始まりの12歳
「お父様、お母様、私は何もしていません。信じて下さい」
家に着き、居間に入ると背中をさすられながら父と母に詳しい状況を聞かれたので必死に訴えた。
やっていない事で悪者にされた瞬間の驚きと、周りから軽蔑の視線を送られた恐怖。
最後のウィカとスーザンの微笑みを話すと父と母は私を信じてくれた。もとい、疑ってもいなかった。
「分かっているわよ。リーハは平民の使用人とも仲が良いくらい人が好きだもの。初対面の子を突き飛ばすなんて馬鹿な事しないわ」
「まさか子供達の婚約話に何かして来るとは考えてもいなかったが、あらかじめポルトナス家とコルトナーレ家が手を組み計画していたのかもしれないな。調べてみよう」
「お父様、お母様……信じてくれてありがとうございます」
口ひげを生やしちょっぴりきつそうに見えるけど実は優しいお父様、今まで声を荒げる所など見た事も無い優しいお母様に感謝し抱きついていると居間にやって来た弟ラディの心配そうな声が聞こえた。
「姉上、大丈夫ですか?泣きながら帰って来たとハンリが心配そうにしていました」
2歳年下のラディは少しくせっ毛でフワフワの髪の毛。本人に言ったら「僕は犬ではありません!」ってムキになるけど、グレーの瞳も大きくて子犬みたいに可愛い。
私が泣いていたと執事のハンリに聞いてすぐに様子を見に来てくれたみたい。優しくて自慢の弟だ。
「凄くショックな事があったけどもう大丈夫よ。ありがとう」
「それなら良いのですが……姉上、一緒にグレルの所に行って甘いプティングでも食べませんか?」
ラディの誘いにコクンと頷いた。グレルは我が家の料理長。私もラディもお菓子が大好きでしょっちゅう厨房に入り浸り、お菓子を一緒に作ったり新しいお菓子を考えたりするのだ。
教育係のバーシアからは公爵家のご令嬢らしからぬ行動だと言われたけど、食べ過ぎなければいいと父と母が許してくれた。その代わりと言ってはなんだが音楽好きの母の勧めで始めたバイオリンの練習を頑張っている。
厨房の火元から離れた一画に用意されている私とラディ専用の白いテーブルセット。椅子に腰掛けるとすぐに使用人達が笑顔で話しかけてくれる。皆に今日の出来事を愚痴るとグレルが言う。
「優しいお嬢様になんてことを……今日は特別にプティングにクリームを載せましょう!嫌な事など一発で吹き飛ぶ美味しさになるはずです」
「クリームを?凄く美味しそう!ありがとうグレル」
「あ、なら僕シャーベットも載せて欲しいなぁ。前からプティングは冷やしたらもっと美味しいんじゃないかって思ってたんだ」
「キャー!何て贅沢なの!でも素晴らしいアイデアだわ。グレル、やってみましょうよ」
グレルは新たなるチャレンジに悪戯っぽい表情で頷き、すぐに作ってくれた。
生クリームとイチゴのシャーベットを添えたプティングは今まで食べたどのデザートよりも美味しく感じ、傷つけられた心は家族と使用人の優しさのおかげでとても救われたのだった。
そして3か月後、改めて王子との顔合わせが行われる事になり私は苦い思い出の王城に再び父と母とやって来た。第一王子ルチアーノのお披露目も兼ねているので候補の家だけではなく赤い絨毯が敷かれた大広間には国中の貴族家が集まっている。
父が調べた結果、ポルトナス家とコルトナーレ家が手を組んでいた事が分かり、父に家の問題で嫌な思いをさせて申し訳なかったと謝罪されたけど父は何も悪くない。
悪いのは私を陥れようとしたポルトナス家。そうと分かればこの前の様な失態は犯さないわ。堂々と、背筋を伸ばしてしゃんとするの。私は何も悪い事はしていないのだから。
挨拶されそのまま話し込んでしまった父と母を置いて1人飲み物を貰いに離れると、歩くたびに嫌な視線が絡みつく事に気付いた。それでも胸を張り毅然とした態度でいると話し声が耳に入って来る。
「この前あんな騒ぎを起こしたくせにあの堂々とした態度はどうなのかしらね」
「全然反省してないみたいね。それに引き換えウィカ様は自分で転んだと庇われたそうよ」
父と母が近くにいないので聞こえる様に言っているのだろう。教育係のバーシアから貴族社会はこうやって遠巻きに悪口を言われる事もあると教えられた事がある。そういう時は流すか自分も遠回しに嫌味を言い返すのだと。
でも私の性格上遠回しなんて向いていない。やっていないのだから堂々と言おうと胸を張り、黄色のドレスと藍色のドレスを着たご令嬢2人にツカツカと近づいた。
「お話し中失礼致しますわ。先程から私の事を言っているようですが、私は何もしておりません。ウィカ様は自分で言う通り勝手に転んだのですわ」
私より5歳は年上に見えるご令嬢2人は顔を引きつらせ狼狽えた素振りを見せた。すると何処から見ていたのかすぐにウィカが輪に入って来てご令嬢に向かって小さく礼をする。
「耳に入って来たもので突然お話に入ってしまうご無礼をお許し下さいませ。今リーハ様がおっしゃった通りです。私自分で転んだのですわ。ですからリーハ様に突き飛ばされたなど噂をこれ以上広めないで下さいませ。私、リーハ様と同じ学園に通いますの……なのでどうか……」
ウィカの言葉を聞いたご令嬢達の私を見る目は益々鋭くなり、逆にウィカには優しい瞳を向けた。
「ウィカ様、もし学園でどなたかに嫌がらせをされたら庇うのではなく声を上げるのですよ。貴族の風上にもおけない卑劣な行為をする人間に負けてはいけませんわ。私達は派閥抜きでウィカ様を応援しております」
何故そうなるの?自分で転んだとウィカも言っているのに。
私はご令嬢2人の態度にもう言葉も出ない。何も言い返せないわよこんなの。
否定すれば私の評判は下がり、ウィカの評判は上がり同情心まで得ているのだもの。何もしていないのだから堂々と、そう決めて来たのに。逆効果になってしまっているわ。
どうすれば汚名返上できるのか。私はその場で俯き深く考え込んでしまった。
「君、君はリーハ公爵令嬢だね?僕はルチアーノだ」
突然掛けられた声にハッと目を向けるとルチアーノ王太子殿下が立っていた。考え込んでいて殿下が出て来た事に気付いていなかった。
これは大失態である。自分から挨拶しないといけなかったのに。
私の顔を覗き込んでくるルチアーノ殿下の青い瞳は宝石のようで、金色の髪は触れると指から逃げていきそうな程サラサラに見える。白地に金の飾り紐が付いた宮廷服を着た姿はまさに絵に描いたような王子様。
そんな王子様に無礼をしてしまったと私は慌てて頭を下げる。
「ルチアーノ殿下、ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。わたくしリーハ・ハイドリアと申します。お会いできて嬉しいですわ」
「謝らなくていいよ、顔を上げて。ただ何をそんなに考え込んでいたのか気になるから後でコッソリ教えてくれるかな?」
意外な言葉に顔を上げると、殿下はニッコリと優しく微笑んでくれたので照れながら「ハイ」と返事を返した。だがそれが気に食わなかったのだろうか、スーザンとウィカが殿下の背後に立ちとてもつまらなさそうな瞳で私を見ていたのがとても心に引っかかる。
お披露目が終わると婚約者候補3人と殿下で王宮の庭園散策。
ウィカとスーザンと一緒と言うのは正直とても嫌だが広く良く手入れされている庭に感動しているうちにモヤモヤは吹き飛んだ。天気もいいしブスっとしていたら勿体ない。
咲き誇る花を見ながらグリーンの道を歩いていると、隣を歩いていたスーザンが何を思ったのか突然体当たりしてきた。
しかも最悪な事に突き飛ばされた先には噴水が待っている。「きゃぁ」と叫ぶも完全にリラックスしていた体は止まらず真っすぐ噴水に飛び込み頭からずぶ濡れに。
嘘でしょう?こんな事までするの?酷すぎるわ。
一瞬自分がされた事にぽかんとすると先を歩いていた殿下とウィカは私の悲鳴が聞こえたのかすぐに戻って来た。ウィカと目が合うと慌てたように小走りで近づいて殿下より先にスッと手を差し伸べてくる。
「大変!リーハ様、大丈夫ですか?」
そう言っているウィカの口元は緩んでいる。なんてしらじらしいの。
頭に来るけどまたもめ事の中心になりたくはない。ウィカの手を取らず立ち上がり噴水から出ると悔しい思いを表に出さずルチアーノ殿下に礼をする。
「申し訳ございませんが転んでしまったのでわたくしはここで失礼させていただきますわ」
「何を言っているんだ!このまま帰す訳にはいかない。すぐにお風呂の準備をさせよう。さぁ、リーハ令嬢こちらへ」
殿下は慌て私に向かい手を差し出すとスーザンが遮った。
「殿下は一番前を歩いていてお気づきにならなかったかもしれませんが、リーハ様は殿下の気を引こうとわざと噴水に入ったのです。そんな方に手を差し伸べるのは見ていて気分が悪いですわ」
また、始まった。折角自分で転んだと言ったのに。ならばこちらも突き飛ばされたのだから声を上げるわよ。こんな汚い人達に負けたくない。
「わざとじゃありません。本当は私は突き飛ばされたのですわ」
「まぁ!まさか私を悪者にしようと企んでらっしゃるの?酷いわ!私は絶対そんな事はしておりません。ねぇウィカ様」
「ええ。スーザン様はそんな野蛮な事は致しませんわ」
ああ、胸がむかむか。本当の事を言っても2人で協力しているウィカとスーザンには言い負けてしまうだけだ。大体の人が1人の言う事よりも2人が言う事を信じる。あのご令嬢2人みたいに今私が何を言っても信じて貰えないのかも。
「……やはりわたくしはここで失礼させて頂く事にします。殿下のお気遣いはお気持ちだけいただきますわ」
ルチアーノ殿下に挨拶をすると何か言いたげな表情をしたが、すぐに私から大きく目を逸らし緑の垣根の方を見て頷いた。
「では気を付けて帰るように」
顔を曇らせ何処か他所を見ながら言われた言葉に心なんかこもっていないだろう。
ギリっと痛む心。信じて貰えないのは分かっているけど顔も見て下さらないなんて。
流石に悔し涙が滲む。ずぶ濡れのまま3人の背中を見送っていると、いつの間に手配されたのかすぐにメイドが走って来てタオルを手渡された。驚いたけどこんなにすぐ来てくれるという事は何処かで見ていたのかもしれない。
「もしかして、私が噴水に突き飛ばされた所を見ていましたか?」
「っ、申し訳ございません、噴水から出て来たところを目撃はしましたが……」
腰を曲げとても深く頭を下げたメイド。もし誰か見ていたのなら味方が出来るかと思ったのだけど、そんなに甘くはないみたい。はぁ。婚約者候補、辞めたいわ。




