1560年4月 来たる者あり
永禄三年(1560年)四月 尾張国那古野城
永禄三年四月。春の陽気で空気も暖かくなり始めたこの頃、那古野城の高秀高の書斎では山内高豊に連れられ、ある者が面会に訪れていた。
「面を上げてくれ。」
上座に座る秀高が下座の高豊らに声をかけると、高豊とその者は一斉に顔を上げて秀高を仰ぎ見た。すると、開口一番で言葉を発したのは、下座にて秀高と向き合っている高豊であった。
「殿、この度我が弟の辰之助がめでたく元服を終え、殿に仕官したいと申し出て参りました。辰之助、挨拶せよ。」
「ははっ。」
すると、兄である高豊の言葉を聞くや、辰之助は改めて秀高に言上した。
「お初にお目にかかります。此度元服を終えました辰之助改め、山内一豊と申しまする。」
その言葉を聞いて秀高は少し感激した。元の世界で小高信頼から聞かされた戦国武将の中で、ドラマにもなる程の有名な戦国武将が、今目の前に現れて自分に仕官を申し出て来ているのを見ると、どこか嬉しい実感が込み上げて来ていた。
「よく来てくれた一豊。お前も俺に力を貸してくれるのか?」
「ははっ。兄同様、秀高様の覇業の支えになりたく存じまする。」
一豊が秀高の言葉に応えてこう言うと、秀高はその言葉にうなずいて応えた。
「分かった。一豊、お前の仕官を認めよう。今後は兄同様馬廻として仕えてくれ。」
「ははっ。ありがたき幸せに存じまする!」
一豊は秀高の言葉を聞くと、頭を下げて謝意を示したのだった。こうしてまた新たな人材が秀高の元に加わったことになり、高豊が一豊を連れて下がった後、その場にいた月番家老の三浦継意にこう言った。
「継意、四ヶ月前に俺たちは政綱を亡くしたが、こうして新たな力が加わってくれるのを見ると、悲しんではいられないと思うな。」
「如何にも。息子の政辰も父に成り代わって殿に仕え、側近として力を振るっておられます。去る者もあれば、来る者もあるという事ですな。」
「あぁ。そうだな。」
秀高が継意の言葉を聞いて頷きながら言うと、そこに稲生伊助が現れた。
「殿、関東に放った忍びよりの報告です。」
「そうか。分かった。下がってくれ。」
秀高は伊助より書状を手渡され、伊助に下がるよう命じると、伊助はそのまま消え去るように去っていった。その後、秀高は手渡された書状の中身を見ると、そこにいた継意に書状を手渡しながらこう言った。
「長尾景虎が、関宿城を攻略したそうだ。」
「なんと、関宿城を!?」
継意が秀高から書状を受け取りながらそう言うと、その場にいた信頼が秀高にこう進言した。
「先月末に北条家が滅亡し、今回の関宿城の落城…これで関東は景虎の物になったね。」
「…殿、この書状によれば足利義氏殿は討ち取られたご様子。となれば景虎殿らが推す足利藤氏殿が次の古河公方になるのは間違いないかと。」
信頼の言葉を聞いた上で、継意が書状の内容を鑑みた上での憶測を語った。その言葉を聞いていた秀高にとっては、元の世界での歴史とは違う北条家の末路を聞いて、少し呆気なく思っていた。
「あぁ。まさか北条家がこんな最期を迎えるなんてな。」
「…では、殿の世界では違う歴史だったので?」
と、継意が秀高に尋ねた。秀高ら元の世界から来た六人に加え、静姫と継意に、元の世界での歴史を共有していることを踏まえたこの質問に、秀高はそれに頷いて言葉を発した。
「あぁ。俺らの世界では、北条家はこの戦で滅びず、景虎は撤退の途上で関東管領を継承した。その後関東は景虎の勢力と北条家が熾烈な戦いを繰り広げて行く事になっていたんだ。」
「だけど、今回の北条家の滅亡で景虎は関東を抑えた。それに不安材料の義氏の死も加われば、関東での景虎の基盤はよりしっかりした物になるだろうね。」
秀高に続いて自身の意見を述べた信頼の言葉を聞いて、継意は腕組みをしながら秀高に言った。
「殿、殿が以前話されていたことによれば、景虎という男は理想的な男で、伝統に重きを置く人物だと聞いておりますが?」
「あぁ。景虎は私心を見せず、すべて古き秩序の回復のために尽力してきた。本来はこの関東出兵も、関東の諸将たちからの懇願と上杉憲政からの要請に答えたものだったんだ。」
秀高は信頼から聞いた話や、自身も書籍などで調べた、自分なりの景虎の人となりを継意に言うと、それに続いて信頼も自身の考えを継意に話した。
「景虎は晩年、追放された公方の要請に答えて京への上洛も考えていて、このことから基本的に景虎は自身から戦は起こさず、他者からの助けに応じて兵を起こす傾向が多い人物です。まぁ、そのお陰で国内や家中では謀叛が度々起きるわけなんですが…」
「なるほど…景虎という男、いささか戦国大名と呼ぶには稀有な存在のようですな。」
二人の景虎論を聞いた継意が秀高にこう言うと、秀高はふふっと微笑んで継意にこう言った。
「まぁ、元の世界の歴史を知っている俺たちも、周辺の大名にしてみれば稀有な存在に違いないけどな。」
「ははは、そうなりますな。…しかしそうなると、北条家が滅びたこの状況で、景虎は旧領回復を謳いだしてくるに違いありませんな。」
この継意の言葉を聞いて、信頼は少し不安に思った。継意はかつて、北条家の始祖・北条早雲に滅ぼされた三浦義意の子でもある。もし景虎が継意に三浦家再興を持ち出して所領を与えると言い出せば、継意はどう対処するであろうか?と考えていたのだ。
「継意、お前はどうするんだ?」
その信頼の懸念を代わりに聞くように、秀高が継意に今後の事を尋ねる。すると継意はその言葉を聞いて高らかに笑いだした。
「はっはっは。何を仰せになられるか。この某が殿を見捨て、先祖代々の土地に何の気なしに帰る薄情者だとお思いか?」
「しかしそれこそ、三浦半島はその名の通り三浦家ゆかりの地だ。誰もが主家の再興を聞けば、こぞって旧領に帰るのが当然なんじゃないのか?」
すると、継意は腕組みを解くと、秀高に向かって自身の思いを語った。
「殿、某の一族は確かに三浦半島を治めておりましたが、我らの一族は早雲公と戦って負け申した。その時に三浦の民衆は三浦家を見捨て、北条家を新たな領主として認めたのです。その末裔が北条家の滅びた後に、おいそれと旧領に立ち返って復帰するとなれば、北条家を慕う民衆の反感を買うのは必定にございます。」
その継意の意見を聞いた秀高は、その意見が理に適っていると思った。ましてや北条家に滅ぼされて数十年が経過している状況ならば、三浦家の治政を知る者は少なく、その末裔がおいそれと帰れば、混乱が起きることなど目に見えていたのだ。
「…それに某は、殿の大望にほれ込んでいるのです。ここで殿を見捨てるなど、どうして出来ましょうや?」
その継意の言葉を聞いた秀高は満足そうに微笑むと、継意の想いを受け止めてこう言った。
「そうか。俺はそこまで慕ってくれる家臣を持てて幸せだよ。」
「左様。さればもしそのような話を受けても、我ら三浦家の者は一向にその話に見向きもしませぬ。然らば殿も、毅然とお断りすることが出来ましょう。」
継意が秀高に対してこう言うと、秀高はその言葉にうなずき、継意の言葉を受け止めた上で継意にこう言った。
「そうだな。まぁ、もしも来るならの話だがな。」
そう言った秀高は継意と顔を見合わせ、そして互いに微笑んだ。その様子を見た信頼も、自身の中に抱いていた懸念が払拭されて、同じように微笑んでいたのだった。
「殿、申し上げます。」
しかし、その場に報告に現れた塙直政の言葉を聞いて、その場の空気は凍り付くように張り詰めた。
「ただ今、ご領内に長尾家の使者の宇佐美定満殿、それに公家の近衛前久殿が参られ、この城へと向かってきております。」
その直政の報告を聞いたその場の面々は、領内に来た定満らの目的に大体の目星がついていた。そして継意と秀高は互いに視線を見合わせ、今まで予測として語っていたことが現実になろうとしていることに驚いたのだった。