1559年9月 美濃出兵
永禄二年(1559年)九月 美濃国稲葉山城
永禄二年九月二日。郡上郡で起きた遠藤盛数による離反劇から数週間が経ったこの日、斎藤義龍の居城である稲葉山城下に、尾張の高秀高からの援軍である、大高義秀率いる約三千もの軍勢が到着していた。
「…随分と時が掛かったようだな?」
秀高からの援軍が稲葉山城下に入ってきた様子を、山上にある本丸の天守閣最上階の高欄から眺める義龍が、近くに控えている安藤守就に振っていた。
「はっ。秀高殿からは、足軽たちの招集に手間取ったのと、昨日来の豪雨で川の水かさが増し、進軍に時間がかかるとの書状を頂いておりますが…」
「ふっ、表向きはそうであろうが…今少し早く来ておれば、盛数の機先を制して郡上郡の鎮圧を手早く終えることが出来たであろうに…」
義龍は腕組みをしながら守就にそう言うと、天守閣の中に入って守就の方を振り向いてこう言った。
「まぁ、今更ぼやいても仕方がない。半兵衛、こちらの手はずはどうなっておる?」
と、義龍はその場に腰を下ろすと、守就と共にその場にいた竹中半兵衛に準備の状況を尋ねた。
「はい、既に氏家直元殿の軍勢が大垣城にて軍備を整え、出陣の手はずを整えております。また守就殿の軍勢も出陣のご下命があれば動ける手はずを整えております。」
「ふむ…盛数は飛騨の三木の援兵を得ておったが…此度も三木は兵を出す動きはあるのか?」
義龍のこの質問を受けて、半兵衛は自身の見通しと独自に手に入れた情報を合わせ、思案した考察を義龍に伝えた。
「畏れながら、私が集めた情報によると、飛騨国内でも三木への不満が噴出しており、国内の豪族の不和を鎮圧するために三木は行動を起こしたため、此度は援兵を出してくる気配は薄いかと思われます。」
「そうか…ならば此度は氏家の軍勢のみで良かろう。それに尾張の高家の軍勢の手並みを見させてもらう目的もある。余計な軍勢は動員せずとも良いだろう。」
「ははっ。しからば我が手勢の軍備を解きまする。」
義龍の言葉を聞いて、守就が自身の軍勢の準備を解くことを義龍に伝えた。その言葉を受けて義龍は、こくりと首を縦に振って頷いたのだった。
「殿、ただ今本丸内に高家家臣、大高義秀殿以下が参られました。」
と、そこに天守閣の階段を昇ってきた稲葉良通が、義龍に義秀らが稲葉山城の本丸に来たことを伝えた。
「よし、御殿の中に通しておけ。わしも直ぐに参る。」
「ははっ。」
義龍の言葉を聞いた良通はすぐに階段を下り、義龍たちに先行してその命令を義秀たちに伝えるべくその場を去っていった。その後義龍らも天守閣を後にし、天守閣の石垣の辺りにある本丸御殿に入っていった。
「…おう、義秀。よくぞ参った。」
やがて義龍らが御殿内の評定の間に入ると、そこの中で待っていた義秀らを労うように声をかけた。すると義秀は差し出された義龍の手を取ってこう挨拶した。
「申し訳ねぇ。豪雨の影響で川を渡河出来ず、何度も足止めを喰らっていたんだ。」
「はっはっは、その事ならお主らの主から書状で伝えられておる。心配致すな。」
義龍は義秀の言葉を聞いて笑い飛ばすようにこう言うと、義秀はその言葉を受け止めて一礼した。その後、義龍は評定の間の上座に座り、義秀らも義龍と対面の下座にそのまま腰を降ろした。
「さて…この美濃の状況は既に聞き及んでおると思うが、此度お主らの援兵を得てようやく盛数討伐に繰り出せる。義秀、「鬼大高」と呼ばれしお主の武勇、当てにさせてもらうぞ。」
「おう、これも秀高と義龍殿の同盟の為だ。腕を振るわせてもらうぜ。」
その義秀の意気込みを聞いた義龍は上機嫌に微笑み、その意気や良しとばかりに義秀に言葉を返した。
「なんとも心強い言葉よ。そうでなければ面白くもないわ。義秀、ならばすぐにでも郡上郡へ出立してもらおう。道中の関城で直元の軍勢と合流し、合力して盛数を討て。」
「おう。その役目、引き受けたぜ。」
義秀の言葉を聞いた義龍は、近くに控えていた半兵衛に視線を向けると、義秀にこう伝えた。
「義秀、それと軍監としてこの半兵衛を同行させる。半兵衛はこの斎藤家の智嚢とも言うべき天才だ。半兵衛と話し合い、なるべく無駄な血を流さぬように頼むぞ。」
「分かったぜ。よろしくな。半兵衛。」
「はい。よろしくお願いします。義秀殿。」
こうして義龍よりの指示を受け取った義秀は、そのまま同行していた華たちと共に義龍に一礼した後、半兵衛と共に評定の間を後にした。その勇ましい後姿を義龍は頼もしく思う反面、義秀らの腕前を試すように鋭い視線を同時に送ったのであった。
義龍からの指示を受け、郡上郡へと進路を取った義秀勢三千は、合流地点の関城にて氏家直元の軍勢を待つべく城に入った。
「お初にお目にかかります。義秀殿。」
関城の大手門をくぐり、本丸の中へと入った義秀ら一行を、この城の主と思わしき一人の武将が出迎えた。するとその姿を見た半兵衛が義秀らにその武将のことを紹介した。
「義秀殿、このお方は関城の主である長井道勝殿です。」
「そうか。大高義秀だ。よろしくな。」
すると、道勝は義秀の姿を見るや感嘆した声を上げ、義秀に向かってこう話しかけた。
「なるほど…さすがは噂に聞く鬼大高…見事な風格にございますな。」
「へっ、そうか。よろしく頼むぜ。道勝。」
すると、義秀らに同行していた坂井政尚が義秀と華にある事を伝えた。
「義秀殿、それに華様。この道勝殿の父は先の長良川の戦いで討死なされた長井道利殿にて、若くして父君の所領を継がれたお方にございます。」
「そう…お父様を亡くされて大変でしょう?」
と、華が道勝にこう言うと、道勝はその懸念を振り払うように首を横に振ると、華にきっぱりとこう言った。
「いえ、父も戦で華々しく散ったのです。きっと後悔はなかったでしょう。それに継いだこの某が弱音を吐いては、あの世で父に叱られます。」
「まぁ、立派なのね。道勝殿。」
華が道勝に向かってそう言った後、道勝は一同を本丸館の中へ通し、広間の中で労をねぎらう宴席が始まった。その席上、上座に座った義秀がそばにいた半兵衛にこう言った。
「ところで半兵衛、敵の詳しい情報なんかはあるのか?」
「はい。敵は遠藤盛数率いる千五百。敵は居城の鶴尾山城を破棄し、東殿山城の真向かいにある八幡山に新たな城を築いているそうです。」
「新たな…城ですか。」
その半兵衛の情報を聞いた花がつぶやくようにそう言うと、半兵衛はその言葉に対して頷いて言葉を続けた。
「しかし、如何せん急ごしらえで普請を行っているらしく、付近の領民を徴発して築城に当たらせているため、領民からの支持を失いつつあると聞き及んでいます。」
「そうか…それは面白い情報だな。」
半兵衛からの情報を聞いた義秀がほくそえみながらこう言うと、その言葉を聞いて華が頷いて義秀に言葉を返した。
「えぇ。上手くいけば偽情報を流して軍勢の離反を誘えるかもしれないわね。」
「そうなれば敵の戦力はさらに少なくなる。義龍が言った無駄な血を流さない方向に向けることが出来るな。」
すると、その義秀と華の目論見を聞いた半兵衛は、二人の戦略眼に一目を置いたのか、感心してこう話しかけた。
「これは恐れ入りました。まさか義秀殿がそこまでの考えをお持ちとは…」
「へっ、舐めてもらっちゃ困るぜ。俺も戦一辺倒じゃねぇんだ。考えるときはしっかりと考えるんだぜ。」
その義秀の言葉を聞いた半兵衛は納得し、義秀の傍に来て盃に酒を注ぐと、義秀にこう言った。
「あなたほどのお方がおるのならば、秀高殿の将来も安泰というわけですね。」
「へっ、あったりまえだぜ。この義秀がいれば問題ないぜ。なぁ華?」
「また調子に乗って…ヨシくん、自制心を持たなきゃダメよ?」
その華の言葉を聞いて、自信を高めていた義秀が釘を刺されていると、そこに稲生伊助が現れた。その姿を見た義秀は伊助の名前を呼んだ。
「おう!伊助じゃねぇか!どうしたんだ?」
「はっ、実は殿に命じられてある情報を掴み、それを義秀殿にお伝えせよとのご下命で参りました。」
そう言うと伊助は懐から一通の書状を取り出し、それを義秀に手渡した。それと同時にその場から伊助の姿が消え、その場にいた半兵衛ら斎藤家の面々は驚いていたが、義秀はいたって冷静にその書状の中身を拝見した。
「…華、これを見てくれ。」
義秀から話しかけられた華は義秀からその書状を受け取ると、その中に書かれてあった内容に驚いた。その内容というのは、盛数が挙兵の大義名分に掲げた兄・遠藤胤縁の死が、織田信隆配下によって仕組まれたという内容であった。
「ヨシくん、これは…」
「やはり、あの女が仕組んだことだったのか…!」
義秀がそう言うと怒りを滾らせ、手にしていた盃を力強く握りしめた。華はその様子を見ながら、半兵衛や道勝らその場にいた斎藤家の面々にもその書状を見せた。
「これは…では盛数は信隆に教唆されたというので?」
「いや、恐らく信隆は盛数の野心を知っていた。知っていたからこそ大義名分を与えれば盛数が食いつく事も見越していた。今回の出来事はすべて、信隆によって仕組まれていたんだ…」
道勝と半兵衛が書状の内容を見た上でこう会話すると、上座にいた義秀がある事を思いついた。
「…半兵衛、一つ聞きたいんだが、その兄の胤縁には子がいるのか?」
「はい。胤縁には二人の男子がいて、兄を新右衛門、弟を新兵衛と言います。二人ともまだ若年で、父の死後に祖父の遠藤胤好の庇護を受けているといいます。」
すると、義秀は半兵衛からその情報を聞くと、ある事を思いついてその場にいた諸将に自身の考えを告げた。
「…なるほど、それは面白い策ですね。もし成功すれば、我らは一滴の血も流さずに郡上郡を回復できるでしょう。」
「そうね。ヨシくんにしては、なかなか良い策じゃない。」
半兵衛と華が義秀の策を聞いて褒め称えると、義秀は意を決して半兵衛にこう指示した。
「よし、半兵衛。まだ氏家の軍勢が来るまで時間がある。それまでその二人に接触しておいてくれ。」
「分かりました。直ぐにその手筈で動いておきます。」
その半兵衛の言葉を聞いて義秀は深く頷いた。この時出された義秀の策は、その場に秀高が居合わせたような神懸ったものであり、この策の成否が郡上郡の早期鎮圧の成否を分ける物になっていったのである。