1560年3月 小田原陥落
永禄三年(1560年)三月 相模国小田原城
永禄三年三月下旬、関東随一の堅城と噂される小田原城は、この日城全域が業火に見舞われていた。そしてこの小田原城周辺を取り囲む軍勢の旗印、それこそが、「上杉笹」と「九曜巴」の紋を白旗に施した長尾景虎率いる総勢十三万にも及ぶ大軍勢であった。
「景虎様、小田原城本丸が落城しました。」
その長尾勢の本陣。燃え盛る小田原城が見渡せる高台の上に設けられていたこの場所に、長尾家重臣の直江実綱が小田原城の落城を報せに駆け込んできた。その報告を聞いた景虎は立ち上がって実綱に問うた。
「そうか…氏康は如何した?」
「はっ。当主・北条氏康は燃え盛る本丸御殿において、嫡男・北条氏政ら一門衆と、譜代の家臣やその郎党共々と腹を切りましてございます。」
「そうか…それは簒奪者の末路に相応しい最期だな。資正殿?」
と、景虎は徐に視線を床几に腰を掛けていた元扇谷上杉家臣・太田資正に話を振った。すると資正は、燃え盛る小田原城を見つめると、その目から涙を流し感激しながら返答した。
「はい…もし朝定様をはじめ、散っていった扇谷上杉の面々がこの姿を見れば、どれほど喜んだことでございましょうか…」
「そうであろう。扇谷上杉をはじめ、関東諸将にすれば北条は余所者。その余所者に数十年もの間踏み荒らされていたとあらば、忸怩たる思いもこの景色で晴らせたことであろうよ。」
景虎が資正にこう言うと、その場に景虎の側近の小島弥太郎貞興が入ってきた。
「申し上げます、ただ今上杉憲政殿、長野業正殿、里見義堯殿が罷り越されました。」
「そうか、ここに通せ。」
弥太郎は景虎の言葉を聞くと、その本陣の中に憲政らを招き入れた。やがて憲政が弥太郎の案内で本陣の帳の中に入ると、景虎は憲政を上座に招き、憲政が上座の床几に座ったのを見て話しかけた。
「憲政様、約束通り、北条家の討伐に成功いたしましたぞ。」
「景虎殿…此度の働き、誠にかたじけなく思う。本来であれば関東管領であるこのわしが、北条家を討伐せねばならぬところを、わざわざお手を煩わせて申し訳ない…」
憲政が景虎に向かって申し訳なさそうに言うと、景虎はその言葉を聞いて首を縦に振り、憲政の杞憂を晴らすように発言した。
「いえ、我が長尾家はもとは上杉家の筆頭家臣の家系。こうして憲政様のお役に立てることこそ、先祖代々受け継いできた恩に報いる物にございます。」
景虎が憲政に向かってこう言うと、憲政はその言葉に頷いてある事を景虎に伝えた。
「景虎殿、わしはこの働きを見て遂に決心した。先般からそなたに申しておる山内上杉家の家督と関東管領の継承。是非とも受けてはくださらぬか?」
憲政が景虎に言った事、それは憲政の家である山内上杉家の家督と関東管領を、長尾景虎に譲るというものであった。このことは言わば、関東管領として景虎の関東支配の正当化を確約する物であった。景虎は憲政からの提案を聞くと、静かに首を横に振って頷いた。
「…分かりました。しからば然る体裁を整え、憲政様の養子となったうえでその二つの物を引き受けましょう。」
すると、景虎の返答を聞いた憲政は満足そうに微笑み、にこやかな表情を浮かべながら景虎に言葉を返した。
「そうか。これで上杉の名跡も、関東も安泰なものとなろう。のう?業正。」
と、憲政は視線を景虎の反対側の床几に座っていた、山内上杉家重臣の業正に向けた。すると、業正は憲政の問いかけに頷き、景虎に向かってこう言った。
「如何にも。景虎殿、いや我が主。これからは共に関東の安定を図ってまいりましょうぞ。」
「業正殿…お言葉忝い。」
と、景虎が業正に話していると、その席に列していた義堯が景虎にある事を尋ねた。
「それで景虎殿、今後の事は如何なさる?」
「うむ。それについてだが…」
と、景虎が今後の方策を話し始めようとしたその時、その場に景虎の家臣・柿崎景家が駆け込んできた。
「申し上げます!小田原城陥落の方を聞き、玉縄城に滝山城、それに河越城の城主、皆々腹を切って開城するとの事!!」
「何!?それは誠か!!」
と、その報告を聞いた実綱が声を上げた。するとその報告を聞いていた資正が腑に落ちたように話し始めた。
「そう言えば、その城の城主はすべて北条一門。特に滝山城の北条氏照は氏康の息子。主家の滅亡を聞いて、皆その追い腹を切った訳か。」
「いや、それは少し違うな。」
と、資正の言葉を聞いていた景虎が、資正の意見を否定して、自身の意見を言った。
「おそらくその者どもは、己の意地を通して領地や領民に無駄な被害を出すのを嫌ったのであろう。簒奪者共の一家とはいえ、その辺りの分別を付けたまでの事よ。」
景虎がその場の一同にそう言うと、一同はその意見を飲み込んだ。自分たちにしてみれば、故郷や主家を滅ぼした憎き北条家とはいえ、領民の事を考えての切腹を聞いてもどかしい気持ちを抱いていた。すると、その場の空気を換えるように実綱が口を開いた。
「…ともかく、これで北条家の一門は悉く討死。ただ今長尾政景殿以下二万に伊豆の制圧を命じておりますれば、関東管領の就任式までには北条家の残党も片が付くでしょう。」
実綱の言葉を聞いた景虎は、その目の前にあった机の上に絵図を広げると、北条家滅亡後の概ねの戦後処理を語った。
「そこで今後についてだが、まず武蔵の旧扇谷上杉の所領については、資正殿が擁立した上杉憲勝を正式に扇谷上杉を継承させ、その一帯の統治を担ってもらう。資正殿は、その家老として補佐なされよ。」
「ははっ。憲勝様こそ扇谷上杉の家督に相応しき者。喜んで忠誠に励みましょう。」
資正が景虎にこう言うと、景虎はそれを聞いた後に話を続けた。
「次に伊豆であるが、ここには憲政様の幼子を犬懸上杉の名跡を継がせ、元服後には伊豆一国の主とする。この者にはこちらから桃井義孝を附家老として補佐させる。義孝、後は任せるぞ。」
「ははっ。北条家残党に目を凝らし、必ずや伊豆を見事に治めてみせましょうぞ。」
景虎から話しかけられた義孝がこう言うと、上座の憲政が義孝に話しかけた。
「義孝よ、くれぐれも我が子を大事に頼むぞ。決して諍いなく、一致団結して統治してくれ。」
その言葉を受けて、義孝は深々と頭を下げた。するとそこで、義堯が景虎にある事を尋ねた。
「景虎殿、肝心の古河公方の一件はどうなさる?」
義堯が言った古河公方というのは、室町幕府においては関東を治める長である鎌倉公方の流れを受け継ぐ伝統ある役職であった。北条家討伐以前、この古河公方は北条家の血を引き継ぐ足利義氏が継いでいたのだ。
「うむ。それについてだが、我らは北条の血を引いていない足利藤氏殿を推挙し、近衛前久殿を通じて京の許可を得ておる。」
「というと、将軍家も藤氏様を古河公方とするのを認めたと?」
義堯が景虎の言葉を聞いた上で尋ねると、景虎はその言葉にうなずいて応じた。
「如何にも。既に京の公方様より古河公方の認可を受け、今斎藤朝信が軍勢六千を率い義氏の籠る関宿城に進軍しておる。関宿城を制圧し義氏を討てば、藤氏殿が正式な古河公方となる。」
その景虎の言葉を聞いた関東諸将は、関東管領を継承する景虎が戴く古河公方として、足利藤氏がその席に収まったのを聞くや、今までの北条一色の古河公方に純粋的な足利一門の当主が帰ってきたと実感していた。それと同時に、新たな古河公方を擁立した長尾景虎の影響力も、これから飛躍的に上昇することも実感していたのである。
「そのうえで諸将には互いの諍いを止め、新たな古河公方である足利藤氏殿に忠誠を誓ってもらいたい。」
「ははっ。しかと承りました。」
その景虎の言葉を聞いた義堯ら関東諸将は、皆一様に景虎に対して頭を下げた。これは実質的な関東の支配者が、長尾景虎に移ったことの証左であった。
「そう言えば殿、定満殿はどちらに?」
と、その中で実綱が景虎に、景虎の軍師でもある宇佐美定満の所在を尋ねた。
「あぁ、定満は前久と共に尾張へと向かった。」
「尾張へ?なぜ尾張に向かわれたので?」
その言葉を聞いて疑問に思った資正が景虎に尋ねると、景虎はその場にいた諸将にこう告げた。
「実は、尾張にはかつて相模を治めていた相模三浦氏の末裔がいるという。その者の主君でもある高秀高に折衝し、その者を正式に三浦半島を含めた相模の国主に据えようと思っている。」
「ほう?景虎殿。やはり三浦の末裔伝説は本当であったか。」
と、その思惑を聞いた憲政が景虎にこう言った。実は、関東一帯には三浦家滅亡後、その遺児が尾張に逃げ延びたという風聞がまことしやかに囁かれ、北条家もその伝説を消そうと躍起になっていたのだ。
「如何にも。その者に己の血筋を解き、是非とも三浦家の当主として関東に下向してもらいたいと思っております。」
「もし、断られた場合は?」
と、業正が景虎にその懸念を伝えると、景虎はその懸念を一笑に付して笑い飛ばした。
「はっはっは。何を言われるか業正殿。三浦家は平安の御世より続く名家。成り上がりの秀高に仕えるよりは、三浦家の所領を継ぐ方が誉高いことなど考えるより明らかでしょう?」
「そうか…それならばよいが…」
と、業正は景虎の言葉を聞くと食い下がって黙った。この景虎にはいささか理想主義的な思考があり、この三浦家復興の案も、三浦家の末裔ならば飛びつくと思っていたからの行動であった。
しかし、この景虎の思惑は現実に即していないことが多く、この考えも、そして関東の統治についても景虎は頻発する様々な問題に対処していくことになるのである…。