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1560年1月 突然の別れ



永禄三年(1560年)一月 美濃国(おわりのくに)小牧山(こまきやま)




 永禄(えいろく)三年一月下旬、この日、高秀高(こうのひでたか)の姿は尾張東部の小牧山にあった。これより数日前から始まった、秀高肝いりの方策である水路開拓の状況を見ようと、工事現場を見下ろすことのできる小牧山まで足を運んできたのである。


「およそ三年ぐらいかかるのか。」


 その小牧山山上に設けられた陣幕の中にて、盾で作られた机の上に広がった工事計画の絵図を見ながら、秀高が作事奉行である村井貞勝(むらいさだかつ)にこう言った。


「はっ。当方の試算では幅は二間(約3.6m)、総距離は三里と十町(約11㎞)ほどあり、人足は一万人ほど集めることが出来ました。この試算で行けば、長くても三年ほど時間を要することになりまする。」


「そうか…この工事は国の行く末が掛かっている。急ぐことなく、着実に作業を進めるようにしてくれ。」


 秀高からの言葉を受けた貞勝は頭を下げ、その言葉を胸に刻んだのだった。すると、秀高はその場に連れて来ていた徳玲丸(とくれいまる)を抱っこして抱えると、そのまま工事現場が見える場所まで歩いて行き、その風景を徳玲丸に見せた。


「見えるか?徳玲丸。あれがこれから造られる水路だ。」


「大きい。」


 するとその景色を見た徳玲丸は、水路の開拓の広さを見て一言で感想を述べた。それを聞いた秀高は笑い出した。


「はっはっはっ。その通りだな。だがこれは、この尾張の為になる物だ。」


 秀高は徳玲丸を抱っこしながら、徳玲丸に言い聞かせるようにこう言った。


「徳玲丸、お前が大人になるころには、この尾張はもっと繁栄している事だろう。だがそれに甘んじては駄目だぞ。皆の事を思い、優しさで皆と触れあれる人になってくれ。」


 すると、その秀高の真意が伝わったのか、徳玲丸はこくりと小さく頷いた。



 徳玲丸はこの数年間、養育係の滝川一益(たきがわかずます)の親身な養育を受け、文字の読み書きや発音、ひいては知識などを吸収していた。その知能の片鱗を見た秀高には、徳玲丸はやがて大人物になるという確信を持っていたのだ。



「殿!那古野(なごや)信頼(のぶより)様から急使にございます!」


 と、そこに側近の津川義冬(つがわよしふゆ)が駆け込んできて、那古野の小高信頼(しょうこうのぶより)からの書状を秀高に届けた。秀高は同行していた乳母の(とく)に徳玲丸を預けると、義冬からその書状を受け取ってそれを開いた。


「…これは!」


「殿、如何なされましたか?」


 ただならぬ予感を感じた貞勝が秀高に尋ねると、次の瞬間、秀高は貞勝に驚きの報告を伝えた。


簗田政綱(やなだまさつな)が、領内検分中に襲撃を受けたと…!」




 その日の夕方、徳玲丸を那古野に帰した秀高は、信頼や三浦継意(みうらつぐおき)森可成(もりよしなり)大高義秀(だいこうよしひで)らを連れて駆け足で沓掛城(くつかけじょう)へと入った。城門の中に入った秀高はその場で下馬すると、その足で本丸館の中に入っていった。するとそこには、医師や親族に付き添われて横になっている政綱の姿があった。


「政綱…政綱!」


 横になって身動きもしない政綱に話しかけた秀高は、その目で政綱の容態を見た。すると政綱は袈裟掛けの様に斬られた跡があり、それと同時に政綱の顔から生気が消えていた。


「そんな…間に合わなかったのか…」


 秀高がガクッと姿勢を崩してその場に座り込むと、その場にいた政綱の子、簗田政辰(やなだまさとき)が秀高に話しかけてきた。


「殿…殿が来る数刻前に、父は殿への遺言を残し、そのまま息を引き取りました…。」


「そうか、そうであったか…」


 政綱の傍に近づいてその場に座りなおした秀高に代わり、その近くに座った継意が代わりに政辰の言葉に応えた。すると、義秀が単刀直入に政辰に尋ねた。


「何があったんだ?誰に襲われた?」


 すると、政辰は呼吸を整えて義秀や秀高らに襲撃時の状況を伝えた。


「今朝ごろ、領内の巡検を行っているさなか、目の前に現れた虚無僧たちによって従者が切られ、父も馬から下馬させられてそのまま袈裟懸けに斬られたと…」


「何だと?今、虚無僧っつったか!?」


 義秀がある単語に引っ掛かって政辰に尋ねると、政辰は首を縦に振って頷いた。それを見て、信頼が推測を口に出した。


「おそらく、下手人は織田信隆(おだのぶたか)…」


「やはり、あのクソ女が!秀高!あいつのせいで政綱が死んじまったんだぞ!!」


「義秀、そう詰め寄るな!」


 義秀の振る舞いを見た可成は、義秀を諫めるように言葉をかけた。すると、それを聞いていた秀高が気を取り直して可成に話しかけた。


「可成、良いんだ。すべての責は信隆を逃がした俺にある。俺のせいで政綱が死んだのは事実だ。」


「しかし殿…!」


 秀高の言葉を受けて可成が秀高に言いかけると、秀高はそれを制して目の前の政辰に政綱の遺言を尋ねた。


「政辰、政綱からの遺言は何だ?」


「はっ…父は己の慢心によって死すことを恥じ、沓掛城主の職を某に継がせることのないようにしてくれと。」


「何、沓掛城主の相続を否定すると?」


 政綱の遺言を聞いた継意は大層驚き、その真実を政辰に尋ねた。すると政辰は父・政綱の真意を秀高に告げた。


「殿、父は亡くなる際、己の不明で死に、その恥を後世に残すことを懸念しておりました。そこで某に沓掛城主の職を降り、一家臣として殿のお側で仕え、いずれその不明を明かす好機を得よと仰っておりました。」


「…つまり今回の不始末は、政綱の慢心によるもので纏めるという事だな?」


 秀高の言葉を聞いて、政辰はこくりと頷いて返した。それを見た秀高は、政辰に次の言葉を命令として伝えた。


「よし、ならば政綱の遺言に従い、簗田家の沓掛城主の職を解く。今後は那古野で側仕えを行い、その汚名をそそぐ時を待て。良いな?」


「ははっ!そのお言葉、しかと承りました。」


 政辰は秀高の言葉を聞いて頭を下げ、その命令に従うことを示した。すると、政辰は再び頭を上げ、もう一つの遺言を秀高に伝えた。


「今一つ…その城主辞任の時に際し、この沓掛城を破却せよとの遺言にございます。」


「何だと!?この沓掛城を取り壊すってのか!?」


 その遺言を聞いて、義秀が身を乗り出さんばかりの勢いで驚いた。するとその隣に座っている信頼が、政辰に沓掛城の意義を説いた。


「政辰殿、この沓掛城は今川(いまがわ)松平(まつだいら)との最前線になる城。この城を破却すれば、今川に付け入る隙を与えると思うんだけど…」


「いえ、我が父はむしろその隙を与えよと言われました。」


「というと?」


 その政辰の言葉を聞いた秀高が、政辰にその言葉の意味を尋ねた。


「父はこの城を破却するという事は、今川にとっては禍根が無くなったと同時になると言いました。今、今川家領内では不穏な空気が続いており、駿河ではこの機に乗じてこちらが攻め込んでいるという風聞まで飛び交っていると言います。そこでこの城が無くなったとなれば、今川はこちらの侵攻を考えることなく、心置きなく領内の鎮静化に努められると。」


 秀高の下にも、今川家内部の不穏な空気は伝わっていたが、これからの天下統一の方針の上で、もう一度今川を叩いておきたいと心の中で考えていた秀高にとっては、正に我が意を得たような考えであった。


「そこで父は来月、殿に進言して沓掛城破却の進言をしようとしていたのですが、あえなくその前に…」


 そう言うと、政辰の目に一筋の光るものが流れた。それを見た秀高は横になって目を閉じている政綱の亡骸を見た後、涙を流した政辰にこう言った。


「分かった。政辰、父の遺言に従い、この沓掛城を破却しよう。それこそが、亡くなった政綱の弔いにもなると思う。」


「はい、(かたじけな)く思います…」


 政辰は秀高の言葉を受けてそう言うと、深々と頭を下げて謝意を示した。その後秀高らは亡くなった政綱の遺体に手を合わせて弔い、そのあまりにも突然な別れを惜しむように政綱の冥福を祈った。




 その後、沓掛城は守兵たちによって(ことごと)く破却され、跡地には木が植林されるのと同時に二基の墓が残された。


 それはこの城で亡くなった近藤景春(こんどうかげはる)の墓と、不慮の死を遂げた政綱の墓であった。二つの墓は隣り合うように、秀高の天下統一を見届けるようにその場にひっそりと佇んでいた。破却が終わった後に、秀高はその政綱の墓の前で手を合わせると、政綱の死を無駄にしないように心を引き締め、その知略を惜しんだのだった。







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