1555年5月 世界が動く時
天文二十四年(1555年)五月 尾張国・清洲城
この年、尾張のうつけと呼ばれた織田信長は、同族の織田信友を討ち、遂に尾張統一への道筋をつけていた。そして、信友の居城であった清洲城へと拠点を移し、織田信長の覇道が正に始まろうとしていた…
「信長殿、まずは清洲攻略、祝着至極にござりまする。」
信友より奪取し、信長が居城とした清洲城の評定の間にて、上座に座る信長に祝いを述べたのは、信長の叔父であり、尾張守山城主の織田信光であった。
「うむ…これも信光叔父の働きあってこそである。」
信長は簡潔に言葉を述べると、視線を下座に控える家臣・丹羽長秀に目をやった。長秀はこの信長からの目配せを受けると、姿勢を信光の方に向けてから今後のことについて申し述べた。
「信光様、此度の清洲城奪取における戦功第一は、他ならぬ信光様にございまする。その戦功によって、今後は殿の居城であった那古野城に入っていただき、今川への備えを任せたく思いまする。」
「うむ、相分かった。今川への備え、このわしに任せておけ。」
長秀から申し渡された褒賞の内容を聞き、満足そうに微笑みながら発した信光の言葉を受け、上座に座る信長はこくりと頷いた。するとそこに、信長子飼いの家臣の一人、池田恒興が現れて信長に報告した。
「申し上げます。只今勝幡より信隆さま、その後見役の幻道様、お目見えにございます。」
恒興から申し渡された報告を聞いた信光はそれまで微笑んでいた表情をがらりと変え、眉をひそめながら吐き捨てるように言った。
「ふん、兄上の妾の娘が、今更何の用じゃ?それに怪僧も連れて来よって…」
「…よかろう、ここへ通せ。」
嫌悪が入り混じった信光の言葉を聞いた後、信長は信光の言葉を意に介さぬ態度を見せつつ、報告しに来た恒興にこの場へと通す様に伝えた。やがて信光は、それまで座っていた信長の正面の位置から下がり、長秀の向かいへと座る位置を変え、その動きと入れ替えに、一人の姫武者と僧侶が恒興に伴われてやってきた。
「おう、姉上。それに幻道。よくぞ参った。」
信長より姉上と呼ばれたこの姫武者、名を織田信隆という。
信長の庶兄、織田信広と同じ母に生まれ、庶子として扱われていたが、信長とは気心知れた仲であった為に父・織田信秀没後は信長より勝幡城を貰い受け、傅役兼自身の軍師でもある高山幻道と名乗る一介の僧侶と共に、城主でありながらも隠遁同様の生活を送っていた人物であった。
「信長、この度は清州攻めの成就、祝着至極に存じ上げます。」
「姉上、堅苦しい挨拶は抜きだ。此度は何用か?」
信長にそう言われた信隆は面を上げると、上座に座る信長に向けてある事を進言した。
「実は、ここに控える幻道が清洲制圧を祝し、自身が延暦寺や高千穂峡などでの修験の末に習得した術を行い、信長の覇道に役立つ人物を推薦したいそうです。」
「何じゃと?幻道!貴様またその様な詐術を披露するつもりか!」
信隆からの具申を聞き、誰よりも声を上げて幻道に食って掛かったのは信光であった。信隆のそばに控えている信光が幻道に向かって声を荒げる様に怒鳴ると、信隆の背後にいた幻道はゆっくりと面を上げ、信光に向かってこう述べた。
「恐れながら、拙僧は数年の間、名刹寺社や霊峰において瞑想や修験を重ね、この乱れた世を鎮める術を習得しておりまする。」
幻道はそういうと、顔を上座にいる信長の方に顔を向け、自身が習得した術の名を言った。
「名付けて、「行者召喚」です。」
「ほう…?そんな術など、名前すら聞いた事もないわ!!第一、そんなものができるわけなかろうが!!」
信光は怒り狂うように幻道に反駁した。それも無理はない。この信光は織田家中の中で特に幻道の異様さを煙たがり、何かあれば邪険に扱うように嫌悪感を示していた。しかし、信光の父である織田信定、そして信長・信隆の父でもある信秀までもが幻道に信頼を寄せていた為、信光は幻道の命までは取ることが出来なかったのである。
「信光様、あまりそのような事を申されては話が進みませぬ!…幻道殿、話の続きを、」
信光のあまりに行き過ぎた言動を見かねた長秀は、信光を諫めた後に幻道へ話を進めるように促した。
「ははっ。この術は遥か未来より行者…即ち人を呼び寄せ、信長殿の覇業を支える人材を揃える為の術にございます。」
「ほう、この俺を支える人材を、遥か未来から呼ぶというのか?」
信長は幻道の話に興味を示した。この信長、神仏の事など誰よりも信じない男ではあったが、父の影響か幻道の言葉だけは耳を傾けて聞き入っており、信長は目の前の幻道に行者召喚の詳しい方法を尋ねた。すると幻道は耳を貸さなくなった態度を見せる信光をよそに、信長や長秀に向けてその方法を語った。
「ははっ。大まかな方法としましては、未来にて死ぬ定めにある者を…5~6人ほど呼び寄せ、この世に生きる者として召喚。そしてその者らに道を示し、信長殿への忠節を誓うよう、暗示を掛けてまいりまする。」
「馬鹿馬鹿しい…そんな話、聞いていられるか!!わしは那古野城へ向かう!」
信光はその話の荒唐無稽さに呆れ、席を中座してその場を去って行ってしまった。この信光の退出を冷ややかな目で信長が見つめた後に、信隆が幻道の代わりに口を開いて信長に向けて発言した。
「信長、確かにこの話は、一見荒唐無稽に聞こえましょう。しかし幻道は行者召喚の術式や儀礼を熟知しており、呼ぶ人材もある程度の目途は付けています。誰彼構わずに召喚するというわけではありませんよ。」
信長は信隆からそう告げられると、一門の中でも友好関係を築いている信隆の話を信長は信じ、信隆と幻道に向かい言った。
「よかろう、信光叔父はああ申しておったが…俺は異存はない。その行者召喚とやら、やって見せてみよ。」
「ええ。わかりました。では早速、術に取り掛かるため、これにて失礼します。」
そう言うと、信隆と幻道は居間から下がり、そのまま勝幡へと帰っていった。そして、信長はその場にて信長同様に話を聞いていた恒興や長秀と話し始めた。
「…うまくいきましょうか…。」
「どうでしょうな。古今聞いた試しの無い事にござれば、易々とこちらに仕官するわけがありますまい…。」
長秀の不安を拾うように、恒興が自身の考えを述べると、信長は手にしていた扇をパチンと鳴らし、静かにこういった。
「その場合は…容赦なく斬り捨てるまで。」
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一方、清洲城の城門を出て、勝幡城へと帰る道を、馬に跨って進んでいた信隆と幻道であったが、幻道は後ろを振り向き、清洲城を見ながら信隆に言った。
「信隆さま、信長殿にはああ言ったが、正直申せば呼び寄せることはできても、織田に仕官するとは限りませぬぞ。」
「禅師、案ずることはないわ。」
信隆は幻道の不安を払うと、静かにこう言った。
「たとえ織田から離れても、いずれ元に帰ってくるのですから。」
信隆のこの言葉を聞いた幻道は、口角を上げてほくそ笑むように笑っていた。その後、清洲城より居城の勝幡城に帰った信隆と幻道は、儀式に必要な用具を揃えた上ですぐさま行者召喚の儀を執り行い始めた。そしてこの両名が行う召喚が織田家を、そして日本の歴史すら大きく変える召喚になろうとは、この時は儀式を行う信隆をはじめ、この日ノ本にいる誰一人も知らなかったのである…。