信頼の記憶では、実際に打ち取られたのは竹腰道鎮のみであり、それ以上の戦死者が出たという事は、やはり少しずつ歴史は変わっていることを示唆しているに等しかった。
「義龍様…心中…お察し致します…」
「良い、気にするな…それよりも、信勝殿の使者といったな?用件は?」
秀高はそう言われると、懐に忍ばせてあった信勝からの密書を取り出し、それを義龍へと献上した。
「…そうか、信勝殿はついに信長に反旗を翻すのか。」
それを聞いた義龍側の武将たちは色めき立った。いままで少し重い空気が陣幕を支配していたが、義龍のその言葉を聞き、一瞬にして風向きが変わったように明るさを取り戻したのである。
「…ご使者殿、それは本当に信勝殿の真意か?」
すると、義龍の左隣に座る、一人の武将が刀を突きたて、秀高に聞いてきた。
「はい、これは紛れもなく、我が主の真意にございます。」
「そうか…申し遅れた。某、稲葉良通と申す。以後お見知りおきを。」
良通の名を聞いた秀高は驚いたが、その表情を悟られぬように、すぐに会釈をしてその挨拶に返した。
「…よかろう。ご使者殿、帰って信勝殿に伝えよ。我が斎藤義龍、密かに信勝殿を後見し、盟を結ぶことにすると。」
「は、ははっ!お言葉、ありがたく思います!然らば、直ぐにでも主に伝えます!」
秀高らはそう言うと、義龍に一礼し、その陣幕を後にしていったのであった。
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「何…マムシが…?」
一方、こちらは織田信長軍。信長自身が軍勢を引き連れ、勝幡にて織田信隆と合流して美濃国内に入っていた所へ、急ぎの使者が信長に、戦いの顛末を伝えた。
「殿!道三殿が討たれたのならば長居は無用!直ぐにでも兵を引き返しましょうぞ!」
馬上から聞いていた信長に対し、後ろに控えていた長秀が信長の隣に馬を寄せ、すぐさま引き返すように進言した。
「…しかし、ここで引き返しては、後々面倒になりましょう。信長、ここは近隣の斎藤方の城や砦をいくつか攻め落としておくのが良いかと。」
「ですが信隆様、ここはもはや敵地です。長くとどまっては、いずれ義龍の軍勢が参りましょう。そうなっては危険です!」
そう言って信隆に反論したのは、織田信長の家臣・佐久間信盛であった。
「…兵を引き上げる。これ以上の長居は無用ぞ。」
「しかし信長!」
撤退しようとする信長を引き留めようと信隆が制止したが、信長はそれを聞かずに、すぐさま馬首を返して尾張へと撤退していった。
その信長軍がいた場所に、義龍軍が来襲したのはそれから僅か二刻後のことであった。まさに信長は間一髪のところで、尾張への撤退に成功したのである。
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「良くぞ戻ってきた秀高。ご苦労であった。」
それから数日後、秀高らは末森城に帰り、その足で信勝へ報告に参上していた。
「信勝様、ただ今戻りました。それで密命でございますが、首尾よい返事をいただきました。」
秀高はそう言うと、義龍からの返書を受け取った。その義龍の返書の内容を見た信勝は、その内容を見て奮起した。
「よし…皆聞け!義龍殿が、こちらの味方をしてくださるそうじゃ!」
「何と!?それは誠にございますか!」
秀貞が信勝の言葉に驚くと、信勝は何かを確信したように頷いてこう言った。
「うむ!ここに時期は来た!既に岩倉城の織田信安、犬山城の織田信清もこちらに味方するという返事も来ている…時は満ちた!いよいよ決起の準備を進めるぞ!」
信勝はここに、兄・織田信長への造反を決意すると、矢継ぎ早に家臣へ指示を出した。
「勝家!盛重!そなたらは那古野・守山両城の改修を進め、兵を募って戦の支度を整えよ!」
「ははっ!!お任せくだされ!!」
「…直ぐにでも、支度を整えましょう。」
勝家と盛重がその指示を承諾すると、続いて信勝は林秀貞・通具兄弟にも指示を出した。
「秀貞と通具は末森領内の豪族に、数ヶ月内に戦支度を整え、戦の時には末森城に参集すること、あと岩倉・犬山へ援軍の約束、これらを取りつけさせよ。」
「ははっ、畏まりました。」
「そのお役目、見事果たして見せましょう。」
そして信勝は、秀高の方を見てこう言った。
「そして秀高、そなたらはこの戦いが初陣であろう。いつ戦が起こってもいいよう、武具の手入れと鍛錬は怠るでないぞ?」
「ははっ!承知しました!」
「うむ、良いか、この動き決して兄上に悟られるな!内密に進め、その時が来た時に一気に反旗を翻す!各々、左様心得よ!」
信勝の意気を聞いた勝家ら家臣は、それに応えて各々の役割を進めていった。
こうして信長に内密で進められた信勝の計画は、四ヶ月にわたって進められ、いよいよ夏になった八月、信勝と信長の骨肉の争い、「稲生の戦い」の火蓋が切られることになったのである…。